新しい神、新しいビジネス
ドームの制圧後、組合員はその場に残り、調査団の到着を待つことになっていた。
負傷者はそのとき回収されることになるだろう。一部はすでに死体になっているが。黒い妖精たちの死骸の数に比べれば、かわいいものだ。
あれだけ殺したのだ。もう敵も戻っては来るまい。外を守る必要はない。
三郎はひとり、ドームの中へ向かった。
*
米軍の置いていった発電機のおかげで、施設内には電気がついていた。
第一類管理ドーム。
謎の巨大生物「ザ・ワン」を管理するための施設だ。かつては大田区の倉庫街に建造されていたのだが、ザ・ワンが目を覚ました瞬間、施設ごと他界へワープしてしまった。だから日本円の使える自動販売機も稼働している。
地下中央には、セントラル・クレイドルという円形のスペースがある。
三郎は巨大エレベーターを使い、そのセントラル・クレイドルを目指した。
明確な目的があったわけではない。観光地に寄ったついでに、有名な遺跡でも見ておこうと思っただけだ。
*
そのエレベーターは頑丈なだけが取り柄の、なんらの変哲もない箱であった。
しかし地下へ到着し、ドアが開いた瞬間、景観は一変した。
通路の壁はボロボロに崩れ、コンクリート片が散乱し、蛍光灯もすべて叩き割られていた。その代わり、何者かによって通路脇に花が植えられ、その花々がうっすらと発光して周囲を照らしていた。
三角が近づいてきた。
「あなたの言った通りの結果になりましたね」
幼い顔つきではあるが、その表情には落胆も諦念もなかった。すなわち表情がない。先日拝借した右足は失われたまま。背面からエーテルを噴き、なんとか姿勢を保っている。
三郎は顔をしかめた。
「えっ? 俺、なんか言ったっけ?」
「次は私たちが排除される、ということです」
「ああ、それか。まあ当然だよな。検非違使ってのは勝つまでやる。で、あんたはここでなにをしてるんだ? ファイヴはとっくに逃げたぞ。もし邪魔するようなら、あんたもアレすることになるが」
「戦うためにここにいるわけではありません。ただ、彼女の世話をするものが必要なので」
「彼女?」
三郎が首をかしげると、プシケはくるりと背を向けた。
「言葉で説明するより、見てもらったほうが早いでしょう」
巨大なホールに、巨人の女が裸でうずくまっていた。妊娠しているらしく、下腹部がふくらんでいる。それをプシケと同じ顔の妖精たちが、かいがいしく世話をしていた。
ここがセントラル・クレイドル。かつてザ・ワンが百年近くも眠り続けていた場所である。
「デカいな」
三郎の登場に、巨人はしかしほとんど反応を見せなかった。横たわり、弱々しくも苦しそうに呼吸を繰り返し、落ちくぼんだ目だけを向けてきた。
巨大ではあるが、顔は少女のそれだった。人間に換算すればまだ十代であろう。
「こいつはなんなんだ?」
「機構が教皇と呼んでいた妖精です。かつては人間サイズのミイラだったのですが、儀式をしたらこの姿に」
「儀式ってスゲーんだな。俺もデカくなれるのか?」
「素養のない人間に同じ儀式をすれば、おそらくワーム化します」
ワームというのは、ウツボカズラのような姿をしたワープ装置だ。自力で食事をとれないから数日で死亡する。
三郎はそんな自分を想像し、口をへの字にした。
「それで? このデカいのが、なにか重要な存在なのか? 孕んでるってことは、ヤることヤったってことだろ? 男のほうはどこに行ったんだ?」
プシケは珍しく白けたような表情になり、こう応じた。
「あなたも知っているザ・ワンですよ。そして彼女は、神の子を宿している」
「へえ。いくらリア充でも、ホントに爆発しちまったらそりゃな」
「まだ神が存在するとなれば、ふたたび人間たちの醜い争いが始まるでしょう。彼らの神に対する執着は異常ですから。おそらく、あなたは興味もないでしょうが」
「興味? あるよ。神ってのは金になるらしいからな。俺たちの仕事も増えるってことだ」
「勤労なことですね」
「俺もそう思う」
プシケは皮肉を言うほど回りくどい少女ではないし、三郎もいちいち疑ったりしない。このふたりは少しだけ似ていた。
*
その後、調査団が来たので、三郎たちは外の警備にあたった。
警備といっても退屈なものだ。誰も襲ってこない。景色もずっと夜のまま。ただ強烈なライトに照射されるだけの時間だ。
味方の半数はすでに死んだ。生き残りは、三郎も含めて五名。どれもチンピラまがいの組合員だ。装備も怪しい。二本松ブラザーズの兄は日本刀と騙されて買ったマグロ包丁だし、弟のほうもヤクザから売りつけられた質の悪いトカレフを使っていた。賞金稼ぎといったって、所詮は使い捨ての駒でしかない。
半年前、この一帯はアメリカが占拠していた。
国際法によれば、どの国にも属さぬ無主地は、はじめに実効支配した国が統治してよいことになっている。だからアメリカが軍隊を入れた。しかし妖精や巨人との戦闘で大損害を出し、撤退を余儀なくされた。
以来、放置されてきたのだが、いまは日本人が来ている。
「六原さんよ、さっきドームに入ったよな? 中になにがあるんだ? あんなにいっぱいの妖精が守ってたってことは、よっぽど重要ななにかがあるってことだよな?」
二本松兄が警戒するようにやってきた。いかついカピバラが青いスーツを着ているようにしか見えないが。
「下? なんかデカいのがいたぞ」
「デカいのって? まだ巨人の生き残りがいたのかよ?」
「いたんだな、これが。しかも身重だったぞ。神さまの子供を宿してるんだと」
「神さまの? てことは、また抗争が始まんのかよ……」
世界管理機構が日本にザ・ワンを持ち込んだのが約百年前。そいつをめぐる利権争いのせいで、組合にもかなりの被害が出た。二本松兄が顔をしかめるのもムリはない。
三郎はしかし鼻で笑った。
「そのマグロ包丁、高かったんだろ? これからもっと出番があるぜ。喜べよ」
「お、おう……」
ザ・ワンは他界の空を取り戻そうとし、青き夜の妖精に戦いを挑んで敗走した。その後、大田区のワームから這い出してきたところで絶命。米軍のミサイルに遺体を焼かれてあとかたもなく消し飛んだ。
*
調査が終わってニューオーダーへ戻ると、約束の三十万が支払われた。その報酬から一万を抜き取り、カウンターでビールをオーダーした。釣りは九千円。
三郎がテーブルでビールを飲み始めると、例のキャサリンがやってきた。
「お帰りなさい、六原さん。今日の仕事は成功だったみたいね」
そして「よっこらショック死」と席についた。
「あんた、いつもショック死してんな」
「場を和ませるためのプリティーなジョークよ。でもありがと。ツッコミを入れてくれたの、ここではあなたが初めてよ」
これまでは総スルーだったということだ。
三郎が渋い顔をしているのも構わず、キャサリンは身を乗り出した。
「で? ドームはどうだったの? 入ったんでしょ?」
「調査員からレポートが来るんじゃないのか? それに、こっちには守秘義務ってのがあるんだが」
「そういうのいいから。どうせザ・ワンにまつわるヤバい情報なんでしょ? ケチケチしないで教えなさいよ。こんど木下さんとのデートをセッティングしてあげるから」
「女の巨人がいたよ。ザ・ワンの子供を宿してた」
迷いはない。この取引は、最初から天秤が傾いていた。
キャサリンは目を猫のように丸くした。
「巨人? それがザ・ワンの子を? 教皇ってこと?」
「なんかそんなこと言ってたな」
「てことはなに? ヤったの?」
「ヤったんだろ、そりゃ……。人間のナニが入るとも思えないしな。いや、神なんだからもっと違うアレかもしれないけど」
神々とはいえ、生き物である以上、生殖活動はするだろう。
だがキャサリンは容赦しなかった。
「あいつら、なに勝手なことしてんの……。きっと服を着ないからこういうことになるのよっ! そもそも、なんでいつまでもマッパなの? 露出狂なの?」
「サイズの合う服がなかったんだろ」
「それは盲点だったわね。巨人向けに服を売り出したら儲かるかしら。それで、子供はもう生まれそうなの?」
「知るかよ。腹はけっこうデカくなってた気がするけど。気になるなら自分で見てくればいい」
「いま私、組合の事務員なの。勝手に入れるわけないでしょ。そういう仕事が回ってきたならともかく」
すると別の女がテーブルに来た。
体にピッタリとしたライダースーツを着用した、胸のデカい褐色肌の女だ。愛称はペギー。かつては三郎とも一緒に仕事をしていた。
「その話、私も詳しく聞きたいな」
これに顔をしかめたのはキャサリンだ。
「あら、なんのつもり? あなた信仰を捨てたんじゃないの? それとも、まだ信仰心が残ってた?」
「仕事が欲しかったから聞きに来ただけ。人の信仰心の問題に踏み込んでくるなんて、あんまりお行儀がいいとは言えないね」
「おだまりなさい。あなたには別の仕事を与えてるでしょう? そっちをやってなさいよ」
両者とも、かつては「世界管理機構」なるカルト集団に所属していた。ただしどちらも敬虔な信者とは言いがたい。それぞれに事情がある。
ペギーはふっと笑い、手にしたルートビアを飲んだ。
「ハバキのチンピラを殺す仕事? たまにはほかの仕事もしたいんだけどな」
「もっと頑張んなさいよ。そのうち警察から表彰されるから」
この業界には、ハバキというヤクザがよく仕事を出していた。妖精をつかまえて人身売買している。ペギーは近頃、その仕事を潰して回っていた。もちろん独断ではない。きちんと依頼主がいる。
三郎はビールを飲み干し、グラスを置いた。
「内輪揉めなら向こうでやってくれ。俺はいま、木下さんとデートをする妄想で忙しいんだ」
キャサリンが顔をしかめた。
「これだから童貞は。ちょっと仲良くなれそうだとすぐこれよ。いい? これはね、私たちが頭のイカれたカルトだから騒いでるんじゃないの。またビジネスになりそうだから情報を欲してるの」
「仕事の話ならそう言ってくれよ。けど、機構っていまどうなってんだ? あんた、教祖だったんだろ?」
「教祖じゃなくて指導者。けど、それは別の人間に譲ったわ。私があそこにいたのは、教皇の意志を受け継ぐためだったから。そして神は復活し、そして死んだ。だから私の役目は終わったはずだった」
「なのに、ガキの世話もする気になったと?」
「もちろんよ、お金になるんだから。けど以前と違って、うちの顧客だったアメリカは独自で対応しようとしてる。ザ・ワンのクローンを作ってるって噂もあるわ。もし神が量産されでもしたら、市場価値は大暴落だってのに。希少価値だけが唯一の取り柄なんだから」
「……」
あまりの言い草に、三郎も閉口した。
キャサリンは完全に、神を金としか見ていない。
「ま、とにかく、正統性についてだけ言えば、神の子ってのは絶好のポジションよ。クローンなんかと違って、オリジナルの遺伝子を引き継いでるんだから。また投資の対象になりそう。巨人の存在はすでに表沙汰になってるから、今度は民間人からも堂々とお金を集められるし。アメリカなんてもう用済みだわ。ポイよ、ポイ」
「それで儲かったら、少しはこっちにも仕事回してくれよ」
「あなたが情報を回してくれたらね」
「だが、まずは木下さんとのデートが成功してからだ」
真顔である。三郎、人生を豊かにするために労働しているのだ。対価は必ず要求する。
キャサリンはあきれてしまい、天を仰ぐどころか背もたれに頭を乗せてなかばひっくり返った。
「あーもー、しつこいクソガキね。あとでセッティングしてあげるから、その話は脇に置いといて」
「脇に置くな。毎週観てたアニメが打ち切りになったいま、俺の人生の楽しみは木下さんとのデートだけなんだからな」
「クッソショボい人生ね……。力もお金もあるのに、なんでそんなにスケールが小さいのよ」
「好きでやってるんだからいいだろ。世界を救おうとしたって、一円にもならないんだから」
その場のノリで世界を救おうとしたかつての仲間は、体をぶっ飛ばされて脳味噌だけで生きるハメになった。当然ビールも飲めない。間違っても世界など救うべきではないのだ。実際、最終的に世界を救ったのは、あとから乗り込んできた軍隊であった。
仲間の犠牲はムダではなかった。なのだが、代償があまりに大きすぎた。
「俺だって、アニメと現実の区別くらいつくよ」
だが脳内では、出会った瞬間に告白してくる木下の姿ばかりが思い浮かんだ。いままで三次元の女性と付き合ったことはない。仕方のないことであった。
(続く)




