生還者
三日後、ウソみたいな話だが、三郎は本当に全快した。
実際に体を動かしてみても、まったく信じられない気持ちだった。十億かかるとはいえ、たったの二週間かそこらで回復するとは。この技術が安価になって広く普及すれば、さぞ素晴らしい世界になることだろう。
さっそくコンビニでビールを買って帰った。椎名のマンションではない。自分のアパートへだ。
桜はまだだが、暦は四月になっていた。
メインで使っている部屋は窓ガラスが割れたままだから、ノートパソコンだけ拾って別室に入った。誰かに荒らされた気配はない。
壁が薄いおかげか、隣室の無線が使えた。ノートパソコンはオンライン。なにげなくネットを眺めつつ、三郎は缶ビールを開けた。
特にこれといったニュースはなかった。神の子はまだ生まれていない。黒羽アヤメの扱いも小さかった。老衰による死去ということになっており、家族で密葬するとのことだった。
世界にはとりたてて変化がない。
三郎はピーナッツを齧り、ビールで流した。網戸の向こうからは、春のなまぬるい空気が入り込んでくる。歌いながら歩くサラリーマンの声もする。反応して鳴く猫の声も。遠くで吠える野良スクリーマーの声も。
*
性懲りもなく、ふたたびナインによる招集があった。
しかも、なぜかほぼフルメンバーが集まった。故人とブラックアウトに行った二名を除けば、欠席したのはスリーのみ。
いや、今回はサーティーンもいない。その代わり、部外者としか思えない少女がいた。三郎も人のことは言えないが。
ナインが立ち上がった。
「あらためて紹介しよう。新たにサーティーンとなった黒羽さやかくんだ」
ゴシック調の服を着た縦ロールの少女が、にこりとよそ行きの笑みで辞儀をした。
「ごきげんよう。このたびサーティーンに就任いたしました黒羽さやかでございます。右も左も分からぬ若輩の身ですが、諸先輩がたを見習い、ナンバーズの名に恥じぬよう務めてまいりたいと思います。つたないところも多いかと思いますが、あたたかい目で見守ってくださると嬉しいです。どうぞよしなに」
詐欺師ほど堂々とウソをつくというが、黒羽にしては謙虚過ぎる挨拶だ。
それにしても、麗子の引退はあまりに急である。連日の騒動に腹を立て、ついに席を蹴ったのであろうか。
ナインは乱れてもいないネクタイを整えた。
「みんなも知っての通り、黒羽では代替わりがあった。麗子くんはお姉さんのサポートをすることになり、検非違使とナンバーズを兼任するのが厳しくなってね。それで姪のさやかくんがサーティーンに就任したというわけだ」
これにファイヴが顔をしかめた。
「ふん、これで少しは静かになればいいがな」
先日灰にされた腕は治っていない。
ナインは不快そうに目を細めた。
「騒ぎを起こすものがいなければ、彼女も声を荒げたりはしなかったと思うがね」
「自分を棚に上げおって。そういう態度が火種となったのではないのか?」
「総則に違反するものには、毅然とした態度をとる必要がある」
「なんだその口ぶりは? 越権行為がひとつもなかったと言っているのか?」
これに八雲が咳払いをし、梅乃も眉をひそめた。
「せめて今日くらいは休戦にいたしましょう」
「めでたい席なのだからな」
といってもお茶請けとコーヒーがあるだけだ。
セヴンがチロチロと舌を出した。
「けど意外だったわね。もっと欠員が出ると思ったのに」
その視線は三郎へ向けられていた。
確かに死ぬところだった。しかし自力で生き延びたわけではない。生かされたのだ。
これには誰も返事をしなかった。三郎でさえも。死んでいないから生きている。それだけだ。特に付け加えることはない。
トモコは安堵したような顔だ。
「でもよかったです。こうして無事でいてくれて」
その気になればここにいる全員をひとりで殺せる女だが、彼女はそんなことを望まない。口論にさえ参加しない。そういう彼女の良心によって保たれている秩序というのは、確かにあった。
ややうんざり顔だった梅乃も、トモコの態度に表情をゆるめ、そっと頭をなでた。家同士は対立しているはずだが、本人同士はそうではない。
簡単な現状報告が終わると、今度は穏やかな時間が流れた。
意外というべきか、メンバーたちはわりと仲良く談笑していた。もちろん特定の相手とだけであるが。少なくとも、わざわざ敵対する相手を挑発するような行為はなかった。
三郎も腰をあげ、さやかのもとへ向かった。
「よう、驚いたぜ。まさかサーティーンとはな」
「ふふ。今後は後輩として、いろいろご指導くださいね」
「俺は正式な所属じゃない。姉貴の代理だ。けど、悪かったな。仕事ミスっちまって」
目的が達成されたとはいえ、三郎のやった仕事ではない。これでは依頼の成功とはいえない。
さやかはしかし微笑で応じた。
「構いませんわ。結果として、わたくしの望んだ通りになったんですもの。それより大丈夫でしたの? かなりの重症だったと聞きましたが……」
「あんたの母親に治療してもらったよ。凄いなあの再生技術ってヤツは。十億するだけのことはあるぜ」
「ええ。けれどもあの技術のために、数多くの妖精が犠牲になりましたわ。あなたが回復したのは素直に嬉しいのですが、死んでいった妖精たちのことを考えると……」
「……」
さんざん妖精を殺してきた手前、三郎はあまり悲壮な顔もできなかった。しかし言わんとしていることは理解できる。どうやらさやかが妖精に並々ならぬ思い入れがあるらしいことも。
彼女はふたたび微笑を浮かべた。
「あら、ごめんなさい。妖精のことになるとついムキになってしまって」
「いや、いいぜ。ムキになれることのひとつやふたつ、あったほうがいい。俺たちはロボットじゃないんだからな」
かくいう三郎も、いまは姉のことしか考えていない。十数年ぶりの気持ちだ。また会いたい。それも、現場で敵として、だ。
「けれども、お姉さまの件は残念でしたわね。なんとかして仲良くできればよかったのですけど」
「いいんだよ、姉貴はアレで。俺も姉貴も、互いのツラを見てるとむかしを思い出して仕方がないからな。過去を精算しようと思ったら、きっとどっちかが消えなきゃダメなんだ」
「黒羽のせいで……」
「そんな顔するな。俺たちはいまかなりエンジョイしてるんだ。たぶん姉貴も楽しいはずだぜ。ガキのころ、山でかけっこしてたときみたいでさ。姉貴、すごく速いんだ。手加減してくれないから、絶対追いつけなくてさ。けど無闇に楽しかったよ。ただ走ってただけだったのに。きっとバカだったんだな。いまもそんなに変わってないけど」
なにがおかしいのかも思い出せないが、あのときは走りながらケラケラ笑っていた。きっと姉にかまってもらえるだけで嬉しかったのだ。やがては六原一族の長としてすべてを取り仕切るはずの存在だった。自慢の姉だ。そのなつかしさだけでも、三郎は幸福な気持ちになれた。
だが次は負けない。
死ぬ気で特訓する。その気になれば、風だってあんなにいろいろ使えるのだ。三郎だって少しくらいはマネできるはずだ。
*
ニューオーダーへ行くと、入店するなり木下が駆け寄ってきた。
「ああ、よかった。無事だったんですね。私、もしかしたらって思っちゃって……」
クリップボードを抱きしめたまま、彼女は人目もはばからずに涙目で口元を抑えた。
まるで墓場から生き返ったみたいな扱いだ。
自分が生きていることをこんなに喜んでくれる人がいる。それは三郎にとって予想もしていなかった事態だった。
「ありがとう。この通りピンピンしてるよ。またよさそうな仕事があったら頼むよ」
「はいっ」
だが全員がこういうテンションではない。
三郎がビールをとってテーブルへ向かうと、杉下は顔をしかめた。
「おいおい、なんでそんなに元気なんだよ。見せ場もなくワンパンで沈んだ俺の立場は?」
杉下の顔と腕には火傷のあとが残っていた。そのうち消えそうな傷ではあるが。
三郎も渋い顔だ。
「いや、俺だって次はない。こんなのは一回こっきりだ」
「十億だもんな。羨ましいぜ。けどよ、あの雷野郎はなんなんだよ? ナンバーズってのは全員あんなにスゲーのか?」
「アレは特別だ。あんなの俺にも避けられない」
だが狙ったところに落雷させることができるのか、たまたま金属バットに落ちたのかは不明だ。
すると隣のテーブルからマリーと星も来た。
「あの青村ってのも気に食わないね。武器も使わず狙撃してくるなんて。次あったらケツの穴を二つにしてやる。ダブル穴太郎に改名させてやるわ」
青村の攻撃は麻痺だ。命中した部位を一時的に動かなくさせる。頭部に当たれば気を失う。一般的な青村の射程は二十メートルほどだが、放哉の攻撃は百メートル超から仕掛けられていた。やはり天才なのだろう。
星も身を乗り出した。
「六原さん、痛いところとかないの? もしアレだったら痛みのトぶヤツあるけど」
「いやいい。特に痛くない」
どうせ痛み以外もトぶヤツなんだろう。
ともあれ、アヤメの件は片付いた。あとはザ・ワンを殺し、姉を殺すだけだ。順序は逆になるかもしれないが。
一通り無事を確認し、三郎はいつものテーブルに戻った。
ペギーが待っていた。そしてスジャータの代わりに、背の高い黒人男性がいた。
「ずいぶんゴツくなったな」
「見ての通りスジャータじゃない。エイブラハム・P・サイードだ。何度も会ったよな?」
機構でペギーの上司だった男だ。
三郎はふっと笑った。
「ただのジョークだよ。それで? 仕事の依頼か?」
「いや、酒を飲みに来たんだ。仲間がふたりとも入院して、ペギーが寂しがってるだろうと思ってな」
サイードは真顔でジョークを言い、グラスのウイスキーをあおった。
ペギーはあきれ顔だ。
「誰も頼んでないのに。ああ、スジャータなら大丈夫。念のため船に帰しただけ。怪我をしてから、ちょっと様子がおかしかったから」
黒羽の薬の副作用だろう。ザ・ワンのウイルスにより、能力に覚醒する前兆だ。エーテルが希薄だった以前と異なり、いまや即座に発症するようになっている。
三郎はビールを一口やった。
「あの女が能力を身につけたら手に負えなくなるな。いまでさえかなりのものなのに」
「小さなころから訓練を受けてたからね。けど、検非違使の一班も凄かったよ。彼らも能力はないんでしょ?」
スジャータは投げナイフの白鑞金に完敗した。
その一班も、いまはこのバーの一角にいる。酒も飲まず、ただ武器の手入れをしながら。
三郎が気になるのは倉敷弓子だ。ひとたび始動すれば人の心を消し去る一個の殺人兵器のようだった。殺しに迷いがない。
サイードはしかし顔をしかめた。
「ああいうのは、どういう局面でも強いだろうな。知ってるか? 少し前から、能力を無効化するグレネードが出回ってる。アンチ・エーテルを含んだカプセルだそうだ。そいつを使われると、能力者はただの人間になる」
椎名もそんな話をしていた。
科学というのは、いつでも神秘の領域をハックしてきた。空を飛ぶ、電気を起こす、凍結させる、光を放つ――。その成果は、枚挙にいとまがない。
かつて巨人たちは、この世界に人間だけを残して姿を消した。火を起こすのが得意な人間ならば、神秘以外の方法で世界を発展させると確信したからだ。そして彼らの目論見は功を奏し、人は科学を発展さた。結果、いまや巨人さえ凌駕している。
特殊な能力をもつ個人が英雄となる時代は、あるいは神話の終焉とともに終わっていたのかもしれない。現代社会はその残滓をすすっているに過ぎない。強いのは科学。そして組織。そして金だ。
ただし原始的な暴力も、いまだに有効ではあった。組合は、その極北である。
(続く)