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【第四章】金魚姫~バービック~

【バービック・カリギアン】


ドイツのポツダムにあるかつてのフリードリヒ二世の居城は「無憂宮サン・スーシ」と呼ばれているそうだ。私にとっては、このロンスペルクの城こそが「無憂宮」のように思えた。

牧歌的なロンスペルクで長年平穏に暮らしていると、この城壁の外には世界など何も存在しないような気すらしてくる。

私と城外の世界を繋いでいるのは、祖国に留まっている息子―――ありがたいことに彼はまだ生きている―――のことだけだった。

我がアルメニア人がトルコで民族虐殺の憂き目に会い、死体の山と化す惨状となっている今、私のように大きな城で安逸にぬくぬくと暮らしているアルメニア人がいるなどとは誰も想像していないだろう。

殿がそうして下さったのだ。

世界的な革命の気運が押し寄せ、近代化と反動の相克、国家主義と民族主義の衝突、ムスリムと非ムスリムの宗教対立などが激化していたトルコは、恐怖と混乱が支配していた。

あらゆるアイデンティティとイデオロギーがせめぎ合っていたこの時代、何者かであるということは他の何者かとの対立を招き、何かを考えることは違う考えを持つ者との争いを意味していた。

私はそんな時代にあってトルコのアルメニア人として生まれてしまったのだ。

息子は勇敢な独立運動員で、アルメニア人の民族運動に対する弾圧と迫害が激しくなると、自分の息子を私に託した。

私は孫を連れて危険な東部を離れてコンスタンチノープルへ行き、首都で密かに潜伏していたのだ。

そうして、ある伝手つてでオーストリア=ハンガリー二重帝国の公使館にかくまわれていた私は、そこで殿に紹介されて出会ったのだ。

殿の母上のマリー・カレルギー様のお家柄は、遠い昔コンスタンチノープルに栄えたビザンツ帝国の帝王家の血筋の一脈であられ、殿は親戚であるカレルギー家に私を預けて下さった。

私はそこで雇われて使用人としてお仕えしていたが、よく訪ねて来て下さった殿にすっかり惚れ込み、殿が任期を終えて帰国するとき、私と孫を助けて下さった恩人に一生お仕えし、一緒に付いて行くことを決意したのだ。

孫はカレルギー家が引き取ってくれ―――殿はヨーロッパに戻って数年した後に、成人した孫をロンスペルクに呼び寄せ秘書にして下さった―――、そうして私はそれ以来ずっと殿のお供をして世界を巡り、ロンスペルクにやって来たのだ。


ロンスペルクへは私の方が一足早くやって来た。

お子様達と殿を待っている間に、私は殿からの手紙と大きな荷物を受け取った。

それは何と人形棺に入った一体の女のミイラだった。

美津奥様には内緒で購入したらしい。

私にそれをどこかに隠して保管しておくように手紙で指令を伝えてきたのだ。

殿は私の能力を高く買って下さっていたのか、たまに無茶振りをされてしまうことがあった。それでも私は何とかしたのだ。

殿はロンスペルクにいるようになってからは、密かに棺を書斎に通じる物置き部屋に隠していたようだ。

殿は奥様との結婚のことで悩んでおられたときに、私に昔のことも話して下さった。

暗い部屋の中で手燭の小さな灯りにぼんやりと浮かび上がり、女のむくろの収まっている棺に寄り添って、愛おしげに撫でている殿の姿が脳裏に浮かぶ。

エジプトでは死後に再び魂が戻ってくる日の為に遺体をミイラにするそうだ。

理性的な殿はもちろん、そんなことは信じていなかっただろう。大体、そのミイラは彼の昔の恋人のものでは無い。

しかし、それでも、殿にとって、そのミイラはかつての自分の恋人なのだ。

殿は心の中に、女の骸を隠していたのだ。

ロンスペルクの城下では殿の過去のロマンスのことを覚えている人間もまだいたから、殿はロンスペルクに留まることになると、その噂が奥様の耳に入らないように手を打たなければいけなかった。

もっとも、伯爵夫人が城下の民衆と密接に交流することなどあまり無かったのだが。

それでも、殿は密かに奥様の家庭教師に彼女をこっそり見張らせていたようだ。


ヨーロッパに留まることが決まると、乳母達は日本に帰すことになった。

殿は数年で日本に戻るつもりで、日本で蒐集した骨董品を置いてきていたが、結局、取りに行くことは叶わず、その後日本のものは全て青山家に渡すことにしたのであった。

ロンスペルクに留まるようになって初めの頃は、奥様はひどいホームシックになってしまわれた。

お可哀想に無理も無い。

時々、金魚鉢が恋しいと仰っていた。

日本で金魚鉢の金魚だったのなら、さしずめロンスペルクでは大きな池の鯉に成長したといったところだろうか。それでも水が全く違うのだから、お辛かったに違いない。

そしてさらに、自分がロンスペルクでは夫の為に何の役にも立たないことが辛かったようだ。

もし夫が日本の平民ではなくヨーロッパの貴婦人を妻にしていたなら、もっと彼の助けになる妻になったに違いないのに―――とよく仰っていた。

自分は何一つ彼の為に役に立たない。それどころか負担をかけてばかりいる。

シンガポールへも、本来なら妻の自分の方から夫に行ってらっしゃいと言うべきだったのに、自分は行かないでという言葉を呑み込むだけで精一杯だった―――。

そう言ってはよく泣いていらした。

結果的には、それがあの管理人の不正の発覚に繋がったのだから、という私の慰めはあまり効いていなかったに違いない。

皮肉なことに、殿が奥様を大切にすればするほど、奥様はいたたまれない思いがするようだった。

後にご夫婦はフランツ・ヨーゼフ帝と謁見するが、その時皇帝陛下は奥様に対して「もうこちらの生活には慣れたかね」と優しくお声をかけて下さったそうだ。

その頃には、慣れたというよりも、すでにホームシックも慢性化して目立たぬものになっていたのだろう。

奥様はそんなホームシックや苦悩を、私やロンスペルクで仲良くなった地元の修道院のシスター二人だけに打ち明けていたつもりだったが、そんな有様だったから、周りの人間が気付かないはずも無かった。

もちろん、殿もそんな奥様の苦悩を悟り、ご自分も苦悩しておられたのだ。

妻を救ったつもりでいたが、結局苦しい目に会わせて、かなり無理をさせているのではないか、と。

殿はその後も奥様の為に幾度か日本への旅行の計画を立てたが、運悪くその度に都合の悪いことが起こってしまって、結局、日本への帰省が実現することは無かった。

殿はずっと、奥様を含めた青山一家に対して、家族を再会させてやれなかったことを気に病んでおられた。

そのせいでもあろうか、奥様は日本の父親の金銭の無心に応えて毎月せっせと大金を送り続けていたが、殿は咎めることは無かった。

美津奥様という女は、ご自分は質素で地味なお方であったのに、それにも関わらず家族に貢いだり治療費の莫大な大病にかかったり、ご自分のせいでは無いのにやたらと金のかかる女であった。

実のところ、奥様の為の出費で伯爵家の財産はかなり目減りしてしまい、クーデンホーフ家が富豪であり続けられたのは、家の資産よりもそれを運営している殿の手腕によるところが大きかったのだ。

殿はそんな家計の苦労のことなど奥様には明かさなかったが。

お二人を見ていると、とても歯痒くなることがある。どちらもお互いに相手に引け目を感じてばかりいて、結局思い遣り合っていたが為に却ってすれ違ったまま、心底から打ち解けることは無かったのだ。

それでも、お二人は多くの子宝に恵まれ、一見するととても幸福そうな家庭を築いておられた。

ヨーロッパに戻ってからは、まず次女のエリザベート様、そして翌年には三男のゲロルフ様が誕生なさった。

仲睦まじいご夫婦と多くの愛らしい子供達に囲まれた、理想の家庭がそこにはあった。


ヨーロッパに戻ってから外交官を辞められた殿は、研究者としてプラハ大学に通い始めた。日本で触れた仏教の影響か、せっかくの腕前なのに狩猟はきっぱりやめてしまわれたが、運動は好んで続けておられた。

お子様達は学者でスポーツマンの父の指導のもと、聡明で健やかに育って行かれた。

奥様も「一番大きな子供」のように、家庭教師達から熱心に教育を受けていた。子供達に負けじとかなり頑張っておられたようだ。

お子様達よりも数ヶ月から数週間早く学習を進めておられて、お子様達から質問をされてもちゃんと答えられるように学んでおられた。

奥様はそんな努力を隠しておられたからお子様達は知らなかったようだが、リヒャルト若様は母上を「まるで女学生のようだった」と言っておられた。

殿は根を詰めるタイプだったから、研究が煮詰まるとよく神経衰弱の状態になった。

あるとき、殿が書斎の床の上でうずくまっているのを見かけてびっくりしたことがある。

慌てて駆け寄ると、殿は胸を押さえて喘ぐように深い呼吸しながら、「いつもの神経衰弱さ―――大丈夫だから、家族には、誰にも言わないでくれ」と仰った。

その後すぐ殿の調子は戻ったが、この時、私の心には染みのような黒い不安が滲んでいたのだ。


お子様達をはじめ伯爵ご一家は皆私のことを爺、爺、と慕って下さった。

私もご一家を本当の家族のように愛していたのだ。

実を言えば、私はもう殿を実の息子以上に愛していたかもしれない。この方とこの方のご家族の為なら、私は何でもしただろう。

完全な球体のような美しい世界を構成している城の内で、緩やかに年月は流れ、この幸せが、私が死ぬまでずっと続くものと、当然のように私は思い込んでいたのだ。

新し物好きの殿は写真も趣味にしておられた。

ロンスペルクでの幸福な十三年間の写真は、モノクロであるにも関わらずカラー写真に劣らぬ光彩を今尚留めて私の胸に当時の輝きを甦らせてくれるのだ。

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