勧善懲悪下克上
俺様は、所謂人間たちの言う「悪」である。
人間たちの領土を侵し、村を焼きか弱い女子供や老人共のはらわたを引き裂いて魔獣たちに血肉を啜らせる。断末魔や水分のたっぷり染み込んだ気色の悪い音に狂喜し、戦いの熱気に心を躍らせて戦場を高いところから見下ろす時は、まさにこれ以上の至福はないと言い切れた。魔獣だけではなく、魔剣や魔法で人間どもを屠る俺様は、どこからどう見ても超絶にカッコイイと評判であり、俺様もそれは認めざるをえない。
しかし、一度戦火から離れれば、俺様の熱い心は一気に冷え切り、筋肉は凍えるように震えだすのだ。
領土を! 豊富な資源を! 奴等に報復を!
凱旋パレードで聞こえてくる切実な声は、そんな凍え疲れきった俺様に力を与える。我が王の城砦へ帰還し、戦勝を伝えられた時の喜びようは言葉にできない。こちら側への犠牲も多かったが、人間どもへ食らわせてやった被害と比べれば訳もない。
俺は胸に疼く青黒い靄の出処に蓋をして、客室のソファに身を沈める。疲れがどっと押し寄せてきて、動くことすら辛かった。
「おかえりなさいまし、将軍様」
疲れている俺様に、故郷から付いてきたメイドが冷たい水を出す。俺様は短く礼を言いながらコップを受け取ると、一気に飲み干そうとしてメイドに止められた。
「少しずつお飲みくださいまし、将軍様。ついこの間のように、戻されてしまうかもしれません」
「ああ、そう言えばそうだったぜ。またカッコ悪いところを見せちまうとこだった」
ついこの間、いきなり水を飲み干した途端に腹の中のものをメイドの前で吐き出してしまったことを思い出し、苦い顔になる。メイドは俺たちとは違う灰色の肌の顔にある口に弧を描き、長い耳を揺らして笑った。
「あの時は、あなた様の美しい真っ黒なお肌が真っ青になってしまわれましたわね」
「うるせえ! 俺様のカッコイイ顔は青くなんてならねえよ!」
「冗談ですわ。存じております」
チビチビとコップの水を飲み干す間、俺様はメイドが笑うのでずっと不機嫌だった。まあ俺様は不機嫌な時もカッコイイ事に変わりはないので構わない。
「そうだ、今日のメシはいらない。また明日出発するから、書類仕事をしなきゃなんねえんだよ」
「しかし……。この間も、ご夕食をお食べになりませんでした」
「いいんだよ、めんどくせえ」
「いけません。……わたくし、聞いてしまったのです。もう一ヶ月間、何もお食べになっておられないそうではありませんか」
「ああん? 誰にそんな事を吹き込まれた」
「将軍様の従者です」
「あのガキ、余計な事を……吊るし首だ」
俺様に逆らう奴は皆牢屋にぶち込んで死刑だ。俺様は強いから基本的に誰も逆らわないのだが、たまに馬鹿な奴がいる。時々緩んでくるから、こういった馬鹿の出現は都合がいい。俺様はまだまだ十五年も生きていない、人間に酷似した従者の顔を思い出して顔をしかめる。忌々しいものだ。
「将軍様、ご冗談はおやめください」
「冗談なんかじゃねえよ。おまえも、あんまり生意気な事を言い過ぎると殺すぞ」
「将軍様……」
メイドは悲しそうに言い、目を伏せた。
「それじゃあ、出て行ってくれ。仕事がある」
「やはり、ご夕食は頂かれませんか?」
「いらねえって言ってるだろ!」
しつこいメイドに俺様は痺れを切らし、細い首を掴み持ち上げた。体重の軽いメイドは簡単に持ち上がり、苦しそうにもがき始める。
「将軍、様、わたくしは、あなた様を……っ!」
「しつけえやつは嫌いだ」
俺に嫌われた奴は、俺のそばにはいられない。窒息して肌の色が白くなったところで、俺様は女を離した。ドサッと音を立てて崩れ落ちる元メイド。元メイドは俺様を潤んだ瞳で見上げながら言った。
「将軍様、あなた様は、お優しい方です。こんなわたくしを、拾ってくださいました」
「当たり前だ。利用できるものはなんでも利用するのがこの俺様の信条だからな」
「だとしたら、あなた様は、あの『勇者』にでさえ情けをかけるというのですか! 『勇者』には、我々の仲間がたくさん殺されてきたというのに!」
「確かに、俺様はメシを食わなくなってちょっとだけ弱ったかもな。でも、ホントのホントにちょっぴりだけだ。生き残った一番馬鹿な勇者のアイツにハンデをやってるんだよ。それにおまえは勘違いしてる。俺様が、おまえらの仇討のためにこんなに頑張ってるんだとでも思ったか?」
俺様は白い顔をしている女を見下ろしながらニヤリと笑う。おそらく、彼女から見る俺様はとてつもなくカッコイイだろう。
「俺様はただ、やりたいことをやっているだけだ。やっと邪魔くせえ勇者共も最後の一匹で、決戦はもうすぐそこ……今から楽しみすぎて、俺の中の血がグツグツ沸き立ってるぜ」
俺様は部下を呼びつけ、女を牢屋に連れて行かせることにした。女は部下に引っ立てられながらも俺様の方を見続けている。
やがて部屋の外へ連れ出されるというところになると、女は泣きそうな顔で叫んだ。
「わたくしは、将軍様をお慕い申し上げておりました!!」
つくづく俺様はモテる男である。しかし俺は、女なんぞに縛られる事は好きではない。
「馬鹿だな、それがどうしたってんだ。というか、知らなかったのか? おまえの親は俺様が殺してやったんだぜ。この人間混じりめ。おい、おまえら、ソイツは第十三牢獄入りだ。帰ってきたら直々に俺様が殺してやる。ついでに俺様の従者も同じところに入れておくんだ。俺様のだから、おまえら手ぇ出すなよ」
女は目を見開き、何も言わずに涙を溢して俺を見つめ続ける。やがて部屋の扉は締まり、俺様の部屋には俺以外誰もいなくなった。
俺様は机に付くと、明日からの作戦の準備を始めた。
俺たちの戦いは、もうすぐ終わるのである。
*
その日、かつて我らの領地だった平野は荒涼たる荒地となり、最終決戦の場となった。数々の積み上げられた死体は、既に腐臭を漂わせて横たわっている。人間も、魔族も、集められた兵たちは殆どが死ぬか逃げてしまった。ただそこに立っているのは、突き立てられた武器と、俺様と、最後の勇者だけである。
「ようやくこの時が来たなぁ、クソ勇者」
「ああ。年貢の収めどきだ、魔王! 仲間の仇は取らせてもらうぞ!!」
人間の男である勇者は、俺様の事を『魔王』と呼んで端正な顔を怒りに染める。人間共は、俺様のことを魔王だと思っているのだ。無理はない。俺様の力の前では、我らが魔族たちの王もひよっこのようなものだ。
それなのに、なぜ我らが魔族軍が劣勢を強いられているのか……それは、ほかならぬこの勇者達のせいだ。我々の調べによると、天啓が下り神々からの祝福を受けたとかで、勇者達は人間にはありえない力を手に入れたようなのだ。魔族軍は、コイツが動き出してからというものの、いつも多大な犠牲を出さなければならなくなった。ところが、気持ちのいいことに、俺様は七人の勇者のうち六人を殺してやった。生き残ったコイツは、俺様に匹敵するほど強い魔力を持っているのだが、馬鹿なのでどうってことはない。
「もうこれ以上、誰も殺させない!! おまえの命は、俺が貰う!!」
「やってみろ人間!!」
お互い、殆ど同時に魔力を爆発させる。炎の竜巻を生み出した勇者に対し、俺様は地面から鋭く尖った岩を突き出させた。殆ど同時、ということは、少しの差がある。屈辱的なことに、俺様の方が少し遅れたのだ。
炎の竜巻は周りの骸共を一瞬にして焼き尽くす。俺様がコイツらをゾンビにしてけしかけるのを危惧してのことだろう。実際そのつもりでいたのだが、戦いの疲れと空腹で一瞬だけ出遅れをしてしまった。悔しいぜ。
しかし、俺様はそんなことでは怯まない。俺様は炎の竜巻の中に自ら飛び込むと、刃物のような岩を避けて待ち受けていた勇者に魔剣を振り下ろした。相手も予想していたらしく受け止められてしまったが、俺様の重い一撃に勇者は顔を歪める。
「ぐっ……やるな、魔王っ!」
「さっすが俺様カッコイイぜ! もうちょっと手加減してやろうか?」
「舐めるな!!」
勇者は神から与えられたとか言う聖剣で俺様を押し返し、爆発する魔力の玉を弾丸のように飛ばして攻撃してきた。この玉は魔剣で斬っても爆発するのでちゃんと避けなければならない。俺様は地面から壁を突き出させて玉を防ぎ、上から飛び込んできた勇者が振り下ろす聖剣を受け止めた。
それにしても、俺様達を囲んでいる炎の竜巻の壁が心底邪魔である。俺様はしばし勇者と剣をぶつけ合い、一瞬距離が出来た隙に魔剣を地面に突き刺した。すると途端に地面が崩れ出し、勇者はとっさに空へと逃れる。俺様はその場にとどまっているが、魔力で自分を囲い守っているので何の被害もない。そして内側から炎の竜巻と逆巻きの冷気を纏った風の竜巻を発生させると、炎の竜巻は風にかき消されるようにして散った。
周りは岩と砂埃と炎が風の中に吹き荒れ、混沌とした風景になっている。正直に言うと、あまりこういう光景は好きではない。戦争をしているとそんな事を言っているわけにはいかないのだが、やはり完成され綺麗に整頓された空間の方が気持ちがいいものだ。ついメイドの顔が浮かんでしまった。そうだ、戦わねば。戦って、やることをやらなければならない。ちゃんと牢獄にいるだろうか。あそこは、頑丈なはずだが。
飛んでいる岩の上に、キラリと光る聖剣を見つけた。聖剣の所有者である勇者も、もちろんそこにいる。勇者は俺様に向かって強い殺気と敵意を放ちながら、何かの呪文を呟いていた。その瞬間に、俺様は反射的に身を守るために魔剣を構える。間髪入れずに襲ってくる激痛。俺様の視界は、光で作られた龍の顔で埋められていた。勇者の作り出した光の龍の魔法が、この俺様に体当たりをしくさってきたのだ。
「や、ろう……!!」
内蔵が悲鳴をあげ、口から血液が溢れ出る。しかし俺様は、痛いにも関わらずニヤリと口角をあげた。
光の龍が消えると、追撃してくるように勇者が聖剣を振るってくる。俺様は少し押されながらも、戦いの楽しさに笑いながら応戦した。
「何故だ!! 何故笑っている!?」
怒りで興奮した勇者は、顔を真っ赤にしながら俺様を怒鳴りつける。上から下へ、左から右へ、斜めから斜めへ、剣撃はとどまる事を知らない。聖剣と魔剣は激しく火花を散らしながら、己の主人に振るわれていた。
「答えろ!! 何が楽しい!? 何故貴様らは人間を殺す!?」
俺様は、勇者が下から振り上げた聖剣を数歩退いて避け、すぐに近づき、聖剣を押さえつけるように魔剣を振り下ろす。同じだけの力で押され合いながら、剣同士がギギギと不快な音を立てた。
「逆に聞こう。なんで俺様達はおまえらを殺しちゃいけないんだ?」
「何を……!?」
「おまえらだろう、先に俺様達に手を出したのは」
「貴様らが悪しきものだからだろう!!」
「くっ、あっははははははは!!」
俺たちは互いに飛び退った。俺様はさっきの光の龍で結構なダメージをもらっていたが、勇者も勇者で勝手に怪我を負っていたらしい。頭から血が出ている。だが、その荒い息は怒りによるものだと見た。
「愚問!! 愚問ってのはこのことだ!! なんで、なんでソレがわかっていながら……くくくくっ、腹いてえ!! 『何故貴様らは人間を殺す!?』だって!? 『悪しきものだから』だろ!? 自分で答え出してんじゃねえよ!! それじゃただの自問自答じゃねえか!! ひーっ、ひーっ!」
馬鹿にされた勇者は激高して俺様に体当たりのように剣を突き出してきた。とてつもない力に、剣を持つ手が痺れる。しかし相手は怒って周りが見えていない。俺様がしゃべっている間に、魔法を使っていたことに気がついていない。
「ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなああああああああ!!! おまえのせいでたくさんの人が死んだんだ!! たくさんの人が苦しんでいるんだ!! 俺の仲間は、みんなおまえに殺されたああああ!!!!」
「うるせえよガキ。こっち側だってそれは同じなんだよ。戦争なんだぜ? 甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ」
「っ!!」
「遅い」
次の瞬間、俺様が召喚したカッコイイ巨大なオオカミの魔獣が三匹、勇者に襲いかかった。二匹目までは殺せた勇者も、三匹目までには対処ができずに右腕を押さえ込むように胴体に噛み付かれる。激痛に声をあげた勇者は、苦悶の表情を浮かべて俺様を睨みつけてきた。
「卑怯なっ!」
「不意打ちは基本だろ?」
俺様は勇者の聖剣を取り上げると、遠くに放り投げて簡単には取りに行けないようにする。剣がなくとも魔法が使える勇者は、俺様の魔獣に向かって魔法を放つ。しかしその顎はびくともしないどころか、更にキツくなり勇者は悲鳴をあげることになった。
「無駄だぜ。俺様の本職は魔法剣士じゃなくてちょっとした実験好きの魔獣使いだ。ソイツはお前のために丹精込めて対魔術の装甲で固めた魔獣なんだよ。俺様超頑張った!」
「この、ナルシストがっ」
「お褒めに預かり光栄です、お馬鹿勇者殿」
俺様はもう一体用意しておいた魔獣を呼び出す。全体的に黒い色をした、シルクハットのゴーストである。これからが作戦の最終局面だ。
「お別れだ、お馬鹿勇者。あんまり暴れないでくれよ。その身体、俺様が使うんだからな」
ゴーストが勇者の頭に手をかける。すると勇者の顔はサッと青ざめ、恐怖に歪んだ。
「俺様の魔獣、すごいだろ? 全部今までの実験のおかげなんだぜ。このゴーストで肉体から魂を引き剥がし、そして別の魂を入れ込む。すると、あーら不思議! その肉体に溜め込まれていた魔力が、入れ込まれた魂分、量が多くなっちまうんだ。装甲もつけやすくて、便利でなぁ~」
「まさか、俺を魔獣、に……!?」
「いや」
さすがは勇者と言うべきか、ゴーストが手間取っている。俺様はその様子を見ながら座り込み、言葉を続けた。息が荒く苦しい。正直、話すのも疲れてきた。しかし俺はカッコイイのでそんなことはおくびにも出さず、口角を上げたままだ。
「実はなあ、俺様の体は、もう限界なんだ」
「な…………おまえっ……」
「ヒヒヒッ、お察しの通りさ。こんなに完璧な身体を手放すのは惜しいんだが、仕方がないだろ?」
俺様は今まで馬車馬のごとく魔族側で戦ってきた。本当は学者にでもなろうかと思っていたというのに。魔獣使いとしての腕を見込まれて戦争に駆り出され、戦って戦って、たまに最低な人間たちからハーフの孤児を引き取ってきたりしているうちに、いつの間にか王都まで呼ばれて『将軍』として熱い期待を寄せられてしまっていた。
「まだまだ戦いたいんだよ、俺様は」
敵を倒した時の快感、命のやり取りをすることの圧倒的なスリル、戦いは、魅力的なものである。……しかし、その戦いを望まない者も多い。
「俺様は戦うぜ。あっつ~い期待に応えきるまでな。まずは、お前んとこの王の首でも取ってやるよ。コテンパンにしてやる」
そろそろゴーストが勇者の魂を取り出すことに成功しそうだ。勇者が悪あがきとばかりに口を開く。
「馬鹿、が……魔王、おま、えの、……いない間に、我が、軍は……おまえの、みや、こ……攻め入っている、はあ、はあ……っく、今頃は、もう、」
「そうそう、いい事を教えてやろう」
勇者の悪あがきを眺めながら、俺様は少しだけ笑いながら言ってやった。
「俺様は確かに強いけど、『魔王』じゃなくて『将軍』だぜ? 全兵力をこっちに回しているとでも思ったか? 勝つために、兵力ってのは温存するもんだ」
俺様の言葉を最後まで聞いたのかは知らないが、ゴーストが腕を上げた瞬間に勇者の瞳から生気が消えた。顔色もすでになくなり始めている。
「さあ、俺の方も頼むぜ」
ゴーストが俺様の額に手を当てる。氷に漬け込まれたかのような感覚をしながら、俺も意識を失った。
*
それから数日後、人間の王都に勇者が帰還した。『魔王』の首を持って。
王や大臣たちは勇者を褒め称え、様々な褒美を与えようと約束した。
勇者は言った。
「それならば、今すぐ魔族に休戦協定を出すことを望みます。これ以上の戦いは無意味です」
王たちは笑いながら言った。
「おまえがそのような冗談を好むとは思わなかった。悪しきものたちは滅ぼすべきではないのかね?」
すると、いつの間にか王の首を勇者が掴んでいる。
「俺様は、その『悪しきもの』って呼び方が大っ嫌いなんだよ。こっちはちゃーんと譲歩をしてやってんだ。大人しくいうことを聞かねえと、おまえら一瞬で死ぬぜ?」
騒然とした、絢爛豪華な会議の間。誰かが衛兵を呼ぼうと声をあげる。すると勇者はニヤリと口角をあげ、魔獣を召喚した。
何故か、悲鳴をあげても誰も助けに来ない。その場にいた力なき人間たちは、諦めるか命乞いをする以外に、どうすることもできないのだった。
こうして、魔族と人間族の戦争は集結を迎えることになる。逆らう貴族たちは、勇者が持つ圧倒的な力をちらつかせて脅し、民衆たちには傀儡と化した王と勇者の言葉で頷かせて。魔族たちは、人間たちの申し出を何故か容易く受け入れてしまったのであまり問題はおこらなかった。
問題が起こったのは、二国間が交流をし始めてからである。様々な文化の違いや価値観の違いにいざこざが絶えなかったが、少しでも軋轢があれば、どんなところであろうとすぐに勇者が駆けつけた。
やがて数年がたち、魔族と人間族の間にあった溝が浅くなり、分かり合えるようになった。人間からも魔族からも英雄として讃えられるようになった勇者のとなりには、いつも灰色の肌をした長い耳の女性と人間の従者が立っている。彼らは国境に屋敷を建て、そこに住んだ。
「ご夕食は如何なさいますか?」
メイドは恭しく勇者に聞く。すると、勇者はめんどくさそうに答えた。
「一々聞くな、めんどくせえ。食うよ、食う食う。今日は何なんだ?」
メイドが嬉しそうにその日の献立を言う。メイドと従者は、たとえ勇者が忙殺されて食事をする暇がなくても、何が何でも食事をさせようと躍起になった。おかげで、かつて将軍と呼ばれていた勇者は、毎日三食欠かさず食事を摂っている。
しかし、その身体はどんなに食べさせてもやせ細る一方だった。
「将軍様」
「……なんだ」
メイドは今でも勇者のことを『将軍』と呼ぶ。戦いを好き好んだ勇者の望みだ。
「お慕い申し上げております」
ソファに身体を沈めて休んでいた勇者に、メイドが唐突に言った。
「……それは前も聞いた。俺様はモテモテだから、おまえなんかに構ってる暇は、ねえよ……」
勇者は眠そうに言い、瞳を潤ませているメイドを見てバツが悪そうに笑う。
「やっぱり、人間はダメだな。身体が弱い。俺様のカッコよくて強すぎる魔力は、どうやりくりしても収まりきらねえよ。おまけに、戦争がないんじゃ、ストレス発散もできやしねえ」
力のない勇者の声に、メイドは「そうですね」と震える声で相槌を打った。そっと勇者の冷たい手を取り、涙をこぼしながらも笑顔を浮かべる。
「あなたは本当に戦いがお好きなのですね。またわたくしたちを置いて行かれるおつもりなのでしょう?」
「おまえは優秀なメイドだな。わかってるじゃねえか。俺様は、戦火を求め続けなきゃなんねえみたいだ。丁度いい感じに溝も埋まってきたし、ここはもういいだろう。俺様は別の戦争に参加しに行くけど、後のことは任せたぜ」
「承りました」
勇者はソファから立ち上がると、戦利品である魔剣と聖剣を持って屋敷を後にした。
二つの国は勇者の旅立ちを嘆いたものの、荒れることはなく平和に暮らし続けたらしい。
そして勇者の屋敷に残されたメイドは、風の噂に魔獣を使役する双剣使いの活躍を聞くたびに、従者と彼のことを懐かしむのだった。