灰の紳士
数日後、三郎がひとりでニューオーダーにいると、キャサリンが近づいてきた。いつもの余裕ぶった表情ではなく、どこか切羽詰まった様子で。
嫌な予感をおぼえた三郎はビールを飲みつつ顔をそむけたのだが、彼女は構わず対面に腰をおろした。
「ちょっと相談に乗ってもらえる?」
「やめろ。どうせ面白くない話だろ」
キャサリンがナッツに手を伸ばしてきたので、三郎は皿ごと引き寄せた。
「なによケチね」
「そうだよ。俺はケチなんだ。どうせいい話じゃないんだろ?」
「それは考えようによるわ。私にとっては面倒でしかないけど……。でも、あなたは私に協力することになってるでしょ? 話くらいは聞きなさいよね」
「じゃあ言うだけ言ってくれ。受け入れるかどうかはアレだが……」
三郎は皿を戻してやったが、キャサリンはもう手を付けなかった。
「あなたには、いまからナインさんのマンションに向かって欲しいの」
「はっ?」
「話があるそうよ」
「内容は?」
ナインを消せという話であれば、金額によっては受けてもいい。しかし話をしてこいとは。
キャサリンは露骨に溜め息をついた。
「例のブラックアウトの件でしょ。それに、お姉さんの件も」
「なんで機構のあんたがそれを言ってくるんだよ。またナンバーズと手を組んだのか?」
「行けば分かるわ」
「いいか。なるべくあんたに協力するつもりではいる。けど、俺は機構の所属になったわけじゃない。なんでもハイハイ聞くってわけじゃないぜ」
するとキャサリン、顔をしかめて口をへの字にした。
「あんた、よくそんなこと言えるわね。ここで木下さんと楽しくお喋りしてるの、見逃してあげてるでしょ? 気づいてないとでも思ってるの? 少しでも恩を感じてるなら素直に行きなさいよ」
「はい」
まったくもって彼女の言う通りだ。先に提示されたルールを破り、木下とはかなりの頻度で会話している。いまキャサリンに逆らえば、数少ない生き甲斐を失うことになる。
*
ニューオーダーを飛び出した三郎は、すぐさまナインのマンションへ急行した。
「入りたまえ。みんな待ってる」
「みんな?」
促されるままリビングへ向かうと、そこにはナンバーズのメンバーが待ち構えていた。もちろんフルメンバーではないが。
そもそも三郎はナンバーズではない。そして本来いるはずの姉の姿がない。
ナンバーズは全部でワンからサーティーンまである。とはいえ、すでにザ・ワンはこの世におらず、フォーも老衰で欠番になったばかり。シックスとトゥエルヴは欠席。
ナインはソファに腰をおろし、乱れてもいないネクタイを整えた。
「これで揃ったな。緊急事態につき、通常の手順を踏んでいる余裕がなかった。ご理解願いたい」
「その前に、この部外者は呼ぶ必要があったのか?」
見たこともない老婆が三郎を睨みつけた。
三郎に言わせれば「お前こそ誰だよ」といったところだが。しかしこうして容姿をコロコロ変えるのは、死体から死体に乗り換えるファイヴ以外にない。となれば、確かに部外者は三郎だけだった。
ナインは盛大に嘆息した。
「彼はシックスの代理だ」
「承認したおぼえはないが」
「言っただろう。緊急事態だと」
「貴様にはほとほとうんざりするわ。いつもいつも好き勝手にナンバーズを使いおって。この形骸化したサークル活動は、貴様の仲良しグループではないのだぞ」
だが次の瞬間、ファイヴの右肘から先が灰となって崩れ落ちた。赤黒く、鮮度の落ちたマグロのような切断面だ。そこから血液がビュルビュルと噴出し、床の灰を醜く汚し始めた。ファイヴはなにが起きたのか理解もできず、目をパチクリさせた。
ナインはいつになく鋭い眼光を見せた。
「黙って聞け。この場で灰にするぞ」
「正気か貴様……」
「いいか、理解しろ。これは緊急事態だ。俺も紳士的な態度で通すつもりはない。協力すれば報酬を出す。ひとりあたり一千万」
「桁がひとつ足りぬのではないか?」
「次はどこを灰にして欲しいんだ、五番目の友人よ」
「ふん。それで? 最後はここにいる全員が灰になるのか? そうまでして貴様が成し遂げたいことはなんなのだ?」
さすがのファイヴも折れた。
三角が使うかと言わんばかりに腕を差し出したが、ファイヴはかぶりを振って追い払った。
ナインは息を吸い、静かにこう告げた。
「目標はシンプルだ。俺たち全員で協力し、神の子を殺す」
「……」
もともとナンバーズはザ・ワンを独占的に管理し、その利権をすすることで成立してきた組織だ。なのに、そのザ・ワンに代わりうる存在を殺害するというのだから、誰もが閉口した。
ここのところ疲弊していた麗子も、さすがに顔をあげた。
「ナインさん、あなた、自分がなにを言ってるか分かってるの? 神の子を殺す? 理解できないわ」
「あれは争いの火種でしかない。もはや不要だ」
「不要って……。いまや世界各国がアレを狙ってるのよ? もし殺しでもしたら、全世界を敵に回すわよ?」
「もしこれで敵に回るような世界なら、いくらでも戦ってやる。いいか、俺たちはザ・ワンを見守ってきた。終わらせる責任もある」
これには巫女服の女が嘆息した。ナンバーズ・テン。卜筮長の名草梅乃だ。
「さすがに付き合いきれませんね。ザ・ワンに絡むすべての業務は、すでに出雲に移管されたはず。つまりは私たちの手を離れたのです。責任を感じるのは勝手ですが、ナンバーズを巻き込むのは筋違いでは」
「一理ある。しかし出雲も巻き込む。連帯責任だ」
「いったいなんの責任です?」
「俺たちは金のために世界を犠牲にしてきた。そのツケを全員で払うときだ」
「冷静な案とは思えませんね。賛同できません」
「恥だとは思わないのか? 神の子は、いまやテロリストの標的にされているんだぞ? しかも、このナンバーズから協力者まで出している」
ナインの固執ぶりは異常であった。ポケットマネーをつかって自分を窮地へ追い込もうとする愚者にしか見えない。
するとナンバーズ・イレヴン――左衛士の猪苗代湖南が、マネキンのような無表情で反論した。
「テロリストの相手をするのは、それこそ警察の仕事では?」
「これは警察の手に負える仕事じゃない。それに今回、なぜか警察の動きが鈍い。どうせまた誰かが裏で工作してるんだろうがね」
しかし警察に圧力をかけるとなると、それこそ手に負えない相手ということになる。
三郎もあきれて肩をすくめた。
「俺も手伝えないぜ。機構に手を貸すことになってるからな」
「君は誰に言われてここへ来たんだ? 機構だろう? 彼らは俺の作戦に合意してくれたぞ」
「いや、でも……本当に? あいつら、神を信仰してるんだろ? 神の子を殺してなにかメリットがあるのか?」
「とにかく合意したんだ。ある種の条件付きではあるがね。まあその話はあとでする」
「いいのか? 神ってのは、殺して使うより、生かしたままのほうが金になると思うが」
するとナインはソファにもたれかかり、どっと息を吐いた。
「金、金、金……。金の話は最初に終わらせたはずだ。いいか、君たちに拒否権はない。もし拒否すれば命と一千万を同時に失うことになるぞ」
これを鼻で笑ったのは情報屋。蛇の一族。耳目長。ナンバーズ・セヴンだ。
「えらく強気ね、ナインさん。自分がぶち殺される可能性は考えないワケ? どう考えても、あんたひとりでここにいる全員を相手にできるとは思えないんだけど?」
三白眼の目を細め、蛇のようにチロチロと舌を出した。
というより、この場にアベトモコがいる限り戦いの結末は見えている。誰も彼女には勝てない。
だがナインは、フッと犬歯を見せて笑った。
「言っておくが、トモコくんは俺の側についたぞ。もちろん彼女は流血など望んではいないがね。しかし、それだけに今回の作戦には乗り気だ。神の子との戦いは、流血を阻止するための戦いなのだからな」
脅威的な能力を有しているとはいえ、トモコはまだ十代の少女だ。口の達者なナインに懐柔される可能性は十分にあった。いや、そもそもナインとトモコは思想的に近い。懐柔などせずともこうなっていたかもしれない。
麗子が頭を抱えつつも、なんとか声を絞り出した。
「いま私たちがそこまでする必要が?」
「その言葉はどのタイミングでも出る。俺たちは、この問題をずっと先送りにしてきた。そろそろ終わりにすべきだ」
「正義に燃えるのはいいけど、あなたの言う通りにしたらみんな死ぬわよ? あなたの望む結果を得られないままにね」
「君が恐れているのは神の子か? それともアメリカか? ロシアか? 中国か? それともこの国で暗躍している一部の老人たちか? いずれにせよ、人間が相手なら説得できる」
麗子がガバリと顔をあげた。
「できる? あなたいまできるって言ったの? 世界の国々を説得できるって? だったらいますぐ世界中の紛争を止めてみなさいよ。できるの? 無理でしょう? 何様のつもりなのよ。もっとリアリストだと思ってたわ。あんまり失望させないで」
「イージスの研究なら人間だけでもできる。事実、各国は他界から撤退しつつあるじゃないか」
「神の子は特別よ。各国が撤退してるのは、誰もアレに手を出せないって判断したからでしょう? 抜け駆けなんてしたら、集中攻撃されるに決まってるわ」
するとこれまで無言だった岩のような男が、野太い声を出した。
「なんにせよ、だ。いますぐ結論を出す必要があるのか? ないのなら、一度持ち帰って検討したいんだがな」
修験者のような格好の大男だ。鴉。断罪長。ナンバーズ・エイトの八雲。
ナインはしかし首を縦には振らなかった。
「全員に、いまこの場で合意してもらう。合意できなければ灰となる。ほかに選択肢はない」
麗子がバンとテーブルを叩き、立ち上がった。
「合意できないわ。だいいち、あなたと違って、ほとんどのメンバーは一族を代表してここにいるのよ。いきなり集められてこの場で合意しろだなんて、無理に決まってるでしょ?」
「座りたまえ」
「なに? 殺すの? 好きにすれば? こんなの納得いかない。私、帰らせてもらうから」
一方的にそう告げ、麗子は部屋を出ていってしまった。
ナインはしかし動かず。アベトモコも動かなかった。
つまり、麗子は合意もしていないのに、生きたままこの部屋を出ることができたというわけだ。
唖然としたのはファイヴだ。
「出て行ったぞ。殺さんのか」
「ただの脅しに決まってるだろう」
「だが我の右腕は……」
「それは話を聞かないからだ。いいだろう、どうせまた別の体に入るんだから。しかし全員に合意してもらうつもりでいるのは本当だ」
すると今度は、セヴンが腰をあげた。
「バカバカしい。時間のムダよ。アタシも帰らせてもらうわ」
とは言ったものの、セヴンは本当に殺されないか慎重に確認しながら、じりじりと玄関へと向かった。さすがに用心深い。
ナインもトモコも、もちろん手を出さない。
帰ろうと思えば帰れる雰囲気だ。
続いて三郎も立ち上がり、しかし冷蔵庫からバドワイザーの瓶をひとつ取ってソファへ戻った。
「もらうぞ」
「帰らないのか」
さすがのナインも苦い笑みだ。
「俺は機構の仕事をする。その機構がナンバーズの仕事をしろって言うんなら、手を貸してやってもいい。額も悪くないしな」
しかしその後、部屋にいたものたちは次々と帰っていった。
八雲は東北に拠点をおいているから、まずは地域の仲間たちに話を通さなければならない。陰陽庁に所属する名草梅乃も、やはり独断では動けない。ファイヴは不満そうな顔で、湖南は無言のまま帰っていった。
結局、ナインとトモコのほかは、三郎と三角しか残らなかった。
「あんたは帰らないのか?」
三郎の問いに、三角は小首をかしげた。
「少し確認したいことがあるので」
ナンバーズ・スリー。妖精長。輝くような金髪の、青い瞳の少女だ。
彼女はソファから立ち上がると、やわらかな裸足で床を踏みながらナインの前に立った。そのガラス玉のような瞳は、まっすぐにナインを捉えていた。
「ナインさん、今回の話……神の子を殺すというのは、いつ実行するつもりでいるのです?」
「可能な限り早く、だ。準備が整い次第やる」
ナインはそう応じたものの、どこかバツが悪そうだ。
三角はさらに問うた。
「子供はまだ母の胎内にいます。それでもやるのですか?」
「……そうだ」
「つまりは母も殺すと」
「だが分かってくれ。必要な犠牲だ」
「ええ。協力しますよ、ナインさん。あなたが望むなら」
そっと手を伸ばし、白い手でナインの頬に触れた。
約百年前――。まだナンバーズが誕生する以前のこと。
能力者たちがザ・ワンと交戦するさなか、ナインとプシケは出会った。
あの戦いの激しさは、いまでもふたりの脳裏に鮮烈に焼き付いてる。圧倒的な破壊のエネルギー、炎上する街、横たわる大量の死骸、溢れ出す血液――。ザ・ワンの強さは並外れていた。戦いに巻き込まれてしまったものたちは、もはや退くことさえかなわず、生き延びるためには勝利するしかない状況だった。
彼らは互いに言葉を交わすこともなく、ただ目前の大災厄と対峙し、自己の生存をかけて共闘した。そして必死の応戦の末、奇跡的にザ・ワンを戦闘不能に追い込んだ。
そして戦いののち――。
焼け野原を前に、プシケはただ立ち尽くしていた。妖精は人類と言語を共有していなかったから、周りの誰とも戦いの喜びを分かち合うことができなかったのだ。そんな彼女に、ナインは言葉を教えた。最初の言葉は「三角」。プシケが棒切れで地面に書いた三角形を、ナインは名前として与えたのだ。
以来、プシケは三角となった。
結局のところ、ナインの作戦に合意したのは三郎と三角だけであった。しかしナインが本気であることだけは全員に伝わったはずだ。それがどう判断されるかは各々の裁量に委ねられるにせよ、だ。
(続く)