魂の花 二
駆け出そうとした瞬間、三郎は異変に気づいた。
いる。
というより、すでに囲まれている。
議事堂前には国会前庭なる庭園がある。南側はほぼ全域が土のフィールドだ。その大地から人がせり上がってきたのだ。
一体や二体じゃない。両手で数え切れないほどいる。土気色をした老若男女だ。
他界に棲む土の妖精、傀儡である。土中にあったおかげで、アンチ・エーテルを吸入せずに済んだのだろう。
強くはない。しかしダミーを操る本体を叩かない限り、いくら殺してもすぐに復活する。こいつに手間取っている間にほかの敵に囲まれたら目も当てられない。
だが次の瞬間、すべてのダミーが土くれとなって崩れ去った。傀儡はなぜか本体を残して消滅。そいつは唖然とした顔の若い男だった。
ふと、阿弖流為が重い腰をあげた。ガスマスクを捨て去り、幼い顔に厳しい表情を浮かべている。
「じいじ、力を貸して」
彼女がつぶやくと、崩れ去った土くれたちはふたたび人の形をとった。その姿は先代のナンバーズ・フォー、土蜘蛛と同じ姿かたち。つるつるの頭に、白いヒゲを伸ばした仙人のような老人だ。
呆然とする傀儡の本体を、老人たちが取り囲んだ。かと思うとひょいひょい距離を詰め、その四肢を掴み、力任せに引きちぎった。出血はない。そこにはただ土くれだけが残された。
三郎は阿弖流為の頭を軽くなでてやり、すぐさま全速力で駆け出した。
風のキレがいい。
びゅうびゅううなる音を聞きながら、放水車の残骸を蹴って高く飛び上がった。向かう先には青き夜の妖精の群れ。そこへ躊躇なく飛び込み、溜め込んだ力を大爆発させた。
巻き起こったのはカマイタチの嵐。
妖精たちはシールドを展開するが、ムダだ。そのシールドさえ切り裂く真空波により、彼らの身体はバラバラに分断された。
三郎は軽やかに着地し、ふっと笑った。
「この力が機械のおかげってのはシャクだが、ま、いまは許してやるよ。おい、妖精ども。遠慮はいらんぞ。俺に殺されに来い」
切断された妖精たちの肉片が、血液の糸を引きながらボトボトと落ちてきた。三郎は、頭上に降ってきた胴体を真空波で切り裂いた。
「なんだ、怖いのか? けど、見てるだけじゃつまらないだろ。なんせこっちは空を飛べないんだからな。またさっきのをやれって言うんならやってやってもいいが」
しかしその必要はなかった。
ぐっと上から押し込まれるようなダウンバーストがあり、青き夜の妖精たちが抵抗もできず大地へ叩きつけられた。
のそのそやってきたのは一子だ。
「サブちゃん……風は……こうやって使うの……」
「ふざけんなよブス。こっちはまだ人間やめてねーんだよ。できるかそんなこと」
あまりの圧力に三郎も膝をつきそうになったほどだ。いくら機械でブーストされているとはいえ、限度というものがある。
黒羽さやかが指から糸を放ち、大地でもがき続ける妖精の首を切り落とした。
「ちょっと、お話は終わってからにしてくださる?」
「一理ある」
三郎も真空波を放ち、大地をえぐりながら妖精を始末した。
*
同刻、北部隊――。
おもに出雲で編成されたこの部隊は、皇居の堀に沿っての進行となった。
国会前庭は道路を挟んで北と南に分かれている。この北側には傀儡が現れなかったが、その代わり背後の堀から奇襲を受けた。
にわかに水面が盛り上がり、ゼリー状の巨大生物がざばと起き上がったのだ。
他界に棲む水妖たちの女王。湖の貴婦人。
奇襲を受けた後列の青村一族が、貴婦人になでられ生きたまま溶解した。皮膚や肉だけでなく、骨さえも液化してしまった。
アンチ・エーテルは堀にも流れ込んでいたはずだが、しかし水量に比して濃度が薄かったのであろう。水妖の能力を無効化するには至らなかったのである。
人間サイズの水妖もわらわらと這い上がってきた。
出雲は妖精たちとの戦闘経験が薄い。しかも背後からの奇襲とあって、いきなりの総崩れとなった。反撃に転じることができたのは鳥居を背負った相楽のみ。
四方もにわかに指揮を執ることができず、しばし傍観するありさまだった。
「ったくだらしねーな。精霊を打つんだよ、精霊を」
本来なら東部隊に編入されていた青村放哉が、失われた右腕から鬼火を放ちながら参上した。
彼は天才だ。手などもげていても能力は発揮できる。
連射された鬼火が、水妖の精霊を次々撃ち抜いていった。さいわい、水妖の体は半透明のゼリー状だ。どこを狙えばいいかは見れば分かる。精霊を撃ち抜かれた水妖たちは、その場にどろどろと崩れ落ちた。
「貴様、寝返ったはずでは……」
目を丸くする四方に、放哉は顔をしかめた。
「相変わらずだな、四方さんよ。寝返るもクソもねーんだよ。俺はなァ、俺の能力を正しく判断するヤツらと手を組む。それだけだ。俺さまの凄さが分かったら頭をさげて懇願しろ。そしたら手を貸してやる」
「しかし宗家が……」
その青村の宗家はこの場に来ていた。まだ十七歳の少年、青村カイだ。彼は初めての実戦にガタガタと震え、地べたにへたり込んでいた。
放哉は、カイを横目に不敵な笑みを浮かべた。
「ふざけんな。宗家だと? こっちはそんなの狙っちゃいねーんだよ。なんべんも言っただろ。お神輿は、あそこで座り込んでるガキにやらしとけ。俺は現場で輝くタイプだからな。おいクソガキ! テメーも宗家の跡取りならしっかりしろ。戦わなくてもいいから、せめて命令くらい出せ。希望はなんだ?」
「き、希望?」
「この天才の青村放哉さまに、なにをして欲しいのか言え。たとえばあのデカいのをぶっ殺すとか、そういうのをな。だが金の相談はやめろよ。こっちは借りる専門だからな。しかも必ず踏み倒す」
「倒してっ! あのデカいのをっ!」
少年の懇願に、放哉は白い歯を見せて笑った。
「おう、任せとけ」
*
同刻、東部隊――。
名草梅乃を先頭に、一同は歩を進めた。
背後に控えるのは左衛士の猪苗代湖南と、新たに右衛士となった砂原次男。そしてナンバーズの面々。最後尾にはP226を構えたペギーもいる。
東部隊は真正面からザ・ワンにぶつかる主力だ。編入されたメンバーも並の能力者ではない。
開け放たれた国会正門の先に、うずくまる巨大な胎児が待ち構えていた。
「ようこそ神の座へ。参拝客はいつでも受け付けているよ」
口は達者だが、様子がややおかしかった。顔は斜めにひしゃげたようになっており、しきりに体を揺すっていた。つぶれたような鼻をずっとヒクヒクさせている。
「あなたには死んでもらいます」
梅乃の宣告に、ザ・ワンは脂肪をぶるぶると震わせた。笑っているつもりであろう。
「ただの人が? 神に? 死を与えると? 愉快なことを言うもんだね。それは地球を逆方向に回すより難しい。世界を敵に回す行為だ」
「残念ですが、世界を敵に回しているのはそちらのほうでは」
「ひうっ、ひうっ」
おそらく笑っている。だがやはり様子が尋常ではなかった。舞い降りたプシケの娘たちが、気遣わしげに体表をなではじめた。
ザ・ワンはさらに身をヒクつかせた。
「と、ところでね、さっきから体がね、なんだかむず痒いっていうか……。あ、あどで、背中のところがで、なんだがおがじ……」
胎児の背中の肉がにゅるりと盛り上がった。突き出しているのは人間の上半身だ。じゅぶりと不快な音を立て、そいつは排泄されるようにアスファルトへ転げ落ちた。
春日次郎。宗教団体「東京娑婆苦」の教祖にして、テロリスト「ブラックアウト」の首魁。そいつがぬとぬとの粘液にまみれ、全裸のまま突っ伏した。
「あ、あれ……。僕は、えーと……」
するとふたたび背中を突き破り、もう一体が排出された。
三角だ。こちらも粘液まみれでアスファルトに落ちた。意識を失っているのかピクリともしない。
「三角ッ!」
ナインは声をあげたが、さすがに駆け寄ったりはしなかった。いま誰かが突入すれば、すぐさま総力戦に突入してしまう。その程度の自制心は彼にもあった。
ザ・ワンは平静を取り戻していた。
憑き物が落ちたようにどっしりと落ち着き払い、胎児とは思えぬ容貌だ。
そいつは深く呼吸をし、こう告げた。
「ご苦労だったな、人間たち。おかげで知識を獲得できた。お前たちが私を神と呼ぶのなら、それらしく振る舞ってやるとしよう」
「えっ? えっ?」
慌てふためく春日に、ザ・ワンはもはや興味も示さなかった。
「裁定を下す。星は記憶に飢えている。底なしにな。よって、その贄として、お前たち人間には死んでもらう」
ザ・ワンの周囲に寄り添っていた妖精たちに、突如として異変が起きた。背面から噴いていたエーテルが爆発的に肥大化し、クリアな青から毒々しい虹色へと変化したのだ。
「我が下僕たちに力を授ける。神の力を使い、人間たちを鏖殺せよ。一人残らずな」
立ち上がった三角の背面からも虹色のエーテルが噴き出していた。その表情は虚ろだ。
「生き延びたければ抵抗してみせよ。死なば群青の海に溶け、星の記憶となるだろう。あれは満ちることがない。永遠の渇望に苦しむ呪われた存在。お前たちの欲望のように、際限がない。星は常に人の死を欲している」
そこでザ・ワンは、慈愛に満ちた表情で目を細めた。
「ただし、戦う気のないものは逃げるがいい。もちろん逃しはしないがな。しかし恐怖し逃げるという体験もまた記憶となる。せいぜい肥えてから死ぬのだ」
この言葉に、春日は慌てふためいて逃げ出した。粘液で滑って転ぶも、すぐに立ち上がって必死の形相で逃げた。神の皮を剥がされた人間の、生々しい後ろ姿であった。
もちろん非常事態である。
ただし、ナンバーズに「逃げる」という選択肢はない。もしザ・ワンが人類の手にあまるようであれば、日本政府は容赦なく毒ガスを投入してくるはずだ。そこに誰がいようがお構いなく、だ。自衛隊や米軍を派遣せず、代わりに使い捨ての部隊を使っているのは、最後にその手段を取るためである。
ザ・ワンを殺さねば、政府に殺される。
戦って勝つしかない。
(続く)




