魂の花 三
南門から敷地内へ踏み込んだ三郎たちも、妖精たちの異変にはすぐ気づいた。
噴出するエーテルの濃度が増しただけでなく、身にまとっているエネルギーが分厚い。のみならず、過剰なエネルギーの供給に耐えきれず、身をよじっている妖精までいた。飽和状態に近い。少しつつけばワーム化してしまいそうだ。
「なにが起きたんだ?」
「さあ……」
三郎の問いに、一子は厳しい表情でかぶりを振った。
周囲には阿弖流為の作った土人形もいるが、これは妖精でないため影響を受けていない。つまり強化されたのは敵だけだ。
慎重に歩を進めようとしたその瞬間、エネルギーの奔流があった。そいつは正門から濁流のようにやってきて、なにもかもを巻き込みながら議事堂の中へ撃ち込まれた。
方向から推測するに、仕掛けたのは東部隊であろう。ザ・ワンとその周囲にいた妖精たちが圧縮され、エネルギーの球体に押し込まれていた。
三郎たちを警戒していた青き夜の妖精たちも、あまりの出来事にそちらへ向き直り、すぐさま現場へ急行した。
「あ、待てよ」
三郎も駆けた。
国会議事堂の敷地は、せいぜい学校ほどの大きさだ。全力ダッシュすればすぐに東部隊と合流できる。
見ると、名草梅乃が歯を食いしばって力を使い、ザ・ワンを抑え込んでいた。力の放射が起こらないよう、外側から大きく。
雑に仕掛けたらしく、その球体の中では巻き込まれた妖精がミンチになり、議事堂の外壁が行き場をなくして暴れまわっていた。圧縮されたザ・ワンはうめきながらも、黒い放射を続けている。内圧は高まる一方だ。梅乃が力尽きた瞬間に大爆発が起こる。
折悪しく、北門からは北部隊が逃げ込んできた。その背後を湖の貴婦人がずるずると追い立てている。
「おい、手の空いてるやつッ! こいつの精霊を狙えッ!」
先程は啖呵を切った放哉であったが、強化された貴婦人には為す術がないようだった。
湖の貴婦人は泰然としていた。ゼリー状の体内に七色の精霊を宿し、長いドレスの裾をひきずるようにやってくる。後ろには小型の水妖たちが、やはりずるずると続いた。
しかし三郎たちが力を貸そうと思ったら、梅乃の正面を通らねばならない。もしそんなことをすれば、おそらくザ・ワンの球体に巻き込まれて即死する。東部隊に任せるしかない。
実際、好奇心からか近づいた一匹の妖精が巻き込まれて、一瞬で挽き肉になった。
東部隊のペギーが水妖へ射撃を開始したが、ほかにサポートに回れるものはいないようだった。水妖に接近戦を挑むのは難しい。
傍観する三郎の服を、後ろからひっぱるものがあった。
「なんだ?」
阿弖流為だ。神妙な表情で見上げている。
「この下、土はあるの?」
「まあ、あるだろうな」
一面はアスファルトで覆われているものの、少し掘ればすぐ土にぶつかるだろう。しかしそれがいったいなんだというのだろうか。この一帯のアスファルトを剥がせとでもいうつもりか。
「穴、開けられる?」
「少しなら」
高まった真空波を放ち、アスファルトへ切りつけた。一部がバンと綺麗に割れて土が見えた。
「もっとか?」
「ううん。これでいい」
すると阿弖流為はその場にしゃがみ込み、アスファルトの破片をどかして土に手をあてた。
途端、大地が揺れた。
かと思うと水妖たちの足元でアスファルトが割れ、大地が暴れ狂ったようにうねりだした。もっとも、付近の北部隊も立っていられないほどの激震だったが。
やがて一帯は地すべりを起こし、土砂の濁流となって水妖ごと堀へ滑り落ちていった。水妖を水に突き落としたからといって殺せるはずもないが、しかしかなりのエネルギーで押し出せた。土中の岩石に精霊を貫かれて力尽きた水妖もいた。いくらかのダメージを与えることはできただろう。
「す、すげーなお前……」
「うん。でも疲れた」
阿弖流為はその場に横になり、脇腹をぼりぼりと掻いた。
「しばらく寝るから、終わったら起こして」
「おう……」
力を使い果たしたらしく、土人形たちもその場に崩れ落ちた。
とはいえ、こんなに役に立つのであれば、他界まで探しに行った甲斐もあったというものだ。
昼を迎え、高くのぼった太陽は燦々と光を放っている。さすがに夏だ。放水の気化熱もあってか、さほど暑くはなかったが。
ザ・ワンの救出を断念した青き夜の妖精たちが、方向転換して三郎たちの行く手を阻んだ。敵のエーテルは極限まで満ちている。先程と同じ戦術で一方的に押しまくることはできないだろう。頭を使って戦う必要がある。
南部隊の仲間はほとんどが組合員だ。そもそも三郎自身が組合員としての参加である。カメレオン、青村雪のほか、枕石居士、ブルーマンデー・ホリオカなど、三郎がランキングでしか見たことのない連中まで動員されていた。
ハッキリ言って強い。
青き夜の妖精は、極めて殺傷能力の高いステンドグラスによる斬撃を仕掛けてくるが、動作は直線的で読みやすい。回避して反撃すれば勝てる。囲まれたらさすがに危ないが、囲まれないだけの頭数は揃えている。敗北はない。
「キァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
カラスのように叫びながら飛来してきた妖精を回避し、三郎は側面から真空波で切断した。腰から真っ二つにされた妖精は、なにが起きたのか理解さえできないまま絶命した。
洗脳されているせいか、殺しても殺しても妖精は撤退しない。もしかしたら最後の一匹になるまで戦闘を続けるつもりなのかもしれない。
ふと、地面に濃い影が現れた。闇をしたたらせながらざばと立ち上がったのは黒い妖精。シュヴァルツだ。
「神の怒りを買った人間たちが、ついにこの地上から消え去る日が来たようだね。楽しそうだから観戦しに来たよ」
彼女がそう告げると、次々現れた黒い妖精たちが上空へ飛び上がり、青き夜の妖精と激しく威嚇しあった。
ふっと笑ったのはさやかだ。
「素直じゃありませんのね」
「おや君は、たしか黒羽のところの泣き虫ちゃんだったかな。少しは強くなったのかい?」
「言葉で説明するより、行動でお見せいたしますわ」
実際、さやかは前回とは別人のように技をふるっていた。張り切りすぎてペース配分を慮外にした戦いぶりだから、おそらく長くはもつまい。
シュヴァルツは肩をすくめた。
「たいした自信だね。じゃ、私も本気を出そうかな。こんなザコはすぐにでも片付けて、姉さんをどうにかしないといけないからね」
長い鎌を手に、彼女は背面から黒いエーテルを噴いた。
黒い妖精たちは、やはりザ・ワンの影響を受けていないらしい。
しばらくは、流れ作業のような戦闘が継続した。
黒い妖精たちが一部を引き受けてくれたおかげで、スタミナの消耗は格段に抑えられた。しかしそれでも敵の数が多い。のみならず、妖精同士の戦いとなると、やはり青き夜の妖精が強かった。いつまでもこの戦闘を継続することはできない。
するとあるとき、議事堂の屋根が崩落した。内に押し込まれていた球体が肥大化したのだ。
梅乃もそろそろ限界だった。湖南と砂原に左右から支えられて、立っているのもやっとの状態だ。球体をどこかへ放り投げないと、味方を巻き込んでこの場で大爆発を起こす。禍々しい気配はすでにビリビリと皮膚にまで伝わってくる。
議事堂の奥には議員会館があり、そのさらに奥には日枝神社や高校もある。だが無人のはずだ。そこまで放り投げて爆発させれば、被害は建造物だけで済む。
球体が議事堂から浮き上がり、遠方に射出された。
が、弱い。
あまり勢いがつかぬまま、しかも梅乃が制御を失ったらしく、球体は議員会館へさえ届かず空中で爆発した。
光をかき消すような黒い放射があった。
そしてすぐに体表を焼くような熱波と、猛烈な風。
三郎は風をコントロールしてやり過ごそうと思ったが、とても抵抗できるエネルギーではなかった。爆風に突き飛ばされ、上も下も分からぬまま地べたを転がされた。
気を失っていたのか、あるいはほんの一瞬だけ意識が途切れていたのかは分からない。三郎はうつ伏せのまま、風のいつまでも吹きすさぶのを感じた。
やがて風がおさまったかと思うと、今度は空気が逆流するかのように、後ろから猛烈に吹き込んできた。
身体へのダメージはさほどのものではない。議事堂の陰になっていたおかげかもしれない。しかし現場は滅茶苦茶だった。まず、妖精たちがすべて叩き落されていた。転がっている遺体も一掃された。そして正門から進行していた東部隊は、大きく飛ばされて姿も見えなくなっていた。死んではいないはずだが、多少の負傷はまぬかれないだろう。
ひとつ呼吸をし、三郎は身を起こした。
焼き殺されてもおかしくない距離だった。おそらく梅乃が最後の力を振り絞り、爆発の方向を少しいじったのだろう。そうでなければこの程度で済むはずがない。
さすがというべきか、組合員たちも次々と立ち上がった。植え込みに絡まった阿弖流為だけは、あえて起きようともしていなかったが。
「姉貴、もちろん行くよな」
「ええ……神の肉がどんな味か……たしかめなくちゃ……」
動機はともかく、攻めるならいましかない。
イージスによる防御は万能ではない。鋭く攻めれば通る。梅乃があれだけ押し込んだのだから、少しはダメージを負っているはずだ。追撃の手をゆるめるわけにはいかない。
「私は姉さんの様子を見てくるよ」
そう告げたシュヴァルツを場に残し、南部隊は進行を開始した。瓦礫にふさがれた西側への直進は避け、南門へ引き返してからの迂回となった。
ザ・ワンは国道の中央に突っ伏していた。目立った外傷は見られなかったものの、苦しそうにぐったりとしている。
「あれが人間の力だと……」
三郎は両手を開き、不敵に笑ってみせた。
「安心しろ、ああいう規格外のヤツはそうそういない。それに、あの女はしばらく戦いには参加できないだろ。代わりに俺が相手してやる」
「ふん、わざわざ殺されに来たのか」
「そんなワケあるかよ」
猛ダッシュから跳躍し、急降下してのキックを叩き込んだ。が、分厚いエーテルの雲に阻まれ、ダメージはザ・ワンまで到達せず。のみならず、パァンと音を立てて黒い放射が起き、靴の裏を焼かれた。
三郎は蹴った反動で宙返りして着地し、ややよろめいた。
「けっこう痛ェ。つーかかなり痛ェ」
長時間正座したあとのような、膝までビリビリ来る痛みだ。
「もし本気で仕掛けてくれば、同じ力で命を奪う」
「おいおい、フカすのも大概にしろよ。お前なんて所詮、他力本願野郎なんだよ。こっちが攻撃しなければ手も足も……いやちょっと待て、まだ話の途中だろ……」
ザ・ワンは大きく跳躍し、ダーンとアスファルトに身を叩きつけた。その瞬間、黒い放射が起きて周囲の街路樹を黒焦げにした。
とっさに身を伏せた三郎は、さいわい無傷で済んだ。しかし運がよかっただけだ。放射に捉えられれば、生身の人間など一撃で焼き殺される。
「ズッケーぞこの野郎」
だがどうしようもない。
遠距離から射撃を加えるか、またどこかからアンチ・エーテル物質を持ってくるか、あるいはもっと別のアプローチをしなければ。
もちろん三郎には策などない。弱ってるところをボコれば勝てると思い、のこのこやってきた。なのに遭遇して数秒で不可能だと思い知らされた。
素直に引き返し、姉にすがることにした。
「姉貴、どうにかしろ」
「ムリ……」
即答だ。
となると、即刻この場から猛ダッシュで逃走し、政府の毒ガスなりミサイルなりに任せるしかない。手に負えないことが分かれば、さすがに化学兵器を投入してくるだろう。死体が変質するから研究に使えなくなるとかいうたわごとは、あくまで人類が生き残った上での話だ。
首まであるブルーの全身タイツを着た白人男性が、爬虫類のような動作でやってきた。
「ニューサンノーまで誘導したら? もうそれしかないよ」
ランカーのホリオカだ。動きはすこぶる怪しいが、主張の内容には一理ある。ニューサンノーにはヘパイストスが配備されているからだ。
しかしいかんせん遠すぎる。ザ・ワンと戦いながら誘導できるような距離ではない。
ふと、遠方から装甲車がやってきた。車体には「検非違使庁」と書かれている。そいつは法定速度を守ってのろのろやってきて、一同の前に停車した。
「待たせたな」
後部のドアを開き、虎のマスクの男が降りてきた。川崎源三だ。
特に呼んだ覚えもなければ、待っていたつもりもない。
だが彼は、肩にロケットランチャーを担いでいた。
「なにも言うな。イージスを無効化したいんだろ? ここに一発だけアンチ・エーテル弾がある。もとはお前たちの納めた税金だ。遠慮なく活用してくれ。どうやら自衛隊にはもう在庫がないらしいからな。必要になるから多めに発注しておけって言ったのによ」
バシュッという音とともに火を吹き、ロケット弾が飛び出した。もちろんザ・ワンに直撃などさせない。着弾したのはすぐそばの路上だ。
ロケット弾はアスファルトに接触するや、バァンと爆ぜて黒い粉塵を撒き散らした。ザ・ワンの全身を包み込むほどの散布だ。少しは吸引しただろう。
距離はあるから、三郎たちが吸引する心配はない。最初からこうしていればよかったのにと三郎は思ったが、あえて言わぬことにした。
源三はこの仕事に満足したらしく、うんうんとうなずいた。
「小職の役目は以上だ。諸君らの健闘を祈る」
バンに乗り込み、ふたたび法定速度にて撤収。有無を言わせぬ一方的な仕事だった。が、真にいま必要な仕事でもあった。
ザ・ワンは「ぐふうぐふう」と奇妙な声で咳き込んだ。
「なんだこれは……目くらましのつもりか……。ムダなことを」
その頭上へ、ピシャリと落雷があった。黒い霧も散らされるほどの一撃だ。
仕掛けたのは僧形の男。ランカーの枕石居士。浦井の一族ではあるものの、しかし宗家とは縁が切れている。ここにいるのは、ただの組合員としてだ。
雷撃を受けたザ・ワンは身をちぢこめた。が、黒い放射は起きない。
「ぐふうッ……」
むせるようにうめいたまま、理解できないといった様子で虚空を見つめた。
「これは……いったい……」
「とうっ!」
三郎はその眉間に飛び蹴りを叩き込んだ。が、これはたいしたダメージにもなるまい。反撃もなかった。
「アンチ・エーテル物質とかいうヤツだ。分かってたんじゃないのかよ」
「小賢しい……」
つまり自衛隊のアンチ・エーテル弾は、もっと小分けにして撃ち込むべきだったということだ。いっぺんに投げ込んだせいで、警戒されて防がれてしまった。遠方からなにかが飛んでくれば、誰しもそれを回避しようとするだろう。あまりに無策だった。
さやかがふっと笑った。
「いくら神を自称していても、全知全能には程遠いようですわね」
ザ・ワンも苦い表情ながら、口元を歪めた。
「ふん。この私が神などであるものか。もしそのようなものがあるとすれば、この星そのものを言うのだろう。だが、私は神としてここへ来た。いまさら態度を改めはしない。止めたくば殺せ。さもなくば殺す。一族の誇りにかけて、もはや人間どものいいようにはさせん」
ザ・ワンの怒りももっともであろう。
だが三郎は仕事で来ている。投げ出せば一円にもならない。相手の身の上を案じているようでは、こんな仕事はハナからつとまらない。
(続く)




