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【第六章】雪の女王達(スペード)

第一次世界大戦の勃発により戦時結婚法ができて結婚に親の許可が要らなくなると、一九一八年にリヒャルトは周囲の反対を押し切ってイダと結婚した。

当然、美津は怒ったが、さらにリヒャルトは自分の相続分の財産を直ちに分与することまで要求した。

日本人の感覚からすると、ぬけぬけと、という印象を受けてしまうが、リヒャルトにしてみれば自分の権利を要求しただけ、というつもりであったかも知れない。

リヒャルトは、女優としてのイダの名声をより高いものにするべく、帝室の創設した権威あるブルク劇場を買い取るつもりであったのだ。

自分が年下であることの負い目を少しでも埋め合わせたかったのかもしれない。

しかし、リヒャルトは未成年だったので、美津はまだ息子の管財人としての権利を行使できたからこれを拒み、結局リヒャルトはこの時分与金をもらうことはできなかった。

このことで母子の溝は一層深くなってしまい、悲憤に駆られた美津とクーデンホーフ家の親族達は、リヒャルトを勘当してしまったのである。

美津は自分も形式的には勘当されている。今度は自分が勘当する番になってしまった訳である。この時の心痛は如何ばかりであっただろうか。

後にロンスペルクに戻ってから、美津は誰にも聞かれていないと思っていたのか、城の塔の上から日本語でよく叫んでいたという。

「魔女!女狐!人さらいめ!」

城の人々は美津が狂ってしまったのではないかと思ったという。

塔の上で黒髪を振り乱して呪文のような異国の言葉を叫ぶ美津の姿こそ、他人の目には魔女のように見えたことであろう。

ハンスもまた、戦地から帰ってくるとリリーと結婚した。

ハンスはリリーと結婚してから変わってしまった。

明るく楽しい男であったが、親しみやすい剽軽ひょうきんさは軽薄さに、気取りの無い愛嬌は俗悪さに変わってしまった。

貴族としての―――というより人間としての―――品格のレベルが落ちてしまったのだ。

二人の息子達の「裏切り」に美津は堪えがたい辛さを味わい悲嘆にくれた。


さらに第一次世界大戦で日本がオーストリア=ハンガリー二重帝国の敵に回ってしまったことが一層美津を苦しめた。

日本は日英同盟に基づいて協商側に味方して参戦したのである。

日本人と帝国人が実際に戦う可能性はほとんど無いということが、せめてもの慰めだった。

しかし、公使館をはじめ帝国内の日本人は全て引き揚げて行ってしまい、美津は帝国におけるたった一人の日本人となってしまった。

美津が祖国と同時に夫の国にも忠誠心を持っていることなど知らぬ人々は美津を白眼視し、道で「黄色い猿め!」と罵声を浴びせられたこともあった。

そんな時、ゲロルフが兵士になって出征したいと言い出した。

ゲロルフはまだ十七歳で兵役の義務は無かったが、彼もまた戦争の熱に浮かされてしまっており、また、白眼視されている母と自分達家族の為にも人一倍国の為に貢献しなければならないという思いもあったであろう。

美津はゲロルフが若すぎると思い反対したが、ゲロルフの決意は固く、一人で志願書まで出して、放っておけば勝手に戦場に行ってしまいかねない勢いだったので、美津は仕方なく知己であった陸軍参謀次長ハーバーシュタイン伯爵などのところへ話を通しに行ったのだった。

ハーバーシュタイン伯爵は息子を戦場に送ろうとする美津に驚いてこう言ったという。

「普通は、ヨーロッパの母親は息子を戦地に送らないように頼みに来るものですが―――あなたは違うのですね。

なるほど、これが日本人の母なのですね。小国の日本が大国の清やロシアに勝った理由が分かりましたよ。そうか、これが日本人なのですね!」

伯爵はとても感銘を受けた様子であったが、美津にとっては、男がお国の為に戦うのは当然、という感覚だったのだろう。

それでもやはり息子のことを案じていたから、ゲロルフの出征に初め反対もしたし、ハンスが出征したときには泣きもしたのだ。

ゲロルフは後に六つも勲章をもらって無事に帰還している。

この少し前に、エリザベートが母のもとを離れてウィーン大学に入学している。

美津は娘達に対して日本式の女性教育を施そうとした。しかし、娘達にしてみればいい迷惑でしかなかったようである。ほとほとうんざりしていたようだ。

価値観があまりにも違い過ぎる上に、異なる価値観と折り合うという理念が皆無である母と子供達の隔たりは、両者を絶望的な気持ちにさせた。


一九一九年にバービックが亡くなると、美津はロンスペルクの城に戻った。

バービックは生前、ハインリッヒの側に葬ってほしいと言っていた。

バービックはコプト派(*エジプトで起こった独自の古いキリスト教宗派)だったので、ハインリッヒと同じカトリックの墓地に埋葬することはできないと言われると、カトリックに改宗することを決意した。

そうしてカトリックとなっていたバービックは、ハインリッヒの側で永眠することができたのである。

バービックは、たとえムスリムや仏教徒だったとしても改宗する気になったかもしれない。

バービックが亡くなった翌年、ヒトラーがユダヤ人ホロコーストの参考にしたともいわれる第一次世界大戦中のトルコの苛烈なアルメニア人虐殺でバービックの息子が亡くなっている。

バービックは息子の死を知らずに逝くことができたのである。

美津は戦争が始まると赤十字社の看護コースを受け、ロンスペルクの町に野営病院を設けて戦傷病者を受け入れたり、社会貢献を行った。

そして戦争が長引いて物資が乏しくなってくると、ロンスペルクの森を開墾してジャガイモを育て戦地に届けた。

美津のところにはテレーゼ・ライトマイヤーという有能な女執事がいて、料理裁縫から食肉処理や大工仕事、野菜作りまで何でもできた。

彼女の協力で畑に大量のジャガイモを実らせることに成功し、美津は男装してそれを馬車で軍の営地まで運んで行ったのである。

兵士達はこの差し入れにとても感謝し、美津の勇気に感激したという。


リヒャルトはイダと付き合いだしてから、マネージャー気取りで彼女の行く先に付いて回った。

劇場との交渉や演出についてなど、イダの望みを叶える為に手助けをして上手く取り持った。

学校を休んで公演先に付いて行き、練習にも付き添って意見を述べたり世話を焼いたりした。

リヒャルトは助けてもらうだけでなく、少しでもイダの助けになろうと必死だったのだ。

イダはそんな背伸びしているリヒャルトを温かい目で見ていたが、しかし学業をおろそかにすることは許さなかった。

一九二一年にリヒャルトは出席日数も満たしてウィーン大学を卒業している。それも、卒論の「客観性即道徳の基本原理」は博士論文として認められたのである。

リヒャルトは「女優のヒモになって女にうつつを抜かしている」という汚名を返上し、自分と妻の名誉を守った。

イダもまた、この時代にあって、自立し成功を収めたのみならず、夫が卒業するまで養い博士号を取らせた、ただのパトロンというだけではない立派な女性であった。

ハインリッヒは美津を父の様に護り慈しんだが、イダはリヒャルトを母の様に支え助けたのである。

何というか、父子二代に渡って稀有な夫婦もいたものである。

イダは誇らしげに夫の卒業式に出席したという。

リヒャルトが博士号まで取って大学を卒業し立派に学業を修めたことは、美津を除いて、クーデンホーフ家の人々のイダに対する感情を和らげた。

美津は本当はイダが羨ましかったのかもしれない。

イダは美津ができなかったことをことごとくやってのけて見せていたのだ。

社会人として自立し名声を手に入れ、美津が夫や息子にしてあげらなかったことをイダはリヒャルトにしてあげることができて彼の力になり愛されていた。


ハンスが成人して自分の全ての財産を相続し、城主としてロンスペルクに戻ると、美津はロンスペルクから約七km離れたシュトッカウで暮らし始めた。

美津はリリーとそりが合わなかったのである。

リリーは美津を差し置いて城の女主人として振舞い、ギャンブルで浪費したり遊びに浸って夫の金で派手な生活を始め、美津のことを露骨にないがしろにするようになったのだ。

元サーカス芸人と大女優の差、と決めつけてしまうのは安直であろうが、やはりイダとは格が違ったようだ。

イダは決して美津の悪口を言わず、夫を金銭的にも助けた。

二人とも派手ではあったが、イダは自分の金銭で贅沢をしていただけである。

ハンスの相続の時に美津が口を出そうとしたらしいことを匂わせる手紙が残されているが、ハンスとリリーの結婚に反対し相続に干渉しようとした美津にも情状酌量の余地があると言えなくもない気がする。

美津とリリーは険悪になっていく一方で、戦後、とうとう美津はシュトッカウより離れたウィーンに再び引っ越して、メイドリンクの邸宅でオルガと共に暮らすようになったのである。

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