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新秩序 -New Order-  作者: 不覚たん
ゴッドリング編
22/67

空の器

 ややすると、ヒステリックに喚き散らしながら黒羽麗子が戻ってきた。

「信じられない。どうしてこんなことになるの? 話し合いで解決できないワケ? みんな類人猿にでもなったの?」

 同行しているナインは、さすがに困り顔だ。

「ま、実力組織なんてのはどこもこうだろう。そのための力なんだから」

「それ、どっちのこと言ってるの? 検非違使はともかく、黒羽は実力組織じゃないわ」

「似たようなものだろう」

「話にならないわね」

 麗子は憤慨しつつ椅子へ腰をおろし、それはそれは深い溜め息をついた。

 ナインは部屋の片隅にて無言の着席。完全にひとりの世界に入ってしまい、まるでロダンの「考える人」だ。

 事情を知らない三郎にとっては、ただ扱いづらいだけの雰囲気となった。空気を読まないという長所を活かすならいまだろう。

「で、婆さんはまだ生きてるのか?」

「ええ、生きてるわ。死んでなくてごめんなさいね」

「いや、謝るのはこっちのほうだ。仕事をミスったわけだからな」

「それで? もう元気になったワケ? だったらここから出ていっていいわよ。このままだと精神衛生上よくないから」

「そうするか」

 怪しい薬のおかげで、すでに左肩の穴は塞がっていた。寝ていても意味がない。

 スジャータは寒そうにガタガタ震えていたが、おそらく副作用によるものだろう。ペギーが付き添って看護している。

 診察台から降りると、ナインも立ち上がった。

「出るのか? 少し話をしないか」

「はっ? まあいいけど」

 ナインはこの場にいたくないだけだろう。三郎はしかし恩を売ってやることにした。ちょうど話し相手が欲しかったところだ。


 *


 ふたりは、図々しくも空中庭園へ向かった。

 部外者で、しかもこの騒動の発端だというのに。

 カフェは無人だったから、ことわりもなく席を使った。ウォーターサーバーからは水が出た。さすがにカフェだから水道水ではなかった。

「ビールでなくてすまない」

「気にするな」

 グラスには清冽な水が満ちていた。

 まだ夕刻ですらないのに、深夜のような暗さだ。カフェや庭園に非常灯はついているが、それ以外は漆黒であった。本当に浮いているように見える。

 しばしグラスの水をやってから、三郎から切り出した。

「あの三角ってヤツ、行かせてよかったのか? 神の子をどうこうするんだろ?」

「やむをえまい。まだこちらも準備が整っていないんだ」

「準備? あんなヤツ相手に、満足行く準備なんてできるのか? どこかで見切り発車しないと、いつまで経っても終わらないと思うぜ」

 この言葉に、ナインは顔をしかめた。

「君にしてはまともなことを言うな」

「もっと素直に褒めろ」

 ナインはしかし鼻で笑い飛ばし、こう続けた。

「実際にどうなるかは不明だが、主要国との交渉は進めている。主要国というか、おもにアメリカだが。彼らは意外と俺の話を聞いてくれてね」

「はっ? また大物ぶってるのか?」

「そうじゃない。もともとアメリカもそういう考えだったんだ。他界のあれこれについて世界で奪い合うより、協力して研究したほうが効率がいいからな。国際宇宙ステーションみたいなものだ。争い合っても費用が余計にかかるだけだし、そうなると税金を納めてる国民たちも納得しない。しかし協力すれば、費用は各国の分担になる。どうせ一国で研究したところで、その成果はすぐ流出してしまうんだからな」

「すまん。分からん。誰が得するんだ?」

「全員だ。金がかからなくて済む。その共同研究に機構もねじこんだ」

「けどガキを殺すんだろ? そのことについても納得したのか?」

 するとナインは遠方へ目をやった。ただ闇が広がっている。

「できれば生きたまま、という話だが。それが難しいことは誰もが理解している。いいか。あのまま神の子が解き放たれれば、間違いなく俺たちの世界に出てくる。そのときは、街がひとつ吹き飛ばされることになるんだ。特に大田区。あそこは穴が開きっぱなしだからな。最初に破壊されるのは東京だろうと言われている」

「俺のアパートが……」

「それだけじゃない。君の好きなアニメショップもメイド喫茶も、すべてが消えてなくなる」

「引っ越そうかな」

「違うだろう。止めるんだ、俺たちで。生け捕りなんて悠長なことは言っていられない」

「金は?」

「一千万払うと言っただろ」

「思ったんだが、黒羽麗子でさえ二千万なんだぜ? その親は五千万だ。一千万はやっぱ安すぎる気がするぞ」

 これにナインはやれやれと肩をすくめた。

「君は足し算しかできないのか? 引き算は?」

「はっ? 何桁の? 筆記用具があれば引き算くらいできるが?」

「いや実際に計算する必要はない。例え話だから。しかし考えてみてくれ。街が破壊されれば、君の契約しているアパートも消えてなくなるよな?」

「そりゃまあな」

「そして行きつけの店もすべて消し飛ぶ。それらすべてを算定してみろ。とんでもない被害額だぞ」

「それは俺が払う金じゃない」

「引っ越しにも金がかかるし、行った先での生活基盤も築かなくちゃならない。だいたい君は、まっとうな仕事に就けるのか? 組合もなくなるんだぞ?」

「そしたら地元で農家やるよ」

「アパートが壊れるということは、君の溜め込んだコレクションもすべて破壊されるんだぞ。録画した番組さえな。それらすべてを諦めて、無人の里に戻って農家をやるのか? 心の支えはあるのか? 東京が滅んだら、アニメなんて放送されなくなるんだぞ。毎日毎日、朝から晩までニュース番組だ。かといっって溜め込んだはずの録画は、そのときすで失われている。君はその生活に耐えられるのか?」

「ぐっ……」

 里にも無線は飛んでいるから、ネット環境はある。しかしだからといって、それですべての趣味を代替できるわけではなかった。農家をやるのは、もう少し老成してからでなければならない。

 三郎は声を絞り出した。

「オ、オンライン配信が……ある……」

「決済のシステムが生きていればいいな。あるいは配信元が生き延びていればな。それらの機能がどれだけ東京に集中していると思ってるんだ? すべてが失われるんだぞ」

「クソ、どうすれば……」

 懊悩する三郎に、ナインは微笑で応じた。

「簡単さ。戦うんだ。そのための友人もいる。俺たちナンバーズとなら、それも可能だ」

「ナンバーズ……」

「もう分かっただろう、ともに戦うべきだってことを。世界を守るんだ。べつに英雄になれって言ってるんじゃない。自分の生活を守ること、大事なものを守ること。そのための戦いだ。ひとりひとりの力は微力でも、みんなが自分たちの土地を守れば、おのずと世界も救われる」

「ああ、どうやらあんたの意見が正しいようだな。俺が間違ってたよ。目がさめた」

 じつのところ、神の子が東京に出てくるかどうかはまったくの未知数なのだが、そんなこと三郎には考えもつかなかった。口車に乗せられたと言っていい。

 神の子がザ・ワンの痕跡をたどれば、大田区に行き当たるのは間違いない。しかし妖精花園ようせいガーデンさえ作れる場所ならば、どこにでも巨大ワームを用意できるし、そいつで神の子を誘導することも可能だ。問題は、その妖精花園ようせいガーデンを作るにもかなりの資金と設備が要るということだが。少なくとも東京の復興よりははるかに低予算で済む。


 *


 その後、超越者は約束通り帰還用のワームを用意した。

 だから人間たちは無事戻れた。しかし庁舎は置き去りだ。微細なコントロールが効かないから、庁舎をもとの位置には戻せないと超越者は言う。確かに建物同士がぶつかれば大きな被害が出る。

 というわけで、検非違使は庁舎を失った。

 三郎の知ったことではないが。


 数日後、ナインの自宅マンションにふたたびナンバーズが集められた。参加したのはナイン、アベトモコ、そして六原三郎の三名のみ。ナインは完全に求心力を失っていた。

「哀しいことに、世界の歯車はときおりこうして噛み合わなくなる。俺たちの意思とは無関係にね」

「……」

 この虚しい演説に、三郎もトモコも返事さえできなかった。

 三角プシケは神の子の世話をしているから参加できない。しかしその他の面々は、仮に暇でも参加するわけがないのだ。またナインの正義感を強要されるのは分かりきっている。完全に自業自得だ。というより、呼んだら来ると思っている時点でナインもおかしい。もしかしたら彼は、じつのところ救いがたいバカなのかもしれない。

 彼はすでに会議をするつもりもないらしく、客のもてなしにシフトしていた。

「ベルギー製のチョコがある。食べたまえ」

 三郎はビール、トモコは緑茶を飲んでいた。そこへチョコレートをぶっこんでくるのだから、さすがのナインもやや動転しているようだった。

 しかしいい機会だ。三郎は皿に盛られたチョコをつまみ、こう尋ねた。

「なあ、トモコさんよ。エネルギーの壁を通過するとき、山野さんに会ったんだが。あれはなんだ? 夢なのか?」

 トモコは目を細め、茶をすすった。着物姿のオカッパだから、和人形のように見える。いやコケシだ。かつて三郎の実家にも飾られていた。

「夢ではないと思います。あそこには魂が集まっていますから。ただし、どれもカラの器です。私たちの記憶に反応して、一時的に人の形をとるに過ぎません」

「それはつまり……じゃあ俺が見た山野さんも、俺の記憶の産物ってことなのか?」

「おそらくは」

 父や母、それに妹は記憶の産物と言われても納得できる。三郎が幼少期に聞いたような言葉しか発しなかった。しかし山野は違う。やけに饒舌だったし、三郎の知らないことまで喋っていた。あれも妄想だというのだろうか。

「どうも組合の杉下ってのが、そいつらと会話しているみたいなんだが」

「ああ、杉下さんですか……。黒羽先生の投薬を受けて、早い段階から覚醒していましたね。けど、どうでしょう。あの人の場合、いろんなお薬を使ってますから……」

「じゃあやっぱイカレてるだけってことか」

 しかし気になることは気になる。このあと冷蔵庫にあるビールを飲むだけ飲んだら、組合に行って確認してみてもいい。


 *


 組合の経営するバー「ニューオーダー」は、いつもより賑わっていた。いや、実際には静まり返っていたが、頭数だけは普段より多かった。

 それもそのはず。庁舎を失った検非違使の一部が、なぜか当然のように居座っていたからだ。虎のマスクの川崎源三に、一班と二班。実行課のメンバーがフルで揃っている。

 三郎は特に用事もないから彼らをスルーし、カウンターでビールとつまみを買って杉下のテーブルへ向かった。

 杉下耕介は、幻聴と会話しながら金属バットを振りまくる危ない組合員だ。チームで動くこともあるが、大抵はひとりで飲んでいる。

「よう、少し時間あるか」

 三郎の言葉に、杉下は力なく顔をあげた。

「お、お前は……えーと……たしか、俺の親戚にお前のようなヤツはいなかったような気がするんだが」

「親戚じゃない。六原三郎だ。前に何度か会ったよな」

「思い出した。数秒ド忘れしてただけだ。で、なんだ? 仕事か? 俺はいま失意のどん底にいる」

 もともと神経質な性格で、愛想のいいほうではない。しかしいまの杉下はひときわやつれていた。なにかに取り憑かれたような顔で、目の下にはクマさえある。

「なにか問題が?」

「じつはだな……。いや、その前に、俺がカナコとの楽しいトークを生き甲斐にしてるのは知ってるよな?」

「お、おう……」

「たまに謎のおっさんが混ざってくるが、そいつにも慣れてきたところだ。おっさんはハムスターに変形する。そうするとカナコも笑うんだ。なにが面白いのか俺には分からないが……。だって意味不明だろ?」

「おう……」

 すると杉下はカッと目を見開いた。

「なのにだ! 最近、山野を名乗る脳味噌が、このトークに混ざって来やがる。興醒めだろ。ハムスターもおっさんに戻るレベルだ。しかもなんだか……難しいことを言ってきやがる。だいたいなんで脳味噌なんだよ。キモいだろ。俺はともかくカナコがさ……」

 山野が脳だけになった事実を、杉下は知らないということか。なのに脳だけで出て来るということは、やはり「会っている」のかもしれない。あるいはどこかで小耳に挟んだ情報が深層心理にあったか。

 三郎はミックスナッツをすすめた。

「まあ食ってくれ。それで、山野さんはなんて言ってるんだ?」

「基本的にキャバクラとビールがどうのって話だな。カナコの前でそういうこと言うのヤメて欲しいんだが。あ、あとアレだ。空が高いから屋根がどうとか……。ポエムなのか? 俺はねぇ、そういうの全然ダメなんだよ。小学校で俳句の宿題が出てさ、松尾芭蕉のをそのままパクったくらいなんだから。いや待てよ。そうなると俺が松尾芭蕉なのでは……」

 杉下が山野と会話をしている可能性は、ある。しかしまずは、杉下の言葉を翻訳する人間が必要だ。このままでは会話が成立しない。

 ふと、隣のテーブルから手招きされているのに気づいた。たまに杉下と仕事をしているマリーだ。同席には星もいる。渡りに船だ。

 三郎はナッツを置いたまま立ち上がった。

「ありがとう、杉下さん。また聞かせてくれ」

「松嶋や、ああ松嶋や、松嶋や……」

 聞いていない。

 しかもそれは松尾芭蕉の句ではない。


(続く)

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