ブルシット
ナインが乱れてもいないネクタイを整えた。
「はじめに確認しておくべきことがある。出雲との協力に反対のものはいるか? いれば意見を述べてくれ」
また書記長を差し置いて発言したことに顔をしかめたものはいたものの、この問いに応じるものはいなかった。
「いないようだな。では書記長、進めてくれ」
「ええ……。協力といっても……方法はいろいろある……。吸収するのか……されるのか……」
一子の問題提起に、セヴンが挙手をした。
「出雲の内情について詳しいアタシがアドバイスしてあげる。連中の中にもね、ナンバーズと手を組むべきだって言ってるのがいるのよ。ただ、連中にはプライドがあるでしょ? 千年以上続く組織が、たかだか百年前にできたナンバーズに吸収されるなんて、ありえない話だと思うの」
「では……どうすれば……」
「吸収ではなく、個人的な参加にするのよ。社交クラブみたいにね。もともとそうだったでしょ? 出雲という組織は存続させた上で、ナンバーズを兼任してもらうのよ。歴史ある土蜘蛛でさえナンバーズに参加してるんだから、連中の顔も立つと思うわ」
これにナインが渋い表情を見せた。
「簡単に言うんだな。だったら、なぜいままでそれができなかったんだ?」
「お互いに歩み寄らなかったからでしょ。そしてまた、歩み寄らなくてもやっていける状況だった。出雲は遠くから事態を眺めていればよかったし、ナンバーズにも利権があったから。ただ、その状況はとっくに終わったわ」
「たしかに、これまで出雲が第三者みたいな顔であれこれ口出ししてこられたのも、自分たちが利権に絡まなかったからだな。ところが当事者になってしまったいま、そうもいかなくなった」
「出雲だって、幹部のひとりが近所のテニスサークルに入ったところでうるさく言わないでしょ? ナンバーズもそういう組織ってことにするのよ。百年続いた歴史を修正するにしては、あまりにショボいアイデアだけど……。向こうだって、こっちが折れるタイミングを待ちわびてるわ。先に折れて、貸しを作るのも悪くないと思うけど」
なかば出雲へ移籍しかけていたセヴンは、さすがに要領を心得ているようだった。
湖南がスッと挙手をした。
「こちらが下手に出ることで、出雲に乗っ取られる可能性は?」
いくら長らく傍観者だったとはいえ、出雲は千年も続いた組織だ。その手の狡猾さは持ち合わせているかもしれない。
セヴンは愉快そうにチロチロと舌を出した。
「いい指摘よ。もちろんこちらに隙があれば、いつでもそうしようとするでしょうね。ツーからサーティーンまで、すべてが出雲になる可能性もある。ただ、そのためには円卓会議の承認が要るでしょ? アタシたちが欠番にならなければいいだけのことよ」
つまりは死ななければ、ということだ。
安易にひっくり返されないよう、ナンバーズのルールは硬く作られている。おかげで話がまとまらないことも多々あり、それが元で分裂騒動になったりもするのだが。
湖南が無表情のままつぶやいた。
「現在の欠番は、スリー、ファイヴ、トゥエルヴの三つ。出雲から三人も入れたら、パワーバランスに問題が生じるのでは」
これにはナインが苦い表情で応じた。
「おいおい、スリーは欠番じゃないぞ」
「あの姿を見てないんですか?」
「意識を感じるんだ。まだ完全に融合はしていない」
「けど、あんな状態じゃ……」
「ダメになったらそのときは欠番にしてもらって構わない。しかし、いまはまだ彼女の席を空けておいてくれ」
「……」
湖南はなにかを言いかけたが、あえて飲み込んだ。
ナインは三角に甘い判断をくだしがちだった。今回もまたそれが繰り返されたのだ。気分よく思わないメンバーもいる。
すかさず一子がまとめに入った。
「では……スリーは現状維持……とします……」
残りはファイヴとトゥエルヴだ。
ナインはおもむろに立ち上がった。
「トゥエルヴについては、引き続き浦井宗家から出してもらう。ファイヴには青村宗家の息子を入れる。これが現実的な線だと思うが、どうか」
「座りなさいよ」
セヴンに言われ、ナインは腰をおろした。が、口までは閉じなかった。
「彼らがこの提案を断ったことは知っている。そこで、外圧を使う方法を提案したい」
「なによ外圧って? ナンバーズを切り捨てた検非違使が、こんな話を聞いてくれると思う?」
「いや、ニューサンノーだ」
ニューサンノーホテルは南麻布にある米軍施設だ。米軍の敷地であるから、普通の日本人は入ることさえできない。仮に入るにしてもパスポートが要る。
さすがのセヴンも顔をしかめた。
「あんたがあそこに出入りしてたのは知ってる。けど、この件でアメリカが動くとでも?」
「彼らは、日本の政治家よりもこの問題を重く受け止めている。ヘパイストスを欲しがっているのもそのためだ。ナンバーズと出雲の確執についても、以前から問題視している」
「連中にもメリットがあるわけね?」
「少なくとも、この不沈空母が機能しなくなるのは困るだろうな。ヴェイナッツォという少佐がいる。俺の名を出せばコンタクトが取れるはずだ」
「それで? ニューサンノーに行けっての? アタシらが入れるワケないでしょ? あんたが交渉に行ったらどうなのよ?」
これにナインは肩をすくめた。
「この格好で? 残念だが、ドレスコードを満たしているとは言いがたいな」
スーツの下は、全身が包帯で覆われている。どう考えても不審人物だ。ゲート前で止められるだろう。
セヴンは三白眼の目を細めた。
「そもそも、なにが『俺の名を出せば』よ? あんた名前なんてあったの?」
「あるわけないだろう。ナンバーズ・ナインで通してる。交渉にはさやかくんを推薦したい。ただしマゴットは連れて行くなよ。そんな危ないものを持った未成年者は不審に思われるからな」
そのマゴットは無言で刈込鋏を抱え、伸び放題の髪の隙間から部屋を見つめていた。
さやかは肩をすくめた。
「では、ボディーガードは六原三郎さんにお願いしますわ。彼、喋らなければまともに見えますし」
「結構」
勝手に話が決められてしまった。
三郎はしかし構わないと思っている。マゴットは見た目からしてヤバい。かといって、ほかにさやかに従いそうなものはいない。それに、ボディーガードなら給料も出る。
ナインは立ち上がると、隣室からプリントの束を持ってきた。
テーブルに置かれたその表紙には、筆記体で「ブルシット」とタイトルがつけられていた。著者はニト・ヴェイナッツォ。さきほど名前の出た少佐だ。
「彼の論文だ。かなりの日本びいきでな。この内容を褒めてやれば、すぐに機嫌がよくなる」
「はあ」
さやかは気の進まない様子でプリントを手にした。ページをめくると、そこには巨大なフォントでこう書かれていた。
「ブルシットと云ふは死ぬ事と見つけたり」
日本びいきというより、なにか壮大な誤解がありそうだ。
三郎もプリントを覗き込んだ。
「なんだブルシットって」
「牛のクソですわね」
「はっ? じゃあこいつ、牛のクソで死ぬのか?」
「この怪文書、おそらく書いてる本人にも分からないたぐいのものに違いありませんわ。わたくしの苦手なタイプ。だいいち、葉隠は新渡戸稲造ではないと思うのですけれど」
ナインも苦い笑みを浮かべた。
「細かいことは気にしなくていい。君の指摘通り、書いた本人にもよく分かっていない。中学生の書いたポエムだと思って、寛容の精神で受け入れてやってくれ」
「はあ」
「ともあれ、俺たちのプランさえ伝えれば、あとは勝手に動いてくれるはずだ。アメリカは日本政府に裏から手を回す。すると政府は検非違使を動かす。雇用主に強く言われた出雲は、ナンバーズの提案を受け入れる、というわけだ」
「そううまくいきますの?」
「ほかの案より可能性は高いだろう。それに、出雲だって建前が欲しいはずだ。自分たちから歩み寄るのがイヤでも、政府に頼まれて仕方なくという格好であれば、最低限の面目は保てるだろうしな」
*
翌日、三郎はさやかと二人でニューサンノーホテルへ向かった。
今回ばかりはさすがの三郎もアニメ柄のシャツではない。あてがわれた細身のスーツに、よく磨かれた革靴を合わせている。着慣れないせいかやや窮屈ではあったが、ノーネクタイなのが唯一の救いだった。
「見た目だけは問題ありませんわね。ただしボディーガードなのですから、特に必要ない限りはおクチにチャックでお願いしますわ」
「……」
三郎はこくこくとうなずいた。
情報屋の協力もあってか、ゲートはすんなりと通過できた。
車のまま敷地内へ入り、ロータリーで降車。するとスーツにちょんまげという異様な風体の男が近づいてきた。
「イラッシャイマセー! アメリカ合衆国! 拙者がニト・ヴェイナッツォでござる!」
堀の深い顔の、いかつい男だった。あまりの胸筋にスーツがはち切れそうだ。そいつは腰を九十度に曲げ、満面の笑みを見せつけてくる。口が大きい。
さやかは完璧な営業スマイルを浮かべ、膝を曲げて辞儀をした。
「歓迎いただき感謝いたしますわ、ヴェイナッツォ少佐。黒羽さやかでございます。こちらは秘書の六原と申します」
「六原三郎だ。よろしくな」
喋るなと言われたのに、さっそく忘れている。
ヴェイナッツォはしかし気にしたふうもなく笑顔のままだ。
「アーライ。立ち話もなんでござるゆえ、中へお入りくだされ! 行くやで」
ドシドシと上から踏みつけるような歩き方だ。
入館し、廊下を行くさなか、さやかはこう切り出した。
「少佐の論文、拝見いたしましたわ。とても斬新な内容で、わたくし感銘を受けました」
さすがに表情を崩さない。ウソは堂々と言うものだ。
ヴェイナッツォも満面の笑みだ。
「オゥ! いとあっぱれ! 芸術はいつも理解されにくいもの……。そう諦めておったところでござるが、日本人のおぬしに認められて嬉しいでござる」
「日本の伝統と、アメリカのブルシットを融合させたまったく新しい感性。刺激に満ちた現代音楽のような文章でしたわ。特に『古池や』のポエムには形容し難いものを感じました」
「古池やブルシット投げ込む水の音……チャポン。ワビサビでござる」
ヴェイナッツォは上気した顔で、遠くを見るような目になった。
牛のクソを池に投げ込んでなにが楽しいのか三郎には理解できなかったが、会話が成立している以上、口を挟むこともできなかった。
案内されたラウンジには先客がいた。
「挨拶はいいわよね。初対面ってワケでもないし。それより、私に話も通さずに、いきなりアメリカと交渉ってどういうこと? 頭ブルシットなのかしら?」
くりくりしたショートカットの、マネキンのような女性。機構のキャサリンだ。短いスカートから惜しげもなく足をさらし、ソファでくつろいでいる。
三郎はほっと息を吐いた。
「日本語の通じそうなヤツがいて助かったぜ。なにせこっちはビールとピーナッツしか知らないからな」
「相手がアメリカ人ならそれでじゅうぶんよ。まあ少佐は日本語らしきものを話せるけど。それより感謝しなさいよ。例の件ならもう通しておいたから。出雲と和解するんでしょ? こっちもヘパイストスを貸し出すことで話がまとまったところなの。もちろんレンタル料はふっかけたけど」
「なんだよ。だったら来る意味なかったな」
情報がダダ漏れなのはいまに始まったことではない。
しかしヴェイナッツォはまだ話があるとばかりに着席を促し、自身もその巨体をソファへ沈めた。
「じつはナンバーズにお願いがあるのでござる」
いきなり神妙な態度を見せたものだから、さやかも身構えた。
「お願い?」
「アメリカとしても、日本をどうにかしたいと思っているのでござる。しかしあまり派手な活動もできないのが現状。つまり裏からバックアップするしかないのでござる。前回ミサイルを撃ち込んだ折には、各所からブルシットな非難を浴びましたゆえ……」
「難しいお立場ですものね」
「ただし、アメリカ人がやるから怒られるのであって、日本人がやるぶんにはさほどブルシットではないはずでござる。ゆえに、拙者たちの装備を提供するゆえ、おぬしたちに頑張って欲しいのでござる」
「装備を? ナンバーズが?」
するとキャサリンが一枚のプリントをテーブルへ滑らせた。
装備カタログのようだ。ガスマスクやらバックパックやらの写真があるが、説明文は英語である。
キャサリンは肩をすくめた。
「アンチ・エーテル物質は知ってるわね? 作用すると、能力者を一時的にただの人間にすることができる。最近だと、グレネードみたいに爆発して散布するタイプもあるわ。このマスクは、それを吸引しないよう保護するものよ。レーザー状に照射するヘパイストスには効果ないけど」
「こちらのランドセルは?」
「使用者のエーテルを強化する装置よ。これを使えば、限界を超えて能力を使うことができるようになるわ。ま、出力を誤ると変異を起こして人間でいられなくなるけど……。だ、大丈夫よ。何度も実験して、変異を起こさないレベルに調整してあるから」
「……」
他人事だと思って簡単に言うものだ。
ヴェイナッツォは筋肉の太さに難儀しながら腕を組んだ。
「結局のところ、ザ・ワンのイージスをどうにかしないことには、まともに戦うことさえできないのでござる。となれば、アンチ・エーテルの散布は必要不可欠。攻め手は巻き込まれないよう、あらかじめ対策しておく必要があるのでござる」
「ヘパイストスは投入しませんの?」
「オゥ、あのデカブツでござるか……。あまり混戦には向かぬゆえ、いくつかの拠点に迎撃用として配備する予定なんでござる。いずれにせよ、もしザ・ワンとの戦闘が始まれば、検非違使がグレネードを投げまくるのは必至ゆえ……。結局、マスクは必要でござろう」
アメリカが機構からヘパイストスを借りたのは、ザ・ワンを倒すためではなく、あくまで自分たちの拠点防衛のためということだ。そのうちの一台は戦闘で壊れたことにして、バラして解析するくらいのことはやるかもしれない。
「装備の提供はとても魅力的な提案ですわ。けれども、わたくしの一存では決めかねますので、いちど持ち帰ってもよろしくて? ナンバーズは合議制ですので」
「モチのロンよ。ナンバーズ・ナインも、いつもそう言っていたでござる」
するとキャサリンが皮肉めいた苦笑を浮かべた。
「本当は出雲に提供したかったみたいだけど、あそことはコネクションがなかったのよね。ナンバーズが間に入ってくれて助かるわ」
出雲はその歴史の長さゆえに、やや閉鎖的なところがあった。その閉鎖性によって保たれる秩序もあるのだろうが、今回のようなケースでは障害となった。
ともあれ、この装備とて交渉の材料にはなる。ナンバーズと手を組めば、出雲とも装備の共有はできる。逆に蹴るようであれば、仲介はやめてしまってもいい。
あとは出雲の決断次第だ。
(続く)




