たとえ翼をもがれても
一子の案内で、ドーム頂上の展望台に出た。
スペースは広い。もともとは職員のための憩いのスペースだったのであろう。ベンチがあり、フェンスがあり、自動販売機がある。プランターの植物はすべて枯れてしまっているが。
「ここなら……スクリーマーも来ない……」
「なかなかいい場所だな」
三郎は応じながら、準備運動を始めた。
あらゆる想定はしてきた。姉の手の内も見た。三郎の手の内は見せていない。身体能力なら三郎に分がある。負けているのは技術だけだ。
「なあ姉貴。ガキのころ、かけっこしたのおぼえてるか? 山ん中に入ってよ」
「なつかしいわね……」
「楽しかったな」
「ええ……」
「いま、そういう気分だ。絶対に手を抜くなよ。俺も全力で行く。いいか、気を抜いたらその瞬間にバラすぞ」
「ふふ……楽しみね……」
家族の死が愉快なわけではない。しかしこうして自分の才能を、納得いく形でぶつけられる相手はほかにいない。常識や倫理などとうにおかしくなっている。
暗闇からざばとシュヴァルツが現れた。
「見届けてあげる」
「あっちはいいのか?」
「私たちは強いの。あんなのに負けたりしない」
「そうか」
黒い妖精はフェンスの上に腰をおろし、それきり黙り込んだ。
三郎はさらに準備運動をしてから、呼吸を整えた。
「いいぜ。いつでも始めてくれ」
「じゃあ行くわ……」
妖しい笑みで一子は告げた。
その瞬間、本当に始まった。
こうなる前から仕掛けておいたのだろう。三郎の足元の空気がにわかに渦巻き、そして爆ぜた。とっさに飛び退いたからよかったものの、少し遅れたら切断されていたところだ。しかし無傷ではない。かなり深く切り裂かれた。
「てめェ、マジで本気かよ……」
「手を抜いたら……怒るでしょ……?」
「ああ、その通りだ。姉貴が正しい」
三郎はよたついたものの、なんとか体勢を立て直した。スピード勝負になるのに、足をやられたのは大きなマイナスだ。姉もそれだけ本気ということだろう。
一子は目を細めてほほえんだまま、風を身にまとい、三郎の出方を待っていた。いつでも、どの方向にでも動ける状態だ。
しかし三郎から仕掛けても、あっさり回避されてカウンターで裂かれるのがオチだ。かといって、こうしてずっと睨み合っているわけにもいかない。肉を切らせて骨を断つ覚悟でなければ。
三郎は隙なく構えつつ、一子の周囲をぐるりと回り始めた。彼女はどういうわけか向きを変えない。このままいけば背後をとれそうだ。しかしただの無防備ではあるまい。なにか考えがあるはずだ。
三郎としては、姉が動いてくれなくては困る。策もなく横へ横へと回り込んでいるわけではない。風の罠を置いた。少しつつけば爆発するカマイタチの塊だ。一子が罠に近づいた瞬間、足を切り落とす作戦だ。
「サブちゃん……かわいいわね……」
「はっ?」
三郎が不思議に思っていると、姉の体を包んでいた風が膨張し、嵐のように周囲を駆け抜けた。それと同時、三郎の仕掛けた罠もすべて弾け飛んだ。ガラス片のような鋭い真空波が無数に飛んできて、わっと面で襲い掛かってきた。
もちろん風でガードした。が、そのガードを突破して襲ってくる針のような風もあった。全身に激痛が走る。広範囲の攻撃だからか、一撃で致命傷になるような攻撃ではなかったが、さすがに急所に受けてはマズい。
身をちぢこめ、被弾面積を最小にした。
嵐が収まると同時、丸まっている三郎へ、一子の急接近して来るのが見えた。なにをするにもすべてが迅すぎる。
ギリギリのところでまた風を張ったが、そのバリアを破って肩口を切り裂かれた。三郎も反撃をこころみたが、一子の髪を数本落としただけで終わった。
すれ違い、また距離が空いた。
「この短い間に……なかなか頑張ったわね……以前のサブちゃんなら……三回は死んでた……」
「ふざけんな。三回も死ぬかブス。せいぜい一回か二回ってとこだろ」
だが手の内を知っていなかったら、対応できない攻撃はいくつかあった。かなりの出血をしいられたとはいえ、こうして手足がトばされていないのは大きい。まだやれる。
三郎は呼吸を整えるため、舌戦に出た。
「姉貴、ちょっと質問いいか」
「待ったナシ……」
「それは分かる。分かるが、どうしても聞いておきたくてな。冥土の土産ってやつだ。弟の向学心ってのを、少しは尊重してもいいだろ」
「なんなの……?」
興の削がれる行為だろう。しかし三郎、もはや手段を選んでいる余裕もなかった。
「あー、なんつーか、アレだ。姉貴が俺の立場だったら、どうやって逆転するのかなーって」
「逆転……? それはムリね……」
「なんでだよ?」
「頭がよくないからよ……それはお姉ちゃんにも……どうにもできない……」
「あの世で呪うからな、ブス。ぐぎっ」
背後から切り裂かれた。
さっき接近したときに罠まで用意していたらしい。三郎がもう少し後退していたら、全身が切り裂かれていたところだ。
とはいえ、この状態で背中をやられるのはかなりキツい。すでに全身から出血している。血圧が低下すると頭もふらふらしてくる。
こうなった以上、肉を切らせるどころか、骨を断たせて骨を断つことで相討ちを狙うしかない。
「クソ、分かったよ。あれこれ考えるのはナシだ。フルパワーで行く。なんせ俺は最強だからな。俺のフルパワーの攻撃を受けて生き延びたやつはいないんだ」
「いいから来なさい……」
「あの世で後悔しろよ姉貴ッ」
まずは横薙ぎに仕掛けた。
すると当然、一子は跳躍して回避する。そこへ今度は縦に仕掛けた。コンクリさえも破砕する全力の一撃だ。
空中での方向転換は、風の力を使えば不可能ではない。しかし俊敏さはない。この一撃を回避することはできないから、風のバリアで緩和するしかない。さすがに致命傷とはならずとも、無傷ということもあるまい。ただし三郎は、しばらく風を起こせそうもない。使い切った。あとは肉弾戦で決着をつけるしかない。
一子はそれでも笑っていた。この程度なのかという憐憫の情さえ浮かべて。なのに風を展開する気配はない。なにかに驚いて目を見開いた。
黒い影が入ってきた。シュヴァルツではない。見慣れない巨大な翼だ。それが真空波の直撃を受け、派手に黒い羽を散らした。
「くっ」
苦悶の表情で二人の間に着地したのは、黒羽麗子であった。傷ついた翼は黒い霧となって霧散し、闇に紛れて消え去った。
「先生っ……」
一子が駆け寄った。家族の団欒に水を差した部外者など、首を刎ねてしまえばいいものを。
麗子はよろめいて立ち上がると、駆け寄った一子の頬を平手で打った。
「なにやってるのッ!」
「へっ……」
「なにをやってるのよ、一子さんッ! たった一人の肉親でしょう? あなた、そこまでバカだったの?」
「けど……」
「けどじゃないッ! こんな方法じゃなきゃ解決できないことなの? どちらかが死ななくちゃ過去を払拭できないの? だったら私を殺しなさいよッ! なんのためにいままであなたたちを……」
そこで泣き崩れてしまった。
一子も困惑した表情で口をつぐんだ。
しかし三郎としては、そんな感傷的な気分になるために戦っていたのではない。これはすべてを精算するための戦いなのだ。途中でやめたら意味がなくなる。
「先生、さすがに空気読んでくれよ。いま最高に盛り上がってたのによ。あと少しで勝てるとこだったんだぞ?」
すると麗子は、真っ赤になった目で三郎を睨みつけた。
「いまの話、聞いてたでしょ? 続けたければ、まずは私を殺しなさい」
「いいのか? こっちは黒羽を殺すために生きてるようなもんなんだぜ」
「やりなさい」
「けど待てよ。依頼を受けてない状態で殺しても一円にもならない。なにせ、あんたの首には二千万もの大金がかかってるんだからな。いま殺すことはできない」
すると麗子はつかつかやってきて、三郎の頬も打った。
「痛いぞ」
「生きてる証拠よ。これ使いなさい。怪我したままじゃアレだから」
「……」
例の怪しい薬を押し付けられた。
たしかにすぐ治る。しかし三郎は、いったいどういうつもりで麗子が介入してきたのか理解できない。
「あんた、昔からお節介だよな。なんなんだ? 俺たちをどうしたいんだ?」
「生きて欲しいだけよ」
「それで? 俺たちが生きてると、あんたにとってなにかプラスになるのか?」
「なるわけないでしょ。マイナスばっかりよ。手間はかかるし、振り回されるし、挙げ句の果てには殺し合いまでするんだから。口は悪いし、マナーも知らないし、食費はかかるし、桁違いにバカだし、心底うんざりだわ」
麗子は腹の底から溜め息をついた。
一円にもならないことに首を突っ込んでいる。およそ黒羽らしからぬ振る舞いだ。
ぼろぼろ涙をこぼしつつ、一子がよたよた近づいてきた。
「先生……」
「もっとあなたの言葉に耳を傾けるべきだったわね」
「先生……」
「そんなに泣かないで」
「だって……翼が……」
「気にすることはないわ。どちらにせよ片方しか残っていなかったし。代償としては安いものよ」
「けどもう……生えてこない……」
しゃくりあげながら、一子はそんなことを言った。
麗子は優しい顔になり、一子の頭をなでながら小さく嘆息した。
「あなたたちが生きているほうが大事よ。普通の人間に戻るだけだわ。もうナンバーズも引退した身だし、ちょうどいいでしょ」
それを聞きながら薬を塗っていた三郎は、背中に手が届かなくて難儀していた。
まさか黒羽の翼が使い捨てだとは知らなかった。最後は能力を失うということも。そこまでされては、さすがにワガママを言うわけにもいかない。
「ほら、一子さん。弟が困ってるわよ。手伝ってあげなさい」
「うん……」
三郎が姉から雑に薬を塗りたくられる中、麗子がぽつぽつと語りだした。
「どうやら母は生きているらしいわね。死を偽装することで、業界から非難されるのを避けたつもりなのかしら。けれども詰めがアマかったわ。蛇が掴んだ情報によれば、母はいま、例のテロリストがやっている宗教団体『東京娑婆苦』のアジトに匿われているそうよ。目的までは不明だけれど……。きっとロクな内容じゃないでしょうね」
これに一子が応じた。
「リーダーの春日さんは……イージスの能力を持ってる……それで神の子と……一体化するつもりなの……」
「なにそれ? バカげた計画ね」
「山野さんみたいに……なりたいんだって……」
「まあ当人がどういう計画を立てようが自由だけど……。周りのみんなはそれで納得してるワケ?」
「団体の人たちは……してる……」
「まあ、カルトってそういうものよね。疑問を抱くべきじゃなかったわ」
話がまとまると同時、一子はピシャリと三郎の背を叩いた。
「終わり……」
「痛いんだからもっと優しくしろブス」
「もっと……強く叩かれたい……?」
「いや、いい……」
黒羽麗子の目が怖かった。
正直、三郎としてはどちらでもよかった。今回の勝負にしたって、互いにやる気があるから成立した話だ。一方がやる気をなくしたいま、ムリに続けるようなことではない。
麗子は大上段から言い放った。
「いい? 分かってると思うけど戦うのは絶対に許さないから。一子さんも、テロリストなんかと手を組むのはやめなさい。一緒に神の子を始末するわよ」
「うん……」
一子は完全に心を入れ替えていた。麗子の翼を奪ったのがよほど効いたのだろう。
ふと、ドアが開いた。
地下に向かっていたはずのメンバーだ。全員がズタボロで、頭数もかなり減らしていた。
「一足遅かったようです」
名草梅乃が下唇を噛んだ。
ぱっと見る限り、機構の黒服は数名しか残っておらず、ナインの姿も見当たらなかった。
麗子がにわかに不安そうな表情を浮かべた。
「遅かった、とは?」
「生まれていたんです。しかも母親の遺体をファイヴが乗っ取って……」
ナンバーズ・ファイヴ――。蟲喰みは、死体から死体に乗り換える厄介な存在だ。以前は神になる計画を立てていた。今回は母体で妥協したということか。
「神の子は?」
「まだ不完全ですが、テロリストのリーダーを名乗る人物と一体化し始めています」
「……」
麗子は溜め息とともに頭を抱えた。
完全に先を越された。それだけでも大問題なのに、またしてもファイヴが現場を掻き回そうとしている。
「それで、ナインさんはどうしたの?」
「灰になりました」
「またいつもの? それとも、もう戻りそうにないの?」
「分かりません」
置き去りにしてきたということは、よほど激しい戦闘があったのだろう。
だが三郎のやることは決まっている。
「で、どうするんだ? 撤退するのか? それともやるのか? もしやるなら参加できるぞ。なにせこっちは肩透かしで終わったからな」
薬を塗られたとはいえ血まみれだ。肩透かしにしては大仰である。一子は無傷だというのに。
しかし口うるさいナインが不在とあっては、もはや現場を仕切るものもいなかった。麗子はなにかを言いたげだが、引退した身だからか押し黙っていた。
代わりに一子が声を発した。
「円卓会議をしましょう……みんな……席について……」
「そんな悠長な」
反論しかけた湖南を、梅乃が制した。
円卓などない。四角いテーブルがいくつかあるだけだ。しかしナンバーズのメンバーは、特別な理由なく書記長の宣言をしりぞけることはできない。
フェンスに腰をおろしていたシュヴァルツも来た。
「姉さんの代理で参加してもいい?」
「許可します……」
一子は、いつになく強い表情をしていた。
「それではこれより……ナンバーズの円卓会議を開始します……」
(続く)




