神の皮をかぶった人間
数日後、組合から三郎に指名の依頼が来た。
内容は、ザ・ワンを自称する生命体へのインタビューだ。といっても三郎が直接やるわけではない。検非違使の幹部がインタビューをする。立会人は木下で、そのボディーガードとして三郎が指名された。
額は三十万。それでも三郎は快諾した。出雲との交渉は、口の達者な連中が勝手に進めてくれるはずだ。あるいはアメリカが裏で動いてくれる。
議事堂前は、平日に昼間だというのに人でごった返していた。
うずくまる御神体のザ・ワンを中心に、目的があるのかないのかも不明な人々の群れ。あるいは抗議する市民の包囲網。
警察さえ介入できない無法地帯だ。ある種の解放区でもある。
野次馬を相手にした屋台まで出ている。
陸路からは、人を轢かねば侵入できない。よってヘリによる空路からの侵入となった。敷地内はスクリーマーで溢れ返っていたが、コントロールが効いているためか、襲ってくるということはなかった。
「お初にお目にかかります。検非違使庁で次官をしておる常盤信一と申すものです。本日はお話をうかがいにあがりました」
正面に立ったのは髪をオールバックにした初老の紳士だ。政権交代のたびに首のすげかわる長官と違い、彼が検非違使の実質的なトップである。
ザ・ワンはうずくまったまま、顔も向けずに応じた。
「無粋だね。信者たちを差し置いてこの神域に乗り込んできて、神に拝謁するなんて。なにが聞きたいの?」
もう神になったつもりでいる。
常盤の護衛には一班の三名がついている。だから三郎は常盤の護衛ではなく、あくまで木下の護衛だった。その木下は、クリップボードとペンとボイスレコーダーをいっぺんに扱おうとしてあたふたしていたから、三郎はクリップボードを持ってやった。
常盤は静かな口調で応じた。
「あらためて目的をうかがいたいと思いまして。あなたは今後、どうしようとお考えなのか。その結果、なにをお望みなのか。その二点について、まずはお答えいただきたい」
これにザ・ワンは豚のようにブヒブヒ笑った。
「日本政府には解体してもらうよ。そしてここを神の国にするんだ。人が人を支配するなんて、おこがましいだろう」
「支配ではなく、委任です」
「言い方はなんでもいい。とにかく、これからは神であるこの僕がその役目を負うんだ。君たち人間はおとなしく従っていればいい。しかもね、日本を神の国にするのは目的じゃなくて手段に過ぎない。最終的には、地球を神の管理下に置く。世界から政府が消える」
「差し支えなければ、どのような方法でそれを実現しようと?」
これに豚はふたたび身をよじった。
「手の内を明かせって? 僕ってそんなお人好しだと思われてるの? まあいい。教えてあげるよ。僕はね、特になにかをするつもりはない。ここに神がいる。それだけでメッセージになるんだ。神の存在を知った人間たちは、じっとしていられない。それはこの盛況ぶりを見れば分かるよね?」
たしかに議事堂前は人でごった返していた。少なくとも、ザ・ワンから見える範囲では。しかし日本人のほとんどは、ここにはいない。地元で生活している。見える範囲でしか判断していないせいで、彼は滑稽なほどの井蛙の見におちいっていた。
「テロの発生を促していると? それは内乱罪に相当しますが……」
「国がなければ内乱罪も成立しない。すぐにでも神に権利を返却すべきだね。言わば大政奉還さ。ま、それすらもテロだと言い張るのなら、そうなんじゃないかな。君にとってはね。僕には理解できないけど」
「日本人の大多数はあなたを支持していない」
「ふん、サイレント・マジョリティというやつか……。しかしここが神の国になったら、彼らは素直に従うに決まってるさ。なにせ最後まで沈黙し続ける生き物がサイレント・マジョリティだ。それこそ死ぬ直前までね」
完全にナメきっている。
のみならず、短い手を伸ばして手近なスクリーマーをつかまえ、頭から貪り始めた。歯がないから丸呑みだ。頭をしゃぶられたスクリーマーは手足をバタつかせたが、すぐに動かなくなった。
「げぷ。あのねぇ、僕がここにいるせいで治安が悪化してて、経済的損失が出てるとかいう難癖をつけに来たんでしょ? そのせいで内閣支持率まで低下してるって」
「ええ、その通り。話が早い」
「けどハッキリ言わせてもらうけどね、それぜんぶ権力にしがみついてる日本政府のせいなの。反逆者は僕じゃなくて政府のほう。いい加減、ムダな抵抗はやめなよ。ここに神がいるんだからさ。あらゆる権力を返却すべきときなんだ。神の管理する世界になれば、少なくとも国家間の戦争はなくなるんだから。何回言わせれば気が済むの? 神に弓引く行為だよ」
「それは……」
常盤は口ごもった。反論に窮したわけではあるまい。あまりのゴリ押しに言葉を失ったのだ。
ザ・ワンは口の周りをベロベロと舐め回した。
「そもそも、君みたいな木っ端役人が口を出すようなことじゃないでしょ。分かったら帰りなよ。僕に拝謁したい信者はいっぱいいるんだ。それを差し置いて横入りしてくるような下賤とは話をしたくない」
「私たちは平和的な解決を望んでいます。しかしおそらく、このままでは戦闘に発展することになる」
「やれば? 東京を焼け野原にしたいならね」
「いったん出直します。次回は、できればもっと建設的な対話を望みたい」
「結論は出てる。何度来てもムダだ」
常盤が背を向けたので、代わりに三郎が前に出た。
「じゃ、次は俺と話をしないか」
「んんっ? 君はたしか……神の使徒となる栄誉を蹴った不届きものだな。よくここに顔を出せたね」
この三郎のスタンドプレーに誰もが目を見開き、護衛の弓子も刀に手をかけた。が、これを常盤が手で制した。
見守ってくれるつもりらしい。三郎は言葉を続けた。
「少しくらいいいだろ。減るもんじゃないし」
「時間が減る」
「俺さ、あんたがホントに神さまで、この世界をよくしてくれるなら、それでもいいかなってちょっと思ってたんだ。けど実際、そうなる気配がまるでない。むしろ逆だ。なんでなんだ? 俺、バカだから分からなくてよ」
これにザ・ワンはぶちゃむくれの顔をさらにしかめた。
「すでに言っただろう。この国の政治家たちが理想郷の障害になっているんだ。愚かなことに、彼らはずっと支配者でいたいのさ。それらすべてを排除しないことには、なにも始まらない」
「あんたが新しい支配者にならない保証は?」
「君みたいな底辺が、この神を疑うのか? 僕は神なんだぞ。ほかの誰にも代わりが務まらない存在だ」
「あんたのせいで近所のスーパーがつぶれた」
「原因はすでに述べたはずだ」
「弁当屋も、コンビニもだ」
「僕の管理する世界になれば、すべてが元通りになる。いや、以前よりも素晴らしい世界になるんだ。この地上から争いが消えるんだからね」
これに三郎は鼻で笑った。
「あんたはそんなに立派な存在なのか? あんまり神さまって感じがしないんだけどな」
「君の頭では理解できないってだけだろう。他人を責める前に、まずは自分の頭の悪さを呪うがいい」
「なるほど。するとあんたは本当に、俺には理解できないくらい立派なヤツなのかもしれないな。けど俺、こうも思うんだよな。スーパーの店員や駅員が全員あんたみたいな態度だったら、クソ気持ち悪くてまともに生活もできないだろうってな」
「失望だな。じつにくだらない。そういうことは神ではなく、人間のすべきことだろう。神の存在に耐えられず、意図的に矮小化したがっているだけだ。モノを理解できないのは仕方がないが、それにしても程度が低すぎる」
「いや、あんたは神じゃない。俺たちと同レベルの存在だ。所詮は神の皮をかぶった人間に過ぎない」
「身の程をわきまえろ、蛆虫め。僕はまだ完全体じゃないんだ。時間がかかる。それを人間の尺度で分かったつもりになって、あまつさえ侮辱するとは不愉快だ。消え失せろ」
あるいはまだ人間だったころの春日なら、もっとまともな理屈を言ってきたかもしれない。しかしいま目の前にいる肉は、あまりに傲慢で気が短かった。
三郎はふっと笑った。
「気分を害して悪かったな。まさか神さまともあろうものが、人間ごときの言葉にいちいち腹を立てるとは思わなかった」
「次に口を滑らせたら命はないものと思え」
とはいえザ・ワンは、いまこの場で行動を起こそうとはしなかった。
*
結局、検非違使としてはロクな成果もないままの撤収となった。
大型のヘリだ。座席は八つもある。
移動中、木下が目を赤くして怒った。
「心配したんですよ。あんなに挑発して」
「あいつが本当に神かどうか、自分で確かめたかったんだ。ま、あんな性格じゃ、仮に神だったとして受け入れられないけどな」
「殺されたらどうするつもりだったんです?」
それこそが三郎の確かめたかったことだ。
「いや、たぶん殺されない。あいつ、攻撃手段がない」
「えっ?」
「いままでずっと見てきて思ったんだ。あいつは自分から攻撃できない。身体能力も高くない。口ばっかりだ。少なくともいまの時点ではな」
時間をかければ成長するだろう。そうなればもっと体を動かせるようになる。先代のザ・ワンがやったように、飛び跳ねて、着地のエネルギーで黒い放射を起こすこともできるかもしれない。もし叩くならいましかない。
三郎は常盤へ告げた。
「なあ、検非違使の偉い人。あの豚の殺処分、出雲にやらせるんだろ? そのときはナンバーズも出してくれ。セットで俺もな。結果は出す」
これに弓子がスッと立ち上がった。刀に手をかけている。
「越権行為ですよ、六原さん。次官に対して失礼です」
「お、なんだ? 殺り合おうってのか?」
「あなたは先程の反省もナシに、よくもそんなことが言えますね。違反を繰り返すようであれば本当に斬ります」
「ま、その楽しみはあとにとっておこうぜ。ここじゃ周りに迷惑がかかる」
すると常盤が咳払いをし、静かに告げた。
「倉敷くん、座りたまえ」
「はい」
「六原くんと言ったか。弊庁では、外部からの意見は特に募集していない。が、参考にはさせてもらおう。どうやら君たちは、アメリカのバックアップを受けているようだからな」
それもこれもナインの策だ。しかしそこで謙遜するような三郎ではない。
「ま、アメリカなんてチョロいもんだ。ビールとピーナッツさえ知ってればいいんだからな」
これに乗ってきたのは一班の青白い中年男性――白鑞金だった。
「ピザとコーラもあるとなおいいでしょうね。彼ら、三食それで過ごしてますから。いや五食だったかな」
「あとはブルシットも好きらしいぞ」
「汚いですねぇ……」
さすがの常盤も閉口した。
白鑞金は、しかしわざと会話を終わらせたのかもしれない。さっきまで怒っていた弓子は、うんざりとした顔で溜め息をついていた。殺気はない。
*
三郎はバー「ニューオーダー」で金を受け取り、そのままそこでビールを飲むことにした。木下は事務処理があるとかですぐにいなくなったから、テーブルにはひとりきりだ。
ふと、神経質そうなスーツの男が金属バットを引きずってやってきた。
「ちょっといいか」
「座ってくれ」
杉下耕介だ。かなり憔悴しているらしく、目の下にクマをつくっている。彼はテーブルのナッツを前歯で齧りつつ、こう切り出した。
「山野がうるさい」
「またなにか言って来たのか?」
「プシケがザ・ワンを止めてる間になんとかしろってよ。ザ・ワンは破壊衝動の塊だから、そいつが目を覚ましたらヤバいんだと。俺がせっかくカナコとエンジョイしてんのによ……。あんまりだろ。訴訟モンだぞ。どこの裁判所に訴えればいいんだ?」
「閻魔さまかな」
「それ死後の世界じゃねーか。いや待てよ。実際、死んでるのか? でもカナコは……」
また始まった。
三郎はあきれてビールを一口やり、こう応じた。
「ま、話はたしかに聞かせてもらったよ。それを山野さんにも伝えれば、少しは静かにしてくれるだろ」
「マジか? てことはよ……どういうことだ? お前に話を通せば、俺の中の山野は消え失せるのか?」
「たぶん」
「てことはなんだ? お前が俺の頭をいじってんのか?」
「はっ?」
「総合的かつ合理的に判断して、そういうことだろ。アウフヘーベンだぞ。お前、神にでもなったつもりなのか?」
「……」
いま神という言葉を聞くのはうんざりだった。いや、仮に三郎が神だったとして、杉下の頭をいじろうとは思えない。金をもらってもごめんだ。
しかし三郎が反論するより先に、杉下は合掌して拝み始めた。
「神さま、仏さま、六原さま、どうか山野の怨霊をお祓いください! かしこみかしこみ南無阿弥陀仏……」
神仏習合も甚だしい。
三郎はさらにうんざりした。せっかくのビールタイムだというのに。
「いや、違うんだ。俺がやってるんじゃない。ぜんぶ山野さんの意志だ。俺は関係ない」
「神さま、仏さま、山野さま、ジーザス・クライスト、アッラーフ・アクバル、ツァラトゥストラもなんとかかんとか……」
もはや会話の通じるレベルではない。
とはいえ、ザ・ワンの内部でかなりの駆け引きがあることは分かった。あまり時間が残されていないことも。出雲とナンバーズの提携がうまくいくことを願うしかない。
テレビは連日ニュース番組ばかりで、ひとつも楽しくない。あらゆる商品の生産力が低下し、それにともなってビールも値上げを始めた。これは三郎にとっても他人事ではない。ザ・ワンを殺さねば、いずれビールも飲めなくなるかもしれない。そんなクソみたいな世界にしてはならない。
(続く)




