事件のはじまり
庁舎がトばされてからというもの、検非違使の実行課は、会員制のバー「ニューオーダー」に間借りして勤務することになっていた。バーという体裁をとってはいるが、実態は非合法な仕事を斡旋する営業所である。
生真面目な倉敷弓子は、朝の八時四十分には店に来る。このとき客はほぼおらず、前日から飲んでる酔っぱらいが数名いる程度である。
僅差で出勤してくるのは二班の川崎宗司。彼も真面目なだけが取り柄の朴念仁である。
あとは定時である九時を過ぎてから、鵜飼や椎名、犬吠崎がのろのろとやってくる。一班班長の白鑞金が来るのは十時ころ。課長の川崎源三は、来たり来なかったりとまちまちだ。
「新しい庁舎っていつできるの?」
椎名がコンビニで買ったサンドイッチをもそもそ食べながら尋ねると、宗司はメガネを反射させながら「さあ」とそっけない返事。
鵜飼も顔をしかめた。
「どっかないんスか? 俺もうイヤですよ。バーなのに酒も飲めないって、もはや拷問でしょ」
開襟シャツのスーツにチェーンをジャラジャラとさげた金髪の男だ。
バーなのだから、組合員は飲んでもいい。しかし検非違使だけは、勤務時間中は飲んではいけない規則になっていた。
宗司は応じない。ただノートパソコンを操作し、通達を確認している。
二班はそれでも仲がいい。会話があるだけマシである。
一班はといえば、班長の白鑞金からしてタバコを吸いながら新聞紙を読んでいるし、犬吠崎はつまらなそうに週刊誌を読んでいる。弓子もノートパソコンでトランプゲームをするだけ。出動がなければこれで一日が終わる。
だが今日は違った。
「ちょっといいか」
異様な風貌の組合員がよたよたやってきて、一班のテーブルに肘をかけた。
ランカーのフラッシュバムだ。歳は五十前後だろうか。目だけが異様にギラついた、痩せ型の男だ。
白鑞金とは旧知の仲らしく、たびたびこうして席までやってくる。
「大事な話なの?」
「ああ」
すると白鑞金は新聞をたたみ、フラッシュバムと一緒に行ってしまった。
どんな用件なのか、どんな会話をしたのか、もちろん弓子には知る由もない。あるいは弟子の犬吠崎には教えているのかもしれない。しかし少なくとも弓子まで話が来ることは一度もなかった。
「犬吠埼さん。あの人、白鑞金さんのなんなんです?」
なるべく責めるような口調にならないよう、弓子は穏やかに尋ねたつもりだった。
が、犬吠崎は雑誌から顔をあげもせず、うるさそうに生返事をした。
「知り合いだよ」
「どんな知り合いです?」
「大学の同期だ」
「いったいなんの用なんです?」
「さあな」
もう質問するなとばかりに、犬吠崎は身をよじって背を向けた。
いつもこうだ。弓子だけが蚊帳の外である。彼女は茶をすすり、気を静めてからふたたび尋ねた。
「規則に違反するような行為はありませんよね?」
「……」
この踏み込んだ質問に、犬吠崎は固まった。無視したわけではなかろう。答えに窮している。
弓子はさらに言葉を続けた。
「べつに咎め立てするつもりはありません。ただ、同じ班のメンバーとして知っておきたいだけで」
「うん……。うん……。まあ、そうだな。そうなんだが、なんだ、そのぅ……」
白鑞金はベテラン、犬吠崎も中堅といったところだ。しかしふたりは、新人の弓子に厳しく当たることはほとんどなく、なかば腫れ物にでも触るような扱いであった。
もちろん理由はある。
弓子の父は、かつてこのふたりに命を奪われそうになったことがある。父が検非違使で、弓子がまだなにも知らぬ高校生だったころだ。
呼び出された父は抵抗のそぶりさえ見せず、数秒後には白鑞金のナイフで死体になるはずだった。弓子はそこへバイクで突っ込み、自宅から持ってきた刀で正面から立ち向かった。まるで歯が立たなかったが。しかし健闘の結果、弓子が一班で働く代わりに、父の処分を延期させることができた。その父も、いまや亡くなってしまったが。
犬吠埼たちは、いまでもそのことを気にしているのだろう。
「犬吠埼さん。私たち、仲間ですよね」
「おう」
「なのにいつも私だけ、重要な話から除外されているように思うのですが」
弓子は幼少期から父に武道を叩き込まれてきた。昔はイヤでしかたがなかったが、おかげで度胸はついた。学校では浮くことになってしまったが。
犬吠崎は太い指で頭を掻いた。
「いや、まあ、そういうこともあるような、ないような……。だがこいつは君のためでもあるんだぜ。危ないことに巻き込むことになるからな」
「なんの配慮です? 私が新人だからですか? 弱いからですか? それとも、女だからですか?」
「経験の問題だ。だから、まあ、新人だからってことになるのか。けど、そんなに言われてもこっちだって困るぜ。フラッシュバムの用事についちゃ、俺だってロクに聞かされてねぇんだ」
「では、少し探ったほうがいいのでは?」
「はあっ?」
抗議の声ではない。間の抜けた声だ。
彼は思わず立ち上がりそうになり、ふたたび腰を落ち着けた。
「師匠を探れって? そんなことできるかよ。師匠だぞ?」
「前から気になっていたのですが、白鑞金さんはいったいなんの師匠なんです?」
「なんでもいいだろ。それより、師匠を探るってのはナシだぜ。俺たちに事情を言わねぇってことは、言う必要がないってことだからな」
ガタイはいいのだが、見た目ほど豪胆ではない。小心というわけでもないが。とにかく慎重だった。
しかし弓子が言いたいのはそういうことではない。
「規則に反していた場合、処分対象に指定されますよ。誰が処分に当たることになります? そのときのことを考えたことは?」
「あのなぁ……」
「もし命令がくだれば私は躊躇しません。だからこそ、敵に回って欲しくないのです」
「いや、君の言う通りだ。言う通りなんだが、ちょっと落ち着いてくれ。話が飛躍してる。師匠が違反を? なんのために? そりゃフラッシュバムって言や、あんまりいい噂は聞かねぇが……」
「それを確かめるのが私たちの仕事です」
これには犬吠崎も首を縦に振らなかった。
「そんな仕事があるかよ。いいか。余計なことに首を突っ込むと寿命が縮むぞ。お節介もほどほどにしておくんだ」
「後悔しても知りませんよ」
「返事は『はい』だ」
「はい」
やがて白鑞金が戻ってきた。もともと顔が青白いから、表情から会話の内容を読み取ることはできない。それがいい話だったのか、悪い話だったのかさえ。
「ありゃ、コーヒーさめちゃったよ。ったくしょうがないなぁ」
彼はタバコに火をつけ、新聞を拾いあげた。
犬吠崎はなにも聞かない。それどころか、話題に出すなとばかりに視線で弓子を制した。
もちろん弓子にもその程度の気遣いはある。
正直、弓子はこのふたりを恨んではいない。たとえふたりが父に手を出さずとも、別の誰かがやったはずだ。それに、父の直接の死因は自殺である。勝手に死んだのだ。右足を犠牲にしてまで戦い続けたのに、すべてが水の泡となった。
問題の根幹はむしろ、ザ・ワンの細胞を外部に横流しした父にあるだろう。いまとなってはありふれた素材であるが、当時はごく一部で限定的に研究されていた。それが流出したことにより、世界はザ・ワンの価値に気づいてしまったのだ。おかげで抗争は激化し、多数の死者を出すに至った。
実行課課長、川崎源三が来店した。
「全員揃ってるな。幹部会の決定を通達する」
虎のマスクをかぶった筋骨隆々の大男だ。犬吠埼ほどではないが、デカい。百八十はある。それがどしんと椅子に腰をおろした。
「まず、最近元気のありあまっとるハバキの件。一班はこいつの担当から外れてくれ。今後は二班だけで対処してもらう。ただし、自分たちだけでやろうとするな。組合員を使え。お前らだけじゃ死んじまうだろうからな! ダーハハハ!」
ひとりで爆笑し、白鑞金のコーヒーを勝手に飲んだ。
「なんだこれ、さめてんじゃねーか。で、だ。一班。お前らはアメリカの対応に当たれ。なんの用件かは分かるな? いや、言わなくていい。だがその予想はアタリだ。まずは動向を探れ。いきなりドンパチするなよ。それとなく、やんわりとな。お前たちのレポートをもとに、正式な対応を決定する」
すると椎名が真顔で挙手し、源三もそれを認めた。
「質問か? 言え」
「新庁舎はいつになったら用意されますか?」
「お前、いい加減にしろよ。予算がないって言っただろ。しばらくここで我慢しろ」
「えーっ」
それでも一般的な都市よりは人口も多いはずだが、無人の建物が目立つせいで東京はなかばゴーストタウンと化していた。首都機能が移転したため、関連企業も一緒に移転し、さらには下請けも移転した結果、名だたる企業はほぼ京都へ行ってしまった。
とはいえ、無人の建物であふれているのだから、その気になればいくらでも引っ越せるはずだ。なのに使わないところを見ると、新しく建てるつもりでいるのだろう。いくら予算があっても足りないわけである。
続いて白鑞金が挙手をした。
「例の、黒羽先生の件は? 移送先についてまた言ってきたんですがね」
「あの件か。ったく何度も何度もうるせーな。あんな危険物、どこも受け入れてくれるワケねーだろーが。ま、例の妖精島にぶち込むことになりそうだがな」
「けどあそこ、妖精学会の所有ですよね?」
「黒羽とハバキが共同出資で作った組織だな。だが黒羽は、今回の騒動で大損こいて金欠のはずだ。ハバキもなんだかんだでぶっ叩いてやりゃ、そのうち手放す気になるだろう。おい二班、分かったな? とにかくハバキの商売を潰せ。なんとしてでも島をむしりとるぞ」
これではどちらが悪人か分かったものではない。
源三は盛大な溜め息をついた。
「うーむ、さすがに人手が足らんか。せめてもうひとつ班が作れりゃいいんだが……」
求人は日常的におこなわれている。組合員から検非違使への引き抜きだ。鵜飼もそのひとり。しかし基準をクリアできる組合員は非常に少なかった。日本国籍を持ち、日本語でのコミュニケーションが可能であり、表向きの犯罪歴がなく、違法薬物を常用していないという、ごく一般的な要件なのであるが、この業界には該当者が少なかった。おかげで弓子のようなイレギュラーでさえ組み込まれることになる。
ノートパソコンを覗いていた宗司がスッと挙手した。
「課長、警察からの情報共有です。赤坂付近で能力者が事件を起こしているようです」
「警察に対応させろ。アンチ・エーテルを使えばなんとでもなるだろ。それでもダメならまた連絡させろ」
「はい」
アンチ・エーテル物質を含んだ小型カプセルは、いまや防犯グッズとして民間にも出回っていた。
近頃ではこれを持ち込む組合員もいるから、能力者たちはかつてほど一方的な活躍を見せることができなくなっていた。ものをいうのは火薬の量。特に、フラッシュバムのような爆弾魔にとってはいい時代になった。
キーボードを操作していた宗司が、ふたたび手を上げた。
「課長、どうやら人口密集地のため、アンチ・エーテルの使用は控えたいとのことです」
「知るかボケナス。人体には無害なんだから気にせず使え。と、言ってやれ」
「付近に駐留している米軍からは、もし早期解決できない場合、自分たちが対応すると言ってきています」
「クソ。一班、対応に当たってくれ」
赤坂は国会議事堂に近い。現在そこを占拠している米軍としては、付近で問題を起こされたくないのだろう。協定など無視してすぐさま発砲したいに違いない。これを放っておけば、スクープ狙いのマスコミたちが嬉々としてやってくるはずだ。
弓子は腰をあげ、立てかけてある刀を手に取った。命令があれば、対象がなんであろうが斬る。心の準備はできている。
源三は咳払いをし、こう続けた。
「情報の詳細は輸送車に送る。もし手に余るようなら、迷わずグレネードを使え。責任は俺がとる」
アンチ・エーテル用のグレネードは、検非違使にも配備されていた。
白鑞金は小さく頭を下げた。
「では、行ってきます」
店の外には、常に専用の輸送車がスタンバイしている。現場まではそうかかるまい。
(続く)




