オルガン
欠員は五名。しかしナインの生存が確認され、新たに阿弖流為を確保できたため、ふたつの席が埋まった。
残りは三名。
他界から帰国した三郎たちは、いちどナインのマンションへ集まった。もちろん誰の許可もとっていない。さやかはなぜか鍵を持っていたから、クラブハウスかなにかのように気軽に入り込んだ。
三郎も冷蔵庫からバドワイザーを拝借し、どっとソファに寄りかかった。
「仕事のあとの一杯は格別だな。それで? あとの三人は?」
阿弖流為はまた床に転がしてある。彼女はどら焼きを食おうとして、ちょうど途中で力尽きたところであった。身体に危機が迫らない限りは、おやつを食べることさえ億劫らしい。
向かいのソファに腰をおろしたさやかが、考え込むように天井を見上げた。
「そうですわね。まずは浦井宗家から、トゥエルヴの代理を出していただこうと思ってますの」
「あの坊主の仲間か。大丈夫なのか? 『待て』もできない狂犬みたいなのはごめんだぜ」
「あなた、よく人のことが言えますわね」
「えっ?」
「ともあれ、浦井の宗家は岐阜ですから、今日のところはやめておきましょう。日も暮れてますし」
愛車のジャガーも、草花を踏み荒らしたせいでメンテナンスが必要だった。どんなにスペックの高い車だろうが、あんなに荒い運転でオフロードを走行すべきではなかった。
三郎は瓶からビールをやり、深く息をはいた。一日の疲れが和らいでいく気がする。
「あとのふたりは?」
「出雲の相楽さんと、青村宗家からひとり」
この言葉を聞いた瞬間、三郎は鼻からビールを噴きそうになった。
出雲というだけでも十分まともじゃない。それに相楽といえば、人の話もロクに聞かない戦闘狂だ。青村も、一時的に手を組んだとはいえ、本来はライバルである。そこの宗家から人を出させるとは。
「いや、待てよ。さすがの俺でもその話がおかしいことくらい分かるぜ。出雲だぞ? ナンバーズに入るわけないだろ」
これにさやかは、ごくさめた表情を見せた。
「いつまでも古い因習にとらわれたままでは、ひとつも前進できませんわ。そもそも、なぜ出雲がナンバーズをライバル視しているかご存知ですの?」
「ツラが気に食わないんだろ」
「出雲は、大正に起きた壱号事件を軽視しておりましたの。そのせいで完全に出遅れて、ザ・ワンに関するあらゆる利権をナンバーズに独占されてしまった。ライバル視しているのは、その逆恨みのようなものですわ」
「とかなんとか言ったって、いまその利権はそっくり出雲に譲渡されたんだろ?」
「名目だけですわね。当時と違って、ザ・ワンは誰の管理下でもありませんもの。補助金だってほとんど出ていないそうですわ」
「ハズレくじってヤツか」
「なのに検非違使の仕事を請け負っているから、もし議事堂に仕掛けることになったら、真っ先に駆り出されるのは出雲のはず。けれども、彼らだけでその仕事をこなすのは難しいのではなくて? ま、泣きついてきてから手を差し出してあげてもよろしいのですけど」
おそらく出雲だけでは対処しきれないだろう。アベトモコのフルパワーでも殺せなかったのだ。
「でも、あの石頭たちが納得するかな。ナンバーズに組み込まれるくらいなら、自分たちでやったほうがマシって思うんじゃないか?」
「もしその選択をした場合、彼らは全滅しますわね。先日の戦闘を自衛隊が撮影してましたから、その映像を見せれば、少しは考えを改めてくださるとは思いますけれど。ともあれ、こちらとしては、どんな手を使ってでも首を縦に振らせるつもりでおりますわ。わたくし、結婚なんてしたくありませんもの」
この言葉に、三郎は少しばかり混乱した。
「なんだ結婚って? 出雲がナンバーズに入ると、あんたが結婚することになるのか?」
「逆ですわ。出雲がナンバーズに入ってくださらないと、わたくしが結婚するハメになりますの。黒羽は以前から、出雲とのコネクションを欲しがってましたから。先日だって、青村宗家との縁談話が持ち上がったばかりで……。わたくしが青村と結婚すれば、黒羽は出雲ともつながりを持てますから」
これに三郎は膝を打った。
「なるほど。いや、だったらさ、結婚したほうが話が早いんじゃないか? だって、そのほうが出雲にも話が通りやすいだろ?」
さやかは目をつむり、深い深い溜め息をついた。
「あなた、度し難いバカですわね。わたくしが人生を犠牲にするんですから、そのコネクションは黒羽のためにのみ使われるに決まってるじゃありませんの。ナンバーズがどうなろうが知ったこっちゃありませんわ。乙女の人生をなんだと思ってらっしゃるの?」
「そう言うなよ。親が勝手に結婚を決めるなんて、古い家ではありがちだろ?」
「あなたの育った旧石器時代はそうだったかもしれませんわね」
「きゅーせっき?」
「ですからっ! わたくしは結婚したくありませんのっ!」
ここまで言われて、三郎もようやく理解した。
「つまり、結婚したくないから、それ以外の方法で出雲とのつながりを作りたいわけか。だったら最初からそう言えよ」
「一から十まで説明したくないから遠回しに言いましたのに。それくらい察しなさいな」
すると執事が、湯気の立った紅茶を持ってきた。ぷりぷりしていたさやかは、そのかおりを堪能して気持ちを落ち着けた。
察しろと言われれば、三郎だってそうしてやってもいい。友人からはよく「毎秒忖度しろ」と言われ続けてきた。
「もしかしてあんた、好きなヤツでもいるのか? でも俺はダメだぜ。木下さんと結婚するからな」
「さすがに幻聴だと思いたいですわね。あなたの顔はともかくとして、性格はペンチで百八十度曲げていただかないと」
「百八十度……」
水が沸騰する温度を超えている。
さやかは静かに紅茶をすすった。
「わたくし、結婚には興味ありませんの。妖精たちと毎日楽しく暮らしていければそれで満足なのですから。精霊だってなくたって構いませんわ。わたくしが全部お世話してあげるんですもの」
「……」
あまり踏み込まないほうがいいのは、さすがの三郎にも分かった。
ともあれ、ターゲットは明確になった。
浦井宗家から一名、青村宗家から一名、そして相楽無蔵、計三名だ。
しかし相手の事情などお構いなしに、こちらの事情だけで押しかけることになる。すべて断られても仕方のない状況だ。
*
案の定、岐阜の浦井宗家では丁重にもてなされたものの、「いまその判断はできない」とやんわり断られた。
出雲も同様。山梨の料亭での会合にこぎつけたまではよかったが、出てきた老人たちは頑として首肯しなかった。見せた映像も効果は薄く、「心配ご無用」の一言で片付けられた。
全行程を終えてナインのマンションへ戻ると、さやかは失意もあらわに頭を抱えた。
「終わりましたわ……」
まだ昼だというのに、窓の外は曇天。間もなく梅雨に差し掛かろうという鬱々とした空気だった。
三郎は灰色の空を眺めながら、バドワイザーを口にした。
テレビのニュースは、相変わらず議事堂前のブタを移していた。目の下にクマを作った政治家が対応に追われ、続いて景気低下のグラフが大きく映し出された。
自称神にかかるコストには、日本国民もうんざり気味だった。議事堂前にはプラカードを持った市民が列をなし、「神は帰れ」とシュプレヒコールをあげていた。
その一方で、神に期待する人たちが治外法権のようにのさばり、デモ隊と正面から衝突していた。流血しているものもいる。
それでも警察は手を出せない。
東京からは、日に日に人口が流出し始めていた。
とはいえ、これでも状況はまだ牧歌的だ。おそらく体を乗っ取ったつもりの春日でさえ、ことの重大さには気づいていまい。彼の内側で、神の子が怒りを燃えたぎらせているということを。
ふと、阿弖流為がバタバタのたうった。
ようやくどら焼きを齧ることができたのだ。その味に喜び、打ち震え、狂喜乱舞しているようだった。
「美味じゃぁ……」
そして安らかな顔のまま、昇天するように眠りに落ちた。食いかけのどら焼きを手にしたまま。
今回の作戦で、新たに確保できたのは彼女のみ。しかもまだナンバーズの承認さえ受けていない。
神と戦うには不安材料が多すぎる。
三郎はビールを飲み干し、冷蔵庫からもう一本とった。ソファに身をあずけ、スマホ片手に情報屋に連絡をとる。
>どうしたら出雲をナンバーズに入れられるのか教えてくれ
>うちは情報は売る
>けど作戦までは売ってないわ
>自分で考えなさい
セヴンの返事は冷たかった。
だが三郎は諦めず、今度は椎名にメッセージを送った。
>出雲をナンバーズに組み込みたい
>どうすればいい?
>毎秒忖度しろ
>さすがに難しすぎる
となると、やはり出雲が神の子に挑んで苦しい状況になってから、ギリギリで助力して恩を売るしかない。しかしそんなボロボロの出雲と手を組んだところで、意味があるのだろうか。
三郎はスマホを放り、こう提案した。
「なあ、円卓会議しないか」
「えっ?」
「俺たちだけで考えてても答えなんて出ないだろ。もっと事情を理解してる連中の知恵が必要だ。それに、そのガキの承認も得ないといけないし」
「ええ、まあ、そうですが……」
さやかはきょとんとしていた。
「なんだよ? 俺、なにかおかしなこと言ってるか?」
「いえ、そのぅ……。むしろ、まともすぎて」
「俺だって、何回かに一回はまともなこと言うよ。人生経験が浅いことも理解してる。自分の弱点を把握してなきゃ、成長できないってこともな」
さやかはピシャリと自分の頬を打った。
「あなたの言う通りですわっ! お姉さまに連絡をとって、円卓会議を提案します。そうですわね。仲間ですもの。わたくしたちだけで答えを出すのは間違ってますわ」
*
数日後、円卓会議が開かれた。
「じつに賢明な判断をしたな。若手の成長を見るのは嬉しいものだ」
ようやく帰宅したナインも参加となった。相変わらず全身を包帯で覆っており、万全とは言えない状態ではあったが。
療養中のトモコ、神の子に取り込まれた三角を除き、参加できるメンバーは全員が参加となった。三郎も、さやかに雇われた組合員として列席した。
「それではこれより……円卓会議を……開始します……」
書記長たる一子の宣言により、会議が始まった。
「まずは……阿弖流為さんの……ナンバーズへの加入について……」
これにセヴンが苦い笑みをこぼした。
「ていうか、よくここまで連れてこられたわね。ずっと断られてたのに」
さやかは言葉による返事はせず、作り笑顔で受け流した。
説得して連れてきたのではない。誘拐してきたのだ。阿弖流為が拒絶しないから、さも同意しているかのように見せかけているだけだ。
湖南が挙手をした。
「ナンバーは? やはりフォーにするんですか?」
「それが妥当……でしょうね……」
「役職は? 祭文長のままで?」
「ええ……異議が出なければ……」
「僕は構いませんよ。もともとナンバーズ・フォーはお飾りだった。いないとシマらないお飾りっていうのも妙ですけど」
これにセヴンもチロチロと舌を出した。
「アタシも異議なし。ていうより、フォーが欠番のままだと出雲の連中が付け上がるからね。あいつら、やたら歴史にうるさいから。土蜘蛛の歴史の長さは武器になるわ」
その後も反対意見は出ず、満場一致での承認となった。
「それでは……阿弖流為さんの……ナンバーズ加入を承認します……」
当の阿弖流為は、床に転がったままどら焼き片手にすやすやと寝ていた。先代のナンバーズ・フォーを彷彿とさせるお飾りっぷりである。むしろこれでいい。
一子は表情を変えた。
「では次……出雲について……」
ようやく本題だ。
好むと好まざるとに関わらず、これから神の子と戦おうと思えば戦力の補強は必須だ。なんだか分からない連中と手を組むよりは、たとえライバルであろうと見知った顔のほうがいい。
かつて出雲に入ろうと画策したセヴンも前のめりになった。
どちらがどちらを吸収するにせよ、もし両者が合併することになれば、大正から続く国内での対立は一段落となる。
テンの名草も、エイトの東北勢も、もとは別の組織であったが、ザ・ワンとの戦いでひとつになれたのだ。出雲とだって、そうなれる可能性はある。
(続く)




