第十四話:標的の再確認
翌日。午後十二時。喫茶店「Y」。
店内は賑やかな空気に包まれていた。
そこかしこのテーブルで、男性客達がせわしなくコーヒーを飲んでいる。
店長はカウンターで、メニューの聞き取りに忙しい。
ここ数日、「Y」は目に見えて男性客が増えており、店内は早朝の駅のプラットホームのような騒々しさだった。
「今日は元気ないね」
舞が圭太に尋ねた。
「いつもより二時間も遅く来たし、食欲もないみたい。何か悩み事でもあるの?」
「いえ、悩んでるわけじゃないんですけど」
圭太は顔を上げた。
「何か元気ないよ?いつもの圭太君と違う感じがするんだけど」
舞は食器を片付けながら言った。
「悩んでる事があるなら、何でも言ってね。私と圭太君の仲なんだからさ」
舞の言葉に、圭太の胸は高鳴った。
(昨日の夜、あんなことがあったからな)
圭太は、思い出した。
昨晩、真っ赤なスタンガンの実験を真理子に行った。高圧電流が真理子を襲い、彼女は後ろへひっくり返った。
壊れたマネキンが、蹴り倒されたようだった。
クーラーの効いた部屋の中央で、真理子は冷凍食品のように固まって倒れていた。24歳になったばかりの、若く美しい女性が、
自分の眼前に横たわっていた。が、その体からは、女性的な温もりや、柔らかさを感じることはできなかった。冷え冷えとした、
人間の形をしただけの、鉄の塊のようにしか見えなかった。真理子の胸に伸びかかった手は、寸でのところで止まってしまい、欲情はすっかり萎えた。
あとはただ、濡れタオルで彼女を介抱するばかりだった。
「昨日、いろいろと嫌なことがあったので」
圭太はうつむいて話した。
「嫌なこと?」
舞が問い返した。
「圭太君、それで今日は元気がないんだ。私は元気な圭太君が好きだからさ、嫌な事があったなら、何でも私に言ってね。それで圭太君が少しでも元気になってくれるなら、私も嬉しいし」
「僕自身の問題です。舞さんが心配することはありません。大した問題じゃないんです」
「大した問題じゃなくても、悩んでるなら私に話してね。一人で抱え込まないほうがいいよ。私でよければ、いつでも相談に乗るよ」
圭太は、胸が熱くなるのを感じた。
「うるさいな」
千恵子がつぶやいた。
「他の客がいるんだから、静かにしなさいよ。みんな、迷惑そうな顔をしてるじゃない。店の評判が落ちたらどうするのよ。
食器を持ったまま、客と立ち話をするなんて」
「すみません。すぐに下げますから」
舞は顔を強ばらせ、キッチンへと消えていった。
「舞さんは何も悪くありませんよ」
圭太が反論した。
「他の客だってにぎやかにしてるじゃないか。うるさいのは、お前みたいな馬鹿のほうだろう」
圭太は視線を千恵子へ移した。
千恵子は黙ったまま、店の外を眺めている。
圭太が、わざと大きな声で千恵子への皮肉を言ってみても、彼女はおそらく、無視を決め込むだろう。
こんなヒステリー女に構ってもしかたがない――圭太は再び、真理子に思いを馳せた。
「正気に戻って、今ごろ警察に通報してないだろうな」
呆けた顔の真理子を思い出す。
圭太は、意識を取り戻した真理子に向かって、感電の原因をまくし立てた。
真理子が首に付けていた金属製のネックレスに、電気が集中してしまったと。ネックレスのチェックを怠った自分のミスだと。
そして、放心状態の真理子に土下座をした。
僕は世界一の馬鹿です――。どうぞ、僕を嫌ってくれて構いません――。
警察へ通報されるくらいなら、どんな恥でもかいてやろうと思った。その圭太の願いが通じたのか、真理子はスタンガンの
過剰な威力については言及せず、彼女の失神は、単純な事故であったと認めた。
「圭太君、気にしないで。私は何ともないから」
真理子は、圭太を気遣う言葉さえ言ってくれた。
(一晩経って、気が変わってないだろうな)
圭太はコーヒーをすすりつつ、思案した。
(今頃、警察に通報してるかも……。真理子さんの携帯に電話をして、様子をうかがってみようか?
いや、下手に刺激しないほうがいい。彼女のほうから連絡をとってこない限り、俺からは何もしないでおこう)
あの女とは、もう二度と会わないだろう。これ以上、関わらないほうがいい――。
圭太がそんなことを考えていた時、舞がキッチンから出てきた。
「舞さんて、ホントに可愛いな」
圭太は、舞を眺めた。舞は、他の客のテーブルの前に立ち、注文をメモに取っている。真夏の太陽のように、輝いて見えた。
店内にいる男性客のほとんどが、同伴者と談笑するかたわら、獲物を狙う獣のような目つきで、舞のことを見つめている。
はやく俺のテーブルに来てくれ――と、舞に懇願しているように見えた。
舞はそれに気付いていないのか、男達を視界に入れることはなく、ハリのある大きな声で、注文されたメニューを店長に告げている。
「あの可愛さを、壊したくない」
圭太は独り言を言った。
「舞さんの可愛さを壊さないまま、意識を失ってほしいんだよ。真っ赤なスタンガンは、威力が強すぎだ。
髪の毛を振り乱しながら、頭から足の先まで一直線に固まった舞さんなんて見たくないんだ!」
舞の可愛らしさが、そのまま保存された状態で、意識を失ってほしい。その舞を手に入れてこそ、
自分の目的は果たされる――。それ以外に、自分の舞への興奮を満たす方法はない――。
ふと、圭太の目に千恵子が映った。相変わらず、圭太を視界に入れないように、そっぽを向いている。
(お前なら、真っ赤なスタンガンをいくらだって浴びせてやるんだが)
「圭太君、コーヒーのおかわりはいる?」
舞が話し掛けてきた。
「いえ、今日はもう帰ります」
圭太は席を立ち、レジへ向かった。舞がレジについた。
「1580円……。丁度お預かりします。圭太君、またね!」
「はい、また明日も来ます!」
圭太は店を出ながら、もう一度、舞を見た。
舞は笑顔で、こちらに手を振っている。
(やっぱり可愛い……。俺は何としても、舞さんを手に入れたい。思う存分触りたい。そして、思う存分撮影したい)
舞の後ろに、彼女の背中を見つめる男性客達の姿が見えた。
(大人の男達も舞さんを狙ってる。早く何とかしなければ)
頭をかきむしった後、圭太は言った。
「睡眠薬を買おう」