魂の花 一
七月を迎えた。
かつて一千万に迫ろうとしていた東京の人口は、いまや三百万人を切るほどに減少していた。ビルやマンションはもぬけの殻となり、復興を諦めた資産家たちは財産を京都へ移動させた。
東京は、いまや巨大な空洞と化していた。
十時十二分。
桜田門前――。
討伐隊が、米軍から支援された装備を身につけ集合していた。
検非違使からの出動要請を受けた出雲長老会と、その協力要請を受けたナンバーズ、そして金で雇われた組合員たちである。
装備は、フルフェイスのガスマスクに、全身の筋肉をサポートするボディウェア、そしてエーテルを高揚させるバックパック型ブースターで一式となる。
名目上のリーダーは出雲の四方。痩せこけた初老の男だが、眼光は鋭い。
「覚悟はとうにできていることと思う。これより我々は死地へと赴く。しかし特別なことはなにもない。敵は強い。だが我々はさらに強い。生きて帰ろう」
作戦はこうだ。
北、東、南の三部隊に分かれ、国会議事堂を包囲。
アナウンスにて一般市民の退去をうながし、数分の猶予を与える。このとき逃げ遅れたものがいても、もはや躊躇する必要はない。
グレネード・ランチャーにより遠距離からグレネードを投入。アンチ・エーテル物質を散布する。
その後、一斉に攻撃を仕掛け、ザ・ワンを追い詰める。邪魔する妖精はすべて殺処分。
ヘパイストスは投入されない。なにせ入り組んだ市街地である。遮蔽物が多すぎて運用が困難であると判断された。あくまで米軍が自分たちの防御用に独占している。
硬質な朝日が強烈に差し込んできた。しかし皇居の森林が近いこともあり、この付近はまだ涼しいほうであった。去年妖精たちと殺り合ったのはコンクリだらけの埋立地。それも真夏の八月だ。クソ暑いだけでなく、ひどく蒸して汗だくになったものだ。
道を歩きながら、三郎はエネルギーの高まりを感じていた。
ブースターとやらはたしかに駆動しているようで、ボディウェアを通じて絶えず力を送り込んでくる。風を起こせとせっついてくるようであった。
三郎が編入されたのは南部隊。リーダーは六原一子。ほか、黒羽さやか、阿弖流為らもいる。組合員もここに編入された。
北部隊を構成しているのはおもに出雲長老会。四方、相楽、それに青村の宗家、カマキリの一族が勢揃いした。
そして主力の東部隊。名草梅乃を筆頭に、左右衛士、その他ナンバーズが揃った。ペギーもここに編入されている。
セヴンは後方支援のため参加しない。回復しなかったトモコも不参加である。
議事堂へ近づくと、妖精たちのざわめきが聞こえてきた。おそらく敷地内には大量のスクリーマーがひしめいていることだろう。上空にはプシケの娘たちや、青き夜の妖精たちの姿も見える。群れて旋回するその姿は、まるで積乱雲のようだ。
アンチ・エーテルの効果で妖精たちが無力化されれば言うことはない。しかしそうならなかった場合、かなりの損害が予想される。
スピーカーから、市民の退去をうながすアナウンスが流れ始めた。
本来ならこんなアナウンスなどせず奇襲を仕掛けたいところだが、しかし警告もナシに市民を巻き込めば政権の支持率に影響するとかで、やむをえずこうなったらしい。どちらにせよ大人数で取り囲めばすぐに察知される。
一部の不法占拠者たちが、慌てた様子で撤退を開始。これまではザ・ワンの威圧によって警察さえも手が出せない状況が続いてきたが、その警察と入れ替わりで武装集団が入ってきたから、今度こそ大規模な作戦が始まると判断したのであろう。
持ち場に到着するまでに、かなりの数の市民とすれ違った。ほとんどが大学生風の若者たちだったが、ちらほら中年の男女や老人たちも混じっていた。社会が困窮してくると、神の力を借りたい気分にもなるのだろう。
一子が無線で準備の完了を伝えると、しばらく待機となった。
待機地点からは、議事堂の様子が見通せた。地上はほぼスクリーマーで埋め尽くされている。ザ・ワンの姿も見えることは見えるのだが、うずくまっている背中が少し確認できる程度だった。
三郎は引きずっていた阿弖流為の足を放り投げ、つい苦い顔になった。この少女は自分の足で歩こうともせず、あまつさえ米軍からもらった装備さえ装着していなかった。手にしたどら焼きを食いもせず、半目でうとうとしている。じつにぐうたらだ。この戦力をアテにすると、痛い目を見ることになりそうだ。
「姉貴、なにかプランはあるのか? 適当にやっていいならそうするが」
主力はあくまで東部隊だから、三郎たちは妖精の相手をしていればいい。守るべきことはひとつだけ。あまり踏み込まないこと。ザ・ワンに近づきすぎると攻撃に巻き込まれる。
一子は暗い目をしていた。
「特に……」
見るからに気鬱そうだ。普段から姿勢のいいほうではないが、今日は特に猫背だった。戦闘にも慣れているし、死体だって見飽きているはずなのに、普段より元気がない。
「おい姉貴、シャキっとしろ。こいつは言わば晴れ舞台だろ。天気もいいしな」
「えっ……?」
「いや、そういうリアクションはいいから。つーか、なんなんだよ? なんでそんなにテンション低いんだ? 殺しまくるの好きだろ?」
「好きじゃない……」
「けど殺したあと食うのは好きだろ?」
「好き……」
そこだけは素直だ。
しかしその割にやはり元気がない。
見かねたさやかが口を開いた。
「お姉さまは、この戦いが終わったら、六原さんが木下さんに求婚するのではと心配してらっしゃるんですわ」
「はっ?」
さすがの三郎もこれにはあきれた。余計なお世話な上に、完全に妄想だけで空回りしている。
一子はギロリと眼球を動かした。
「だってサブちゃん……この戦いが終わったら……俺と結婚してくれって……言ったはず……」
「いや、そんなフラグみたいなこと言った覚えがないんだが。そもそも、俺たちはデートさえしてないんだぞ。世界のすべてが俺たちを妨害するせいでな。結婚なんて申し込める段階じゃない」
「ホントに……?」
「ホントだ。まあ、終わったらどこか遊びに行くくらいはしてもいいけど」
「どこに……行くの……?」
「なんでそんなこと言わなきゃなんないんだ。ついてくる気だろ」
一子はこくりとうなずいた。
「もし結婚したら……私の……義理の妹になる……」
「めんどくせーな。お前と縁を切れば家族にならなくて済むのか」
「ぐぎぎぃ」
眼球が血走った。
この表情は三郎でさえ鳥肌が立つ。ネットでエロ画像をあさっているときに、いきなり怖い画像を踏まされたときのような気分だ。いくら見慣れていても、急に来られるとびっくりする。
「ま、まあ落ち着けよ姉貴。もし勝ったらメシでも食いに行こうぜ。お前のおごりでな」
「お金……ない……」
「は? いや、なんでないんだよ。貯金くらいしとけブス。なにに使ってんだよ」
「お肉……」
「少しは節約しろ。そんなんじゃマジで結婚できねーからな」
これから多くの命をかけた最終決戦だというのに、完全に緊張感が失われてしまった。足元では、どら焼きを口にした阿弖流為がバタついている。どいつもこいつもマイペースに過ぎる。
ふと、遠方で信号弾があがった。
自衛隊がグレネードが投擲する合図だ。やがて付近はアンチ・エーテル物質で包まれることになる。
さやかがしゃがみ込み、阿弖流為の口元にガスマスクを取り付けた。
シュパーン、シュパーンと、煙の尾を引きながら大量のグレネードが飛んできた。それらは地面に着弾するや、ぼっと音を立てて黒く輝く粉塵を周囲に撒き散らした。ぼっ、ぼっ、ぼっ、と次々に降り注ぎ、一帯をキラキラとした黒い霧で覆い尽くした。
「おい、なにも見えないんだが……」
見えないのに、グレネードの音だけがいつまでも響いている。ガスマスクはフルフェイスタイプだから粉塵が目に入るということはなかったが、しかし見えないものは見えない。
六原一族は空気の動きに敏感ではあるものの、これだけもうもうたる煙幕の中にあっては繊細な探知など到底不可能であった。
さやかが溜め息をついた。
「作戦聞いてませんでしたの? このあと放水で粉塵を流して、それから戦闘開始だったはず」
「流したら意味ないだろ」
「彼らは粉塵を吸入していますから、効果は残留するはずですわ。そのためのガスマスクでしょう?」
「そうだっけ」
三郎が知らないのも無理はない。なにせこの作戦説明は、出雲とナンバーズにしかされていなかった。本来なら一子から説明されるべき内容である。
やがてサイレンとともに、水を撒く音が近づいてきた。
三郎たちも真上から水を浴びた。
「んぶっ、この野郎……」
だがそのおかげで近場の視界が晴れた。議事堂の様子はまだ見えないが。この時点で分かったことといえば、仰向けのままの阿弖流為が溺れそうになっていたことくらいだ。
放水しているのはただの消防車ではなく、装甲の施された放水車であった。それが数台、三郎たちの脇を通過して議事堂へ向かった。
彼らも三方から進行してきたらしく、議事堂前に集結した放水車は最終的に十数台になった。政府もそれだけ本気ということだ。
各車のノズルがいまだ暗雲立ち込める議事堂へ向けられ、一斉に放水を開始。土砂降りの雨のような、凄まじい水量が注がれた。おかげで蒼穹に美しい虹のアーチが掲げられた。
清浄な水が、次第に黒い霧を洗い流してゆく。
だが、こうなることは事前に予測しておくべきだった。
霧が追いやられると、議事堂前にはステンドグラスでできたドームを見つけることができた。青き夜の妖精たちが、その能力で屋根を作ったのだ。
彼らはドームのパネルを消し去るや、怒り狂ったカラスのように絶叫しながら放水車へ襲いかかった。結果、放水車はズタズタに切り裂かれ、タンクから凄まじい量の水をぶちまけることとなった。
爆散する車両、逃走する車両などが入り乱れ、付近は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
三郎はマスクを取り外し、その場に投げ捨てた。
「行くぞ。小細工はナシだ」
(続く)




