Psyche in the Flower garden
少し休憩をとったのち、三郎たちはみんなのもとへ合流した。
一子たちは、まだ神の子との会話を続けていた。ただし、ギャラリーが増えている。巨大な胎児の上空を、妖精の大群が旋回していたのだ。三角の娘たちだ。本人がいるかどうかは、見た目からは分からない。
「こっちは終わったぞ。トゥエルヴもファイヴも死んだ。で、これはいったいどういう状況なんだ? 俺にも分かるように説明してくれ」
「知らない……」
姉の返事はそっけなかった。
代わりに、春日がブヒブヒと笑みをこぼした。
「精霊に作用する制御装置があるのは知ってる? それを使えば妖精をコントロールすることができるんだ。もし僕と対立するつもりなら、彼女たちの相手をしてもらうことになるよ」
つまりこの妖精たちは、春日の制御下にあるということだ。
三郎は顔をしかめた。
「ああ、その制御装置ってやつな。ずっと探してたのに。お前が持ってたのか」
「持ってる、というより、いまは僕の体内にある。取り出すことはできないよ」
「いや、殺せば取り出せるんだろ?」
「前提条件をクリアできるならね」
とはいえ、膨大な数の妖精だ。すべてを相手にするのは骨が折れる。
シュヴァルツが深い溜め息をついた。
「つまり、私たちの出番ってことになるのかな。穢れた精霊を持つ私たちは、共感能力が壊れているからね」
大地に闇が染み出してきて、そこから一斉に黒い妖精たちが飛び出してきた。スクリーマーとの戦闘でだいぶ数を減らしているとはいえ、三角の妖精に対抗できる貴重な戦力だ。
春日は苦しげに身をよじった。
「なんだこの不規則な周波数は……。君たち、本当に妖精なのかい?」
「妖精だよ。いろいろあって、みんなからはそう思われてないけど。でもあまり侮辱しないで欲しいな。私、あんまり気の長いほうじゃないから」
春日がシュヴァルツに意識を集中している裏で、サイードが小声で一子に尋ねた。
「どうするんだ? あれが前面に出てきたら、ヘパイストスの障害になるぞ」
「……」
「いまは改良されて出力も増えてるが、バッテリーそのものはあまり持たない。照射のチャンスは二回か三回が限度だろう。決断するなら慎重に頼む」
「分かってる……」
消防車のような外観のヘパイストスは、暗視装置を使い、かなりの遠方から神の子に狙いを定めていた。発射の合図は無線スイッチで出す。もちろん急には発射できず、チャージには数十秒を要する。混戦状態での使用は、命中精度を著しく損ねるだろう。
とはいえ、もし戦いが始まれば、すぐさま混戦になるのは間違いなかった。ファーストコンタクトは慎重にせねばならない。
ふと、春日が愉快そうに肉を震わせた。
「ぶふぶふ……。ああ、分かった。君が噂に聞いていた黒い妖精だな。確か、プシケの妹を自称しているとかいう」
「怒らせたいの?」
「どうだろうな。むしろ君が僕を怒らせている可能性もあるんじゃないかな。でもまあ、せっかくだし、これを見せておこうかな」
春日は背中に力をこめて、ブタのような体をさらにぶるぶる震わせた。するとみるみるコブが盛り上がり、べちょりと気味の悪い音とともに肉が突き出した。
それは三角の上半身だった。虚ろな瞳でうなだれて、両腕をぶらぶらさせている。
「姉さんッ!」
「危ないから離れてろって言ったんだけどね。僕と神の子の間に入ってきたから、一緒に取り込んじゃった。でも彼女、なかなかいいよ。エーテルの高まりを感じる」
「お前ッ! 姉さんを返せーッ!」
激昂したシュヴァルツが、鎌を手に飛びかかった。黒い妖精たちもそれに追随。
この急襲に、しかし春日は冷静だった。
「妖精たち、僕を守るんだ」
三角の娘たちも応戦を開始し、黒い妖精たちとの全面衝突に発展した。
「お、なんだ? 始まったのか! 待ってたぜこの野郎ァ!」
寝転がって花をむしっていた相楽が、飛び起きて特攻した。おそらく状況を理解していない。
誰もが唖然としている間に、戦闘が始まってしまった。それも初手から混戦という、最悪の状況で。
蜂の群れと蜂の群れが入り乱れたような大騒ぎだ。
戦果はすぐさま拡大し、三郎たちも否応無く巻き込まれた。
心構えをしていた三郎はいい。しかしさやかは棒立ちのままだ。飛来してきた妖精を、三郎は真空波で両断した。青く美しいエーテルに鮮血が混り、紫の飛沫をあげる。
「おい、ぼうっとするな。始まってるぞ」
「よ、妖精が……」
「おいッ」
さやかはへたり込んでしまった。妖精に思い入れがあるのはいい。しかしこうまでメンタルが弱くては、戦力ゼロどころかマイナスだ。
三郎、守りながら戦うのは得意ではない。しかし一連の経験で、ただ目の前の標的を殺害するだけが戦闘でないことを学んだ。以前より頭を使って戦うようになった。
ふと、大地にボコボコと小山が現れた。かと思うと、土気色をした妖精たちが、タケノコのように生えてきた。傀儡だ。
遠方からは、ゼリー状の小さな水溜りが終結してきた。こちらは水妖。
春日は、他界に生息するあらゆる妖精をコントロールし、この場へ集めるつもりらしかった。
ふと、天から一条の光の差した。
他界を覆う屋根に、ぽっかりと穴が空いたのだ。
はじめは小さな一穴。それが次々に数を増やし、拡大し、この暗黒の大地に陽光を浴びせ出した。空一面がフラッシュを焚いたようなまばゆさだ。
天空の出現――。
これがなにを意味するのかは明白であろう。
かつてザ・ワンを血祭りにあげた青き夜の妖精たちが、いまや神の子の制御下にあるということだ。
春日は冷静に告げた。
「愚者は経験に学ぶ。しかして賢者は歴史に学ぶ。過去を参照する知能があるのなら、当然、この手の対策はしておくよね。まあ考えるまでもなく自明だけど。神秘の力と科学の力、その両方を扱えるからこそ僕は神にふさわしいんだ。僕は生かして使うほうだけど……君たちは物分りがよくないから、ここで死んでもらうとしようかな」
絶望的な状況、と、普通なら思うかもしれない。
三郎とて戦慄した。しかし敵にではない。すぐ身近に、怒らせてはいけない少女がいたのだ。
ナンバーズ・ツー。呪禁長。アベトモコ。
彼女が腕を振るうと、空間そのものがひしゃげ、正面に立ちふさがった傀儡や水妖たちを一撃で葬り去った。そう、まさしく「葬り去る」としか言いようがなかった。凄まじい圧力でプレスされたように、内側に潰されたのだ。
弾け飛んだ傀儡や水妖を踏みつけ、トモコはすたすたと歩を進めた。和服でオカッパ、そのうえ無表情だから、お茶汲み人形のようにも見える。向かう先には春日。
「君がアベトモコくんか、話は聞いているよ。力を制御できず、陰陽庁の新人を虐殺した過去があるそうだね。みんなまだ子供だったのに……」
「……」
「いいのかな? もしまた暴走したら、今度は誰が君を止めるんだい? 君のお婆さまは、そのとき死んでしまったんだろう?」
これにトモコは、つとめて落ち着いた様子で応じた。
「なにが起きたとしても、あなたが世界を支配するよりマシだと思います」
「それで? 僕のイージスに挑むのか? 君の力が強ければ強いほど、反射するエネルギーも強大なものになる。まさか、それを理解していないわけじゃないよね?」
「理解? していないかもしれませんね」
トモコが印を結ぶと、春日の足元が突如として隆起した。山となった大地は、春日の巨体を宙空へ放り投げる。
その無防備な巨体へ、トモコは先ほどの力を浴びせかけた。
空間の歪みが直線状に走り、巨大なブタの体を圧迫した。瞬間、凄まじいエネルギーのせめぎ合いが生じた。イージスに高圧がかかり、その反発による黒い放射も発生。しかしさらに外側から空間が抑えつけられた。
ビリビリとしたエネルギーの摩擦は、やや離れた位置の三郎にも伝わった。空気が微震している。
「あぐあァ……」
遠距離だからあまり声は聞き取れないが、春日はどうやら絶叫しているようだった。彼はいまや黒い球体となり、少しつつけば大爆発を起こしそうな状態になっていた。
力を使い続けているトモコも、苦しそうに眉をひそめている。そのトモコへ青き夜の妖精たちが襲いかかるのを、ナンバーズが阻止していた。
三郎もそこに参加したかったが、さやかがまだ座り込んでいた。妖精たちは次から次へとたかってくるから、その対応に忙しくてほかになにもできない。力を使いすぎて頭がどうにかなりそうだった。
「おい、黒羽さやか。そろそろ正気に戻れ」
「無理です……」
「はっ? なに言ってんだ? 死ぬぞ?」
「無理ですわ……だって、妖精たちを傷つけることなんてできませんもの……」
「だったら見殺しにしていいか? 俺はお前の護衛まで引き受けた覚えはないからな。だいいち、スクリーマーはバンバンぶっ殺してただろ。見た目はともかく、アレも妖精じゃないのか?」
「それは……そうですが……」
するとシュヴァルツがやってきた。かなり消耗しているらしく、肩で息をし、背面から噴出される黒いエーテルさえ途切れ途切れといった様子だった。
シュヴァルツは呼吸を落ち着け、こう切り出した。
「駄々っ子がいるの?」
「……」
さやかは無言のままシュヴァルツを見つめた。助けを求める子犬のような瞳だ。
フォローに来てくれたとでも思ったのだろう。しかし次の瞬間、シュヴァルツの鎌が風を切った。刃ではない。長い柄でさやかの肩口を強烈に叩き、横ざまになぎ倒した。
「ひぐッ」
「六原三郎、ずいぶんアマいんだね。足を引っ張るヤツなんて、殺しちゃえばいいのに」
これに三郎は肩をすくめた。
「それで金になるならな」
「でもこの子、みんなが命を散らして戦ってるのに、座ってるだけだよ。私の一族もいっぱい死んでるのに」
「妖精と戦いたくないんだとよ」
「黒羽アヤメが、孫の遊び相手に妖精をあてがってたのは知ってる。それも、逆らえないよう精霊を抜いた状態でね。だから妖精をお人形さんかなにかだと思ってるんだろうけど……。私、戦わないヤツは仲間だと思わないから」
それだけ告げて、シュヴァルツはふたたび飛び去った。
背面から噴くエーテルは安定していない。大規模な戦闘が続いたせいで、かなり疲弊しているのだろう。
それだけではない。彼女の場合、私情を捨てて姉の一族と戦っている。
三郎は小さく嘆息した。
「なにも叩くことはないのにな。ま、気にするな。最初から全部うまくできるヤツなんていない。ただ、このままじゃマズいと思うんなら、考えはあらためないとな。俺も人のこと言えたクチじゃないが。けど実際、成長すると思うぜ。俺もいろいろ反省して、強くなった気がするし」
「ふふふ……」
身を伏せたまま、さやかは肩を震わせた。
「ふふ……あははッ! わたくしは黒羽よ……六原なんかに同情されたくないッ!」
「えぇっ」
「いえ、景気づけに言ってみただけですわ。あなたの言葉、わたくしの心に深く刺さりました。それに、あの方の言葉も。まずはお礼申し上げます。たしかにわたくし、あまったれてましたわね。みんなが必死で戦っているさなか、ナンバーズの頂点に立というという女がへたり込んでるだけなんて……。そんなこと許されませんわッ」
「お、おう……」
さやかは起き上がり、乱暴に服の汚れを払った。
「六原さん、ご苦労さまです。もうわたくしの護衛は結構ですわ。ええ。殺せというのなら、いくらでも殺して差し上げましょう。しょせんは死屍累々の上に築かれた黒羽の家名。わたくし自身、血にまみれる覚悟はできておりますわ」
「……」
なんだか分からないが、急に出来上がってしまった。
三郎はそっと距離をとり、付近の妖精たちとの戦闘にシフトした。あまり離れすぎず、さやかの様子に注意を払いながら。
現場でも、急にハイになるヤツはたまに見かける。彼らは一時的に勢いづくのだが、その後、些細なミスでポックリ死ぬことがある。さやかもそれに近い状態だ。
新人研修の依頼は受けていない。かといってこのまま放置したせいで死なれては、黒羽麗子や、あるいは姉にまでガミガミ言われることになるだろう。それはまさしく引き算だ。
しいて自分にそう言い聞かせ、三郎は戦闘を継続した。
全員死ぬならそんな心配は必要ない。しかし、もしかするとみんな生き延びて、日常に戻るかもしれないのだ。
(続く)




