ブラックアウト
仕事を終えてバンに戻ると、すでに午前二時を回っていた。
重要人物と目された陳禄山は、まだ事件さえ起こしていないのに死んだ。のみならず、ビルにいた連中は全員死んだ。
三郎はどっと座席へ身をあずけ、窓の外へ目を向けた。冬の夜はいちいち重苦しい。息がかかって窓ガラスが白く曇った。
一子は斜め後ろに座した。
「サブちゃん……」
「なんだ」
三郎は振り向きもしなかった。
どうせロクな話にならない。
その予想通り、一子はごく空疎な言葉を口にした。
「もう……過去は忘れて……新しい人生を生きなさい……」
「は? なんだそれ。とっくにそうしてる」
「ならいいわ……」
「俺に言う前に、自分がそうしたらどうだ?」
「……」
返事はなかった。
三郎は溜め息をつき、ヘッドレストに頭をぶつけて天井を見上げた。
この世界は、じつにどうでもいい。帰れば五千万が手に入る。使い道のない金だ。もしかするとランキングがあがるかもしれない。しかし一位になってしまえば、いよいよ目標がなくなる。そうなったら、あとは組合を抜けて故郷で農業をやるつもりでいた。木下が結婚をしてくれようと、そうでなかろうと、だ。
家族の墓だって立てなければならない。そこには姉も入ることになるかもしれない。
*
翌日、三郎は芝に呼び出され、上野の料亭へ来ていた。
陳禄山の言葉を伝えると、芝は片眉をつりあげた。
「つまり、連中の背後には別の組織がいるということか」
「ま、そういうことだろうな」
マグロの刺し身を食って、ビールで流し込んだ。さっきはわさびをつけ過ぎて大変なことになった。
芝は神妙な表情のまま、静かにビールをやった。
「あのあと部下がビルを調査したが、それらしい証拠は見当たらなかった。敵はかなり慎重に行動しているようだな」
「どうせアメリカだろ」
「いや、アメリカはもっと遠くから隙をうかがっている。直接のつながりはなさそうだ。別の組織だろう」
「殺さないで吐かせたほうがよかったか?」
拷問は専門ではない。しかしやれと言われればやってもいい。
芝はしかしかぶりを振った。
「おそらく下の連中はなにも知らされてないだろう。となると知っているのは陳禄山だけだが、あの男が吐くとも思えん」
「あんたら、警戒されてるんじゃないのか?」
「もちろんそうだ。俺たちというより、すべてが警戒されている。アメリカでさえ情報を掴んでいるかどうか怪しい。何者かが極秘裏に動いている」
極秘裏に、となると、三郎にはとんと見当がつかない。堂々とやってる連中なら他界で遭遇したが。
「ナンバーズは違うのか?」
「ファイヴの動向はこちらでも追っている。が、今回の件とは関係がなさそうだ。それどころか……」
芝は難しい顔になった。言おうか言うまいか迷っているのだろうか。
三郎は構わずマグロを醤油につけ、口に放った。味の濃い新鮮な赤身だ。近所のスーパーで売っている水っぽいだけのマグロとはわけが違う。
芝が顔をあげた。
「いまにして思えば、ナンバーズ・ファイヴも俺たちの敵と戦っていたようだな」
「あの中国人の爺さんと?」
「いや、その背後の組織とだ。つまりどちらも神の子を狙っている、ということだろうな」
「じゃあ、ファイヴを捕まえて吐かせれば喋るかもな」
「その必要が生じたら、またお前に依頼しよう」
「ついでに殺してよければありがたいんだが」
「それは許可できん。しばらく泳がせておきたい」
「ふん」
三郎にとって、ファイヴはあらゆる確執の元凶だ。姉との確執だけでなく、黒羽との確執もだ。のみならず、ファイヴは木下を傷つけた。殺していいならいつでもやれる。逆に殺すなというのは、なかなか難しい。
*
だが謎の組織は、以外にもあっさりと現れた。
三郎が帰宅すると、玄関前にひとりの男が座り込んでいた。二十代後半だろうか。パーカーのフードを頭からかぶり、缶コーヒーを床に置いてタバコを吸っていた。行儀はよくないが、どこかの誰かと違って外で待っているだけまだ心象はいい。
このアパートには三郎しか住んでいないから、誰に用があるのかはすぐに分かる。
「ここ禁煙だぞ」
「え、マジで? ごめんね。書いてなかったから」
男は携帯灰皿にタバコをねじ込み、立ち上がった。
「ちょっと話いい?」
「長くなるのか?」
「たぶん」
「じゃあ入ってくれ」
コンビニで買ってきた缶ビールはひとつしかないが、もちろんコップで分けてやるつもりはない。三郎、来客に気を使うような人間ではない。
「つーかマジさみーよな。凍死するかと思っちゃった」
男は許可も得ずこたつに足を突っ込み、勝手にスイッチを入れた。
三郎もレザージャケットを脱ぎ捨て、こたつに入って缶のフタを開けた。
「ビール党なの? 最近あんまビール飲むやついねーよな。なんつーか、飲み屋行ってもみんなウーロン茶だべ? いやいいんだけどさ。俺ひとりでビール飲んでるの、なんかアレっつーか」
「まずは名を名乗れ。お前は誰なんだ」
さも友達のように接してくる男に、三郎はつい顔をしかめた。
男も素で忘れていたらしく、ハッとした表情になった。
「ああ、悪い悪い。俺、青村。青村放哉。聞いたことあるだろ? 出雲の……まあ、アレだ。分かるべ?」
「分からん」
「つーか出雲って知ってるよな? 出雲長老会。老人クラブじゃねーぞ。若いのもちゃんといるからな」
「確か、西の連中だよな」
「それそれ。西の連中だよ。長いことナンバーズとライバル関係だったやつ。クビにされたナンバーズの代わりに、検非違使の仕事を受けてるアレ」
自慢しに来たのだろうか。
三郎は苦い気持ちでビールをやった。料亭の生ビールを飲んだあとでは、缶ビールはやや味気ない。
放哉は柿ピーに手を伸ばした。
「けど俺、出雲追い出されちゃってさ。いま別の組織にいるんだよね」
「そうか」
「あんたがこないだぶっ殺した陳禄山いるじゃん? そいつと裏でつながってた組織だよ」
「いま警察が追ってるヤツらか」
「そうそう。で、あんたのことを勧誘しに来たってワケ。なあ、うちに入らねーか?」
あまりに唐突な提案に、三郎は鼻で笑った。
「どんな組織かも分からないのに、入るわけないだろ」
「まーまー、いまから説明すっからさ。つーかビールある? 俺も飲みたいんだけど」
「ない」
「ンだよケチだな。それでもランカーかよ、テメーはよォ。あ、いまのナシ。えーとね、うちは表向きは宗教で稼いでて、でもじつはテロリストで……まあカルト教団ってやつだな。機構みたいなもん。アレの日本版」
「怪しすぎだろ」
「まー話だけ聞くとクソみたいなもんだけどさ、なにせ金払いがいいから」
「金には困ってない」
すると放哉はケタケタ笑った。
「あんた、それでいいのか? 常に金に困ってるのが男ってモンだろ? けどまあ、あんたみたいなヤツにこそオススメかもな。聞いて驚けよ。俺たちの最終目標は、神の子を使った世界征服だ。ビッグだろ? かなりアツくねーか?」
「……」
いやむしろ寒い。義務教育を終えていない三郎でさえ、それがどんなにしょうもない妄想か分かる。というより、世界征服なんて昨今アニメでさえ使わないネタだ。
「お、なんだなんだ黙り込んで。そーゆーさー、よくある常識人みたいなリアクションやめてくんねーかな。あんた、頭アレだろ? もっとこう、面白い反応してくんねーと」
「頭はアレじゃない。学校に通う機会がなかっただけだ。いいか? 俺はわりと常識とかそういうのを大事にして生きている。それがなかったら、俺たちなんてただの動物だからな」
「よく言うぜ。ま、サイコパスほど常識にうるさいって言うしな」
「失礼だぞ」
「世界をぶっ壊したい気分になったら連絡してくれ。いつでも歓迎するぜ。あんたみたいに暴力しか取り柄のないヤツは特にな」
「ふん」
「組織の名前は『ブラックアウト』だ。忘れるな。呼べばいつでも迎えに来る」
そう言い残し、青村放哉は家を出た。
世界征服――。あまりにバカげている。バカが考えそうな最高のテーマだ。
三郎はしかしこうも考えた。
故郷に帰り、孤独に農家をやるのと比べて、どうだろうか。世界征服などという目的が達成しないことは考えなくても分かる。暇つぶしに暴れて死にたいだけなら、この上ないお誘いだ。ヤケなった人間にとっては最適だろう。
三郎はビールを飲み干し、缶を握りつぶした。
しかしまだヤケになっていない以上、乗れる提案ではない。だいたい考えるまでもないが、テロなんぞより農家のほうがはるかに尊い。自分の畑でとれたイモを食うのは最高の体験だ。それが分からないから、テロなんぞを考えるのだろう。里の住人は全員死んだから、土地だけはあまっている。そこにブラックアウトを自称するテロリストを集めて、逆に農業をやらせてもいい。
ひしゃげた缶を握ったまま、三郎はばたりと大の字になった。
ともあれ、陳禄山の背後にいた組織については少しだけ分かった。もし今後も警察の仕事を受け続けるのであれば、ブラックアウトとは敵対することになるだろう。ファイヴも横槍を入れてくるだろうし、アメリカもまた絡んでくるかもしれない。カルトといえば、世界管理機構もこの件には乗り気だったはずだ。また混戦になる。
いずれにせよ、三郎としては、金がよくて無茶でない仕事を選ぶだけだが。
もちろん自分の都合だけで動くわけにはいかない。状況をよく見なければ、余計な災難に巻き込まれる。姉の動きも怪しい。
なにが起きてもいいよう、せめて心構えはしておかねばならない。
(続く)