人の心が壊れるとき
私は専門家ではないが、人の心を見てきた。だから、人の心が壊れる条件を知っている。
その条件は、「自分の中にあるものを世界から絶対的に否定されたとき」だ。
・正しい行いをしたはずなのに、世界はそれを悪だと言う。
・才能があるのに、世界はそれを無いと言う。
・あるはずの苦しみを、世界はそこに痛みはないと言う。
これはほんの一例だが、「自分の中にあるもの」、「自分を作り出しているなにか(=正義感や才能など)」を否定された人間は、脳に強い衝撃が生まれる。
意味が分からないからだ。
脳が理解を拒否していると言ってもいい。
この抽象的な話をイメージしやすいように、少しだけ「私が万引きを疑われた話」をたとえにする。胸糞悪い話だから、少し気を引き締めて読んでほしい。
今年。生まれて初めて万引きを疑われた。私は万引き犯を捕まえた経験があるから、スーパーに行くときには、万引きと間違われないように細心の注意を払っていた。
それなのに万引きを疑われた。
店員は、セルフレジで会計をしている私に「その商品、レジに通してませんよね?」と話しかけてきた。
店員が指さした商品は、その店で取り扱っていない商品だった。
初めは意味が分からなかった。
万引きの疑いで声をかける時のセオリーである「疑って申し訳ない」という、申し訳なさを欠いた断定。
会計が終わっていないのに「声をかける」というタイミングのミス。
「店を出てから声をかける」というお客さんの信用を傷つけないための配慮に欠けた行動。
なにより、店内にない商品を「うちの商品」と勘違いしたまま、行動に移したこと。
極めて理不尽な出来事だった。
◇
この「万引きを疑われた経験」は、誠実であろうとする私の心を引き裂いた。いまもずっと心が癒えてない。
この心の痛みは、「店員さんが万引きを疑うのは大変だろうから、少しでも協力しよう」と気をつけていた私を、「万引きを疑う」という行為で、世界が否定したために起きている。
文面では普通にみえるかもしれないが、あの日から私の心は不調のままだ。理由もなく、涙が出そうになる。
◇
この話を見てもらったら分かるように、「自分の中にあるもの(=この場合、誠実性)」を、「世界が否定(=非誠実な言動)」したことで、私の心には亀裂がはいった。
・正しい行いをしたはずなのに、世界はそれを悪だと言う。
だから、私は心に深い傷を負った。
名作映画の『ビューティフルマインド』では、主人公の才能を世界が否定したことが、物語の核にある。
・才能があるのに、世界はそれを無いと言う。
だから、主人公は傷を負い、自分の世界に閉じこもった。
WHOは「電磁波過敏症」を認めてはいないものの、「その人たちの苦しみがあることには変わりがない」と言い、苦しんでいる人の苦しみを「無い」と言うことが、その人たちの苦しみを増やすことを問題視している。
そこにあるはずの苦しみを、世界が「ない」と言ったとき、その人たちの痛みはどこに向かえばいいのだろうか?
せめて、このエッセイを読んだ人が、誰かの大切にしているものを否定する世界の一部にならないことを願っている。
そのために、思い出したくもない万引きの話を書いたのだから。




