絶望
母は死んだ。
家の外へ引きずり出され、男どもの慰み者にされた挙句、虫けらのように、くびり殺された。
「ははっ、オメーの母ちゃん殺しちまったよ。でもよぉ、悪いのは母ちゃんだぜ? 次は娘を犯すなんて言ったら、約束が違うとか言って泣き喚くからよぉ、五月蠅くてたまんなくてなぁ」
「死んじまったもんはしょうがねぇよなぁ。あー……オメーは俺たちのこと、楽しませてくれるよな? 母ちゃんの奉仕が足りねぇから、まだまだ足んねーんだよぉ」
「ひひっ、若いんだから、さぞ『しまり』がいいんだろぅなぁ……やべぇ、もう我慢できねぇ! 優しくしてやるからなぁ、覚悟しろよ!」
わたしも、母のように、この薄汚い下郎共に、身体中のありとあらゆる箇所をねぶられ、犯され、最後にはくびり殺されてしまうのだ。そんなの、嫌だ。
逃げたい。犯されたくない。――死にたくない。
けれど、身体に力が入らない。足が震えて、立てない。絶望。
自然に流れ出す尿を止めることができなかった。へたり込んだ足元に、生温かい水溜まりができあがる。
「うわ、漏らしたやがった!」
「うへへ、それもスパイスってか?」
「お前そんなシュミかよ……」
「なにヒいてんだよおめぇら。じゃ、一番槍は俺が頂くぜぇ。おう、とりあえず咥えてもらおうかなぁ!」
髪を掴まれ、臭く汚い欲望の塊を頬に押し付けられる。母を、犯したモノ。気持ち悪くて、胃の内容物がせり上がってくる。
どうして、なんで、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ! 殺されるくらいなら――
お守りとして懐に忍ばせていた短刀で、モノを斬りつける。いつも研いでいた甲斐があって、モノはバターのように簡単に斬れた。ぽと、と落ちたモノは血が抜けてしなびてゆき、気持ち悪い芋虫みたいになった。
「……ぁ、あぁァァあァァぁっ!」
男は倒れ込み、モノがあった筈の箇所から吹き出す血を押さえ、悶絶した。ざまぁみろ。
「ナイフだ! やべぇぞ!」
「畜生! 殺せ!」
振り上げられた剣は、わたしに向かって一直線に振り下ろされる。避けなきゃ――
「やめないか君たち!」
額のすんでのところで、剣が止まった。
いつの間にか現れた痩身の男が、わたしに剣を振りかざした下郎の手を掴んでいた。男は燕尾服をかっちりと着こんでいて、存在そのものが冗談みたいだった。
「あ……あんたは……って、えっ? う、うでっ、溶けてっ……あぁぁぁぁ!」
下郎が剣を取り落とす。男に掴まれていた腕が、ぐじゅぐじゅに溶け、骨すら見える状態になっていた。地面に倒れ込んで、下郎は苦痛に顔を歪める。
「見苦しいなぁ! キミたち! 大の男が女の子に寄って集って!」
「お、おい、あんた、なんで――ぶべっ」
男が、困惑しているもう一人の下郎の顔を鷲掴みにした。
「なんで? 女の子を暴漢から助けるのに理由がいるかい?」
「……かっ……あ……あ……」
皮膚が見る間にぐじゅぐじゅと溶け出し、露出した赤い肉も急速に腐り落ちる。目の玉がぼた、ぼた、と地面にこぼれ落ち、何かの汁が顔の穴という穴から溢れる。痩身の男が手を離すと、顔だけ骨が剥き出しになった屑は、その場に崩れ落ち、びくびくと痙攣した。
「ふふっ、そっちの顔のほうがカッコイイじゃあないか。……さて、君は腕以外どこがいいかな?」
腕を抑えて苦しむ下郎の前に、男はしゃがみ込んだ。
「ヒッ! な、なんでだよ! おかしいだろ! だってあんた、がっ」
「アハハハっ。僕がなんだってぇ?」
「あ……っ! ……っ……」
男は片手で下郎の喉を掴み、頭上高く持ち上げる。その痩身からは想像もつかないほどの腕力だ。下郎の喉元が壊死してゆき、男の指がずぶずぶとめり込んでいくのがはっきりと見えた。初めはもがいていた下郎も、血液混じりの唾液と泡を口から流し、段々と動きが弱くなり、遂には白目を向いて力無く四肢を垂らした。
「アハハハ! 脆いねぇ!」
人形を投げるみたいに、男は事切れた下郎を放り投げる。既に死んでいるであろう股間を押さえた下郎の上に、ぐしゃ、と落ちた。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
座りこんでいたわたしに、血まみれの手のひらを、男は差し伸べてきた。生臭さが鼻につく。この手は、あいつ等を殺してくれた手。けれど、人間を腐らせる得体の知れない力を秘めた手に触れるのは、躊躇われる。
だが、こんな得体の知れない人間でも、わたしを助けてくれたのだ。礼は述べなければ。
「あ、ありがとうございます……でも……お母さん、が……ううっ……」
「……すまない、僕のせいだ」
さっきまでニコニコしていたのとは打って変わって、悲痛な面持ちだった。もう少し自分が早く来てれば、と悔やんでいるのだろうか。
「ううん、お兄さんは悪くないよ……」
「いいや、僕が悪い。だって、そこに転がっている人達は、『僕がここに連れて来た』んだから」
時間が止まった気がした。男の言葉が、理解できなかった。
「……え?」
「ンー……アハッ、アハハハハハッ、アハハハハハハハハッ」
男は三日月より鋭利に口を歪ませ、堰を切ったように狂った笑い声を上げた。
「いいねぇいいねぇ、その顔!」
「なん、で……?」
なんでそんなことをした? なんで母を見殺しにした? なんでわたしを助けた?
「なんでって? そのほうが面白いからだけど? 案の定、最高のスペクタクルだった! 娘を庇う母の愛! 殺されまいと必死の抵抗を試みる非力な少女! 実に良い見世物だったよ! ありがとう!」
「っ……!」
こいつは狂人だった。一瞬でも感謝の念を抱いてしまった自分を、殴り飛ばしてやりたい。こいつのせいで、母さんは、あんな酷い死に方をした。畜生、こいつさえ、居なければ。
「憎い? 僕が憎い? いいよいいよいいよいいよいいよいいよォ! そ・れ・だ・よ! その瞳! 憎悪の黒い炎が揺らめいてるねぇ……黒真珠のように美しいィ。……よし! そんな美しいモノを持つきみをさらに煌めかせるために、僕からプレゼントを送ろう!」
男がぱちん、と指を鳴らす。わたしの心臓が、どく、と一瞬、嫌な感じで鼓動した。ずく、ずく、鼓動を刻む度、胸が疼く。
「『きみの命はきっかり十五年後に尽きる』。君の命の灯火が消える前に、僕よりも強くなるんだ。そして、僕を見つけ出し、僕をその手で――殺しておくれよ。僕は“個体番号D-Ⅷ”、竜としての通り名は“疫病神”だが……“ヘンドリクス”と呼んでいただきたい。そっちの名のほうが気に入っているのでね」
「ヘンド、リクスッ……!」
「あー! そうそう、その顔、その顔だよぉ! やはりいいものだなぁ……。一刻も早く、僕を殺したいだろ? 僕がどうしようもなく憎いだろ? 僕を殺せる力が欲しいだろ? ……ふふっ、大丈夫だよ。君には、“竜騎士”となる素養がある。いつか、相棒になる竜と、必ず出会うだろう。竜騎士になれば、僕を殺せる力が手に入る! その力で……僕を……くフフっ、アハーハッハッ、楽しみだなぁ! ……さて、それじゃあ、最後に、とっておきを見せてあげよう!」
男が指を鳴らす。わたしの家が、周囲の家々が、轟音と共に崩れた。その土煙に巻かれ、高笑いしながら、男は姿を消す。
ざあっ、と黒い雨が降ってきた。その雨は粘つきどす黒く、腐乱した匂いを放っていて、えづきそうになる。
腐った雨によって土煙が晴れたところで、目の前に、山のように巨大な影がぬうっと現れた。それは、全身が壊死したように爛れ、ぶくぶくとした水膨れを身に纏う、醜悪な蜥蜴のような生物だった。水膨れの一つが弾け、黒い雨が降り注ぐ。この雨は、こいつの体液だった。
わたしに腐食した顔を近付け、骨の見える顎を歪ませ、乱杭歯の隙間から腐臭を撒き散らしながら、蜥蜴は嘲笑った。頭の中に、声が聞こえる。
«これが僕、“ヘンドリクス”本来の姿さ! さぁ、その目にしかと焼き付けろ! これが、きみの憎むべき相手! 母の仇! 滅すべき存在! “疫病神”と呼ばれる竜のご尊顔だよ! アハハハハハハハッ!»
こいつを、今すぐこの場でころしてやりたい。でも、わたしは、無力だ。力が抜けて、倒れ伏す。こんなデカブツ、今のわたしには逆立ちしたって勝てっこない。黒い靄が視界を覆っていく。悔しい。お母さんごめんね。わたしが、弱いから。嫌な嘲笑い声も、粘ついた雨音も、わたしの鼓動の音も、全て、遠くなる。強くならなきゃ。何者にも頼らず、何者にも屈さないように。必ず、竜さえ屠るほどのちからを手に入れ、こいつを、ころして、お母さんの仇を――