神との対話
一子が歩を進めたので、三郎たちも構わず前進した。
背後は気にしない。トゥエルヴにしろ、放哉にしろ、もし奇襲をするつもりならあんなに堂々と名乗り出たりはしないだろう。彼らは戦いを楽しんでいる。才能をフルに発揮して殺し合いをしたいのだ。そのためのステージが用意された以上、無粋なマネはするまい。
だが問題は、神の子であった。
「アァ……アァァ……」
奇妙な声を出しつつ、しきりに身をよじっている。まだ赤ん坊になる前に腹を突き破ったから、完全体でないことは分かる。しかし、それにしても妙だった。
「アー、アー、なるほど。だんだんコツがつかめてきた」
そいつは未発達の口吻から、唐突に舌っ足らずな日本語を発した。
「おっと、そんなに緊張しなくていい。僕はかつて春日次郎を名乗っていた存在だ。いまは見ての通り……神になった」
神というより、もっと醜いなにかだ。言葉はなんとか聞き取れるものの、息苦しそうな呼吸はブタそのものだ。
戦いに備えて精神を高めていた三郎は、このフレンドリーな巨ブタに、肩透かしどころか怒りさえおぼえた。せっかくの意気込みを台無しにされてしまった。
春日はおそらくニヤリと笑ったつもりなのだろう。しかし歯も生えそろっていないそいつの顔は、さらに醜く歪んだだけであった。
「ま、いまこうして神として君たちの前にいるわけだけど……。会話をするに当たって、信者向けの建前と、個人としての率直な本音と、どっちで話すべきだと思う? いや、答えなくていい。おそらく真実を知りたいだろうからね」
これに応じたのは一子だ。
「真実……? 神になって……すべてを支配したいだけでは……」
「いやまあそうなんだけど、なぜそうしたいのか、詳細を知りたいでしょ? どっちにしろ最後は僕が勝つんだからさ。ここで神に無謀な戦いを挑んで死ぬより、僕の言葉を聞いて神の使徒として凱旋したほうがいいと思うけど?」
この春日という男、「神の子」なる呼称を鵜呑みにし、それがただの巨人の胎児であることをまったく理解していないらしい。不老不死ではない。無茶をすれば死ぬのだ。辞書に載っている「神」と同義ではない。
三郎は春日ではなく、姉にぼやいた。
「おい姉貴、本当にこいつの与太話を聞くのか? こっちは仕事で来てるんだ。神の使徒として凱旋したところで、一円にもならないぞ」
すると一子が応じるより先に、春日が反論した。
「六原三郎くん。君はずいぶん頑固な性格をしているようだね。しかしこれは損得の話でもある。神の使徒として働いてくれるなら、世界の富をいくらか授けることもできるんだ。君はこの仕事をいくらで受けたの?」
「一千万」
「やっす。僕ならその十倍は出せるよ。だから話を聞きなよ」
「おいクソブタ、こっちはいっぺん仕事を受けたら、終わるまで敵とは契約しない主義なんだ。信用に関わるからな」
これにブタは首をかしげた。
「ブタ? それってもしかして僕のこと?」
「鏡見たことないのかよ」
「この姿になってからはないね。けどまだ生まれたばかりなんだよ? 容姿に責任なんてもてないよ。だいいち、人を見た目で判断するなんて、最低の人間のすることじゃないか」
「まあ、それもそうだな。悪かった。謝るよ」
「いや、僕からも謝罪させてくれ。君のプロとしてのプライドを見くびっていたわけだからね。けどこれで、相互理解のためには対話が必要だってことが確認できたよね。だから少し、僕の話を聞いてくれるかな?」
「おう……」
うまく丸め込まれた気もするが、三郎はしばし口を閉じて静観することにした。
すると場が静まったのをいいことに、春日は揚々と演説を始めた。
「まずはこの世界について話そうか。僕はこの世界をさほどクソだとは思っていない。しかし完全だとも思っていない。さて、ではなぜ世界は不完全なんだろうか。答えは、そもそも人間が不完全だからだね。だとしたら、より上位の存在が管理したほうが、完璧とまでは言わないにしても、よりよい世界になるんじゃないだろうか。そのためには、どうしても神が必要だよね?」
すかさずさやかがつっこみを入れた。
「それは信者向けの建前をおっしゃっているの?」
「手厳しいね。しかし実際、政治による統治は人類の手に余るんじゃないのかな? 大衆というのは、神の名のもとに統治したほうがいい。過去を振り返れば、人間たちはずっとそうしてきたわけだし。これまでは神の存在が不確かだったから、それぞれが独自に神をまつって、そのせいで衝突したこともあったかもしれない。けど、この僕を見てよ? 実際にいるじゃない? ここに、神がさ。もう神の存在について争う必要はないんだ」
「あなたがその神だとして、それで世界中の人間が救済されるとでも?」
「もちろん僕は全知全能じゃない。ただし、僕の指導のもとに人類が団結すれば、いまよりいい世界になることは間違いない」
「その団結とやらが難しいのでは?」
これに春日は、やはりブタのような咳払いをした。
「黒羽さやかさん、君は頭のキレる子だね。けど、その頭のよさを誇示しようとして、システムの欠点ばかりを指摘しようとしている。繰り返しになるけど、もちろん完璧じゃない。欠点はある。だからこそ僕は、神と人とが手を取り合い、その欠点を補い合っていこうって言ってるんだ」
「論点をズラさないでくださる? あなたの知力が結局は人並みである以上、独裁者のようにならない保証はありませんもの」
「もちろんその通り。けど、だからこそ僕が完璧じゃないというのが生きてくるんだ。僕だって、人間たちの協力なしでは世界を運営することはできない。そうである以上、僕だけが好き勝手したら、僕にとっても不利な状況になるよね? そんな独裁者ってあるかな」
「少なくとも、あなた以外には務まらない特権階級ではありますわ」
「まあ、それこそが神だからねぇ。しかしそれを言うなら、黒羽一族だって実質的には特権階級なのでは? その君が特権階級を否定するのかい?」
「いえ、ですから、黒羽一族は利益追求のために地位を使っているのです。神であるあなたは、利益の追求が目的ではないのでしょう? であれば、特権的地位にいる必要はないのでは」
「かといってこの存在で民間人というのもねぇ。神による統治という画期的に新しい時代が訪れようとしているのに、そのチャンスに目をつむるなんて、世界の損失だと思うけど?」
「ですから、そもそもあなたが人類の利益になる保証は?」
さやかはまだ若いせいもあってか、次第に興奮しつつあった。このまま春日のふらふらした態度に付き合っていては、いずれペースを崩されるだろう。
三郎は、しかしフォローするつもりはない。ないのだが、たったひとつの指摘のために、ビシッと元気よく挙手をした。
「おい! 可能であれば、俺にも分かるように喋ってくれ。俺はいろんな事情により、小学校すら卒業していない。いくつか質問するから、分かりやすく答えてくれ。まず、お前は本当に神なのか? そしてこの話はあと何分かかるんだ? 終わったらお前を殺していいのか? 以上だ」
神は息苦しそうにブヒブヒと苦笑した。
「まず一番目。僕が神であることは間違いない。そして二番目、この話はいつ終わらせてもいい。そして最後、暴力はオススメしない。もし戦いになれば、死ぬのは僕のほうじゃないからね。このことからも、僕が自分のために対話を続けているわけじゃないことが分かると思う。むしろ君たちのためなんだ」
「なるほど、ちっとも分からん」
すると後ろから車椅子がやってきた。
「安心しろ。こいつの話が意味不明なのはいつものことだ。おつむがカルトだからな。それより、次の相手は誰なんだ? あいつまた灰になったぞ。クソザコだな」
ナインを始末したらしい。
続いて、青村放哉も血反吐を吐きながらふらふらやってきた。
「おい、こっちも終わったぞ。次のやつ早くしろ。あんまし長くは持たねーぞ」
いくら妹とはいえ、青村雪は七位のランカーだ。そんな相手を、右腕を失った状態で倒したとなると、彼が天才というのもあながちウソではないのかもしれない。
トゥエルヴはうるさそうに顔をしかめた。
「いやマジで寝てろ」
「寝たら死ぬ。そーゆーレベルだ」
死ぬギリギリまで戦っていたいということだ。
三郎はふっと笑った。
「分かった。俺が相手してやる。坊主でも死にそうなほうでもどっちでもいいぞ」
「は? 相手してやる、だと? 相手してやるのはこっちのほうだ。来いよ。感電死させてやる。貴重な体験だぞ」
トゥエルヴが乗ってきた。
これでもうカルトの長話に付き合う必要がなくなる。あんな話を聞かされるくらいなら、体を動かしていたほうがマシだ。
三郎は車椅子と一緒にドーム前へ移動しながら、世間話をした。
「あの青村のやつ、腕はどうしたんだ?」
「そういやお前、上で姉貴とヤりあってたんだっけ。出会い頭にナインを灰にしたまではよかったんだがな。その後復活したナインに灰にされたんだ」
「そのナインは、ちゃんと死んだのか?」
「さあな。灰にしても灰にしても何度でも蘇ってきやがる。ま、青村の攻撃は、ダメージを与えるってより眠らせてるだけだから、アレで死ぬってことはないだろうけど」
鬼火の直撃を受けると、その部位が一時的に麻痺して動かなくなる。頭部に受けると気を失う。人間ならば。
ナインは急所がない代わり、どこに受けても灰にされてしまうのだろう。相性がよくない相手というわけだ。
トゥエルヴはパァンと大地に火花を散らせた。
「だが俺の攻撃なら死ぬ。常識の通じる相手ならな」
エントランス前につくと、確かに灰の山があった。横たわる青村雪の姿も。しかし雪は死んではいなかった。気を失っているだけだ。あの放哉という男、口は悪いが、妹の命までは奪わなかったようだ。借金は絶対に返さないだろうが。
トゥエルヴはフッと笑った。
「で、そっちはどうだったんだ? お前の姉貴、フツーに俺らを裏切ってるっぽかったけど」
「黒羽麗子が止めに入ってな。そのとき翼がもげたとかで、ボロボロ泣いちまってよ。それで戦意喪失だよ」
「へえ、翼をね。アレってなくなるともう二度と生えてこないらしいな。数々の伝説を築いてきた黒羽麗子も、いまやただの人間ってわけか。そうなる前にいっぺん殺り合いたかったんだが……。ま、仕方ねーか。これも時代の流れってヤツだ」
「二千万だったのにな」
三郎は準備運動をしつつ応じた。
これにトゥエルヴは渋い表情だ。
「なまじ五体満足だと、そうやって準備運動も必要なるのか」
「お前も腕は動くんだろ」
「右だけだ。あとは親戚一同に潰された」
「なにをやったんだよ?」
「宗家の跡取りをボコったり、親父の愛人を孕ませたり、金を使い込んだり、まあいろいろだ」
「……」
これには三郎も閉口した。あまりにアホすぎる。
トゥエルヴは顔をしかめ、車椅子から身を乗り出した。
「おい、引くんじゃねーよ。うちも古い一族でよ。権力がこんがらがっててだいぶ腐敗してたんだよ。だから俺もその家風にのっとっただけなのに。結果、このザマだ。狭量だよな」
「まあ、ふつう怒ると思うぞ」
「なんだよそのリアクション。常識人ぶりやがってよ。そういや青村が言ってたっけ。サイコパスほど常識にうるさいって。お前もそのクチか」
「それは姉貴だろ。俺じゃない」
「いや、お前、それ唯一の肉親だろ。少しはかばえよ」
これまでの三郎なら反論していた。あんなのは家族じゃない、と。しかしいまなら素直に受け入れられる。
「ま、それもそうだな。想像してたのと違って、かなり凄いヤツだった。身体能力は俺のほうが上のはずなんだけどな。なんで勝てないんだろうな」
「センスだよ、センス。そのセンスの違いを、この俺さまがいまから教えてやるよ」
するとやや遅れて、後ろから放哉たちも来た。というより、放哉はここへ来る途中にダウンしたらしく、ナンバーズ・エイト――八雲に足を引きずられていた。
「俺たちのことは気にするな。続けてくれ」
八雲は放哉を雪の隣に寝かせると、手を合わせて拝み始めた。まだどちらも死んでいないのに。八雲は修験者のような格好だから、妙な説得力さえある。
トゥエルヴもさすがに半笑いだ。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺たちの死体もあそこに並べられるのか? 埋葬するときは無宗教で頼むぜ。神だのなんだのはもう飽き飽きだからな」
「同感だ」
三郎は準備運動を終え、呼吸を整えた。
ナンバーズ・トゥエルヴにもいくらか賞金がかかっていたはずだが、いまそれを確認している余裕はない。こればかりは、一千万に含まれていると思うほかあるまい。
(続く)




