戦国時代の戦術
姉川の戦い
信長、自ら前線に出て囮となることで敵の攻撃を誘発
そして初めは防御に専念することで敵軍を消耗させた
やがて左翼は榊原康政が迂回攻撃
右翼は佐々成政、美濃三人衆などが迂回攻撃
三方ヶ原の戦い
家康の作戦、影武者を使い武田軍を崖の傍に誘き寄せる
そして日が暮れてから反撃。崖に追い落とす
長篠の戦い
武田の作戦計画
先ず右翼と左翼に集中攻撃。敵軍の予備を尽きさせる
次に、中央に突撃をかけ突破。信長本陣を破る
信長の作戦計画
信長、鉄砲に鉛弾を用意した
鉛弾は鉄弾より殺傷力が高い。そしてこの時代、鉛弾の方が値が高い
次、信長、三段の陣を作った
一段めが破られたら二段めに、そこも破られたら三段めに退がり戦闘を続ける計画
次、信長は軍を隠して数を少なく見せ、敵軍の攻撃を誘発
次、鉄砲専門部隊を作り、予備兵力として活用
即ち、武田軍の攻撃の激しい所に援軍として差し向けた
これの利点は、鉄砲部隊は装備が身軽で移動が速い。そのため、素早く弱点を補強できた
このお陰で、予備兵力を温存できた
次、武田軍の精鋭が中央を突破し、一段と二段を突破した所で
隠していた予備兵力でその部隊を包囲。鉄砲の一斉発射で滅殺
秀吉は城攻めが苦手
本当に得意やったのは
半兵衛、官兵衛、毛利元就、秀長
三人の発案を秀長が実行した
半兵衛の城攻め計画
先ず、現地で大量に食料を買い占める
次に、軍を派遣して周辺住民を城に追い込める
次に、城を包囲する
後は餓えて降伏するのを待つだけ
「水攻め」は官兵衛の発案
小田原城包囲戦は、毛利元就の城攻めの仕方を、小早川隆景が秀吉に伝えたもの