第十話:襲撃
夜間に女性を見つける場所といえば駅である。圭太は迷わずT駅へ向かった。
T市では電車の線路は全て高架式になっているので、市内に踏み切りは一つもない。T駅は二階建て構造で、電車は高架式の線路によってT駅の二階へ乗り入れる仕組みになっている。
T駅東口には交番があるので、圭太は西口で女性達を待ち構えることにした。
西口駅前は広々とした開放的な空間で、その中心には豊かな緑の葉をたずさえた高さ十メートルの大木が一本植えられ、場を引き締めるシンボルとなっている。その大木の周りをドーナツ状の道路がぐるりと囲み、バスやタクシーがせわしなく行き交う。その道路に沿ってコンビニ、ファーストフード店、レストラン、さらには銀行、郵便局まである。何から何まで揃ったいっぱしの近代的駅前広場である。
ドーナツからやや離れたところに、自転車やバイクがずらりと並ぶ駐輪スペースがある。圭太はそこに自転車を止め、女性達を待つことにした。
「白線の内側にさがって……」というアナウンスが駅から漏れて聞こえてくる。高架を見上げれば電車がやってくるのが見える。電車が来るということは、女性達が下車して大量に駅前に出てくるということだ。圭太の胸は高まる。
仕事帰りのOL、学校帰りの女子大生、女子高生。OLと女子大生は一人で出てくる場合が多いが、女子高生は友人と固まって出てくることが多いようだ。単独の方が襲撃しやすい。OLと女子大生に絞り込む。女子大生は私服でジーパンを履いている者が多いようだ。これでは襲撃した時に動かれやすい。その点、OL達はスカートにハイヒールが多い。これは相当に動きにくいだろう。圭太はスカートを履いたOL達に狙いを定めた。
圭太は今回の実験にあたって、被験体は美人にするか、美人でない女性にするか、まだ決めかねていた。痴漢はしたことがあっても凶器で女性を襲うのはこれが初めてである。記念すべき第一回目の襲撃なのだから、最初の犠牲者は美人で飾りたいという気持ちがある。しかし、美人を見つけたとしても、その美人が都合よく人気のない場所へ行ってくれるとは限らない。状況が整わないのに、こんな美人はなかなかいないからと襲いかかってしまえば、多数の人間に目撃されてしまう。そして警察へ通報されるだろう。最悪、通行人に取り押さえられるという新聞紙上でおなじみの大恥をかくことになる。今回は容姿の美醜にはこだわらず、人気のない場所へ行くかどうかという基準のもとで女性を選ぶことにした。
それにしても厄介なのは、女性達にティッシュを配っている大人の男三人組だ。彼らが働く店のユニフォームなのだろうか、三人とも同じ水色のポロシャツを着ている。ちらちらと駅前をうろつかれて邪魔でしょうがない。しかも、この男達はティッシュを配るために四方八方に顔を向けるので、時折、圭太のこともその視界に入れてくる。こう何度も見られては顔を覚えられてしまうではないか。圭太はコンビニやファーストフード店へ視線をやり、男達と目が合わないように心がけたが、やましいことを考えている時はかえって人と目が合いやすくなるもので、一番手前の男と目が合ってしまった。
「まずいな」
顔を覚えられただろうか。不審者と思われただろうか。これ以上この男と目が合えば存在を意識され、いずれ女性達を物色していることに気付かれるだろう。男から視線をはずそうとしたが、再び目が合ってしまった。
「しまったな」
ティッシュ配りの男は圭太の存在を完全に認識したようである。その上、やましい目的でこの場所にいることもわずかに感じ取られたようだ。男は笑顔でティッシュ配りに精を出すかたわら、不審者を監視する警察官のような顔で圭太を見てくるようになった。
「覚えられたな。場所を変えたほうがいいか。でもあんな奴のために、なんで俺の方が移動しなきゃいけないんだ」
対抗意識が働いて、危険だが、圭太はずっとこの場所にいることに決めた。
午後八時二十分。
ついに襲撃にうってつけの女性が現れた。駅から一人で出てきたその女性は身長百五十センチほど。髪は黒髪で仕事のためだろうか、後ろできつく縛っている。白いワイシャツに黒のスカート、足にはハイヒールである。髪型も、服装も、歩き方も、どこか地味で覇気がなく、近づきがたいような圧迫感は全くない。小柄なこともあり、最初の襲撃には最適の目標といえた。
女性は圭太の目の前を通り、高架沿いに歩き始めた。高架下の駐輪場も素通りである。自転車には乗らないようだ。この様子を見て圭太は彼女を襲うことに決めた。ティッシュ配りの男を見る。こちらを向いていない。チャンスである。
自転車に乗り、存在に気付かれないようライトは点けず、彼女の歩調に合わせてゆっくりと後をつけていく。近づきすぎないよう、時折停車して距離をあける。駅前こそ賑やかだが中小都市の哀しさか、三分も歩けば辺りは街灯以外の光はなくなる。暗闇の中、圭太はニ十メートルの距離を保ちながら彼女を追った。
五分後、女性は高架沿いを歩くのをやめ、左折して住宅街へ入っていった。より人気のない場所へ自ら移動してくれた彼女を圭太は静かにつけていく。
女性は住宅街の中をさらに数回右左折をして、より入り組んだ道へと入っていく。
ヘッドライトをつけた車が一台すれ違った。それ以外は彼女と二人っきりである。
二分経って、いよいよ状況が整った。女性が住宅街の小道から、さらに薄暗い、家と家の間に造られた狭い歩道へと入っていったのである。
これを見て圭太はいよいよ腹を決め、自転車を降り、四方を見渡して周りに人がいないことを確認した。周辺住宅の窓から人が覗いていないか、さらに住宅のベランダにも人がいないか確認した。誰もいない。
バッグからストッキングと帽子を取り出した。頭からストッキングをかぶり、さらにその上から帽子を深くかぶる。左手でポケットから真っ赤なスタンガンを取り出すと右手に持ち替え、スイッチが「最強」にセットされていることを確認する。準備を終えた圭太は歩道へと入っていった。
家と家にはさまれた狭い一本道の先に、女性の後ろ姿が小さく見える。足音をたてぬよう注意しつつ、圭太は早歩きで距離をつめていく。女性の後ろ姿が大きくなってくる。五メートル、三メートル、一メートル。胴体を締め上げるべく左腕を彼女へのばす。同時に右手に力を入れスタンガンを握り直す。
そして彼女の胴体を締め上げようとしたその時、圭太の心の中に叫び声が聞こえた。
「本当にこの人を襲っていいのか?」
圭太の一瞬の躊躇であった。
「 この人はどこか気弱で、元気がなくて、自分が美人でないことを自覚しているように見える。そのことをコンプレックスにして、下を向いて、つつましく生きているように見える。この人は襲うべき相手だろうか?」
彼女の覇気のない背中に、圭太はふと、容姿の醜さを理由に芳樹にいじめられた日々を重ねた。醜い顔を見せるなと言われ、直せと言われ、虐げられた日々。容姿というのは生まれた時に決まってしまうものだから、他人の芳樹にとやかく言われても、圭太にはどうすることもできなかった。それなのに容赦なく嫌がらせをされたあの悔しさ。あの悔しさを、この覇気のない女性も味わってきたのではないか?髪形、服装、歩き方から伝わってくるこの陰鬱な雰囲気はいじめによるものではないか?この人は職場でいじめを受けているのではないか?そして今、その疲れた心と体を癒すために、帰宅しようとしているのではないか?
彼女は目と鼻の先にいる。少し手をのばせば、この真っ赤なスタンガンを押し付けることができる。だがこの寂しい背中に高圧電流を浴びせることが、正義と言えるだろうか。
テレビニュースでは、少年達による凶悪犯罪が連日報道されている。
「あいつらはアドルフ・ヒトラーに憧れてるだの、自分は神だの、そんなことを言えば周りが怖がってくれると信じてる」
少年犯罪者達はいっぱしの凶悪犯を気取っているが、いざ襲うのは中年女性だの、自分を振った同級生だの、腰の曲がった老夫婦だの、圭太から見れば笑いをとるための三文芝居であった。
「あんな低脳な奴らと一緒になりたくない」
寸でのところで襲撃を中止し、圭太は彼女に気付かれぬよう、そっと後ろへ振り返って帽子とストッキングを脱いだ。そしてスタンガンをポケットにしまうと、歩道を逆戻りして去っていった。女性は何も気付かないまま一人歩道を歩いていった。
圭太は自転車へ戻ってみると、襲撃を中止したことは正しかったとあらためて感じた。
あのティッシュ配りの男がいたのである。この男は圭太の後をつけていたのだ。圭太が歩道へ入り込んだ瞬間は見損なったらしく、自転車の付近をしつこく捜索していたようである。もしも女性を襲って悲鳴でもあげられていたら、この男が飛んできて取り押さえられていただろう。
男は性犯罪者と断定した視線を圭太に送ってくる。その視線を無視して自転車に乗ると、圭太は男の目の前をこれみよがしに通り過ぎて走り出した。
「周囲に人がいないかあれだけ確認したのに、この男につけられていることに気付かなかった。本気で尾行されると気付くのは困難だな。今後の課題にしよう」
圭太は五十メートルほど走ってから自転車を止めて振り返ってみた。これだけの距離をとっても、男はあいかわらず圭太を見ていた。
「しつこい野郎だ」
相手は屈強な大人の男である。下手に刺激すると追いかけてこられそうなので、すぐに目線をはずし、圭太は自転車を走らせた。