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第七話:スタンガンの到着

愛しの舞へ会うため、圭太の「Y」詣でが始まった。

今までの夏休みではお昼過ぎに起床するのが常だったが、今年は一転して、毎朝九時半にしっかりと目を覚ます。「Y」の開店時間、十一時に間に合うようにするためだ。夏の夜は蒸し暑く、一晩で結構な汗をかくから、そのまま店に行ってしまえば、舞に汗臭いと思われるかもしれない。寝室のベッドから起き上がると、圭太がまず最初に向かうのは檜風呂だ。シャワーで寝汗を流し、舞にいい匂いだねと言ってもらえるように、髪の毛はハーブの香りつきシャンプーで、体は最近手に入れた抹茶石鹸なる代物で洗い上げる。風呂から出れば歯を磨き、洗面台の三面鏡とにらめっこして、スポーツ刈りを熱心に整える。

それから寝室に戻ると、クローゼットからお気に入りのTシャツとハーフパンツを取り出し、壁に据えつけられた大型の全身鏡で見栄えを確認する――今日は青いTシャツに白のハーフパンツを選んだ――。そして、撮影用バッグを背負って意気揚揚と玄関を出る。それがここ数日の圭太の朝の風景だ。店へ向かう間も、自転車はなるべくゆっくりこいで汗をかかないようにする、という念の入れようだった。

十一時きっかりに「Y」のドアを開けて店に入る。年代物の蓄音機が、いつものように「メリーさんの羊」を奏でている。もうすっかりメロディーを覚えてしまった。まだ客は誰もいない。今日も一番乗りだ。ところがどうしたことか、笑顔で迎えてくれるはずの舞がいない。

首を振って舞の姿を探す圭太に、仏頂面のウェイトレスが「何名ですか?」と聞いてくる。もう何日も圭太は一人でやってきているのだから、そろそろ圭太を見るなり一名とすぐに理解し、笑顔で座席に案内してくれてもいい頃だが、彼女は他人行儀をやめるつもりは少しもないらしい。圭太も負けじとばかりに「一人です」と他人行儀で答える。彼女の案内は無視してつかつかと歩き、勝手に一番奥のテーブルについた。

「店長、舞さんは休みなんですか?」

「いや、寝坊だよ」

そっけない返事だが、ヒゲ面の店長は圭太を常連客と認めてくれたようだ。言葉に親しみがこもっている。

「彼女が来る前に、腹ごしらえしたらどうだい」

「そうですね。今日はモカブレンドと、ジャムトーストがいいな」

「すぐに準備するよ。コーヒーは、二杯目以降は半額だからね」

店長はキッチンへと消えていく。

おかげで仏頂面のウェイトレスと二人きりになった。一番奥の席に座っているとはいえ狭い店だから、カウンターの前に立つ彼女との距離は三メートルほどしかない。クーラーがかかっているが、両者の間にはそれとはまた別の冷ややかな空気が流れる。

彼女も二人きりになるのは嫌なのだろう。圭太を視界に入れないようにドアの方を向いて、客がこないか気にするそぶりをしている。それでもお互いに意識しているから、自然と両者の目は合ってしまう。視線が合うと「先にそらした方が負け」という雰囲気になり、お互い張り合ってますます睨み合うようになる。

「もう何日も、俺は一番乗りでこの店に通ってるんだ。そろそろ俺を客と認めろよ」

この数日間、圭太が舞や店長と談笑していても、彼女は決して話に加わろうとはしなかった。楽しく話す三人を尻目に、一人そっぽを向いて突っ立っては、いつもの仏頂面である。しゃれた喫茶店で働く自分のことをよほどエリートと考えているのだろうか。選ばれし者だけが住める聖なる世界に、こんな小汚い餓鬼など入れるものか、といったようすである。

「こんなシカトを何日も続けるのはくだらないからもうやめようとか、そういう時間の経過に伴う思考の変化はないんだろうな。こういう馬鹿に時間の概念はない。五年でも十年でも、飽きることなく嫌がらせをしてくるだろう。芳樹と同じタイプだ」

連日店に通い、舞や店長との会話を繰り返すことで、自然とこのウェイトレスの情報も入ってくる。蓮沼千恵子はすぬまちえこという名前で、三十三歳、独身だという。彼氏がいるかどうかは分からないが、そこそこ男前の知り合いが何人かいるようだと店長から聞いた。

千恵子ははっきりと圭太を睨みつけてくる。これほどあからさまに睨みつければ、自分が相手を嫌っていることが当然、相手に伝わってしまう。そうなれば性格の悪い女だと思われたりしてしまう。しかし、千恵子は圭太に関してはそれでかまわないようだ。いい女と思われたいという感情が、圭太に対しては一切湧かない。つまり、圭太のことを百パーセント見下しているのである。

「こういう店には、こういう店員が必ず一人はいるからな」

圭太は右手をポケットに入れて、今日も忍ばせてある飛び出し式のナイフを握る。

「肋骨のすき間を通って、このナイフがてめーの心臓を貫くぞ?」

刃の全長は九センチ、幅は一センチ半ほどの小さなナイフだから、がむしゃらに全身をメッタ刺しにするか、的確に心臓を貫くかしないと、致命傷を負わせることはできないだろう。そんな物騒なことを考えている圭太に、店長がコーヒーとトーストを持って来てくれた。

カップを手に取ってモカブレンドを一口すすってみる。やはりこの店長、腕は確かなようだ。彼の入れたコーヒーは苦味、酸味共に絶妙の一品で、この冷え切った空気まで暖めてくれる。

その時、店のドアが開いた。舞が入ってきた。髪はきれいにとかされているが、寝坊して慌てたのか、服装はTシャツにジャージのズボンというラフな格好だ。

「おはようございま〜す!遅れてすみません!」

待望の舞の登場に、圭太はご機嫌だ。

「舞さん、こんにちは!」

「お〜圭太君、もう来てたんだ。私も早く着替えなきゃ!」

舞は笑顔でカウンターの奥へと消えていく。

「着替えなきゃ!」という舞のセリフがきっかけとなって、圭太の頭の中は舞の着替え姿でいっぱいになった。すると、舞と話すときの明るい顔が気に入らないのか、それとも舞へのいやらしい視線が気に入らないのか、千恵子は目つきをいっそう厳しくして、圭太を睨みつけてくる。

「しつこいな。お前なんか、このナイフを使えば今すぐにでも殺せるんだぞ?」

圭太は再びナイフに手をかける。実際のところ、大人の女性にこれだけはっきりと見下した態度をとられるのだから、圭太はショックを感じずにはいられなかった。自分が他の大人の客と比べてみすぼらしいことは自覚していたし、自分がとりたてて美少年でないことも分かっていたからなおさらだった。そのショックを隠すために、千恵子を怒らせる行動をわざと取ったり、ナイフを触ったりしているのである。殺してやると心の中で物騒なことを言ってみても、早く舞にそばに来てほしいというのが本音だった。

その舞が、店のユニフォームの四点セット――純白のワイシャツに、対照的な真っ黒なネクタイ、ズボン、エプロン――に着替えてやってきた。

「圭太君はしっかりしてるね。毎日ちゃんと十一時に来てさ」

舞が瞳を輝かせて話し掛けてくる。何気ない雑談のときでさえ、何かとても面白い話をしているかのように瞳を輝かせてしまう。それが、舞が自然に身に付けている社交術だった。舞が来てくれて心強くなった圭太は、千恵子のことは忘れて早速、舞の胸に目をやる。

「今日は青のブラジャーか」

ワイシャツから舞の下着が透けて見えている。透けているのを知ってかしらずか、黒やらピンクやらグリーンやら、舞はいつもカラフルなものを付けてくる。子供の圭太には刺激が強い。しかし、芳樹の写真を思い出すと、透けた下着を眺めるぐらいで満足してはいけないと自分を戒める圭太だった。

「エスプレッソ式は沸騰の蒸気圧を利用してコーヒーを抽出するんです」

「すごいね〜。どんどんコーヒーに詳しくなっていくね〜」

「サイフォン式はスコットランド人の発明ですよ。これは空気圧を利用してます」

舞との会話が弾んですっかり機嫌が良くなった圭太であったが、それを邪魔するかのように携帯が鳴った。

折りたたみ式の携帯を開いてみると、画面には「豚」と表示されていた。芳樹である。

一瞬で気持ちが沈み、顔が曇る。その変化に気づいて舞が声をかけてくれる。

「どうしたの?嫌な相手からかかってきたのかな?」

「何でもありません。ちょっと、店の外で話してきます」


芳樹からの電話は、それはそれは不快な内容だった。

「もしもし、圭太だけど」

「あ〜、俺、俺、芳樹」

「何の用事?」

「お前に聞きたいことがあってさ」

まるで格下の相手に接するような口調である。

そしてその口調のまま、意味の分からないことを聞いてきた。

「カップラーメンって、五分間温めなくちゃいけないのもあるよな?」

「……何なんだよ、その質問は」

「だからさ、カップラーメンって、五分間温めなくちゃいけないのもあるよな?」

質問にいたる経緯も説明せずに唐突な質問を繰り返され、圭太の苛立つは募っていった。電話からやかましい音楽が聞こえてくる。カラオケボックスからかけてきているのだろう。

「だからさ、カップラーメンは五分間温めなくちゃいけないのもあるよな?」

「そんなこと知らないよ」

芳樹の声の後ろから、女性の歌声が聞こえてきた。

「俺今女子高生とカラオケに来てるんだ。そしたらカップラーメンは五分間温めるのがあるかどうかって話になったんだ。だけどみんな分からないから、こうしてお前に聞いてるわけ」

圭太は芳樹の意図が分かった。つまり、芳樹は今女子高生達とカラオケで遊んでおり、そこでカップラーメンは五分間温めるものがあるかどうかいう他愛のない話になった。そしてそんなことは人に電話して聞くほどのものでないと分かりつつ、自分が女子高生と遊んでいることを知らせるため、圭太に電話をかけてきたのだ。

「なあ、カップラーメンは……」

「知らないよ!」

「怒るなよ〜。お前今なにやってんの?ひとり?」

「関係ないだろ!」

芳樹の嫌味に耐えかねて電話を切った。

とぼとぼと店へ戻って座席に座り、残り少なくなったコーヒーをすする。

「何かあったの?」

元気がなくなった圭太を心配して、舞が透けた下着を見せつつ聞いてくる。胸元を眺めながら「何でもないです」と答える圭太。小ぶりで形良く膨らんだ舞の胸を眺めていると、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。冷静に対処していれば、芳樹の嫌がらせ電話に対して、色々な反撃ができたことに気付き始める。

「舞さんに電話を代わればよかったんだよな。そうすれば、芳樹も俺が女といることを知って悔しがったかもしれない。何でそれに気付かなかったんだ。俺は芳樹のあの豚のような嫌な声を聞くと、冷静さを失ってしまうんだ」

ドアを開けて、スーツ姿の男性客が入ってきた。

「ごめんね。お客さんが来たから」

舞は来店した客の方へかけていった。

「いらっしゃいませ!」と元気にあいさつする舞の後姿を、圭太はあらためてじっくりと眺めた。

舞は身長は百五十八センチで大柄というわけではない。しかし猛練習のかいあって、中学時代はバレー部のエースとして活躍したらしい。高校へ上がると同時にバレーは辞めてしまったが、今でも筋トレや、夜のジョギングは欠かさないという。その成果だろう、運動している女性特有の精悍な体つきをしている。

「舞さんは俺に心を開いてくれてるよな。でも、舞さんは誰にでもフレンドリーに話すからな」

圭太の言葉通り、舞は初対面の男性客ともすぐに打ち解けて、にこやかに談笑している。男性客に見せる舞の笑顔は、圭太へのものと何ら変りはなかった。やはり、舞にとって圭太は特別な存在ではないということか。舞が誰にも分け隔てなく放つ無数の笑顔の中の、ほんの一つが圭太に向けられているだけということか。男性客のにやけた顔が癪にさわる。

舞と話せぬのでは意味がない。圭太は「Y」を出ると、女性を求めて市内を巡回し始めた。

声かけが上手くいかなかったため、今日も痴漢を五件ほどやった。

日が落ちてから帰宅したが、リビングのソファに腰掛けた時、インターフォンが鳴った。スタンガンの到着である。

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