神は死んだ
後日判明した情報によれば、日米両政府は毒ガスではなく、燃料気化爆弾の投入を予定していたらしい。爆発による気圧の変化と酸素の燃焼により、ザ・ワンを窒息死させる策だったようだ。
出雲長老会は数十名の死者を出した。その責任をとって四方は幹部を辞任。その後、派閥争いへと発展し、組織は急速に弱体化していった。
全裸のまま逮捕された春日次郎は、内乱罪を問われて勾留された。巨大生物をけしかけ国家の存立をおびやかしたとして、有罪になるのはほぼ間違いなかろうという見方であった。
セヴンからはさらに情報があった。
背後で暗躍していた黒羽アヤメのあきれるような『陰謀』についてだ。
アヤメはまず、春日操るザ・ワンに東京で騒乱を起こさせ、東京の地価を下落させた。秩序の失われた東京の土地を、資産家たちが損切りのため手放すだろうと踏んだからだ。そして底値でそれらを買い叩いたのち、春日が東京以外の都市を破壊して回るというプランだった。これにより各地の地価が下落し、逆に安全となった東京の地価が高騰する。
アヤメは差額で利益をあげることができ、春日はその支援を受ける予定だった。
しかもアヤメは、書類上は死んだことになっており、罪を問われることもない。
*
ニューオーダーでビールを飲みながら、三郎はテーブル上のスマホを眺めていた。ニュース映像が流れている。
アヤメの想定に反し、議事堂周辺は滅茶苦茶に破壊されてしまった。これにより政府は、京都府への首都機能移転を正式に決定。東京はいくつかある都市のひとつとなった。
そしてその議事堂周辺はといえば、立入禁止区域に指定され、日米共同の調査チームに管理されることとなった。
仕事を成功させた六原三郎は、ナインから一千万、検非違使から三十万を受け取った。やった仕事の内容にしてはパッとしない額だが、不満はなかった。やるべきことをやった。次はその金で酒を飲む番だ。
「こんにちは」
クリップボードを胸に抱え、木下がやってきた。ほほえんでいる。しかしムリに作った笑顔だ。
ここ数日の三郎は、もはや燃え尽きたように酒を飲んで帰るだけだった。どんな仕事が来ても受けようとしない。
「木下さんか。こんにちは」
「あの、お姉さんのこと聞きました。長野に戻ったんだとか」
「ああ。農家やるんだってな。あんなところで、ひとりでよ。なにもない場所だってのに」
とはいえ一子は、ナンバーズ・シックスを辞任したわけではない。農家を本業としつつも、円卓会議をひらくときだけ出てくることにしたのだ。理由は分からない。結局、約束したおやきも作ってもらっていない。いきなり帰った。
「さみしくなりますね」
「ま、少しな」
店内にはペギーもいるが、同じテーブルには来ていない。少し離れた場所でサイードと飲んでいる。噂によれば、P226を封印してグロック17に戻したとかいう話だ。
世界管理機構は、もはや実力行使によってではなく、他界の研究において存在価値を示そうとしていた。実際、その技術レベルはアメリカさえ凌ぐ。今後は研究の分野で活躍していくことになるのだろう。
万年鼻炎の杉下耕介が、鼻をすすりながら金属バットを引きずってきた。
「なんだよ、またイチャコラしてやがんのか。いや、いい。すぐ終わる」
立ち去ろうとした木下を、杉下は手で制した。
「聞け、朗報だ。俺の頭の中から山野が消えた。朝晩必死に拝んだ効能があったってことだ。いわゆるひとつの宗教だぞ。これはつまり、お前のおかげでもある。俺が宗教をひらいたら、お前を幹部にしてやるからな。言いたいことは以上だ」
一方的に勝手なことを主張し、勝手に去っていった。ナッツを鷲掴みにしながら。
木下は目を丸くしていた。
「あのぅ、いったいなにを……」
「サッパリだ。あいつの話はいつも意味不明だからな」
「ですね……」
するとキャサリンが「よっこらショック死」と正面の席に腰をおろした。
「で、あんたはいつになったら仕事する気になるワケ? 一位のランカー目指してるんじゃなかったの?」
彼女は機構の艦長のはずなのだが、まだここで事務員を続ける気らしい。
「デカい仕事のあとなんだ。少しくらいゆっくりしてもいいだろ」
「ハバキ絡みのがいっぱい来てんのよ。あの手の連中は、ちょっと治安が悪くなるとすぐ元気になるんだから。需要に供給が追いつかない状態よ」
「キラーズは?」
「葉山が死んでから完全に落ち目でしょ。あんまり成績よくないのよ」
「というより、あんた自身はどうなんだ? 機構に帰らないのか?」
この問いに、キャサリンはくりくりとした金髪を指先でもてあそんだ。
「健全な組織ってのはね、トップがいなくても回るもんなのよ。むしろ私がいないほうがいいくらいだわ。でも哀しくなるからこの話題は禁止。それで、どの仕事を受けるの? 殺し? カチコミ? 闇取引? よりどりみどりよ」
「……」
どれも気の乗らない仕事ばかりだ。
妖精をコントロールする技術がオープンになってしまったから、南の島で妖精を捕まえる仕事も、野良スクリーマーを退治する仕事もなくなってしまった。あとは本当に、人間同士の奪い合いしかない。
「分かった。まあやる気になったら教えてよね。仕事持ってくるから」
キャサリンは溜め息混じりにそう告げ、ナッツを山ほど口に放った。
キャサリンが去ると、いづらくなったのか木下もはけていった。
ナッツの皿が空になったのを契機に、三郎もビールを飲み干して店を出た。
乗客のまばらな電車を乗り継ぎ、自宅へ。どの路線も本数が減ったし、利用客も激減していた。盆や正月でもないのに、みんなが帰省しているかのようだ。
かつてはありったけの富が詰め込まれていた感のある東京は、いまやよくある地方都市のひとつと化していた。
それでも街では、営業を再開する店がぽつぽつと増えてきた。巨大な危機が去ったためだろう。
三郎は帰宅するなりノートパソコンを開き、メッセージを確認した。スマホでもやり取りはできるのだが、小さい画面を覗き込む気分になれなかった。
姉からは、整備を始めたばかりの畑の写真が送られていた。いまから手を入れれば、冬には白菜や大根くらいは採れるかもしれない。三郎は自宅で採れるゴボウが大好きだった。土の滋味がするのだ。
椎名からは残務処理の愚痴が来ていた。日米共同とはいいつつ、議事堂周辺には米軍しか立ち入れないことや、彼らが肉片をひとつ残らず独占し、サンプルさえよこさないことへの不平不満が書き連ねられていた。
三郎は苦い笑みを浮かべ、返事もせずにアプリを閉じた。
テレビをつけると、どのチャンネルも見飽きたニュースを繰り返していた。
今回の作戦は、検非違使庁と米軍が共同で解決したことになっていた。実際、三郎たちは下請けに過ぎないし、金を払ったのは検非違使庁だ。装備を提供したのは米軍。彼らの看板で仕事をしたのは間違いない。
三郎は英雄ではない。金をもらって仕事をしただけ。もし三郎がやらなければ、ほかの誰かがやっただろう。それだけの話だ。
ふと、チャイムが鳴った。老朽化のため音の歪んだ電子音だ。
来客の予定はない。もし姉が来るとしてもチャイムなんて鳴らすはずがないから、おそらく別の誰かだろう。
玄関へ向かいドアを開くと、精悍な顔つきの白人男性が立っていた。どこかで見た顔だ。背後には屈強な黒服が控えている。
「久しぶりですね、六原さん。デイヴィット・エンジェル大佐です。おぼえてますか?」
「えーと、機構の……」
「いえ、アメリカです。ザ・ワンの件で少々お聞きしたいことがありまして」
「中に入るか?」
「そうできると助かります」
三郎の懸念をよそに、彼らはきちんと靴を脱いであがり込んできた。
「で、聞きたいことってのは?」
「ザ・ワンの精霊の行方です。あなた、アレをどこへやりました?」
「精霊? 俺が知るかよ。カラスの餌にでもなったんじゃないか」
これに大佐は不敵な笑みで応じた。
「もしカラスがつついたとして、その痕跡くらいは現場に残るはずです。なのに、まるでエーテル反応がなかった。ということはつまり、まるまるどこかへ持ち去られた可能性があるということです」
「ヘビが丸呑みしたって可能性もあるぜ。あの辺、だいぶ前から人間がいなくなってたからな。どんな動物が出てきたっておかしくない」
「ならそのヘビが見つからないとおかしい」
「ちゃんと探したのか?」
「ええ。その上でご協力を求めているのです」
三郎はふっと笑った。それでも冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いで出してやった。
「まさか、俺が持ち去ったとでも言いたいのか?」
「私たちは、あらゆる可能性を否定しない。ですから、あなたが手に入れた可能性も否定しない」
「どうせなにを言っても信じないんだろ。勝手に探し回っていいぜ。ただし、モノを動かしたら元に戻してくれよ。散らかってるように見えて、実用的な配置になってるんだからな」
「いえ、ここを探すつもりはありませんよ。どこに保管されているのか、それさえ教えていただければ」
「知らないって言ってるだろ。もし協力して欲しかったら組合に依頼を出してくれ。金額次第じゃ誰かが受けてくれるだろ」
「まさかとは思いますが、食べてませんよね?」
「はっ?」
あまりに真面目な顔で聞くものだから、三郎は思わず噴きそうになった。
「食べる? 俺が? あいつの精霊を? 火も通さずに?」
「あなたの一族は躯喰みだ。可能性は否定しきれない」
「そこまで調査できてるなら、俺にそういう趣味がないことくらい分かってるだろ。姉貴ならともかく」
「隠してもあなたのためになりませんよ。私たちは絶対に探し出す」
仕事熱心なことだ。
三郎もさすがに顔をしかめた。
「もし食ってたら、いまごろ下水道に行ってるはずだが……。それでも探すのか?」
「もちろんです」
「俺は手伝わないからな」
「断言するのはまだ早いですよ。あなたが自発的に手伝いたくなるよう、手を回すこともできる。まだ紳士的に対応しているうちに、首を縦に振るのが賢明です」
「残念だが、俺の首はそっちに曲げたら折れるんでな」
「本日はこれで失礼します。しかし次に会うときは、いいお返事を聞きたいものです」
「……」
大佐は黒服を引き連れ、部屋を出ていってしまった。
ザ・ワンとの戦闘ののち、三郎は遺体から精霊を引き抜いた。
もちろん食べてはいない。現場に来ていた黒羽麗子に押し付けた。おそらくは、いまごろ妖精タンクで培養されていることだろう。そいつが回復すればナンバーズ・ワンとなる予定だ。もちろん成功するとは限らない。これは賭けだった。
証拠が残らぬよう遺体をバラバラに切り裂いたのだが、それではアマかったらしい。エーテル反応が機械で測定できることをすっかり忘れていた。
三郎は仰向けになり、天井を見上げた。
箱型照明の吊られた、木目のある和室だ。年季の入ったボロアパートだから木が黒ずんでいる。が、これなどせいぜい築三十年超といったところだろう。
しかし実家はさらに古い。築百年になろうかという建物だ。周りの家々も似たようなものだった。テレビで観る「一般家庭」なんてものは、ずっと架空の存在だと思っていた。
そんな故郷へ、じつは三郎も戻るつもりでいた。誰かが田畑を管理しなくてはならない。しかしかつて指摘されたように、現代人に必要なものがすべて揃っているとは言いがたい環境だ。そもそも店がない。トイレットペーパーも、石鹸も、シャンプーも、街まで買いに行かねば手に入らない。
やはり住むなら街がいい。そこには店がいっぱいある。商品だってあふれてる。世界は平和になったのだから。
もしこれから事件が起きるとしても、かつてのように、裏側でひっそりとおこなわれることになるだろう。ニュースになることもない。
ともあれ三郎は、またうるさい連中が仕事を押し付けてくるまで、しばらくゆっくりと過ごすつもりでいた。いい仕事をするには休養が必要なのだ。
(ゴッドリング編 EOF)




