壱号事件
戦闘が激化するにつれ、空から落ちてくる妖精の死骸も増えてきた。
三角の一族、それに黒い妖精の一族、青き夜の妖精の一族が、それぞれに争い合っていたのだ。装置によるコントロールが効いていない。
地上では、傀儡や水妖の生き残りも、なかば錯乱状態で戦い続けていた。なぜここで混戦に巻き込まれているのか理解さえできぬまま。
三郎の放つ真空波も、さすがにキレが悪くなってきた。ちょっと呼吸を整えた程度では回復しないかもしれない。山ほどメシを食ってから、布団の上で大の字で寝なければ。
ふと、ぐわんと空間が歪んだ。
歯を食いしばり、神の子を押し潰そうと躍起になっていたトモコが、ついに限界を迎えたのだ。それでエネルギーの炸裂に皆を巻き込まないよう、神の子を遠くへ弾き飛ばした。
直後、収縮していたエネルギーが爆発し、カッと黒い閃光が起きた。
体の表面にヒリつくような熱線が来て、それから大気が大波のように押し寄せてきた。音はない。あるのかもしれないが、ぼわぼわという頭の外側を覆うような低音であった。ただし、鼓膜にはビリビリとした痛みが来た。
誰もがその圧力にまずはよろめいて、かと思うと今度は吸い込まれるように前方へ引き倒された。
地上にいた三郎たちは、それでも花の上に転倒しただけで済んだ。上空にいた妖精たちはかなりの勢いで引き込まれたらしく、あらかた向こうへ行ってしまった。
衝撃がおさまると、あらゆるもののなぎ倒された、ひたすらなる虚無の世界がそこにあった。
「クソッ、なんだいまの……」
三郎は立ち上がり、流れ出した鼻血を手の甲で拭った。
見上げれど、雲ひとつない光の空が広がっているばかり。そこにはなにも浮いていない。神の子もはるか遠くへ飛ばされたらしく、姿が見当たらなかった。
「きっとイージスだよ。ナンバーズ・ツーに抑え込まれてた力が爆発したんだ」
頭痛がするのか、ペギーは頭を抑えていた。
そのナンバーズ・ツーはうつ伏せに倒れたまま、ぴくりともしない。おそらく死んではいないのだろうが、力を使い果たして気を失っている。
顔をしかめながらサイードも来た。
「彼女でもダメか。やはり毒ガスで殺すしかないんじゃないか」
「NBC兵器はダメだってアメリカが言ってたでしょ。素材が変質しちゃう」
「かといって火薬を大量に使ったところで、この爆発の繰り返しだぞ。打つ手ナシだぜ、俺たちのヘパイストス以外はな」
「それで、肝心の神の子は?」
ペギーは目を細めた。
三郎も同じように注視してみたが、花々しか見当たらない。死んだなら死体があるはずだ。いまので消し飛んだか、目視できないほど遠方に飛ばされたのか、そのどちらかだろう。
ほぼ無傷のナンバーズ・テンが、仲間たちを介抱して回っていた。名草梅乃。問題を起こしたトモコの代わりに、陰陽庁の仕事を請け負っている女だ。トモコほどではないが、梅乃もかなりの使い手なのかもしれない。
妖精の腕をフライドチキンのように齧りながら、一子がふらふらやって来た。
「しんどいわね……」
言わずもがなの感想が出た。
彼女はいちおう暫定リーダー的な立場のはずだが、あまり陣頭指揮を取ろうという気配もなかった。
湖南が舌打ちした。
「いったん退くべきでは? 戦闘を継続できる状態じゃない」
「神の子は……?」
「知りませんよ。トモコちゃんが遠くへ飛ばしちゃったんだから」
「……」
一子は、するとまじまじと湖南の顔を見つめた。カクリと首をかしげ、横というより下から覗き込むような格好だ。
湖南は不快そうに眉をひそめ、顔を背けた。
「なんです? なにかついてます?」
「湖南くん……もしかして……ツンデレ……なの……?」
「はっ? ツンデレ? なに言ってるんですか? あなたのことが嫌いなだけです」
「えっ……」
「もしかして気づいてなかったんですか? 不愉快なんですよ、そうやって死体を食べるの」
「ダメ……?」
「ええ、もちろんダメです。けど、どうせ言ってもやめてくれないんでしょう? だったらせめて隠れて食べてくれませんか? 視界に入れたくないんで」
「うん……」
すると一子はしゃがみ込み、人目をはばかるようにこそこそ食事を継続した。長い髪がたれて亡霊のようだ。絵面が余計に不気味である。
湖南は溜め息をついたものの、それ以上、なにも言いはしなかった。
ともあれ、彼の言うことにも一理あった。食事のマナーについてではない。戦闘を継続するのが難しいという指摘だ。
この計画を発案したナインは生死不明。主戦力のトモコも力尽きた。一子はこのザマ。他のメンバーもほぼ消耗し切っていた。
相楽は背負っている鳥居に野太刀を納め、大きな声でこう尋ねた。
「おう! 腹減ったぞ! なんかねーのか!?」
ないのだ。戦闘で踏み散らかした花くらいしか。
地面の闇だまりから、シュヴァルツが苦しそうに這い上がってきた。
「私たちはもう戦えない。退かせてもらうよ。これ以上は一族がもたない」
妖精たちは種を問わず、だいぶ数を減らしていた。三角の娘たちはほぼ全滅だし、青き夜の妖精たちもすでに撤退を開始していた。
今回の戦闘において、シュヴァルツたちの数の力は大きかった。もし彼女たちがいなければ、ナンバーズは他の妖精に包囲されて防戦一方となったことだろう。混戦に持ち込めただけまだよかった。
いずれにせよ、作戦を仕切り直す必要がある。
ふと、ヘパイストスが猛スピードでやってきた。彼らに指示を出すはずの一子は食事中だから、おそらく独断での行動だろう。
急ブレーキで車体を停め、技術者が窓から顔を出した。
「大変です。神の子が大田区に出現したとの連絡がありました。スクリーマーを従え、国会議事堂を目指して行進中とのことです」
「……」
誰も、返事をできなかった。
避けるべき事態が、いともたやすく発生してしまった。検非違使が動き出すだろう。あるいは自衛隊や米軍でさえ。日本国内が戦場となる。
ともあれ、現場が他界から日本に変更になった以上、勝手に大規模な攻撃を仕掛けることはできなくなった。管轄している省庁から、あらためて許可がおりないことには。
八雲が、トモコを背負ってやってきた。
「引き返すしかなさそうだな」
麗子もさやかに付き添っている。
誰もが限界だった。よく分からない妖精が集まってくる前に撤収するのが賢明だろう。
一子はがばと立ち上がり、骨を捨てた。
「では……帰還しましょう……」
*
その後の社会の混乱ぶりは、一通りではなかった。
胎児の体長は二メートル程度だから、怪獣の大行進というほどではない。しかしスクリーマーを従え、車道を使っての堂々たる行進だった。
まずは通報を受けた検非違使が駆けつけた。
次は警察。
それでも止められずに自衛隊が出た。設置したバリケードは力づくで突破され、街にも被害が出た。
彼は告げた。
「私の名はザ・ワン。この地上に顕現した神です。戦闘の意思はありません。道を開けなさい」
しかし通報を受けた以上、公道を占拠させておくことはできないと判断したのであろう。バリケードによる制止をあきらめた自衛隊は、ついに戦車を投入した。
結果、砲撃によりイージスが発動。周辺の建造物に甚大な被害をもたらした。
「攻撃をやめなさい人間たちよ。何者も神の肉体を傷つけることはできない。私に力を振るえば、同じだけの報いがあなたがたに降りかかるでしょう」
神の子を先頭に、スクリーマーがおとなしく整列していた。
攻撃さえなければ無害であることがメディアで周知されると、今度は野次馬が集まってきた。まるでレアポケモンでも見つけたような大騒ぎだ。誰もがスマホを片手に撮影を始めた。
長蛇の列により交通はマヒし、サラリーマンたちは大激怒、ネットには罵倒と嘲笑が書き込まれた。ただの野次馬だけでなく、神の出現に沸き立つ信者や、この機に社会転覆をのぞむ活動家までもが参加し、行列はより意味不明でバカげたものとなった。
ゴルフ中だった米大統領がこれを「クレイジーだ」と評すと、その発言は三百万件以上もリツイートされた。
ザ・ワンは国会議事堂の敷地内に入り込み、集まってきた各メディアを前にこう宣言した。
「喜びなさい、人間たち。新時代の幕開けです。人間が人間を支配する時代は、ついに終焉を迎えました。これからは、神の名のもとに新たな統治が始まります。おめでとう。この日本は、晴れて神の土地となったのです」
誰もがポカーンとした。あるいはコケた。
数秒前までなにかが始まるとワクワクしていた「不謹慎な」ものたちでさえ、このクソ生意気なブタがなにを言っているのか理解できないといった様子だった。
*
ごく少数のアナリストはこのシナリオを想定したレポートを提出していたが、関係者はまともに取り合わなかった。結果、政府の対応は完全に遅れ、後手に回ることとなった。
ザ・ワンは動かない。
おかげで三日と経たずに議事堂はスクリーマーの巣にされてしまい、永田町はふたたび京都へ退避した。
あんな豚肉とっとと排除してしまえとの意見も出たが、政府はそれでも渋い対応を繰り返した。力づくで動かすことはできない。NBC兵器も使用できない。打つ手がなかったのだ。口頭による「お願い」ばかりを繰り返した結果、政権支持率は急速に低下した。
議事堂周辺は無法地帯と化し、連日お祭り騒ぎとなった。神を称えるものたちに警察は手を出してはならないと、ザ・ワンが宣言したのだ。政府が超法規的措置を連発するいま、警察も静観せざるをえなくなった。
ザ・ワンは動かない。
政府も動けない。
長い膠着状態が始まった。
はじめは状況を茶化していた米大統領も、ついにこの件に触れなくなった。飽きたのだ。
ザ・ワンには余裕があった。並大抵の攻撃では傷つきもしない。寿命だって人間よりかなり長い。日本人がこの状況を受け入れるのを、いつまでも待つことができた。
いまは存在し続けるだけでいい。やがて誰もが存在を否定できなくなり、神の権威は地球の裏側にまで周知されることとなる。
やがて身体が育てば、アメリカだろうがロシアだろうが、好きなところへ行くことができる。それまではこの島国でゆっくりするつもりでいた。
*
五月――。桜はとうに散った。
雨の日が増えたこともあり、三郎は無気力な日々を送っていた。行きつけの弁当屋に続き、近所のスーパーまでもが閉店した。少し離れたコンビニも消えた。都内とは思えないほどひっそりし始め、見るからに人が減っていった。
「で、今日はなんの用だ?」
三郎は、なぜか自宅を訪問してきたさやかに尋ねた。いつもの執事兼ドライバーの女だけでなく、ボディーガードにマゴットまで引き連れている。
「なにって、世間話ですわ」
「世間話? そんなクソみたいな用事のために、俺の優雅な休日を台無しにするつもりか?」
コップの牛乳を一気にやった。まだ昼前だ。ビールには早すぎる。
さやかは持ち込んだティーセットで紅茶を淹れ、静かにすすった。
「例の仕事はいつ再開しますの?」
「例の仕事? 神の子を殺すってヤツか? 俺が知るかよ。予定はクライアントに聞いてくれ。こっちはまだ一円ももらってないってのによ」
そのクライアントのナインは生死不明のままだ。トモコの力も戻らない。一子はやる気がない。政府が動けないから検非違使も動けない。機構はなぜだかアメリカと揉め始めた。これではやりようがない。
流しっぱなしのテレビでは、ローマ教皇がもっともらしいことを言っていた。
「ザ・ワンは我々の神ではない。しかし彼を神と呼ぶ人について、我々がなにか意見をすることはない」
あるいは北朝鮮の女性アナウンサーは、威勢よくこう主張した。
「ザ・ワンなる害獣を排除したいのであれば、我々の核を提供してもいい。そのときは我々の寛大な措置に、日本人は涙を流して喜ぶことになるだろう」
米大統領は顔をしかめてこう演説した。
「我々に意見を聞く前に、まずは日本政府がどうしたいのか、そこをハッキリとさせてくれ」
自力で対応できないのは間違いなかったが、それを認めてしまえば政府の統治能力に疑義が生じてしまう。だから「自称ザ・ワンさん」と「協議を進めている」ということにして、とにかく結論を先送りにしていた。
するとさやかは、ひややかな目になった。
「検非違使では壱号事件と呼んでいるらしいですわね」
「壱号事件?」
「ザ・ワンの起こした事件だから、ということですわ。もっとも、今回のは第三次壱号事件。第二次は、去年のあの一件」
「第一次は?」
「大正時代の事件ですわね」
三郎も話では知っている。
約百年前、機構の埋めたザ・ワンが目を覚まし、街を破壊した事件だ。これに対応した能力者たちがナンバーズを結成した。スリーの三角、フォーの土蜘蛛、ファイヴの蟲喰み、そしてナインも参加した。
さやかは溜め息をついた。
「大正は遠くなりにけり、ですわね」
「えっ?」
「当時からずいぶん時間が経ってしまった、ということです。当事者がいなくなったいま、あまり真剣になれないのも仕方ありませんわね」
「そういうあんたは真剣に取り組んでるのか? 金が出るかどうかも分からないのに」
「ええ。使命感がありますもの。ナンバーズが欠番だらけで動きがとれないというのでしたら、わたくしが代わりを見つけて来るつもりですわ」
「代わり?」
「ザ・ワンはまあいいとして、スリー、フォー、ファイヴ……それにナイン、トゥエルヴがいないんでしたわね」
「えーと、なんだ……何番がどいつだっけ?」
さやかはフッと笑った。
「そこで六原さん、お暇でしたら、わたくしと一緒にお出かけしませんこと?」
「はっ?」
「新規メンバーのアテはありますの。ただ、わたくしだけで行くのは危険な場所ですので。もちろん報酬もお出ししますわ」
「マゴットがいるだろ」
六原一子と同じ遺伝子を持つマゴットは、まだ少女ながら三郎に匹敵するスペックの持ち主だった。いまは無言で虚空を見つめているが、ひとたび戦闘になれば信じられない強さを発揮する。
さやかはティーカップを置き、にこりと微笑した。
「行き先は他界です」
「……」
どう考えても面倒なことになる。
それは分かりきったことだったが、しかし三郎、今月に入ってから仕事をしていなかった。そろそろ収入が欲しい。ボロアパートとはいえ一人で全室借りているから、それだけで結構な額になる。
「受けてくださいます?」
「分かった」
まさか欠番をすべて他界で探すつもりではあるまいが、アテがあると言っているのだから信じてもいいだろう。
三郎としても、途中まで進めた仕事がキャンセルになるのは面白くない。
(続く)




