神の遺伝子
しばらく新年を堪能した三郎は、会員制のバー「ニューオーダー」へ顔を出した。
ここはバーという体裁をとってはいるが、じつのところ賞金稼ぎたちを束ねる組合の営業所だった。仕事を受けるのも、金を受け取るのもここでする。
木下はまだ入院中なのか、あれから出社していないようだった。代わりに仕事を持ってきたのは別の女だった。
「ハァイ、新人のキャサリンよ。ランカーの六原さんにお仕事を持ってきたわ」
タイトなスーツに身を包んだ白人女性だ。くりくりとした金髪のショートカットがよく似合っている。
彼女は「よっこらショック死」とつぶやきながら、勝手にテーブルについた。
「元気?」
「そりゃ元気だが……。あんた、たしか機構の人間だよな?」
「人間っていうか妖精だけど。とにかく食いっぱぐれたのよ。いまはここの事務員をしてる。いいから仕事の話を聞きなさいよ」
機構という組織は、例のザ・ワンを神と崇めていたカルトだ。しかしその神は先日死んだ。それでまんまと宗旨変えしたのかもしれない。
キャサリンはテーブル上にクリップボードを滑らせた。
「検非違使からのご指名よ。またドームに行って欲しいみたい。目標は現場の制圧。邪魔するヤツは殺処分。今回は非戦闘員の随行はないわ。どう? やる?」
「俺ひとりでか?」
「まさか。十人チームよ。ただ、人選はあなたに任せようと思って」
「人選? 俺にはツテなんてないぜ」
いや、ある。殺しにかけては三郎よりうまくやる姉がいる。あるいは、かつて一緒に組んでいた女もいる。そういう連中であれば、声をかければ乗ってくるだろう。
だが当の三郎は、声をかけるつもりになれなかった。いまは誰ともつるまず、ひとりでやりたいと思っている。
彼の気持ちを知ってか知らずか、キャサリンは妖しい笑みを見せた。
「前回のドームはどうだったの? ナンバーズがふたりも出てきたなんて、よっぽどだと思うけど?」
「どうって? 報告書に書いた通りだ。ドームに行ったらファイヴに出くわした。それで戦闘になって……まあ撤退したわけだ」
「頭の賢くないプシケはともかく、ファイヴが動いているとなればなにかがあるわ。お金になりそうななにかがね」
「知るかよ。こっちは小学校中退だぞ。あんまり頭を使わせるな。チームの人選もあんたがやってくれ」
店へはビールを飲みに来たのだ。こんな女の陰謀論を聞きに来たわけではない。
キャサリンは小さく嘆息し、肩をすくめた。
「いいわ。お望みとあればね。ただ、金額だけは確認して。あとでモメたくないから」
「たったの三十万か。ナンバーズの値段も安くなったもんだな」
「ケチの検非違使が出してる仕事なんだから、この額以外ありえないでしょ。イヤなら蹴ってもいいのよ」
「やるよ。詳細が決まったら教えてくれ」
「そういう前向きな態度、好きよ。ランカーなのにお金にうるさくないところもね」
「……」
三郎はもはや返事もせず、ビールグラスに口をつけた。
組合では、前年に稼いだ額に応じてランキングを設定していた。新年を迎えたため、店内のランキングも最新版に張り替えられていた。
1.ドン・カルロス
2.カメレオン
3.六原三郎
4.枕石居士
5.砂原次男
6.マリー
7.青村雪
8.ブルーマンデー・ホリオカ
9.山野栄
10.フラッシュバム
三郎は去年からワンランクあがったが、もちろん満足していない。目標はあくまで頂点のみ。そのためにはドン・カルロスを抜かねばならない。
とはいえ、ドン・カルロスはかなりの強敵だった。彼はこの店のマスターである。あらゆる組合員はここで金を稼ぎ、ここで酒を飲む。だから富のほとんどは、黙っていてもドン・カルロスに集まる仕組みになっていた。
組合員が酒を控えさえすれば、ドン・カルロスは勝手にランキング外に転げ落ちるだろう。しかしこの数十年、そうなったことは一度としてない。仕事を終えた人間がアルコールを摂取しないなどということは、到底不可能なことだ。
いや、仕事などしなくても酒は飲める。実際、三郎のビールは二杯目だった。年が明けてからまだ仕事をしていないにも関わらず、だ。
*
数日後、三郎は集められた組合員とともに、他界へ足を踏み入れていた。
参加者のほとんどは、ロクに名も売れていないペーペーだ。かろうじて名前と顔が一致するのは、二本松兄弟とかいう青スーツの二人組だけ。人外揃いのナンバーズを追い払ってドームを制圧するにしては、あまりにショボい人選だった。
しかしキャサリンが人選で手を抜いたわけではなかろう。金銭面で折り合いがつかなかったのだ。ナンバーズを相手に三十万は安すぎる。
まだ昼のはずだが、他界の空は相変わらず薄暗かった。
上空がほぼステンドグラスに覆われているせいで、太陽の光がほとんど入ってこない。太陽の苦手な「青き夜の妖精」が、ほぼ本能だけで天井を増築しまくっているせいだ。彼らを撃ち落とすべく、アメリカ、ロシア、中国、欧州連合が、それぞれ独自に攻撃を仕掛けているが、そのあまりの硬さに苦戦し、ほとんど成果を挙げられていない。
ともあれ、地上は地上でやることがある。
三郎たちは二台のハイエースに分乗し、ドーム手前で降ろされた。
かつては光る花々が咲き乱れる以外なにもなかった大地には、いまや道路が敷かれ、標識さえ設置されていた。自動車も入れるから、何日も歩いて旅をする必要もなくなった。
たったの半年で、人間は神話の世界を大きく改造しつつあった。それもこれも、利益の回収が見込めるからだ。神話の力を科学に取り込むことができれば、あらゆる技術が格段に進歩する。
このドームの調査も、おそらくはそうした「利益」に絡む話なのであろう。だが組合員は、顧客の本心など知る必要がない。提示された仕事の内容と、提示された金額だけがすべてだ。成功すれば稼げるし、失敗すれば死ぬ。
ぞろぞろと徒歩でドームへ近づくと、やがて予想外の連中に出くわした。
黒い妖精たちだ。顔は三角に酷似しているが、髪もエーテルも黒い。それが集団で百体近く、ドーム上空を旋回している。
組合員たちがざわめき出した。
戦力差は十倍近い。妖精単体は弱くとも、一斉に襲撃されればチームは壊滅しかねない。数というのは、それだけで暴力だ。
三郎は首からさげた風よけのゴーグルを装着した。トップスピードで動き続けると目が乾く。
ふと、足元に気配を感じ、三郎はとっさに飛び退いた。闇だまりから、黒い妖精のリーダーが飛び出してきたのだ。頭から黒いボロをかぶり、刃の長い鎌を手にした死神のような少女――シュヴァルツだ。
逃げ遅れた二人の組合員が、鎌で足首を切断されて悲鳴をあげた。
「あわれな人間たち。警告を無視して、また来たんだね。ここは絶対に通さないよ」
シュヴァルツは闇を滴らせつつ、ざばと身を起こした。
三郎もこいつの存在は知っている。三角の妹だ。姉妹の仲は円満とは言いがたかったはずだが、このドームを守るために協力しているらしい。
三郎はふっと鼻で笑った。
「おい、ほかのヤツには手を出すな。お前の相手は俺だ」
「安い挑発。でも乗ってあげる。あなたは人間としては強いのかもしれない。けれども、ここじゃ子供同然だってこと、教えてあげる」
話している最中のシュヴァルツへ、三郎は飛び蹴りを放った。助走もなしに、バーンと弾かれたような加速だ。
シュヴァルツは目を丸くして、ギリギリのところで回避した。
「話の最中に……。なんて野蛮なんだ……」
「話? 誰が話をしに来たんだ? こっちは仕事に来たんだ。口より先に手を動かすもんだろ」
さも仕事人のような口ぶりだが、ただの殺し合いである。
三郎はシュヴァルツの鎌など少しも警戒せず、真空波で一方的に攻めまくった。攻撃は最大の防御である。特に、三郎のように一撃必殺の技と、無尽蔵のスタミナを持つものにとっては。
いちど体勢を崩されたシュヴァルツは、この怒涛のラッシュに押され、いつまでも攻勢に転じることができずにいた。
リーダーが戦闘を開始したのを見て、黒い妖精たちも雪崩を打って襲い掛かってきた。
組合員たちも銃で応戦。あるいは刀を手に接近戦を挑むものもいた。
両者入り乱れ、すぐさま混戦になった。
三郎はシュヴァルツを攻めながらも、隙を見て近くの妖精を切り裂いた。前回のリベンジのつもりで最初からフルスロットルで仕掛けたから、技がキレまくっている。
切り裂かれた黒い妖精たちは、ドス黒い血液を撒き散らしながら地べたを転がった。妖精とて人間を切り裂く力を持っているが、あくまで接触してからの攻撃だった。中距離から殺害できる三郎の敵ではない。
とはいえ、この混戦では、妖精に切り裂かれる組合員もちらほら出てきた。もし彼らが全滅すれば、すべての攻撃が三郎へと向けられることとなる。それでも凌げる可能性がないわけではないが、あまり望ましい状況とはいえない。
「なんだこいつッ! 人間の動きじゃないッ!」
シュヴァルツがエーテルを噴き、猛スピードで距離をとった。回避とかいうレベルではない。逃亡だ。
メインターゲットがリーチ外に出たため、三郎は大きく真空波を出して妖精を切り伏せた。一度の攻撃で、三体が真っ二つになった。
シュヴァルツが血相を変えた。
「もういいッ! 撤退だッ! 帰るよッ!」
その呼び声に応じ、黒い妖精たちは一斉に飛び去った。
このまま続けていれば組合員も全滅したかもしれないが、黒い妖精たちも全滅していた可能性がある。妖精の群れは、基本的に血族で構成されている。仲間の死は、そのまま家族の死なのである。甚大な被害には耐えられない。
ドームの中からひとりの米兵が出てきた。背の高い、屈強な男だ。
「やれやれ。役に立たん妖精どもだ。しょせんは出来損ないの劣化コピーだな」
その口調から、中身がファイヴであることはすぐに分かった。
三郎は一同の先頭に立ち、ファイヴと対峙した。
「止まれ。それ以上近づけば、攻撃対象とみなす」
「ああ、止まるよ。また貴様に体をダメにされてはかなわんからな。それに、取引に使えそうな女もいない」
「結論から先に言っておく。俺はたったの三十万でお前を殺す気にはなれない。このドームを明け渡せ。そうすれば命だけは助けてやる」
実際、金の心配よりも、味方の心配をしていた。このままファイヴと交戦すれば、味方に甚大な被害が出るだろう。それはいいのだが、報告書に死因を書かなくてはならない。名前と顔の一致しない人間について、いちいち死因を書き込むのは骨が折れる。
ファイヴは嘲笑したように鼻で笑った。
「このドームの重要性も分からぬまま、かりそめの勝利に満足するとは……」
「知るかボケ。重要性なんて関係ないんだよ。そこがネズミーランドだろうが公衆便所だろうが、制圧対象だったら制圧するのが組合員だろ」
「中に神がいる」
ファイヴの唐突な宣言に、組合員たちはふたたびざわめいた。
半年前、業界はその件でえらく翻弄された。
ドームに埋まっているザ・ワンなる蛭子がじつは本当に神なのではないかという説が出回り、その処遇を巡って「世界管理機構」なるカルトが一悶着起こしたばかりだ。三郎もだいぶ稼いだ。
だがザ・ワンは死んだ。その死骸も米軍のミサイルに焼かれたはずだった。すべて消え去ったのだ。その痕跡すらも。
三郎は「なるほど」とうなずき、こう応じた。
「分かった。上にはそう報告しておく。それで、お前はここを明け渡す気はあるんだな?」
「コトの重要性が理解できていないのか? 神だぞ? 神話の時代を生きた巨人が、神の子を孕んでいるのだぞ?」
「いや、いっぺんに言われても覚えきれないからさ……」
「どこまでバカなのだ貴様は……。神の重要性くらいは理解できるだろう?」
「えっ? うーん……。とりあえず出ていくのか? 出ていかないのか? そこだけハッキリしてくれ」
「……」
ファイヴはついに閉口してしまった。
三郎とて、神がいかに重要かは理解している。半年前、神のために飛び交った札束の数を考えれば、当然のことだ。
三郎自身は、神については否定も肯定もしていない。まだ無力だった幼少期、大事な家族の死体が目の前に並べられたあの日、神さまにはたくさんのお願いをした。しかし結局のところ、願いはひとつとして聞き入れられなかったのだ。神にはなにも期待していない。そしてまた責めてもいない。いてもいなくても同じものだと思わなければならない。
「せめて返事はしてくれ。十秒以内に出ていかないとぶっ殺す。じゅーう、きゅーう」
「分かった。出ていく。そして後悔するがいい。追い詰められた母は、世界を敵に回してでも子を守るだろう。貴様らもせいぜい排除されぬよう気をつけることだ」
「はい」
三郎からはシンプルな返事しか出てこなかった。
なにかを言いかけたファイヴは、言ってもムダだと思ったのだろう、口をつぐんで向こうへ行ってしまった。
制圧は完了した。
(続く)