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新秩序 -New Order-  作者: 不覚たん
ゴッドリング編
19/67

イレギュラー 前編

 春の昼下がりの薄っすらと白い曇空は、どこか茫洋としている。世界そのものが夢に包まれているような気配だ。

 これから始まるのは黒羽アヤメの暗殺計画。

 備品に偽装して空中庭園に侵入できるのは三名まで。これは三郎、ペギー、スジャータが担当することになった。三角プシケとナインはナンバーズとして正式に訪問し、偶然その場に居合わせるという筋書き。


 十四時二分。

 プロペラ音を響かせながら、ヘリコプターが庁舎のヘリポートに降り立った。出迎えたのは検非違使の面々。

 ステアが設置され、先に屈強な黒服が降りた。続いて姿を現した黒羽アヤメはしわだらけの仏頂面で、黒服にエスコートされながら大義そうにステアを降りた。さらに二人の黒服が続き、最後に刈込鋏を手にしたマゴットも降りてきた。

「ご足労いただき恐縮です」

 羽織った検非違使のコートを強風にはためかせながら、虎のマスクの男が頭をさげた。実行課課長の川崎源三だ。


 同刻、実行課オフィス――。

 椎名九太郎はエナジードリンクをがぶ飲みしつつ、パソコンに食らいついていた。

 課長と一班はアヤメとの打ち合わせに参加している。班長の川崎宗司には、長話で有名な業者との打ち合わせをぶつけておいた。鵜飼真彦は完全に気を抜いてエロ画像をあさっている。

 いまこのオフィスで、椎名はノーマークだった。

 監視カメラはすべてコントロール下にある。空中庭園に備品が搬入されたのも確認できた。黒羽アヤメがヘリで到着したのも分かった。倉庫に入った人間もいない。ナインと三角プシケは保健部へ向かい、黒羽麗子を足止めしている。

 すべての監視カメラを一人で追うことはできないが、いまのところ異常は起きていないように見える。

 計画通りと言っていい。

「うわ、椎名さんこれ観てくれよ。このケツ! どうやったらこんなぷりっぷりになるんだよ!」

 興奮した鵜飼からエロ動画のURLが送られてきた。

「鵜飼くん、あとにして」

「はっ? いやいや。誰もいないのに、まさか仕事してるフリっすか? それともまたネットでケンカしてんの?」

「いや所用でね」

「なんなの所用って! いいから観てよ! これマジいいケツしてっから!」

「分かったようるせーな」

 椎名は画面右下のメッセージをそのまま閉じた。エロ動画などを鑑賞している場合ではない。また同じことをしてくるようなら、鵜飼のPCをクラッシュさせねばならないだろう。不確定要素は可能な限り排除すべきだ。

「いやー、これマジでいいケツしてるわ。ガキのころは乳にしか興味なかったけど、大人になるとケツに目が行くってホントだな」

「……」

「しかも健康的な褐色肌だぜ。そういや組合にペギーってのがいたけど、アレもいい女だよなあ。なんであんなのが組合員やってんだろ。一発ヤらしてくんねーかな」

「……」

「あ、でも椎名さんロリコンだからなあ。ああいう女には興味ないんじゃない?」

「ロリコンではない」

「え、アニヲタのロリコンでしょ? 悪い意味じゃなく」

「じゃあどういう意味なんだよ。アニヲタではあるが、ロリコンではないわい」

「またまたー。じゃあロリっぽい子も探してみましょうか? さっきそれっぽいサムネ見かけた気がするんだよね。あ、もちろん女優は十八歳以上っすよ」

「……」

 これ以上は相手をしていられない。

 椎名は、鵜飼のPCにあらかじめ仕込んでおいたプログラムを起動させ、容赦なくクラッシュさせた。

「えーと、確か検索ワードがね……。あれ、キーボードが反応しねぇ。固まっちまったのかな。はっ? ブラウザ落ちたんだけど? っていうか、なんか青い画面出たんだけど? なにこれ? 完全にバグったっぽい……」

「怪しいの踏んじゃったんじゃないの? リカバリCDが資料室にあったよ」

「そのCD使ったら直るの?」

「前にそれで直したよ。俺の管理してる棚に入ってるから、それ使って」

「マジかぁー」

 鵜飼はしょぼくれた顔で席を立ち、部屋を出ていった。

「毎秒忖度しろ」

 椎名の口からは安堵の溜め息とともに、びょーどーちゃんの名ゼリフが出た。

 これで邪魔者はいなくなった。思う存分サポートに専念できる。


 同刻、保健部執務室――。

 アポイントもナシの訪問者に、黒羽麗子は強い警戒をおぼえていた。客人はナインと三角プシケ。つい先日、殺し合いにまで発展しそうになった相手だ。それが母の来庁に合わせてやってきた。なにかあるとしか思えない。

「ナインさん、用件はなんなの? 私、いま忙しいんだけど」

「報告、連絡、相談を徹底しようと思ってね。それで山野くんの遺体……というか脳はどう処理したんだ?」

「アメリカと機構に半分ずつ売ったわよ」

「半部ずつ? 彼らはそれで納得したのか?」

「してないわ。けどイッコまるまるとは言ってなかったし、文句を言われる筋合いもないでしょ。返金するつもりもないし。例の口座に振り込んでおくから、妹さんに送金しておいて」

「分かった」

 ナインは事務的な態度でうなずき、しかしそれきり話題を発展させることもなかった。もちろん三角プシケも無言。

 麗子はうんざりと溜め息をついた。

「それより、私になにか言うことはないの?」

「なにか、とは?」

「こないだの会議よ。小学生だってごめんなさいくらいはできると思うんだけど」

「謝罪するつもりはない。神の子の排除は急務だ。一部の連中が金を稼ぐために、一般市民に被害を出すわけにはいかないからな」

「そのセリフ、利権を手放す前に言えてたらカッコよかったわね」

「当事者には難しいこともある」

 ナインはあくまでシラを切り通すつもりらしい。

 麗子はコーヒーをすすり、足を組み替えた。

「それで? 今日は母になにをするつもりなの?」

 見え透いているのだ。このタイミングで偶然来庁しましたなどという話が通じるはずがない。重要な用件でもあるならともかく。

 ナインが肩をすくめてごまかすような演技をした直後、三角プシケがバカ正直に応じた。

「彼女には死んでもらいます」

「……」

 当然、こうなる。質問されれば答えるのだ。情報戦には向いていない。


 同刻、空中庭園――。

 ダンボールの中はクソ狭い。

 小柄なスジャータにはいいかもしれない。しかしあまり大柄でないとはいえ、成人男性の三郎には窮屈極まりなかった。さっきからずっと首の角度が落ち着かない。

 しかもまっくらだから、なにもすることがなくて暇すぎる。

 外は見えない。音は聞こえるから、会議が始まればすぐに分かるはずだが。

 最初に飛び出すのは三郎ということになっている。おそらく老婆は一人きりだろうから、標的を見間違えることはないだろう。問題は、黒羽の私兵をどうにかできるかという点と、アンチ・エーテルが使われた場合の対処だ。

 結局、深海デプスの使用は断念した。

 妖精の近くで大量の深海デプスを散布すると、ワーム化の危険性があるというのだ。妖精がワームとなれば、そこが他界とつながってしまう。なにが起きるかは誰にも保証できない。

 それに、あまりに大量のエーテルをそこに置いておくとエーテル反応が出てしまう。黒羽が検知器を持ち込んでいた場合、それで怪しまれる。半妖のペギーでさえギリギリといったところだ。

 もしアンチ・エーテルが使用された場合、黒羽陣営も能力の制限を受ける。そのときはペギーの拳銃か、スジャータの毒針で対処する。

 もしアンチ・エーテルが使用されなかった場合、三郎が全員切り裂いてバラすことになる。

 殺処分後の計画も決まっている。あらかじめ空中庭園に搬入されていた煙幕弾が次々と暴発し、全員の視界を奪う。視界防護のためのゴーグルは三人とも所持しているから、同じく見えないにしても先手はとれるはずだ。逃走経路はすでに指定されている。三人が逃げ出すと、次々と隔壁が閉じて追跡を妨害する手はずだ。

 本当に危ない場合、ナインと三角プシケが偶然を装って妨害に入る。

 これら一連の妨害工作は海外からのクラッキングということになっている。システム異常についてはログも残らないし、監視カメラの記憶もすべてがオシャカになる予定だ。

 もちろん状況証拠までは消せないから、これですべてが完璧というわけではない。しかし目的は達成できる。イレギュラーさえ起こらなければ。


 *


 十四時七分。

 そのイレギュラーが発生した。


 検非違使を先頭に、黒羽アヤメらが渡り廊下を移動している最中のことだ。景色が暗転し、空が群青の海に包まれた。

 なにが起きたのかは――当事者たちには理解さえできなかった。

 だがこの経験が初めてでないものもいる。

 他界へ移動するとき、必ず通過することになるエネルギーの壁だ。それは人の意識の海でもある。


 *


 三郎は青い海に浮いていた。

 しかし浮遊感のようなものはない。そこが定位置とばかりに空中に置かれている。移動はできる。慣性がない。

 この世界の中央には、胎児のような巨大生物もいた。それがザ・ワンなのか、あるいは神の子なのかまでは分からないが。周囲には、大勢の人間が虚ろな表情で浮いていた。

「サブちゃん、ご飯よ。手を洗ってきなさい」

 唐突に声をかけられ、三郎はぎょっとした。

 姉かと思った。が、違う。母だ。しかし三郎のよく知る母の表情ではない。どこも見ていない、虚ろな人形のような物体だ。

 父もいた。

「三郎、また瑠璃子を叩いたのか」

「いや、違う……」

「お兄ちゃんのばかー」

 瑠璃子もいた。

 まだ幼くて、小学校にもあがっていない妹だ。彼女も、しかし目が虚ろだった。

 脳味噌がすーっと寄ってきた。

「あーそれね、ほとんどロボットみたいなものだから気にしないほうがいいよ。気にしてたらキリがない」

 唐突にファニーなやつが来た。

「はっ? えっ? 山野さんか?」

「よく分かったな。ちょっと痩せたと思うんだけど」

「……」

 痩せるもなにも、これまで三郎が会った人間で、こうして脳味噌だけでぷらぷらしていたのは山野だけだ。

「たぶんここ、死後の世界だと思うんだよね……。いや死後というより、動物が死んだあとに行くところ? まあ死後だな。けどそうじゃなくて……。俺たちに魂があるとして、その魂がストックされてるところ。人間以外もいるよ。スクリーマーもね。けど自分に縁のあるやつ以外、そんなに寄ってこないから安心してくれ」

「おう」

 となると、さっきからやたら足元になついてくる目の虚ろなヤギは、三郎が一時期彼女にしていたヤギということだ。

 山野は首をかしげるように脳を揺らした。

「つーか、なんでここにいるの? まさか深海デプスでもやった?」

「いや、それが分からないんだ。黒羽アヤメを殺ろうと思ってダンボールの中に隠れてたら、いきなりここに飛ばされてな。てことは俺も死んだのか?」

「いや、きっと誰かがワームを使ったんだろう。さっき大量の検非違使が通過していったから。肉体が他界に飛ばされてる最中に、意識だけここに寄ったって感じかな」

「誰がこれを?」

「知らないよ。俺はそっちの状況をよく知らないか――」

 山野の声が遠のいてきた。

 短い再会だったが、早くも別れのときかもしれない。

 山野は声を張った。

「もし必要なら組合の杉下くんに相談してくれ。彼は俺たちと会話できるから」

「はっ?」


 *


 次に気がつくと、三郎はダンボールの中にいた。

 だがあれが夢でないことは分かる。コソコソ隠れるのはやめて、フタを開いて外に出た。

 まだ昼だったはずなのに、空は薄暗かった。

 他界だ。

 どうやら庁舎まるごと飛ばされたらしい。

 はるか遠くの空では、戦闘機が空中戦を繰り広げていた。国連軍は撤退したというのに、小国が一発逆転を狙って果敢にも戦闘を継続しているようだ。しかしこの辺りの空は、まだ青き夜の妖精の支配下だった。黒い屋根に覆われ、日光を遮られたままだ。


 空中庭園は、その名の通り花々の咲き乱れる美しいフィールドであった。中央にカフェがある。それと、様々な部署が無断で置きっぱなしにしている荷物が。

 三百六十度をドーナツ状のビルに囲まれているから、地平の様子は見えない。

 川崎源三が庭園に駆け込んできた。

「む? なぜ貴様がここに……」

「事情はあとで説明する。というより、むしろそっちが事情を説明してくれ」

「知るか。お前こそ説明しろ」

「誰かがワームでも使ったんだろ」

 やがてペギーもスジャータもダンボールから出てきた。三角プシケも飛翔してきて、ふわりと庭園へ降り立った。

「どうやら呼ばれたようですね」

 源三が顔をしかめた。

「呼んだ覚えはない。今日は大事な打ち合わせだったんだぞ。どうしてくれるんだ」

「いえ、あなたではなく、彼にですよ」

「む?」

 虚空の闇がガバリと開き、巨大な眼球が姿を現した。

 超越者だ。

 他界を観察し続けた巨人の生き残り。眼球だけなのは、本人いわく「省エネ」とのことだ。ぬらぬらした球体で、毛細血管までよく見える。

「礼を失したな、人間たち。急いていたせいで、余計なものまで巻き込んでしまったようだ」

 これに返事をしたのは源三だ。

「余計とはなんだ、余計とは。いったいどんな用件で、どいつに用があったんだ?」

「神の子が生まれる。母の腹を突き破ってな。そのために妖精の長を呼ぼうとしたのだが、少しばかり調整をしくじったようだ」

「これが少し……?」

「そちらの世界のエーテル濃度が想像以上に高まっているようでな」

 だが問題はそこではない。

 神の子が、いままさに誕生しようとしている。

 三角プシケは背面からエーテルを噴いて飛び上がり、超越者の周囲を旋回し始めた。

「神の子をどうすれば?」

「アレはあまりに強い。心も満ちぬままに生まれてしまえば、過去に類を見ぬ大災厄をもたらすことになるだろう。妖精たちで怒りを鎮めてほしいのだ」

「世話をしていた人間たちは?」

「すべて死んだ。母体も長くはもたぬ。力を貸して欲しい」

「いいでしょう。娘たちとともに向かいます」

 すると眼球は、キョロリと向きを変えた。

「と、いうわけだ人間たち。しばらくしたら帰り道を用意する。それまでおとなしく待っていてくれ」

 目を閉じたかと思うと、超越者はそのまま暗闇にまぎれて消えてしまった。

 三角プシケは飛び去った。

 残された人間たちは、呆然とその光を見つめることしかできなかった。


(続く)

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