第十三話:真理子への実験
「優しくて元気なお母さんになんてなりたくない」
「何が何でも、明るいお母さんになんてなりたくない」
「息子にぶら下がりっぱなしのお母さんでいたい」
「家庭を照らす、太陽のようなお母さんになったら、誰にも助けてもらえなくなるじゃない」
「暗いお母さんでいることが、息子に悪影響を与えるのは分かってる。でも、それを責めないでほしい。私は疲れ果てているから」
「私に母性なんて求めないでちょうだい。でも、あなたはいつも元気な息子でいてね」
「料理を作るということが、どんなに嫌な作業か分かってるの?」
午後七時。真理子のアパートの部屋。
キッチンで、真理子が夕飯の準備を始めると、圭太の体は冷たくなった。鍋に向かう真理子の後ろ姿は微笑ましいものであったが、圭太の目には、怒り狂った悪鬼の後ろ姿に見えた。耐え切れず、圭太はテレビに視線を移した。ブラウン管上で、二人組のお笑い芸人がネタを披露している。
芸人達は結婚を題材にミニコントを始めた。突っ込み役の芸人が、結婚への夢を語り始めた。
朝、目を覚ますと、新妻が作ってくれた味噌汁の匂いが、キッチンから漂ってくる――そんな新婚生活が夢だと言っている。
「料理が好きな女なんているもんか。女にとって料理なんて、嫌で嫌で仕方がないんだよ」
芸人は夢を語り続ける。味噌汁の匂いの後、新妻の包丁の音がトントントンと――聞こえてくるのだと言っている。
「そんなことが起こるわけがない。朝食なんて作らせたら、相手の女は怒り狂うに決まってる」
芸人はさらに、笑顔で語り続ける。結婚相手は、料理が上手な女性がいいと言っている。
「料理が上手でも、料理をすること自体は大っ嫌いなんだよ。料理が好きな女なんていないんだよ」
圭太はテレビを消した。
エプロン姿の真理子の背中を、恐る恐る眺めてみる。
真理子はパスタを作っている。
「女らしさをアピールするために、仕方なく料理をしてるんだろうな」
パスタが茹で上がったようだ。お湯を切って、皿にのせた。真理子は手作りのトマトソースをかける。
「缶詰のトマトソースで済ませればいいのに。手作りなんかめんどくさいって、本音を言えばいいのに」
皿を二つ抱えて、真理子がやって来た。テーブルに、真理子特製の、真っ赤なパスタが二つ並ぶ。
「お待たせ」
真理子は笑顔で圭太を見る。
「もう、七時だね。お腹空いたでしょう?」
「はい。もう、お腹ぺこぺこですよ。真理子さんの料理、とってもおいしそうですね!」
「少し、味が薄いかもしれない」
「気にしないでください。僕は、薄味の方が好きなんですよ!」
圭太はフォークを手にする。
「いただきます! うわ、おいしい!」
口の中に、トマトソースの味が広がる。
「市販の缶詰のソースなんかより、はるかにおいしいです!」
「ほんと? よかった!」
真理子は嬉しそうに笑い、フォークを取った。
「圭太君はお金持ちの息子さんだから、高いお店の料理を食べて育ってるでしょう?舌は確かだろうね」
「味付けは丁度いいですよ。僕は父に連れられて、沢山の高級レストランに行きました。真理子さんの味付けは、一流のシェフにも引けを取りませんよ」
出来たての熱いパスタを口に含みながら、それでいて、圭太の体は、まだ冷え切っていた。
(褒めてやらないと、どんなヒステリーを起こされるか分からないからな)
真理子に紅茶を入れてもらった。圭太は大のコーヒー党だが、それについては語らず、自分は紅茶が大好物だと伝えた。
紅茶の赤い色を見る。赤い色。真っ赤なスタンガンである。
圭太はフォークを置き、右手をポケットに入れて、真っ赤なスタンガンを握った。
「僕、将来は物理学者になりたいんです」
「物理学者?」
「僕、電気に興味があるんです」
「電気? 圭太君まだ小さいのに、電気に興味があるの? すごいね〜。私は文系だから、電気関係はぜんぜんだめだよ」
「電気の勉強の為に、県立科学館によく行くんです。真理子さん、科学館の売店で、おもしろい物を手に入れたんですよ」
圭太はポケットからスタンガンを取り出した。怖がらせぬよう、真理子から距離を置いて、遠目に見せる。
「子供用のおもちゃのスタンガンです」
「きれいだね。真っ赤に塗られてる。私、スタンガンなんて始めて見たよ」
「科学館の売店にしか売っていません。けっこう、レアな代物なんですよ」
「『最強』『最弱』って書いてあるね。なんか怖い」
「子供用のおもちゃですから、威力はありません。三秒ほどお腹に通電させると、全身に電気が走る感覚を体験できるんです」
「へ〜」
「僕もやってみましたが、言葉では表現できない、不思議な感覚でしたよ。これのおかげで、より一層、電気に興味を持つようになりました。開発者は、子供達に電気のおもしろさを学んでもらいたかったのでしょう」
圭太はまず、「最弱」にセットしたスタンガンをお腹に当てる。
「1、2、3……。少し、ピリッときました」
スタンガンの安全性をアピールする。
「大丈夫なの?」
「全然平気ですよ。一度覚えると、病みつきになります」
真理子に「最弱」を当ててみようとする。真理子は腹部に当てるのを怖がって、指先で触ろうとした。
「指で触るのは危険です。知ってますか?爪って、電気を吸収しやすいんですよ。肉で守られているお腹の方が、安全なんですよ」
「そんなことあるの?」
「電気技師の間では、『爪は絶対に感電させるな』って常識ですよ。恥ずかしいですよ? 真理子さん。子供の僕でもこれぐらいのことは知ってるのに」
真理子は納得したようである。真理子の腹部に「最弱」を当てる。
「うん、何か変な感じ。おもしろいね」
「次は『最強』です。これは結構効きますよ」
「最強」にセットされたスタンガンを真理子に見せる。圭太は自分の腹部に当てた。が、腹に電極が触れる寸前に、人差し指をスライドさせ、「最弱」に戻していた。
「1、2、3……。おお、『最強』は結構きついかも」
高圧電流を浴びているかのように、大げさに震えてみせる。
「でも、もう慣れちゃったな。物足りないや」
同時に、笑顔を絶やさないようにする。額にしわを寄せたり、苦痛に歪んだ顔をしてはならない。笑って済ませる程度の痛みでしかないことを、真理子に印象付けなくてはならない。
「さて、今度は真理子さんの番ですよ」
「大丈夫かな?『最強』でしょ?怖いよ」
「弱虫だなぁ。科学館の中じゃ、小学生の女の子達が、『最強』に感電して遊んでいるのに」
圭太は人差し指を上にスライドさせた。
「いきますよ?」
「うん」
「最強」にセットされた真っ赤なスタンガンが、真理子の体に吸い付いた。
圭太はカウントを始めた。
(い……)
その瞬間、真理子の体は足から頭まで、棒のように一直線に伸び上がった。巨大な腕が、真理子の頭をわしづかみにして、思い切り上へ引っ張り上げたようだった。彼女の体は一直線に固まり、そのまま後ろへ倒れた。頭を床に打ちつけたのだろう――鈍い音がした。髪の毛は磁石で吸い上げられたように逆立ち、眼球は、外へ半分飛び出ていた。口はポカンと開き、横から泡を垂らしている。
三秒どころか、「一」さえ数え終わらぬうちに、真理子は激烈な失神をとげた。予想外の光景に、圭太は動揺した。
「悲鳴すらなかったが、死んでしまったのか?」
真理子は体をまっすぐに伸ばしたまま、床に倒れている。意識は完全にない。
「どうしよう。救急車を呼んだ方がいいんじゃないか?」
圭太は、携帯を取り出し、「1……1……」とボタンを押した。
「でも、救急隊員に、何と説明すればいい?」
インターネットで買ったスタンガン――しかも、おそらく違法な改造をされている――を使用して、この女性を失神させましたとでも言うのだろうか。救急隊員達は、ためらわずに警察へ通報するだろう。圭太のエリートとしての人生は、その瞬間に、終わりを告げる。
最後の「9」を押す前に、真理子の胸が、圭太の視界に入った。
(大きなおっぱいだなあ)
圭太は、真理子を失神させた目的を思い出した。真っ赤なスタンガンの威力の実験――。その為に、真理子を失神させたのだ。そして、それは成功した。「最強」は、女性の意識を奪うに十分な威力があることが証明された。首尾よく失神させることが出来たのだから、あとは真理子の体を、思う存分弄べばいいではないか。そして、その様子を、ビデオカメラで撮影すればいいではないか。これだけ派手に意識を失ってくれたことは、圭太にとって、好都合なはずである。
圭太は右手を、真理子の胸の中央に当てた。指先に心音を感じる。
「生きている」
真理子の体全体を眺めてみる。腹部がゆっくりと上下に動いている。手や足に、痙攣はない。
(死ぬような気配はないな。救急車は呼ばなくていい。それよりも、真理子さんのおっぱいを早く触ろう)
中央に当てた手を、横に移動させようとする。
だが、目をひんむき、口をポカンと開け、体をまっすぐに伸ばして倒れている、この異様な姿の真理子を見ると、圭太は途端に、正気に戻ってしまった。
「だめだ。やっぱり真理子さんは死ぬかもしれない。このまま様子を見た方がいい」
女性らしさが損なわれたこの真理子の姿に、欲情することは不可能だった。
圭太は風呂場に行き、タオルを調達すると、水で濡らして折りたたみ、真理子の額に置いた。