レポート:秘密の花園
かつては空を閉ざされていた他界も、いまはまばゆいばかりの光の世界となっていた。
神々しく輝く空、そしてほの青く発光する一面の花々。
その一角には、プシケたちの営む小さな集落もあった。「秘密の花園」と呼ばれる庭園だ。周囲を巨大な壁に囲まれている。
花園に直接置かれた白い円卓には、白磁のティーセットが並べられていた。カップに満たされているのは、他界に咲くソーマから抽出された青い紅茶だ。
「それで? こんな退屈な茶会に呼び出すために、まだ瀕死の私を連れ出したというのか?」
ザ・ワンが顔をしかめたのもムリはなかった。
異常とも言える速度で体が再生したとはいえ、彼女の四肢はまだ回復していなかった。それが椅子に座らされ、三角の介護でなかば強制的に紅茶を飲まされている。
「退屈……ですか?」
「言わずとも理解しろ。誰の目にも明白だと思っていたから、あえて言わなかっただけだ」
「しかし私たちは、この世界の空気を呼吸し、この世界の花を口にして生きてきました。体をよくしようと思えば、こうするのが一番では?」
皮肉ではない。三角は本気でそう考えている。無表情なのは生まれつきだ。
ザ・ワンは幼い顔を思いきりしかめ、鼻で笑い飛ばした。
「いいか。人類はとっくに科学を発展させている。こんな時代遅れの民間療法よりも、あの妖精タンクとかいう機械に入っているほうが回復も早いのだ。それはお前も理解しているだろう」
「しかしザ・ワン、あなたは妖精ではない」
「精霊があるのだぞ。妖精のようなものだろう」
「私たち妖精にとっては神です。あるいは巨人族でしょうか。しかし巨人と呼ぶには、あまりに小さくなってしまいましたが」
「バカにしているのか?」
すると傍観していたシュヴァルツが、苦い笑みを浮かべた。
「ムダだよ。姉さんに常識は通用しない。というより、そもそも会話が通じないんだから」
長い鎌にもたれかかり、椅子を斜めにして行儀悪く座っている。
これに三角がすぐさま反論した。
「たしかに、共感能力のないあなたと違って、人類の言葉を使いこなしているとは言いがたいかもしれません。しかし言葉が通じないというのは言い過ぎでしょう。現に私は、人類とのコミュニケーションに成功しているのですから」
「姉さんは私を怒らせたいのかな? 共感能力の話は余計だと思うんだけど」
「事実を指摘しない限り、あなたは何度でも同じミスを繰り返します」
「命の恩人に感謝の気持ちはないの?」
「妹のあなたが姉の私を助けるのは当然のこと」
「これだもんな……」
シュヴァルツはふてくされてしまい、そっぽ向いて会話を切り上げてしまった。
事故によりザ・ワンに取り込まれてしまった三角は、戦闘中に排出されて道路に投げ出されたのち、精神を操られてナンバーズに襲いかかった。ところが返り討ちにあい、瀕死になったところをシュヴァルツに回収されたのだ。
なのに三角の態度はこのありさまだ。
ザ・ワンもふっと笑った。
「じつに不思議な女だな。口では人類を殲滅したいと言いながら、いざ私がそれを実行しようとするとやめろと言う。妹に対してもいろいろと考えているようだが、それをひとつも伝えようとしない。もしかしてお前、感情を表に出すのが恥ずかしいのか?」
これに三角は微笑を浮かべ、ザ・ワンの小さな口へ紅茶を注ぎ込んだ。
「んぐぐっ」
「恥ずかしがってなどいませんよ。人類の言葉で正確に伝えるのが困難なだけです」
しかしシュヴァルツは大興奮で立ち上がった。
「え、なに? じゃあ言わないだけで、私のこと特別に思ってくれてるの?」
「その質問の答えは、イエスでもノーでもありません」
「はっ?」
「私はすべての同胞を特別に思っています。ですので、娘たちと同程度には、あなたのことも特別に思っていると言って差し支えありません」
三角の冷淡な態度に、シュヴァルツはムキになって身を乗り出した。
「それってちっとも特別じゃないよね?」
「受け止めかたは人それぞれですから、私には回答できません」
「なんでそういうこと言うの? 同じ精霊を分けた姉妹でしょ?」
「それは娘たちとて同じこと」
「同じじゃないよ」
「完全に同じではありませんが、似たようなものです」
「似てるけど違うよね?」
「繰り返しになりますが、あなたがどう受け止めるかについては、私には回答できません。なにせ私とあなたでは共感ができないのですから」
「殺したい……」
噛み合わぬ会話の末、いつもの結論に至った。
傍観しているザ・ワンは、あきれて溜め息をつくほかなかった。精霊ならザ・ワンにもある。しかし三角と同種ではないから、テレパシーによる共感は不可能。一体化していたときに吸収した知識がすべてだ。
その記憶によれば、三角は間違いなくシュヴァルツを特別視していた。内訳としては、愛情が三割、嫌悪感が三割、そして残りの四割は無関心といったところ。これでも他の連中よりははるかにマシである。
娘たちについてさえ、愛情が五割、無関心が五割だ。基本的に、三角は他人に対して薄情なのである。あれだけ世話を焼いてもらっているはずのナインでさえ、愛情が二割、ウザさが一割、無関心が七割といったありさまである。
なお、三角からザ・ワンに関しての評価は、信仰が七割、恐怖が一割、そして性的欲求が二割という内容であった。いまここに呼ばれたのも、どれが理由だか分かったものではない。
ふと、ザ・ワンは下腹部に熱を感じた。
紅茶を飲ませようとした三角が、ザ・ワンの腹の上に薄青い紅茶をこぼしたのだ。やけどするほどではないが、熱い。
「こぼしてしまいました」
「見れば分かる」
「着替えをとってきます」
三角は無表情のままカップを置き、席を立った。
着替えというのは、彼女がいつも着ている白のワンピースであろう。いまザ・ワンが着せられているのもそれだった。
三角の姿が見えなくなってから、ザ・ワンは妹へ尋ねた。
「お前の姉は、私をどうしたいのだ?」
「えっ? なんで私に聞くの? 分かるわけないでしょ」
「付き合いは長いのだろう? 共感能力はなくとも、検討くらいはつくのではないか?」
この物言いにシュヴァルツはやや顔をしかめたものの、怒りを溜め息で逃してこう応じた。
「姉さんは、ずっと神さまが現れるのを待ってたんだ。他界の空を取り戻し、人間たちを平定し、みんなが共生できる世界を作ってくれる神さまの存在を……」
「しかし私は神ではなかった」
「神さまだよ。少なくとも姉さんにとってはね。理由は分からないけど、たぶん、遺伝子レベルで刷り込まれてるんだと思う。妖精は、むかし巨人族に使役されていたらしいから」
「そういうものなのか……」
生まれたばかりのザ・ワンは歴史を知らない。ある程度の知識は三角たちから吸収したが、それとて完璧ではない。三角から得た記憶に当時の光景があってもよさそうなものだが、あまりに古すぎて読み取れなかったのだ。理解できたのは、漠然とした神への憧憬のみ。
ほどなく戻ってきた三角は、ザ・ワンの背後に回り込むと、うむを言わせず服を脱がせた。まるで娘を世話する母のごとき態度だ。
「さすがに美しい肌をしていますね」
「いいから服を着せろ」
「ザ・ワンよ、子供はつくらないのですか?」
そのやわ肌を指先でもてあそびながら、三角が身を乗り出してきた。
「さすがに身の危険を感じるぞ」
「しかし私は妊娠することができません。あなたを妊娠させることも」
「服」
そこで三角は、しぶしぶザ・ワンにワンピースをかぶせた。
「ですので、あなたのために妖精花園を用意することを考えました。これならば単為生殖で子孫を増やせるはずです」
「あの不気味な芋虫に私の子を産ませるのか」
「このままではいずれ神も滅びます。それに、妖精花園はああ見えてなかなかかわいいものです。世話をしていれば愛着もわきますよ」
「……」
この花園を囲っているのも妖精花園だ。巨大な肉がC字型に寝そべり、壁のようになっている。
しかし少なくともザ・ワンの感性では、この肉の壁を愛することはできそうもなかった。ましてや自分の子を産ませるなど、考えただけで複雑な気持ちになる。
シュヴァルツが肩をすくめた。
「けど、花園を作るなら、いっぱい死体を用意しないとね。こんなに大きな肉なんだから」
「私はお前たちと違って成長するはずだ。そのときに、気が向けば人間の子供でも産むことにしよう」
すると三角が円卓につき、さめた目を向けてきた。
「まさか、人類などと生殖活動をするつもりなのですか?」
「遺伝子の構造はよく似ているらしいからな。子供だって作れるだろう」
「そうではなく、神の正統性は……」
「そんなものが必要なのか? 正統性などというものがあるから争いになるのだろう。それに、イージスなら人間にも備わる」
「許容しがたい発想ですね」
三角は異種交配を認めない立場らしい。
ザ・ワンは思わず苦い笑みを浮かべた。
「六原三郎は言っていたぞ。私たちは、種を超えて友になることもできるのだと。人間だけでなく、犬や猫や、あるいはヤギともな」
「ヤギ……」
「かつて巨人と妖精が共生していたようなものだろう。そこへふたたび人間たちを迎え入れてやるに過ぎない」
「しかし生殖活動は……」
食い下がる三角に、ザ・ワンも顔をしかめた。
「言っておくが、遠い未来の話だぞ。この体を見ろ。まだ子供だ。なぜか急速に成長したものの、年齢で言えばまだ一歳にも満たないのだ。それに、人間と同じスピードで成長するとも限らない。百年はこのままかもしれない」
「やはり妖精花園を使うべきのようですね」
「安易な結論は避けてもらえるとありがたい」
ザ・ワンが顔をしかめると、シュヴァルツもあきれたように眉をつりあげた。
*
同刻、黒羽研究所――。
庁舎がロストしたため、現在、検非違使庁の保健部は民間企業を間借りして活動を続けていた。
「まさかザ・ワンが生きていて、しかも動き回ってるなんてねぇ……」
青白い顔をした痩せぎすの中年男性が、命の削れるような溜め息をついた。一班の班長、白鑞金だ。
ザ・ワンの存在はトップシークレットである。
しかしなにか問題が起きれば、対応するハメになるのは検非違使だ。よって幹部会の判断で、まずは実行課の一班に事情を知らせることになった。
大柄な犬吠崎が、神妙な表情で天井を見上げた。
「ナンバーズ・ワン。世界長か……。まいりましたね。これじゃあアメリカも黙ってないでしょう」
「彼ら、欲しいものは必ず持っていきますからね。いっそ揉め事が起きる前に、ザ・ワンをアメリカに引き渡すというのは?」
この提案に、黒羽麗子は露骨に顔をしかめて見せた。
「そういう政治的な判断は上がするわ。あなたたちはただ現実を受け止めて」
「いやまあ、そりゃごもっともなんですがね。いまハバキの件が忙しくて、アメリカの相手をしてる余裕もないってのが本音でして……」
「あなた、この仕事何年やってるの? 言われなくても優先順位くらい分かるでしょう? ハバキなんて、組合員に任せとけばいいの」
年齢で言えば白鑞金のほうが上であるが、役職では麗子が上だ。物言いが横柄なのも今日に始まったことではない。のみならず、部署が違うだけにアタリも強い。
白鑞金はむしろ笑顔でこれを受け入れた。
「ええ、ではそうしましょう」
「いまは三角さんが他界に連れ出してるけど、すぐまたこの研究所に戻ってくるわ。けど、妖精タンクでの治療が終わったら、どこかへ移送しないといけないから……。場所を選定するよう、川崎さんに伝えておいて頂戴。この時期になってまだ決まってないなんて、普通ならありえないから。早急にね」
「はぁ」
黒羽とてザ・ワンの研究はしたい。しかしこの研究所に置いておけば、いつアメリカが乗り込んでくるとも分からない。だから早い段階でよそへ移したいのだろう。
この間、倉敷弓子はずっと無言で話を聞いていた。
斬る相手がチンピラから米軍に変わるかもしれない。彼女にとっては、ただそれだけの話だった。仮にターゲットが妖精であろうが神であろうが違いはない。
いまの弓子は殺人兵器だ。なにも考える必要はない。
救いたいと思った人間はすでに全員死んだ。他者にかける慈悲はない。己へかける慈悲さえも。
刃を抜けばそいつは死体になる。あるいは自分が死体になる。
(検非違使編へ続く)




