点をつなぐもの
三郎が診察台でのたうっているそのころ――。
三角は一族の妖精を引き連れ、第一類管理ドームへ来ていた。
例の母子は地下の大空洞「セントラル・クレイドル」にいるはず。
到達する前から分かってはいたが、現場は惨憺たるありさまだった。
くびられる鶏のごとき絶叫を絞り出しているのは、かつて機構の教皇をしていた妖精であった。儀式を受けたため、いまは巨人だ。彼女は弓なりにのけぞって破裂しそうな腹を突き出し、ガリガリとコンクリート壁を掻いていた。爪はすでに剥がれ、血液が固まって指先は真っ黒になっている。
そして、かつて世話をしていた人間とおぼしきドス黒い染みがある。腐臭もひどい。暴れた教皇に巻き込まれ、すり潰されたのだろう。
あまりの光景に妖精たちが動揺し始めたが、三角はしいて毅然とした態度で歩を進めた。妖精たちは共感能力により意識を共有している。群れのリーダーたる三角が強い気持ちでいれば、その娘たちも従う。
例外は、共感能力を失った妹だけ。
その妹――黒いボロ布をまとった妖精が、地面の闇だまりからざばと這い出してきた。シュヴァルツだ。
「姉さん、なにしに来たの? こいつはもうムリだよ」
「そのようですね。しかし時間を稼ぐくらいはできるでしょう」
「殺したほうがいい」
「刺激すると殺されますよ。さがっていてください」
妖精たちは散開し、距離をとって教皇を取り囲んだ。近づけば殺される。適度な距離をたもちつつ、母子の怒りを鎮めねばならない。
他界には、淡く光る花がある。陽光の遮られたこの世界において、足元を照らすほぼ唯一の存在だ。貴重な花ではない。他の植物をことごとく駆逐し、地表を覆い尽くしている。しかし地下には存在しない。以前にいちど三角らが植えたが、すでに枯れてしまった。
三角は、その花の祝福をふたたびもたらそうとしている。白い花を手に、ひたすら祈りを捧げることで、母子の苦痛をやわらげようというのだ。
祈りといってもただのポーズではない。共感能力による直接的なマインドコントロールだ。それを周囲から一斉に浴びせる。教皇も妖精だから共感能力はある。花はエーテルを含んでいるから、テレパシーを増幅させる効果がある。
三角も含め、妖精たちはひざまずいて祈りを捧げた。効果はすぐに出た。まずは腹を突き破ろうとしていた神の子が暴れるのをやめた。すると教皇も苦痛から開放され、ぐったりとしなだれた。
穢れた精霊のために共感能力の薄いシュヴァルツには、参加できない作戦だ。彼女もそれを理解したらしく、つまらなそうな顔で足元の闇にずぶずぶと潜ってしまった。
だが、邪魔をしてこないだけいい。
問題は、この儀式の最中、妖精たちが無防備になることだ。いま襲撃を受ければなすすべがない。
*
同刻、保健部執務室――。
三郎は仰向けになったまま、じっと天井を見つめていた。痛みは引いた。おかげで冷静に思案できるようにもなってきた。
今回の作戦は完全に失敗だ。それも、かなりお膳立てをされた上での。
しかも惨めに敗北したのに、なぜか命を奪われていない。川崎源三は交戦禁止を宣言し、その通りになったというわけだ。あらがうことさえ叶わなかった。生殺与奪の権限を、敵陣が完全に掌握していた。
左手をぐーぱーしてみたが、急速に回復しているらしく、動作に違和感はなかった。じき動けそうだ。なんならこれから上へ行き、また挑んでもいい。軽くあしらわれてまた負けるだろうが。
ふと横になり、なにも置かれていないテーブルを発見した。少し前まで、そこには水槽が置かれており、山野の脳が浮いていたはずだ。いまやその水槽さえない。
「黒羽先生」
動かないパソコンの代わりに書類とにらめっこしている麗子へ、三郎は声をかけた。
「なに?」
「向こうからこっちにぶっ飛ばされる最中、山野さんに会った」
「ああ、エネルギーの壁の……。あそこを通過するとき、みんな死んだ人間と再会するみたいね。私も会ったわ」
「死んでたのかな、アレ。えらく普通に会話してたけど」
「そう見えただけでしょ」
麗子は振り返りもせず、物憂げに応じた。この会話を切り上げたいらしい。
三郎はしかし疑問を口にした。
「なあ、あの場所はなんなんだ? 魂が集まってるって言ってたけど」
「魂? 山野さんがそう言ったの? まあ、魂の存在を否定する証拠はないけど……。仮にあったとして……それがどうかしたの?」
「どうって言われるとアレだけど……。でも死んだ人間と会話できるってことだろ? 死後の世界があるってことじゃないのか?」
「ぜんぶ幻覚よ。夢みたいなものでしょ。あんなの、生きてる人間の記憶の産物よ。私たちの記憶にある言葉しか喋らない」
「そうかな。あの山野さん、俺より頭よかった気がするけど」
「気になるなら、その手の専門家に相談して頂戴。この業界にはありふれてるから。少なくとも私は力になれそうもないわね。科学的とは思えないもの」
「そうかよ」
陰陽庁という裏の省庁のがある。かつてアベトモコが業務を委託されていた。事故があってから、名草梅乃に担当が交代されたらしいが。その二人なら相談に乗ってくれるかもしれない。
あるいは、山野が言ったように、組合の杉下耕介に相談する手もある。しかし杉下は、どこからどう見ても常時ラリって幻聴と会話しているだけのヤバいヤツにしか見えなかった。果たして本当に死者と会話しているのだろうか。あの男はしょっちゅう妹と会話しているが、その妹はまだ死んでいなかったはずだ。
やはり夢だったのだろうか。
「いやー、参ったなホント……」
ぼやきながら椎名が入ってきた。
「あ、失礼します。ちょっと面会いいでしょうか?」
「あまり騒がないでね」
「はいはい」
麗子に釘を刺されたにもかかわらず、椎名は飄々(ひょうひょう)とやってきて、三郎の診察台の脇に腰をおろした。
「六原くん、怪我の具合はどう?」
「すぐ治る」
「そう。けど、ごめんね。こっちは停電でパソコンが止まっちゃって、もうお手上げでさ。サポートどころか、監視カメラの映像すら……あっ」
言ってから、ここに部外者の黒羽麗子がいることに気づいたのだろう。
麗子はしかし溜め息混じりに応じた。
「とっくに知ってるわよ。気にせず続けなさい」
「あら、そうですか。はい、じゃあ、まあ、そういうことで……」
椎名もいろいろ大変だったのか、疲弊して頭が回らないようだった。
「なにか問題でも起きたのか?」
三郎が先をうながすと、椎名は意味もなく小声になった。
「あのあと、黒羽の婆さんがひどく怒っちゃってさ。責任だの賠償だの言い始めて……。んで、うちの課長も気が短いから、なぜか逆ギレしやがってさ。そこから戦闘ですよ」
「はっ?」
「もちろんこっちの圧勝だったよ。で、いま婆さんたちは監禁されてる」
これに返事をしたのは麗子だった。
「それ本当なの!?」
「ええ、まあ、この目で見たので」
「なにやってんのよもうっ」
麗子は勢いよく立ち上がり、部屋を飛び出してしまった。ナインも無言で続いた。首を突っ込むべきタイミングだと思ったのだろう。
椎名は構わず続けた。
「けど厄介だぜ。ここの地下牢に監禁されたってことは、これ以上手が出せないってことなんだから。なにせあそこのガードは厳重だから」
「戦闘はどんな様子だったんだ?」
「どうもこうも、倉敷さんが一人でやったようなもんだよ。さすがに峰打ちだったみたいだけど。黒服がひとり下に落ちたから、たぶん死んでると思う。でもあとはみんな生きてるよ」
「マゴットは?」
「そういやずっとへたり込んでたな。体調でも悪かったのかな」
黒羽陣営はさしたる脅威ではなかったということだ。つまり三郎たちは、検非違使に敗北したのだ。
三郎は腹の底から息を吐いた。
「あの倉敷って女、なんであんなに強いんだ? 前からああだったワケじゃないんだろ?」
これに椎名は表情を渋くした。
「あー、その話ね。そもそも倉敷さんがここで働いてるのって、お父さんが原因なんだよね。以前は特殊課の課長だった人なんだけど……。機構に重要機密を流したのがバレて、例の地下牢に監禁されてさ。いろいろあった末、父親の殺処分を延期する代わりに娘が働くことになって……」
三郎もさすがに察した。
「なのに、親父は殺されちまったってことか……」
「いやー、それがさ……。自殺だったんだよね。娘にそんな仕事やらせたくないとか言って……。遺書までのこしてて……。それからだな、倉敷さんがああなったの」
「辞めなかったのか?」
「そうすることもできたはずなんだけどね。足を犠牲にしてまで助けようとした父親が自殺じゃあな……」
麗子が秘密にしていた理由が分かった。さすがに部外者がヒソヒソやっていい話じゃない。椎名は倫理観に怪しいところがあるから、それでも平気な様子だが。
しかし倫理観なら三郎も負けてない。
「ま、結局、向いてたってことだろうな。あれだけ強いんだ。ほかの仕事をやらせておくのは惜しい」
「でも俺らの仕事って人殺しだけじゃないからさ。事務仕事もあるし。あの子、そっちが全然なんだよなぁ」
「どうせパソコン使って悪いことしてるだけだろ」
「同僚のパソコンにウイルスを仕込んだりね」
「面白いジョークだな」
「うむ」
椎名はやや苦い表情でなずき、立ち上がった。
「ま、とにかくこの作戦はいったん休止ということで。課長にバレたら今度こそクビにされそうだし」
「今度こそ? 前もなにかやらかしたのか?」
「いやー、撃った弾が偶然味方に当たっちゃってさ……。でもわざとじゃないよ? ちゃんと生きてるし。いまも一緒に仕事してる」
「そ、そうか……」
それはクビにしたほうがみんなのためであろう。
椎名が保健室を出ると、三人だけになった。
部屋がしんと静まり返ると、さきほどからずっとスジャータの頭をなでていたペギーが誰にともなく言った。
「亡くなった倉敷さんのことは、私も聞いたことあるよ。重要機密を流してたって話、たぶんザ・ワンの細胞のことだと思う」
「そういやあんた、機構の人間だったな」
「所属だけね。けど倉敷さん……お父さんのほうね、彼はお金のために検非違使を裏切るような人じゃないよ」
「というと?」
「何年か前、南の島で妖精の問題が起きたのは知ってるよね? 妖精が溢れ出して、島全体が占拠された事故。あのとき結構な被害が出たらしくてね。直接の原因は、研究内容が無茶だったせいなんだけど……。なぜ無茶をしたのかというと、研究すべき対象を、検非違使が独占してたからなんだよね。倉敷さんは、だからみんなが公然と研究するべきだって考えてて……。ああいう事故をなくそうとして、それでサンプルを流してたんだ」
「でも機密だったんだろ?」
「そう。それで処罰の対象になった。その後どうなったのか私も知らなかったけど、まさかこんなことになってたなんてね……」
正義感で命を落としたというわけだ。
どこかの脳味噌も似たような死に方をした。なかば自業自得である。
三郎は、しかし軽蔑しているわけではない。自己の命をどう使うかは、その人間の意思ひとつだ。命を天秤にかけさえすれば、ルールや常識だって超えることができる。止めるには力を用いるしかない。これはいいとか悪いとかの話ではない。物理的な話だ。
ペギーはふっと笑った。
「知ってる? あのときうちに来たザ・ワンの細胞、私の心臓に移植されたんだ」
「じゃああんた、ザ・ワンなのか?」
「ううん。半分妖精になっただけ。でもいまなんて、そこら中の人が能力に目覚めてるよね。たんにエーテル量の問題だったのかも。超越者も言ってた通り、私たちの世界にもだいぶエーテルが満ちてるらしいから」
「強いヤツが増えるな」
能力のない弓子にさえ負けたのだ。三郎の能力が埋もれる時代が来るかもしれない。ならば、いまのうちに思う存分力を発揮しておいたほうがいい。これしか取り柄がないのに、他人に追い越されてしまうのであればなおさらだ。
(続く)