死を背負う
エア、そして命の話
翌日、昼下がり。
琅はドアを三度ノックした。
部屋を訪れたのが自分である、と言外に告げ、扉を開ける。
「失礼致します」
そこには。
「・・・・・・・エア様」
ぐったりとテーブルに伏したエアゾルドがいた。
琅には知る由もないが、数日前のヴァンと同じ体勢だったりする。
「・・・・琅、か・・・・・?」
「はい。お菓子とお茶をお持ちしましたよ」
のろのろとエアゾルドが体を起こすのを見計らい、琅はテーブルの上に皿とカップを置いた。
エアゾルドの表情が少し明るくなる。
「ブニュエロ・デ・マンサーナか?」
「ええ。それと、フラン・コン・ナタです。フランソワが、お疲れだろうから、と」
フランソワ・ブリアンは王城のお抱えコックである。
第三王子のために、と腕を振るってくれたらしい。
リンゴにシュー生地をつけて揚げたデザートのブニュエロ・デ・マンサーナ、クリーム添えのプリンであるフラン・コン・ナタの二つは、エアゾルドのお気に入りだ。
心持ち元気になった王子の前に、両方を取り分けて置く。
「どうぞ、お召し上がりください」
「ああ」
カップに紅茶を注ぎながら言うと、エアゾルドは嬉しそうに食べだした。
琅は自分の分の紅茶をいれ、向かいの椅子に座る。
王子がゆっくりと口に運ぶ様子を見ていた彼は、微かな剣戟に気づいた。
今日は午前中から暖かい、というよりは暑い気温であったため、涼をとるために窓を開け放していた。
どうやら、外から聞こえてくる。
金属同士がぶつかったときに発される、独特の音だ。
「エア様、あの音は・・・・」
琅が問う。
「ヴァン王子だ。奴は今日、明日と見合いを一休みするらしい」
答えたのは、エアゾルドではなく。
「Guten tag、エア王子に琅」
シュヴァルツ・ヴァルトだった。
「っ!」
琅はあからさまに警戒態勢をとり、エアゾルドも幾分緊張した顔つきで彼女を見る。
が、それもつかの間。
「・・・・・ヴァルト」
第三王子の口から出た言葉は。
「ブニュエロ・デ・マンサーナが多過ぎるんだ。二人では食べきれない」
現在の状態にそぐわないものだった。
琅の足から力が抜け、座り込みそうになった体を支える。
「・・・・・エア様!?」
思わず琅が声を上げる。
しかし、暗殺者の回答は早かった。
「分かった、付き合おう」
「そんな、ヴァルト様をお茶に誘うなど・・・・って、食べるんですか!?」
半分叫びながら問うが、シュヴァルツ・ヴァルトは意にも介さない。
当たり前のように椅子に座り、フォークを菓子に刺したところで琅を見た。
「茶をもらおうか」
「・・・・・はぁ・・・・・・」
ため息のような呆れ声のような情けない返事をし、なんとか体勢を立て直す。
手早く暗殺者と自分の茶をいれ、部屋の片隅に置いてあった予備の椅子を持ってきて座る。
ばくり、と三人とも沈黙のうちにかぶりついた。
黙々と口を動かし、飲み込んで数秒。
「・・・・・やはり、美味い・・・・・」
満足げに笑うエアゾルドを、シュヴァルツ・ヴァルトは静かに見やる。
「エア王子は甘いものが好きなのか?」
「うーん、いつでも食べている訳ではないな。ただ、久しぶりに食べると余計に美味しく感じるんだ」
「・・・・ふむ。甘党かと思ったが、違うのか」
「・・・・・・・そう言われれば、確かに甘いものは好きだ」
「のちのち気をつけろ。いずれ病気になり、死期が早まる」
「・・・・・・・・・お前に言われると複雑なものがあるんだが・・・・」
「事実だからな。現に一度、ターゲットに死なれたことがある」
「暗殺者にとっては痛手だな」
「初めてだったから、驚いた。そういうこともあるのかと、それ以降、ターゲットの健康にも気を使うようにしている」
「・・・・・・・・・暗殺者のすることではありませんよね、普通・・・・・・」
琅がツッコミをいれたところで、二人の会話が一段落する。
いつのまにか二つほど食べていたシュヴァルツ・ヴァルトがエアゾルドを見る。
「エア王子、お前はなぜ王位継承権を得ようとする?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
唐突な問いにエアゾルドが動きを止める。
琅ははっ、と暗殺者を見た。
瞳に浮かんでいるのは純粋な好奇心。
そして、答えの真意を見透かそうとする静けさ。
内面全てが暴かれそうな、得体のしれない恐ろしさ。
ぞくり、と背筋を悪寒が走り抜ける。
エアゾルドは一度深呼吸をして、顔を上げた。
感情の読み取りにくい瞳を見つめて。
「この国は、いくら父上が統治したとは言え、まだ発展途上にある。
仕事の無い者、奴隷の者、落ちぶれた騎士や王族に不満を持っている者がごまんといる。
皆を救うために戦をして領土を広げ、働き口を増やしたい。
そうすればこの国も更に繁栄できるし、不満を持つ者も少なくなるだろう。
全てを実行するために、俺は王位を継ぎたい」
揺らがぬ強い意志を、強い瞳と共に語る。
理想を口にする第三王子を、暗殺者はじっと見ていた。
冷静な目で。
「・・・・・戦のために人が死ぬことを、是とするか」
ぽつり、と呟かれた一言に、エアゾルドは黙り込む。
「今も人は死に逝く。だが、それは人の手になるものではない。
食べ物を得られない、病を治せない、人に害をなすものを手に入れてしまう・・・・・。
理由は何であれ、現在迎えられる死はある意味で自然だ」
彼は口を挟んだ。
「だから、俺はそんな人々を救おうと」
「だがな、戦は違うだろう」
シュヴァルツ・ヴァルトは言葉の続きを遮る。
「皆は命を、力を、未来を、全てを王にあずけて殺し合う」
「・・・・・・・・・・・・」
「地位も名誉も、何もない。あるのは唯、戦争と言う名の殺し合いの場だ」
淡々と紡がれる言葉。
だからこそ、聞いている二人の心に深々と突き刺さる。
「そんな場に向かう名も無き人々の命を、お前は預かることができるのか?」
「・・・・・・それ、は」
エアゾルドが手を強く握りしめる。
対する暗殺者は、優雅に紅茶を一口飲んだ。
黙り込む彼に、暗殺者はさらに畳み掛けた。
「お前のために兵士が命を掛け、飢えのために弱者が死に、国民たちの尊き命が失われ。
争う国の民もまた死にゆくのだ、お前のために。お前の決断のために。
・・・・・・・いつか来る未来でなくとも、今まさにお前は、兄という肉親の命を奪おうとしている」
「っ!」
エアゾルドはまっすぐ顔を上げた。
感情の読めない漆黒の瞳が、動揺する青い瞳を見つめる。
「命は、決して軽いものではないぞ?
他人の命を奪っておきながら、重さに耐えかねて自らの命を差し出す者も居るほどに。
お前はその重さに耐えうるのか?
奪った命全てを背負う、覚悟はあるか?」
舞い落ちる沈黙。
琅は、己の主人を気にかけつつ、滑稽だと思った。
命の重さを、命の大切さを、数多の命を奪ってきた暗殺者に説かれるとは。
(・・・・なんと滑稽な)
押し黙ったままの幼さの残る第三王子をもう一度だけ見て、シュヴァルツ・ヴァルトは立ち上がった。
「背負う覚悟を決めたなら、私に暗殺を命じるといい。
感情のままに命じては、お前が潰れるだけだろうからな」
そうして背を向けた暗殺者を、琅は呼び止めた。
「ヴァ、ヴァルト様!
あなたは、あなたはその重さに耐えておられるのですか?」
少しの沈黙の後。
「どうだろうな。よく分からない」
「え・・・・?」
「命の重さを知っている。今まで奪ってきたものが、どれほど重いものかも知っている。
人の命を奪うことが、どれほどの罪なのかも知っている。
だが、生きるために殺めてきたから、この重みを苦痛だとは思わない。
傍らにこれがあることが、当たり前のことだったから」
重い命を奪うこと、その重さを自分が背負うことが当たり前だと思うほど、幼い頃から人を殺めてきた、と。
言外に告げて、漆黒の影は去った。
開け放たれた窓から、気持ちのいい風が吹き込んでくる。
琅は、今さらになって剣戟が止んだことに気づいた。
自分のために失われゆく命。
その重圧に耐えきれるものが、王となる。