魂の花 四
湧き上がる力をすべて風に変え、真正面に鎮座する肉塊へ叩き込んだ。
大気そのものが裂けるような手応えがあった。そして散る鮮血の花。カマイタチは胎児の頭部を大きく切り裂き、頭蓋骨さえ粉砕し、腰辺りまで一気に切り裂いた。
三郎は、しかし勝利を確信しなかった。とっさに横へ回避。ザ・ワンの体内から渦巻いた鮮血が槍のように噴出し、虚空を突いた。
かと思うと赤い傷口がみるみる塞がってゆき、もとの憮然とした胎児の顔に戻った。
「よく避けた」
「昔から反射神経だけはよくてな。けど正直、いまのはちょっと驚いたぜ。さてはお前、人間じゃないな」
「冗談を言っている余裕があるのか」
「どうだろうな」
余裕などなかった。せっかくイージスを無効化できたのに、体細胞を変化させてバケモノじみた反撃に転じてくる。のみならず、この異常な回復力。イージスより少しマシになっただけで、状況はさほど好転していない。それに、アンチ・エーテルも永続的に効くわけではない。ここで一気に殺害しなければ。
ザ・ワンは身をよじり、ずるずると近づいてきた。
「どうした? 殺すのではなかったのか? こちらはまだ奥の手を残しているぞ。この程度で萎縮しているようでは、地上を明け渡してやることはできない」
「まあ待ってろ。いま必殺技を考えるから」
気配を感じ、三郎はふたたび距離をとった。
蒼天から垂直に落下する稲妻の一撃。
ザ・ワンの内臓を焼くような強烈なスパークだ。これなら血液が飛び出さないから、比較的安全に攻められるかもしれない。しかし枕石居士はこれを連続で打ち込めないらしく、拝むような格好のまま動きを見せなかった。
ザ・ワンはやや苦しそうに表情を歪めたものの、短い手足でじりじりと寄ってきた。
「全然だ。全然足りない。それではひとつも満足できない」
脂肪にまみれたぶよぶよの身体を揺すると、その背から肉塊が隆起した。びゅる、びゅる、と、不快な音を立てて排出されたのは四つの人影。
「後ろのほう、暇であろう。四つの力を貸してやる。殺し合うがいい」
その四体は、外見からは人間とも妖精とも判断がつかなかった。男か女かも分からない。ただ呼吸をし、立っている。髪を逆立てた精悍な人物だった。
彼らは散開し、俊敏な動きで南部隊の背後へ回り込んだ。
ともあれ、そいつらは組合員が自力でなんとかするだろう。三郎の相手は、あくまでザ・ワンだ。
そのザ・ワンは、なかばあきれた表情で笑った。
「六原三郎と言ったな。お前のことは海でも見かけた」
「こっちも見たぜ。山野さんは元気にしてるか?」
「山野……。イージスを使い、自我を保ち続けている脳だけの人間か。コソコソとこちらを嗅ぎ回って、鬱陶しいコバエのような男だったな」
「殺したのか?」
「まだだ。しかしいずれ星の記憶となってもらう」
三郎は肩をすくめた。
「その、星の記憶ってのはなんなんだ? あの海に溶けると、俺たちもその記憶の一部になるのか?」
「星というのは、この地球のことだ。アレは死んだ生き物の記憶を食らっている。その胃袋があの海だ」
「まさか、地球も生きてるってのか?」
「それは私の知ったことではない。星が意思を持っているのか、あるいは意思などなくただ機械的にやっているのか、その判断さえつかないのだからな」
「は?」
「さっき私は、星が記憶を渇望していると言った。しかしそれはあくまで私から見た認識だ。たとえば重力。星が重力でものを引きつけているのを、意思と見ることもできるし、ただの物理法則と見ることもできる。これと同じく、星が記憶を渇望するのを意思と見ることもできるし、ただの物理法則と見ることもできる」
「実際、どっちなんだ?」
「それは星に尋ねるがいい。答えてはくれないだろうがな。しかし意思が働いているように見える以上、私はあるだけ食わせてやろうと思う。すべての記憶を食わせてやれば、そこに神が現れるかもしれない」
「生き物が滅んでから現れる神ってか。皮肉な話だな。海にいた親を消したのも、それが理由なのか?」
「あれも記憶となった。意味など問うなよ。すべては反射の幻影に過ぎないのだからな」
「オーケー」
話はさっぱり理解できないが、とにかく死んだら終わりということは間違いない。
三郎は風を起こすべく、体内のエネルギーを賦活させた。
「ま、ハナからそうだ。神がなにを考えてるのかなんて、俺に分かるワケがない。人間同士でさえ分からないんだからな」
ザンと真空波で切り裂き、即座に横へ回避した。血の槍がその残像を貫く。
側面からは一子が仕掛けた。ザ・ワンの短い腕を切り落とし、背後に回り込んで足も落とした。飛散した血液が一子へ反撃を試みたが、素早く身を伏せて回避。
ザ・ワンの血液は、意思を持った触手のようだった。切断された手足を引き寄せ、すぐさま元通りに修復した。
のみならず、かすかにバチッと黒く帯電した。
はやくもアンチ・エーテルの効果が切れようとしていた。
三郎は大きく跳躍し、上空からザ・ワンの背へ切りつけた。骨の浮いた生々しい背がざばと裂け、そこから血液の槍が飛び出してきた。三郎はこれを空中で回避。着地したときには、傷も修復していた。
「おい、教えてくれ。どうやったらお前を殺せるんだ?」
「回復のたびにエネルギーを消耗している。これを続けていれば、いつかは死ぬだろう。もっとも、その前にお前たちが死ぬだろうがな。あるいは私も呼吸をしている以上、その呼吸を止めれば死ぬはずだ。手っ取り早く毒ガスを使うという手もある」
ずいぶん気軽に答えを教えてくれる。
ただし、この程度の情報はすでに周知の事実。ザ・ワンもそれを知っているというだけのこと。毒ガスはたしかに有効であろうが、いま投入されれば三郎たちも死ぬ。
次の攻撃を仕掛けようとした瞬間、後方からなにかが吹っ飛んできた。
人間だ。
アスファルトを転がってきたのはホリオカ。彼はごろごろと転がりながらも器用に身をさばき、四つん這いでくるりと方向転換した。が、それきりだ。立ち上がることもできず地に伏した。
ホリオカをぶっ飛ばしたのは四つの力とかいう肉人形だった。
ザ・ワンは目を細めた。
「この程度のデクさえ片付けることができないとはな。やはり人間は、地上を支配するにはあまりに非力……」
「そうか?」
たしかにホリオカはぶっ飛ばされた。が、四つの力とやらは、差し当たり三体しか見当たらなかった。一体は頭を撃ち抜かれ、地べたを這いつくばっている。
ターンと音がして、もう一体の肉人形が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
ここにはカメレオンも来ている。おそらくどこかに身を潜め、スナイピングしているのだろう。
肉人形の一体がホリオカを追撃すべくダッシュしてきたので、三郎はその正面に立った。
「待て。お前の相手は俺だ」
「……」
言葉はない。
ただ視線だけが鋭く三郎を射抜いた。
技を見なくても分かる。そいつも風使いだ。
先に仕掛けたのは肉人形。腕を交差させ、十字型の真空波を放ってきた。だが直線的な攻撃など、三郎にとって回避はたやすい。
旋回するように回り込み、ややゆるめに真空波で反撃した。肉人形もこれを回避。
しかし三郎、ただ攻撃したわけではなかった。トラップを仕掛けておいた。
肉人形がそこへ足を踏み込んだ瞬間、その足はミキサーにかけられたようにズタズタに切り裂かれた。
「風ってのはこうやって使うんだよ。どうだ、勉強になっただろ?」
ドヤ顔ではあるが、姉のパクりである。
その三郎、脇から風で突き飛ばされた。敵の攻撃ではない。姉にやられた。わけが分からないまま目を向けると、先程まで三郎のいた地面がパーンと跳ね上がった。アスファルトの下から土砂が噴出したのだ。
敵にも土蜘蛛がいたらしい。
のみならず、せっかくダメージを与えた風の肉人形の足がみるみる回復していった。どいつもこいつも回復力が高すぎる。
頭を撃ち抜かれた水の肉人形も、火の肉人形も、次々と立ち上がった。
「おいお前ら、もう少し良識の範囲内で頼むぜ……」
さすがの三郎も、ついつまらないジョークを口にしてしまった。
目だけを動かして彼我の戦力を再確認する。まだ死者は出ていない。しかし状況はよくない。ヤケになって仕掛ければ一時的に優位に立つことができるかもしれないが、長期的に見れば不利になるのは間違いなかった。なにせ敵は致命傷を負わない。なのに三郎たちは、身体の一部をやられれば即アウト。イヤでも慎重にならざるをえない。
ザ・ワンが静観してくれているからいいようなものの、混戦になったら肉人形ごと葬り去られるだろう。いや、あるいはこうしてじっと動かないことで力を蓄えているのかもしれない。いずれにせよ時間がない。
「クソ、出し惜しみはナシだ。一気にぶっ殺してやる」
標的はもちろん風の肉人形。同じ風使いとして、どちらが上か白黒つけねばならない。
先程同様、風の肉人形は真空波を仕掛けてきた。三郎はもはや回避さえしない。真正面から真空波をぶつけ、全力でやり返した。
結果、暴風が吹き荒れ、三郎も頬や肩口を裂かれた。そして風の肉人形は、頭から真っ二つに裂けてその場に倒れた。
が、どうせ復活するはずだ。
三郎は歩を進め、遺体をさらに両断した。すると汚く散らばった赤い内臓の中に、虹色に輝く精霊を見つけることができた。
「なんだよ。べつに不死身ってわけじゃないのか。だったら話が早い」
落ちている精霊を鷲掴みにしてむしり取り、ザ・ワンへ見せつけるように掲げた。
「まずひとつ」
指先に力を込め、精霊を握りつぶした。内部から熱いエーテルが噴出し、キラキラと輝きながら飛散した。
風の肉人形は遺体を晒したまま、もはや回復する素振りさえ見せなかった。
三郎は手についたエーテルを舌で舐め、獰猛に笑った。
「分かるか? つまりこいつはシンプルな話だったんだ。お前の表面だけ削ってても意味はない。精霊を引きずり出して、いまみたいにぶっ潰してやれば終わる」
ザ・ワンは表情を変えなかった。
ただ事態を見守っている。
(続く)




