ノイズキャンセリングを切らないで
AM 2:10。
イヤホンのノイズキャンセリングを入れた瞬間、足音がした。
こつ。
顔を上げる。
深夜のワンルーム。玄関からベッドまで、遮るものは何もない。
誰もいない。
こつ。
また聞こえた。
イヤホンを外す。
冷蔵庫の駆動音。
パソコンのファン。
遠くを走る車。
それだけ。
イヤホンを戻す。
ノイズキャンセリング、オン。
こつ。
こつ。
さっきより近い。
外す。
消える。
つける。
こつ。
外す。
無音。
オン。
こつ。
気味が悪くなって、スマホの録音を起動した。
一分待つ。
こつ。
こつ。
確かに聞こえる。
玄関。
廊下。
少しずつ近づいてくる。
録音を止め、再生した。
何も入っていなかった。
イヤホンを外して聞く。
無音。
つけて、ノイズキャンセリングを入れる。
こつ。
聞こえる。
ネットで仕組みを調べた。
外側のマイクで周囲の音を拾い、それと逆の波形を流して打ち消す。
そこまで読んで、手が止まった。
イヤホンが作っている音じゃない。
何かを、
消している。
こつ。
玄関を見る。
鍵は閉まっている。
チェーンも掛かっている。
こつ。
今度は、玄関の内側から聞こえた。
息が止まる。
こつ。
廊下。
こつ。
キッチン。
こつ。
ベッドのすぐそば。
そして。
ぺた。
音が変わった。
こつ、じゃない。
裸足だった。
ぺた。
ぺた。
目の前で止まった。
俺はイヤホンを毟り取った。
消えた。
誰もいない。
狭い部屋だ。
隠れる場所なんかない。
疲れているだけだ。
そう思うことにした。
イヤホンを机に置き、ベッドへ入った。
照明は消さなかった。
何も起きない。
馬鹿馬鹿しい。
目を閉じた。
枕の右側が、ゆっくり沈んだ。
目を開ける。
誰もいない。
けれど沈んでいる。
誰かが俺のすぐ横に手をついて、顔を覗き込んでいるみたいに。
震える手でイヤホンを拾った。
耳に入れる。
ノイズキャンセリング、オン。
足音はしなかった。
代わりに、
すう。
はあ。
呼吸が聞こえた。
右耳のすぐそば。
軽い。
細い。
俺は息を止めた。
すう。
はあ。
まだ聞こえる。
その呼吸に、小さな声が混じった。
「……ねえ」
女だった。
若い女の声。
すう。
はあ。
「きこえてる?」
俺はイヤホンを外した。
消えた。
すぐにつける。
「ねえ」
近い。
「こっち」
外す。
無音。
オン。
「むいて」
外した。
もうつけなかった。
両手で耳を塞ぐ。
聞こえない。
何も聞こえない。
大丈夫だ。
そう思ったとき、机の上のスマホが点灯した。
録音アプリ。
さっき録った一分間の音声が、勝手に再生されていた。
ザーッ。
ザーッ。
やっぱり何も入っていない。
そう思った。
四十七秒。
小さく、女が笑った。
俺は動けなかった。
五十二秒。
「みつけた」
五十六秒。
「もう」
五十八秒。
「イヤホン」
五十九秒。
「いらないよ」
再生が終わった。
スマホの画面に時刻が出た。
AM 2:10。
おかしい。
さっきから、一分以上は経っている。
部屋は静かだった。
その静けさの中で、
俺の右耳に、
若い女が唇を寄せた。
「ねえ」
今度は、
ノイズキャンセリングをしていなかった。
夜勤明けの置き土産です。
AM 2:10に置いておきます。
その頃、私は寝てます。
たぶん。
おやすみなさい。




