ダンジョンは死を業む
飛び出してすぐ、シールドの窓と左右に視線を巡らせる。正面良し、左右良し。
「…ふう、先ずは安心と」
前回は不用意にこの小部屋に出た事を思い返せば、寒気がする思いだ。ひょっとしたら、此処はあの化け物が生まれないエリアという可能性もあるが、楽観視はするべきじゃないだろう。明確に零だと保証する物が無い限り、常に疑惑って掛かるべきだな。
石で組まれた小部屋は、依然と同じに全体から淡く発光し、視界の確保をある程度は助けてくれる。前方に続く通路も変化はなく、この先に十字路が在った筈だ。
「十字路を曲がって直に、あれと出遇ったんだったな」
音と共に、光が集まるあの現象。前は完全に実体化するまで何も出来なかったが、あの途中に干渉したらどうなるんだ?
「その辺も含めて、確かめてやるか」
周囲を警戒し、耳を澄ませながら歩き出す。カチャカチャと小さくアーマーが動きに合せて音を立てる。ブーツは樹脂加工された靴底のお陰で、殆ど足音が起たないが、グリップの効きは確かだ。
ゆっくりと進みながら、時に背後を振り返る。十字路に近づくほど、心臓は早鐘を打ち、嫌な汗が噴出してくる。
正直に怖い。それは認めるしかない。この先で行うのは、詰るところあれとの殺し合いに他ならない。だが、俺の心の別の部分が囃し立てる。
早く出て来いと、今度こそ潰してやると。寒気がするのに、同時に血が沸き立つような感覚。生まれて初めて感じるそれに、逆に気分が落ち着いてくる。
――フォン…
来た!
背後から聞こえたあの音に、正面にシールドを残したまま半身で振り返る。今は前方に何も居ないが、振り返った瞬間何かが現れないとも限らない。
振り返った先には、数歩先にあの時と同様の、淡い光が集まり凝固するかの光景。まだ化け物の輪郭の一つすら出来てはいない。
咄嗟に踏み切り距離をつめ、手にするマチェットを振り上げ、振り下ろした。
スカッと、ろくな手応えも感じないかと思ったが、僅かに、ほんの少し引っかかる感触が柄を通して伝わってくる。中心を両断するように走らせた斬線の位置を注視していると、光は徐々に左右にぶれるように揺らめき、そしてぱあっと爆ける様に飛び散り、消滅した。
「…ふっ、はっ」
無意識に止めていたらしい呼吸が、口を突いて出る。振り切った腕を持ち上げ、マチェットの刃を見る。特に欠けた様子も、何かしら斬った痕跡も見当たらない。手応えも在って無きが如しの物だったから、当然か。
「今ので…倒した事になるのか?」
確信はなかったが、何か違う気がする。何というか、実感が無いのだ。あるとしても、風船を割ったような程度の物。こんな大層な物を身につけてまでやりたかった事ではない。
…フォン――
「っ!」
再び耳に届く、あの音。だがさっきより小さい、というより発生源が遠い?
正面には無い、だったら背後だ。盾を構えながら振り返る。
今度は凡そ30m程度の離れた場所に、光が集まりだしていた。此処から駆け寄って、ぎりぎり間に合うかどうかか?
身軽な格好ならともかく、今の装備一式はそれなりに重い。ぎりぎりに掛けるよりも、別の手段を試しておくのがいい。
俺は石床に片膝を立ててしゃがみ、マチェットをすぐ傍に下ろして腰の後ろに固定しておいた留め金を外し、クロスボウを手にする。身につける前に専用の太めの矢、クォレルとかいったか、それを装填済みだ。
片手では照準がぶれそうだった為、少し不安だが盾も傍に下ろし、安全装置を解除して両手でしっかりとホールドする。視線の先では、遂に実体化直前の頭まで模った光の凝固体が在った。
照準を覗き込み、化け物の胴体付近に狙いをつける。
「ギ――」
淡い光から、濃緑の肌色へと変わり遂に現れるゴブリン擬き。その濁った黄色い眸が俺を捉え、口を開こうとする瞬間、トリガを引き絞る。
ビィンッ――ドッ!
「アア゛ァァァァァッ?!」
俺の腰までくらいしかない、小柄な体躯が矢が当たったと思った瞬間に、後ろへと吹っ飛んで行った。マニュアルでは、距離次第では鋼鉄の板すら貫通するから、人に向けないようにとは書かれてあったが…。
「ギッ、ガァ! カハッ、アギギギギィ…!?」
石床に背中から叩きつけられた化け物が、未だ蠢く。ダメージは高そうで、起き上がれないようだが即死してはいない。
俺は予備の矢を取り出し、装填し直してからマチェットを腰の鞘に収め、盾を取って立ち上がる。そのまま慎重に化け物との距離を詰めていった。
「ウギ、ギシィイイイ!」
こちらに気づいたそれが、乱杭歯をむき出して威嚇してくる。だが起き上がる事も出来ないようで、見れば胸の真ん中から少し右に外れた付近に大きく傷が開いていた。矢は見当たらず、倒れた背中側に蒼い血溜まり?が広がっている事から、貫通して奥に飛んで行ったのかもしれない。回収出来そうならあとで回収しよう。
十歩ほど離れた所で立ち止まり、今度は片手でクロスボウを構える。それに気づいた化け物が、必死に腕で、足で床を掻くが、もう移動するほどの力は出せない様子だ。
照準を頭に合わせ…迷ってから、また胴体を狙う。さっきの威力なら、頭蓋骨でも貫通するかもしれないが、脳みそパーンはまだ見る覚悟が出来ていない。
ビィンッ!
「ブギッ! ギ、ァギ…」
二射目が化け物の腹に当たり、肉を抉り胴を抜けて床に当たる堅い音が聞こえる。
すぐさま次を装填し、様子を窺う。
相手は暫らく痙攣するように手足を震わせて居たが、徐々にそれも無くなり、完全に身動きしなくなる。
「…ふぅ」
ここで「やったかっ!?」などとフラグを立てるつもりは無い。
改めて周囲を警戒し、クロスボウを腰の後ろに収めてマチェットを引き抜き、化け物の傍へと近寄っていく。
足先を盾の下辺で叩き、動かない事を確認。横に回って腕にも同様のことを繰り返す。完全な沈黙。
血溜まりは大きく床に広がり、化け物の濁った眸からは一切の意思の光は窺えなかった。
死体。これは死体だ。
俺の手で作り出した、生きていた相手を戮した証拠で、証明。
「…もっと、吐き気とかすると思ったんだけどな」
だというのに、俺は落ち着いていた。それ所か、胸に痞えていた物が幾分、スッキリした感覚まである。緊張から強張っていた躰から力が脱ける。
その瞬間、足元からぱっと光が生じる。
「なっ!?」
慌てて盾を構え、死体から飛び退る。完全に死んだと思って居たが、未だ生きていたのか?
マチェットの柄を握り締め、…やがて鞘に戻した。光は、化け物の死体の発光なのは間違いない。だがそれは徐々に薄れ、同時に死体の存在感も薄くなり、少しして完全に視界から消滅していた。
「…倒したら消えるとか、まるでゲームのMOBみたいだな」
RPGとかやってるとMOBの死体が消えるという設定はよくある奴だ。魔素だとか瘴気に戻る?なんていう世界設定が多いな。あとはプレイヤーが力を吸収するとか…じゃあ、LVアップとかもあったりしてな。
「ないない、そんな阿呆らしい。現実だぞこれは」
苦笑しながら、少し進む。飛んでいった矢を探して見よう。
コツン…
「ん?」
ブーツの爪先に何かが当たった気がする。丁度死体が在った付近だ。足元を覗き込み、腰を曲げてそこに転がっていた物を眺める。
一見すると、石、のような物か? 石と断言できないのは、内部で僅かな光が燦めいているように見えるからだ。宝石には見えないが、唯の石では無いだろう。
「ドロップ品、とでもいうのか? ますますゲームかよ…」
マチェット引き抜き、暫らく突いたり転がしたりして反応を試す。特に何も起こらない。
覚悟を決めて、手にとって拾い上げる。
「…あんなのから出たにしては、意外と綺麗だな」
どこか、吸い寄せられるような妖しい輝きだった。少し考えてから、腰のケースに放り込む。
最初に決めた目標、まずは一匹を狩る事は果たした。少し矢を探して、それから帰ろう。
その後、新たな化け物が沸く事もなく、少し先に落ちていた矢を無事回収して、俺は屋敷へと戻る事ができたのだった。