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白鮫の名探偵  作者: 北条奏音
EP0 プロローグ┃ Past events.
1/1

EP0 第1話 ペルぺ村

エピソード0 プロローグ第1話「ペルぺ村」

これは彼女が「白鮫の名探偵」と呼ばれるようになるもっと昔の話。


風は優しかった。


とある村の話をしよう。


地図にも薄くしか刻まれない辺境の片田舎にある小さな小さな集落、「ペルぺ村」の朝は、いつも同じ音で始まる。

荷車の軋む音。遠くで鳴く鳥の声。誰かが笑う気配。

日が昇り、風に揺れる翡翠の平野、村の人々は村で飼育している鶏の鳴き声で目覚める。

それらはすべて、当たり前で、変わらないもので、草を踏みしめて、少女は走る。名前を呼ばれて振り返る。

「シャメメー!」

手を振る友達。少し遅れて、母の声。

そのどれもが、ちゃんと「自分の場所」を示してくれる。だから思う。この村は、ずっとこのままなんだと。

この村には、1人の白髪で赤い瞳の少女が居た。その子は村の子どもたちを引き連れて走り回るような、誰よりも声が大きく誰よりも笑顔がまぶしい少女だった。

少女の名はシャメメ、今年で5つになる。

シャメメはペルぺ村で生まれ、ペルぺ村で育った。白髪で緑色の瞳を持つ父は旅を巡る旅商人、黒髪で赤色の瞳を持つ母は世界中に支部を設置する冒険者ギルドに所属する受付嬢。外の世界を知る二人は、閉ざされた村の中では少しだけ異質で、それでも優しく、誰よりも娘であるシャメメを愛していた。

朝には父の荷馬車の音がして、昼には母の笑い声が響き、夜には三人で囲む食卓があった。

ペルぺ村に、朝が降りてくる。やわらかな光が屋根をなぞり、ゆっくりと差し込む陽が、眠っていた村を起こし、遅れて、鶏たちの声が静けさをほどいていく。

「うぅ……もう朝……?」

シャメメは、お気に入りのサメさんのぬいぐるみを抱きながら、まだ眠気の残る体を引きずるように、布団の中でゆっくりと起き上がった。

いつものように、父の荷馬車が軋む音がした。規則正しく響くその音は、朝が来たことを告げる合図みたいだった。

「あら、おはよ。シャメメ」

台所の方から、母のやわらかな声が届く。

「おはよう!お母さん!」

シャメメは、まだ眠気を引きずりながらも、いつものように元気よく返した。

台所に入ると、焼きたての自家製のパンの匂いがふわりと広がっていた。

小さな窓から差し込む光が、木のテーブルの上を優しく照らしている。

「ちゃんと顔洗った?」

母が振り返りながら笑う。

「洗ったよ!」

少しだけ間を置いて答えると、母はくすっと笑った。

「その顔で?」

「……あとで、もう一回洗うよ!」

そう言いながら席につくと、向かいに座っていた父がパンをちぎってこちらに差し出してきた。

「ほら、焼きたてだぞ」

「やった!」

シャメメは嬉しそうにそれを受け取って、すぐにかじりつく。

外は少しだけ固くて、中はふわふわで、まだ温かい。

「急がなくても誰も取らないよ」

父はそう言いながら、ゆっくりとスープを口に運ぶ。 いつもと同じ動き。いつもと同じ朝。

「今日も外行くのか?」

「うん!みんなと遊ぶ!」

「転ぶなよ」

「転ばないもん!」

すぐに返したその声に、父と母が同時に小さく笑った。

食卓の上には、パンとスープと少しの果物。特別なものなんて何もない。

朝食を終えると、シャメメは洗面所へ向かった。

井戸で汲んだ水は朝の空気をそのまま閉じ込めたみたいに冷たくて、それを顔に受けるたび、ぼんやりしていた意識がゆっくりと形を取り戻していく。顔を上げて、天井を見上げる。

何も変わらないはずなのに、少しだけ世界が軽くなった気がした。

太陽の匂いが残るふわふわしたタオルで、そっと水滴を拭い取る。

「今度こそ、ちゃんと顔洗った?」

母は、からかうように目を細めてそう言った。

「うん!洗ったよ!!」

そう言いながら、シャメメは慌てて服に袖を通す。

まだ少しだけ湿った髪を揺らしたまま、戸を開けて外へ飛び出した。

「まったく、あの子ったら…夕飯の時間には帰ってくるのよ!!」

「分かってるよお母さん」

シャメメの家は、瓢箪ひょうたんみたいにふくらんだ、丸いかたちをしている。

木の壁は朝の光を受けて、やわらかく温かい色をしていた。

「みんなー!お待たせー!」

丘の向こうで待っていた子どもたちに向かって、大きく手を振る。

「お前、遅いよ」

腕を組んでいるのはリオ。少し跳ねた黒髪に、鋭い茶色の瞳。口は悪いが、毎回こうしてちゃんと待っている。

「女の子には、いろんな準備があるの!」

シャメメが胸を張ると、くすっと笑う声が重なる。

「ふふ、でもほんとに遅かったよ?」

やわらかな栗色の髪を肩で揺らし、淡い緑の瞳を細めたミナが、小さく首を傾げる。少し心配性で、いつもシャメメの様子を気にしている子だ。

「まあまあ、来たんだからいいじゃん!」

元気よく割って入るのはガロ。くしゃくしゃの赤毛に、太陽みたいな金色の瞳をしている。細かいことは気にしない、考えるより先に動くタイプだ。

「……どうせまた、何か思いついたんでしょ」

少し離れたところから冷静に見ているのはエル。整った銀色の髪に、透き通るような青い瞳。落ち着いた口調とは裏腹に、結局いつも付き合ってくれる。

「えへへ、バレた?」

シャメメはそう言って笑い、みんなの前に立つ。

シャメメを入れたこの五人が揃えば、だいたい何かが起きる。

そして、その中心にいるのがシャメメだった。

この五人は、ペルぺ村でちょっとした噂になるくらいの「仲良し五人組」だった。

いつも一緒で、誰かが走り出せば、残りの四人も当たり前のように後を追う。

「今日は、何して遊ぶ?」

ガロが待ちきれない様子で言う。

「うーん……」

シャメメは少し考えるふりをして、すぐに顔を上げた。

「かけっこ!」

「またそれかよ」

リオが呆れたようにため息をつく。

「いいじゃん、楽しいもん!」

「シャメメ、転んだら泣くじゃん」

ミナが心配そうに言うと、シャメメはすぐに首を振った。

「泣かないし!」

「いや、前も言ってたよそれ」

エルが静かに突っ込む。

「じゃあ今日は泣かない!」

「変わってないじゃん」

誰かが笑って、また誰かにつられて笑う。

結局、何をするかなんて大して重要じゃなかった。 五人でいるだけで、だいたい楽しかったから。

「じゃあ鬼ごっこな!」

ガロがいきなりそう言って、くるりと振り返る。

「え、ちょ——」

「シャメメ、鬼な!」

「は!?なんで!?」

反抗する間もなく、四人は一斉に駆け出した。笑い声が風にほどけて草原に広がっていき、草を蹴る音だけを残して、あっという間に距離が開いていく。

「ちょっと待ってよー!!ずるいってばー!」

シャメメの声が、緑の平原で弾ける。叫びながら、シャメメは慌てて走り出す。 置いていかれるのは、どうしても悔しかったから。

先に走り出した四人の背中は、もう少し先を行っていた。草を蹴る音、弾むような足取り、時折振り返っては笑う顔。そのどれもが、追いつけそうで追いつけない距離を保っている。

「リオ!ずるい!」

「遅いのが悪い!」

返ってくる声も軽くて、どこか楽しそうで、追いかける側なのに悔しさよりも先に笑いがこみ上げてくる。

風が吹く。

草がざわりと揺れて、その中を縫うように五人の影が伸びていく。空は高く、雲はゆっくり流れている。息を吸い込むと、青い匂いが胸いっぱいに広がった。

シャメメは足を止めない。転びそうになりながらも、体を前に倒すようにして走る。

「捕まえるもん……!」

その言葉に、前を走るガロが振り返った。

「無理無理ー!」

そう言ってさらに速度を上げる。

「待てー!!」

叫びながら、シャメメも一気に距離を詰める。足が軽い。体が風に押されているみたいに前に進む。考えるより先に動いて、ただ追いかけることだけに集中している。

すぐ隣を、ミナが駆け抜けた。

「シャメメ、そっち!」

「え?」

言われた通りに目を向けると、リオが少し進路を変えていた。

「あっ、逃げた!」

「当たり前だろ!」

笑いながら叫ぶ声が、やけに近い。

その瞬間、シャメメは地面を強く蹴った。

一歩、二歩。

ぐん、と距離が縮まる。

「リオ!!」

伸ばした手が、あと少しで届く。

「うわっ」

リオが慌てて方向を変える。

けれど、その一瞬の遅れが決定的だった。

「つかまえた!!」

ばしっと背中に手が当たる。

「うわああああ!?」

勢い余って二人とも転がる。

草の上に倒れ込んで、息が一気に抜けた。

「ちょ、お前……!」

「勝った!!」

シャメメは起き上がりながら、満面の笑みを浮かべる。

「今のは反則だろ!」

「反則じゃないもん!」

言い返しながら、息が切れているのに気づいて、思わず笑いがこぼれる。

そこへ、残りの三人も集まってきた。

「リオ捕まったの?」

ミナが目を丸くする。

「お前も油断しすぎ」

エルが冷静に言うと、リオは悔しそうに顔をしかめた。

「……次、シャメメ鬼な」

「え!?また!?」

「当然だろ」

「ちょっと休ませてよ!」

「休んだらまた遅れるぞー」

ガロが笑いながら後ずさる。

「ずるいってば!!」

また、走り出す。

四人はまたシャメメから逃げ、シャメメはまた、追いかけるのだ。草原を横切り、丘を駆け上がり、また下りる。小さな段差でバランスを崩しそうになりながらも、笑いながら立て直す。

「こっち来いよー!」

「まてーーー!!!」

声を掛け合いながら、互いに距離を取り合う。風が強くなる。髪が乱れて、視界が揺れる。それでも、止まらない。ただ楽しいから。ただ走ることが、嬉しいから。

シャメメは、ふと笑った。

理由なんてなかった。 ただ、今ここにいることが、どうしようもなく楽しかった。

転んでも、追いつけなくても、怒られても、全部まとめて笑えるくらいに。

「次こそ捕まえるからね!!」

大きく叫ぶと、四人が振り返る。

「来いよ!」

「絶対捕まらない!」

「やってみなよ」

「がんばってね、シャメメ」

声が重なって、また笑いが広がる。五人の影が、草原の中で交差する。

こうして遊んでいると、村の方が、少しだけざわついているのに気づいた。笑い声とは違う、人の集まる気配。 いつもより少しだけ、音が多い。

「……なんかあっち、騒がしくない?」

エルが足を止めて言う。

「ほんとだ」

ミナも小さく頷いた。

「見に行こうぜ!」

ガロがすぐに走り出す。

「ちょ、待てよ!」

リオがその後を追い、シャメメも遅れないように駆け出した。鬼ごっこは、いつの間にか終わっていた。それよりも気になるものが、そこにあったから。村の広場に近づくにつれて、人の数が増えていく。 大人たちが、見慣れない誰かを囲むように集まっていた。

「……なに、あれ」

シャメメは足を緩める。

そこにいたのは、白い帽子をかぶり、白い司祭服をまとった人たちだった。どこにも汚れのない白。村の色とは、少しだけ違う白。笑っているのに、なぜか静かで。その場だけ、空気の温度が違うように感じた。

白い帽子の人たちは、村の広場の真ん中で、よぼよぼの村長と、そのそばに並ぶ七人の村幹部たちと話をしていた。

村長は、いつものように曲がった杖へ両手を重ね、背中を丸めている。風が吹くたびに白い眉が揺れ、その奥の小さな目が、見慣れない客人たちをじっと見上げていた。

幹部たちは、村で大事な話をするときだけ着る少し硬そうな上着を羽織り、村長の後ろに半円を描くように立っている。粉挽き場を預かる男、畑の管理を任されている女、井戸番、薬草小屋の番人、家畜係、村の帳簿をつける老人、そして冒険者ギルドとの連絡役。

ペルぺ村では、これだけの顔ぶれが揃うことはめったにない。

「なんだろ……」

シャメメは、背の低い柵の陰から顔だけを出して、広場の様子を覗き込んだ。

隣でリオが腕を組む。

「外から来た人だな」

「そんなの見れば分かるよ」

エルが小さく返す。

ガロはすでに目を輝かせていた。

「すげー。服まっしろだ」

その言葉通り、彼らは白かった。

帽子も、司祭服も、手袋も、靴の先まで、まるで汚れることを知らないような白。畑仕事の土も、井戸水の跡も、荷馬車の埃もついていない。ペルぺ村の人間がどれだけ丁寧に服を洗っても、ああはならない。

その白は、きれいだった。

きれいすぎて、少しだけ村から浮いていた。

「遠くより参りました」

先頭に立つ男が、帽子を胸に当てて深く頭を下げた。声は柔らかく、よく通る。大きな声ではないのに、広場の端にいるシャメメたちの耳にもはっきり届いた。

「我々は、迷える地に灯を届けるため、各地を巡っております」

村人たちがざわりとした。

灯。

その言葉に、何人かの大人が顔を見合わせる。ペルぺ村の夜は暗い。月が隠れれば、家の外に出るのも怖いくらいだ。油は貴重で、夜の明かりはいつだって節約しなければならなかった。村長が、ゆっくりと口を開く。

「灯……と、申されましたかな」

「はい」

白い司祭服の男は、穏やかに頷いた。

「火を使わず、長く光を保つ道具がございます。小さな家でも、倉でも、夜の道でも、安全に照らすことができます」

「火を使わずに?」

井戸番の女が思わず声を上げた。

「そんなものがあるのかい」

「ございます」

男が片手を上げると、後ろに控えていた白服の一人が、小さな箱を持って前に出た。

箱の蓋が開かれる。中には、丸い石のようなものが入っていた。透明で、内側に淡い光を抱えている。昼の広場では目立たないほどの明るさだったが、確かにそれは、火ではない光を放っていた。

「わあ……」

ミナが小さく息を漏らす。シャメメも目を丸くした。

「きれい……」

「あれ、星みたいだな」

ガロが柵から身を乗り出す。リオはそんな彼の服を引っ張った。

「落ちるぞ」

広場では、村長が震える手でその石を受け取っていた。石は、村長の手の中で淡く光る。その瞬間、大人たちのざわめきが変わった。怪しむ声ではなく、驚きの声。疑う目ではなく、期待する目。白い男は、その変化をよく知っているように、少しだけ微笑んだ。

「これはほんの一つです。我々は、暮らしを助ける道具をいくつも持っています。水を運ぶ負担を軽くする器具。畑の土を整える薬。怪我の痛みを和らげる包帯。冬の寒さをしのぐ布」

「そんなものを、なぜこの村に?」

帳簿係の老人が尋ねる。

「ここは、地図にも小さくしか載らん村ですぞ。商人も、そう多くは来ません」

「だからこそです」

男は、まるでその答えを待っていたかのように言った。

「大きな街には、すでに多くの手があります。けれど、小さな村ほど、助けを必要としている。私たちは、そうした場所へ向かうために旅をしております」

その言葉は、優しかった。優しすぎるくらいに。

「我々は、神の教えに従い、困っている人々へ手を差し伸べる者です。見返りを求めるものではありません。ただ、皆様が今日より少しでも楽に、明日を迎えられることを願っているのです」

村人の中から、誰かが感心したように息を吐いた。

「ありがたい話じゃないか」

「うちのばあさん、夜に転ぶことが多くてねえ」

「火を使わない灯りなら、子どもにも安心だ」

声が少しずつ増えていく。

シャメメは、ぽかんとその光景を見ていた。

村に来る大人たちは、たいてい商人か旅人か、母の働くギルドに用のある冒険者だった。けれど、彼らはそのどれとも違う。剣も持っていない。荷物も少ない。なのに、広場の真ん中に立つだけで、村の大人たちの視線を集めている。

「ねえ、あの人たち、すごい人なの?」

シャメメが尋ねると、エルは少し考え込んだ。

「分からない。でも、道具は本物っぽい」

「神様の人?」

ミナが首を傾げる。リオは難しい顔をした。

「神様って、あんな服着てるのか?」

「知らない」

「じゃあ聞いてみようぜ!」

ガロがすぐに言う。

「やめとけ」

リオが止める。

「なんでだよ」

「大人の話してるだろ」

「ちぇー」

ガロは不満そうに口を尖らせたが、それでも柵の陰から離れようとはしなかった。広場の中央では、話が続いていた。

「村長様」

白い司祭服の男は、村長に向かってもう一度頭を下げる。

「我々は、しばらくこの地に留まる許可をいただきたいのです」

「留まる?」

村長の眉が動く。

「どれほどの間ですかな」

「まずは数日。村の暮らしを見せていただき、本当に必要なものを確かめたいのです。道具を置くだけでは、助けにはなりません。使い方を伝え、困りごとを聞き、皆様の生活に合う形に整える必要があります」

幹部たちが顔を見合わせた。

「宿なら、空き家が一つある」

家畜係の男が言う。

「けれど、村の決まりでは、外から来た者を長く置くには確認がいる」

「もちろんです」

男はすぐに頷いた。

「皆様の決まりを尊重いたします。我々は押しつけに来たのではありません。許される範囲で、お手伝いをしたいだけです」

「お手伝い、か」

村長は、手の中の光る石を見つめた。

その顔には、迷いがあった。けれど同時に、疲れもあった。年老いた村長にとって、村の不便はずっと見てきたものだった。夜道で転んだ老人。水運びで腰を痛めた女。冬の寒さに震える子ども。薬が足りず、街まで人を走らせた日。もし目の前の白い人々が、本当にそれを助けてくれるのなら。

それは、村にとって悪い話ではなかった。

「……皆は、どう思う」

村長が後ろの七人に尋ねる。

井戸番の女が最初に口を開いた。

「水運びの道具が本当にあるなら、見てみたいです」

畑の管理人が頷く。

「土を整える薬というのも気になります。近頃、南の畑の実りが弱い」

薬草小屋の番人は、白い男をじっと見ていた。

「怪我の痛みを和らげる包帯、というのは?」

「後ほどお見せできます」

白い男は答える。

「薬草との併用も可能です。ただし、皆様の扱いに合わせて説明いたします」

その受け答えは丁寧だった。ひとつひとつ、相手の不安を拾うように。急かさず、否定せず、ただ頷き、言葉を置いていく。それは、見ている者に安心を与える話し方だった。

「いい人たちなのかな」

ミナがぽつりと言った。シャメメは、白い人たちを見つめたまま頷く。

「だって、村を助けてくれるんでしょ?」

「でも、なんで無料なんだ?」

リオが言う。

ガロが首を傾げた。

「むりょう?」

「お金いらないってこと」

「いいじゃん!」

「よくないだろ。父ちゃんが言ってた。タダのものほど理由を聞けって」

「リオの父ちゃん、難しいこと言うなあ」

エルは広場を見たまま、静かに呟いた。

「でも、村長たちが決めるなら、たぶん大丈夫なんじゃない」

その言葉に、シャメメは何となく安心した。

村長は村で一番年上で、村のことを誰よりも知っている。七人の幹部たちも、みんなが頼りにしている大人たちだ。その人たちが話をしているのなら、子どもが心配することなんてない。そう思えた。思いたかった。

「では、こうしましょう」

村長がゆっくりと告げた。

「今夜、幹部で改めて話し合います。そのうえで、あなた方がしばらく滞在することを認めるか決めましょう」

「感謝いたします」

白い男たちは、そろって頭を下げた。その動きは不思議なくらい揃っていた。一人が動けば、全員が動く。帽子の角度も、腰の折り方も、視線の伏せ方も、まるで最初から決められていたみたいに同じだった。

シャメメはそれを見て、少しだけ不思議に思った。

「みんな同じ動きするね」

「訓練してるんじゃない?」

エルが答える。

「訓練?」

「たぶん。儀式とか、礼儀とか」

「へえ……」

シャメメにはよく分からなかった。

ただ、白い服の人たちはきれいで、声が優しくて、村の大人たちも少し嬉しそうだった。

それだけで、その日はもう、特別な一日になった気がした。

「皆様」

白い男が、今度は集まった村人たち全員へ向き直る。

「突然の訪問にもかかわらず、耳を傾けてくださり、ありがとうございます。我々は皆様の暮らしを乱すために来たのではありません。困っていること、苦しんでいること、誰にも言えず抱えていること。その小さな重さを、少しでも共に持つために参りました」

広場が静かになる。その静けさは、さっきまでの鬼ごっこの静けさとは違った。遊び疲れて息を整える沈黙ではなく、大人たちが何かを信じようとしている沈黙だった。

「どうか、我々を怖がらないでください」

男は微笑んだ。

「白は、何も奪わぬ色。白は、傷を包む色。白は、新しい朝を迎えるための色です」

その言葉を聞いて、何人かの村人が胸の前で手を組んだ。まだ誰も、祈り方なんて知らないはずなのに。けれど、その仕草は自然に広がった。一人が手を組めば、隣の誰かも同じようにする。

シャメメはそれを見て、少しだけ真似をしてみた。

両手を胸の前で重ねる。何かが起きるわけではない。けれど、隣のミナも同じようにしているのを見て、なんだかおかしくなって小さく笑った。

「なにそれ」

リオが呆れたように言う。

「みんなやってるもん」

「子どもはやらなくていいだろ」

「リオもやれば?」

「やらない」

「照れてる」

「照れてない」

ガロは両手を大きく組みすぎて、ほとんど拳を握っているみたいになっていた。

「こうか?」

「違うと思う」

エルが冷静に言った。五人は、声を殺して笑った。その間にも、大人たちの話は進んでいく。白い人たちは、村の外れの空き家を一時的に使わせてもらうことになった。荷物を運び込み、道具を整理し、明日から村の困りごとを聞いて回るらしい。

「子どもたちにも、危なくない道具を見せられるかもしれません」

白い男がそう言った瞬間、ガロが小さく跳ねた。

「聞いた!?子どもにもだって!」

「声大きい」

リオはすぐに注意する。

シャメメも、胸の奥がそわそわした。

見たことのない道具。火を使わない灯り。重くない水運び。それは、村の外から来た物語みたいだった。

父が旅から帰るたびに聞かせてくれる、遠い街の話。大きな市場。高い塔。夜でも明るい通り。たくさんの人が行き交う道。その外の世界が、ほんの少しだけ、ペルぺ村に近づいてきたような気がした。

「ねえ、あとで見に行こうよ」

シャメメが言う。

「怒られるぞ」

リオが即答した。

「見るだけ!」

「お前の見るだけは、見るだけで終わらない」

「終わるもん!」

「前に粉挽き場で同じこと言って、粉まみれになっただろ」

「あれは事故!」

「事故多すぎ」

ミナが困ったように笑う。

「でも、ちょっと見てみたいね」

「ミナまで」

リオがため息をつく。エルは静かに白い人たちを見ていた。

「見に行くなら、大人がいる時にしよう」

「えー」

「それなら怒られない」

「たしかに!」

シャメメはぱっと笑った。その笑顔は、まだ何も知らない子どものものだった。何かが始まったことも。その始まりが、どこへ続いていくのかも。何一つ知らないまま、ただ新しい出来事に胸を躍らせていた。広場の中央で、村長と白い司祭服の男が握手を交わす。村人たちから、控えめな拍手が起きた。最初は小さく。やがて少しずつ大きくなる。

白い人たちは、その拍手を浴びながら、もう一度深く頭を下げた。シャメメは、その光景を見つめていた。村に、新しい風が吹いたのだと思った。

退屈な毎日に、少しだけ面白いことが増えるのだと思った。父に話したら、きっと驚く。

母に話したら、きっと少し心配して、それから笑う。

夜になったら、今日見た白い人たちのことを食卓で話そう。火を使わない灯りのことも、白は朝の色だと言っていたことも、ガロが変な祈り方をしていたことも、全部話そう。

そう思うと、シャメメの足は自然と弾んだ。

「ねえ、もう鬼ごっこ続きしよ!」

「え、まだやるのかよ」

リオが顔をしかめる。

「まだ全然遊んでないもん!」

「いや、めちゃくちゃ走っただろ」

「じゃあ次は、白い人ごっこ!」

ガロが胸の前で変なふうに手を組む。

「白は、何も奪わぬ色です!」

「似てない」

エルが即座に言った。

ミナが吹き出し、シャメメもつられて笑う。

「じゃあガロ司祭ね!」

「おう!」

「私は何するの?」

「シャメメは……村長!」

「えー!村長よぼよぼじゃん!」

「じゃあリオ村長!」

「なんで俺なんだよ!」

五人の笑い声が、また草原の方へ戻っていく。広場のざわめきは、少しずつ日常の音に溶けていった。大人たちは、白い人たちを囲みながら話を続けている。子どもたちは、もう次の遊びのことで頭がいっぱいだった。

その日、ペルぺ村に訪れた白い人々は、村人たちから歓迎された。誰もが、良いことが始まるのだと思っていた。暮らしが少し楽になる。 夜が少し明るくなる。水運びが少し軽くなる。畑が少し豊かになる。

そんな、小さな幸せの予感だけが、村中に広がっていた。

日が傾き始めると、ペルぺ村の色は少しずつ変わっていった。

昼のあいだ、緑にきらめいていた平原は、夕陽を受けて金色にほどけていく。草の先が光を抱き、遠くの丘は眠る前の獣みたいに静かに丸まっていた。空には薄い橙が広がり、鳥たちの影がゆっくりと家々の上を渡っていく。

遊び疲れたシャメメは、頬を赤くして家へ帰った。

瓢箪みたいに丸い家の煙突からは、細い煙が上がっている。扉の隙間からは、温かい匂いがこぼれていた。焼いた野菜の甘い匂い。煮込んだ肉の匂い。母が帰ってきている証だった。

「ただいまー!」

シャメメが扉を開けると、台所の方から母の声が返ってきた。

「おかえり、シャメメ。ちゃんと手、洗ってきなさいね」

母は、隣町の冒険者ギルドから帰ってきたばかりだった。少し疲れた顔をしているのに、エプロンの紐を結ぶ手つきはいつも通りやさしい。受付嬢として一日中、人と話してきたはずなのに、シャメメを見る時だけは、声の角がふっと丸くなる。

「はーい!」

シャメメは返事だけは立派にして、洗面所へ駆けていく。井戸水で手を洗うと、昼間の草の匂いと土の匂いが少しずつ流れていった。

やがて、父も帰ってきた。

外から荷馬車の軋む音が聞こえた瞬間、シャメメはぱっと顔を上げる。

「あ、お父さんだ!」

扉が開く。旅の埃をまとった父が、いつものように穏やかな笑みを浮かべて立っていた。肩には荷物。手には小さな包み。遠くの道を知っている人の匂いがした。

「ただいま、シャメメ」

「おかえり!」

シャメメは勢いよく駆け寄る。父は少しよろけながらも笑って、その頭をぽんと撫でた。

「今日も元気だったみたいだな」

「うん!すっごく!」

「それはよかった」

父はそう言って、母の方へ目を向ける。

「君も、おかえり」

「ええ。あなたもお疲れさま」

短い言葉だった。けれど、その短さの中に、ちゃんと一日分の安心があった。

食卓には、温かい夕飯が並べられていく。丸いパン、豆と野菜のスープ、香草をまぶして焼いた肉、隣町で母が買ってきた小さな果物。特別な料理ではない。それでもシャメメにとっては、世界で一番好きな食卓だった。

三人で席につく。

窓の外では、夕陽がゆっくり沈んでいく。部屋の中には橙の光が入り込み、木の机をやわらかく照らしていた。

「いただきます!」

シャメメは元気よく言って、すぐにパンへ手を伸ばした。

「こら、スープもちゃんと飲むのよ」

「飲むもん」

「その顔は、先にパンだけ食べる顔ね」

「違うもん!」

父が小さく笑う。

「シャメメの顔は分かりやすいからな」

「えー!そんなことない!」

そう言いながらも、シャメメは慌ててスープを一口飲んだ。母はそれを見て、満足そうに頷く。

少しのあいだ、食卓にはいつもの音が満ちていた。匙が器に触れる音。パンをちぎる音。母が椅子を引き直す音。父が旅袋を足元に置く音。どれも小さくて、穏やかで、何も壊れない場所の音だった。

「それで?」

父がスープを口に運びながら尋ねる。

「今日は何をして遊んだんだ?」

待ってましたと言わんばかりに、シャメメの目が輝いた。

「聞いて!今日はね、最初に鬼ごっこしたの!」

「また鬼ごっこ?」

母が笑う。

「だって楽しいんだもん!でもね、最初からガロが『シャメメ鬼な!』って言ってきたの!ひどくない?」

「それはひどいな」

父は真面目な顔を作って頷く。

「でしょ!でも私、リオ捕まえた!」

「おお、それはすごい」

「リオね、すっごく悔しそうだった!」

シャメメは身振り手振りを交えて話す。リオがどう逃げたか。ガロがどれだけ変な方向に走ったか。ミナが途中で転びそうになったこと。エルが冷静な顔をしていたのに、最後にはちゃんと笑っていたこと。

言葉は次から次へとあふれた。

父と母は、ときどき相槌を打ちながら聞いている。母はシャメメの皿に野菜を足し、父はパンをちぎって渡してくれる。シャメメは話すのに忙しくて、食べるのを忘れそうになるたび、母に注意された。

「それでね、それでね!」

「まず飲み込んでから話しなさい」

「んぐ」

「慌てなくても、大丈夫よ」

母の言葉に、父は少しだけ笑う。

けれど。

シャメメが次の話を始めた瞬間、食卓の空気はほんの少しだけ変わった。

「あとね、村に白い人たちが来たの!」

母の手が止まる。父も、匙を持ったまま目だけを上げた。

シャメメは気づかない。

「白い帽子でね、白い服着てて、すっごくきれいだった!村長と幹部の人たちと話してたの。火を使わない灯りとか、水運びが軽くなる道具とか、いっぱい持ってるんだって!」

母はすぐには返事をしなかった。父も黙っていた。沈黙に気づいたシャメメは、首を傾げる。

「……どうしたの?」

父はゆっくり匙を置いた。

「白い人たち、か」

「うん!神様の教えで、困ってる村を助けてるんだって。すごいよね!」

「神様の教え……」

母が小さく呟く。その声は、さっきまでの柔らかさとは少し違っていた。冷たいわけではない。けれど、慎重だった。大切なものに布をかける時みたいに、言葉を選んでいる声だった。

「その人たちは、どこから来たって言っていたの?」

父が尋ねる。

「えっと……遠く?」

「名前は?」

「名前?」

「その団体の名前だよ」

シャメメは少し考えた。けれど、昼間の広場では、白い男の声や光る石に夢中で、細かい名前までは覚えていなかった。

「分かんない。でも、導く者って言ってた」

父と母が、ほんの一瞬だけ目を合わせる。それはシャメメには分からない、大人同士の合図だった。

「村長は、その人たちを泊めると言っていたのか?」

「たぶん。空き家を使うって。明日から、村の困ってることを聞いてくれるんだって」

父は黙り込んだ。母は鍋の方へ視線を落とし、何かを考えるように唇を結んだ。シャメメは不安になって、パンを持つ手を少しだけ下げる。

「……白い人たち、悪い人なの?」

母はすぐに首を振った。

「まだ分からないわ」

「分からない?」

「そう。良い人かもしれない。でも、分からないうちは、近づきすぎない方がいいの」

父も静かに頷く。

「シャメメ。外から来る人が、みんな悪いわけじゃない。父さんも旅をする商人だ。母さんもギルドで、たくさんの旅人や冒険者に会う。優しい人もいる。立派な人もいる」

「うん」

「でも、優しい言葉を使う人が、必ず優しいとは限らない」

その言葉は、シャメメには少し難しかった。優しい言葉を使う人は、優しい人なのではないのか。笑っている人は、安心していい人ではないのか。

白い服を着た人たちは、村を助けに来たと言っていた。村の大人たちも嬉しそうだった。光る石はきれいだった。ガロなんて、もう白い人ごっこまで始めていた。

それなのに、父と母の顔は晴れない。

「でも、村長たちも話してたよ?」

シャメメは言った。

「村長が決めるなら、大丈夫じゃないの?」

父は優しく、けれど少しだけ悲しそうに笑った。

「村長は良い人だ。村のことを大事に思っている」

「なら」

「でも、良い人だからこそ、良い話を信じたい時がある」

母が続ける。

「この村は、不便なことが多いかもだけど。夜は暗いし、水運びは重いし、薬も足りない。そういう困りごとに、突然『助けます』と言う人が現れたら、大人でも信じたくなるの」

シャメメは、スープの器を見つめた。湯気が揺れている。さっきまでおいしそうだった匂いが、少しだけ遠く感じた。

「信じちゃだめなの?」

「信じることは、悪いことじゃないわ」

母はそう言って、シャメメの手にそっと自分の手を重ねた。

「でも、確かめることは大事なの」

父が頷く。

「特に、道具や技術を無料で貸すと言うならな」

「無料って、悪いことなの?」

「悪いとは限らない。けれど、理由は必要だ」

父は旅商人だった。遠くの町を巡り、物を売り、物を買い、人の顔色を見て、言葉の裏を読む。その父の目は、普段は穏やかだけれど、商いの話になると少しだけ鋭くなる。

「誰かが何かを差し出す時、そこには必ず目的がある。お金が欲しいのか、信頼が欲しいのか、居場所が欲しいのか、名前を広めたいのか。それが悪いとは言わない。けれど、目的が見えない善意は、少し怖い」

シャメメは、ゆっくり瞬きをした。目的。白い人たちの目的。

「村を助けたいんじゃないの?」

「そうかもしれない」

父は否定しなかった。

「でも、そうじゃないかもしれない」

部屋の中に、薪の爆ぜる音が小さく響いた。母は、シャメメを怖がらせすぎないように、少しだけ表情を和らげた。

「シャメメ。明日、その人たちを見かけても、一人では近づかないこと。何かをもらっても、勝手に口に入れないこと。知らない場所へ誘われても、絶対についていかないこと」

「……うん」

「約束できる?」

「できる」

「リオたちにも言っておいて。大人がいないところで、白い人たちと話しすぎないように」

シャメメは小さく頷いた。けれど、心の中にはまだ、もやもやしたものが残っていた。昼間の白い人たちは、怖くなかった。むしろ、きれいだった。村の大人たちは拍手していた。

明日になったら、火を使わない灯りを見せてくれるかもしれない。水運びの道具も見られるかもしれない。村がもっと便利になったら、母も疲れにくくなるかもしれない。父が夜道を帰ってくる時も、明るくなるかもしれない。

それなのに、どうして父と母はそんな顔をするのだろう。

「お父さんとお母さんは、白い人たちが嫌いなの?」

シャメメが尋ねると、父は少し困ったように笑った。

「嫌いなわけじゃない」

母も頷く。

「知らないだけよ」

「知らない?」

「ええ。知らないから、用心するの」

その言葉は、昼間の白い男の言葉よりずっと地味だった。けれど、不思議と重かった。父は立ち上がり、窓の外を見た。

夕陽はほとんど沈みかけていた。村の広場の方には、人影がまだいくつか残っている。遠くに見える空き家の近くで、白い服がちらりと動いた。父の目が、細くなる。

「明日、村長に話を聞いてみよう」

母は静かに頷いた。

「私もギルドで、それらしい団体の話を調べてみるわ。白い司祭服、便利な道具、巡回する宗教団体……何か記録があるかもしれない」

「頼む」

「あなたも気をつけて」

「分かってる」

二人の会話は、シャメメには少し大人びて聞こえた。まるで、夕飯の食卓ではなく、別の場所で交わされる会議みたいだった。

シャメメは、自分だけが少し取り残されたような気がして、そっとサメの形をした木の匙を握った。父が旅先で買ってきてくれたお気に入りの匙だった。

「シャメメ」

母が名前を呼ぶ。

「怖がらせたいわけじゃないの」

「……うん」

「ただ、あなたを守りたいだけ」

父も席に戻り、シャメメの前に座る。

「父さんたちは、外の世界を少し知っている。外には良いものもたくさんある。でも、悪いものもある。だから、知らないものを見た時は、すぐに飛びつかず、よく見るんだ」

「よく見る……」

「ああ。相手が何を言うかだけじゃなく、何を言わないかも見る」

シャメメは眉を寄せた。

「何を言わないか?」

父は少し笑った。

「難しいな」

「うん、難しい」

「なら、まずはこれだけ覚えておけばいい。知らない人に『特別に』と言われたら、すぐに信じないこと」

「特別に?」

「そう。『君だけに』『選ばれた』『秘密だ』。そういう言葉は、とても甘い。でも、甘い言葉ほど、歯に残る」

シャメメは、よく分からないまま頷いた。母が少し笑う。

「あなた、子どもに商人の教訓をそのまま言っても難しいわ」

「そうか?」

「そうよ」

母はシャメメの皿に果物を置いた。

「つまりね、シャメメ。知らない大人に、こっそりついていかない。何かをもらったら、お父さんかお母さんに見せる。困ったら逃げる。これでいいの」

「それなら分かる!」

「よし」

父が笑う。少しだけ、食卓の空気が戻った。シャメメは果物を口に入れた。甘酸っぱい味が広がる。さっきまで胸にあった不安が、少しだけ薄くなる。

「でもね」

シャメメはまた話し始めた。

「ガロが白い人の真似して、すっごく変だったの!」

父と母は顔を見合わせ、それから小さく笑った。

「どんなふうに?」

母が聞く。シャメメは椅子から立ち上がり、胸の前で両手を変に組んだ。

「白は、何も奪わぬ色です!」

わざと低い声を出すと、母が吹き出した。

父も肩を震わせる。

「それは……だいぶ違うな」

「でしょ!エルも『似てない』って言ってた!」

シャメメが笑う。ようやく、いつもの夕飯に戻った気がした。けれど父と母の目の奥には、まだ消えていない影があった。

シャメメが笑えば笑うほど、その影は静かに深くなる。娘が何も知らずに笑っていることを、二人は喜びながら、同時に恐れていた。

外を知る者だけが分かる違和感がある。整いすぎた善意。都合のよすぎる奇跡。名を語らない者たち。そして、白すぎる服。夕飯が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。

母は食器を片づけ、父は明日の荷物を整理する。シャメメは眠そうに目をこすりながらも、まだ白い人たちの話をしたがった。

「明日、灯り見られるかな」

「大人と一緒ならね」

母が答える。

「一人では行かない」

「うん、約束」

「本当に?」

「本当に!」

「シャメメの本当は、たまに走って逃げるからな」

父が言う。

「逃げないもん!」

シャメメは頬を膨らませる。

母は笑いながら、その髪を撫でた。

「なら、いい子で寝ること」

「はーい」

夜の支度を終えて、シャメメは自分の寝床に入った。窓の外では、村の夜が静かに広がっている。遠くで犬が鳴き、風が屋根を撫で、どこかの家の扉が閉まる音がした。いつもの夜だった。けれど、ほんの少しだけ違っていた。

村の外れにある空き家の方に、淡い光が見えた。火ではない光。昼間、白い人たちが持っていた、あの石の光に似ていた。シャメメは布団の中から、それをぼんやり見つめる。きれいだと思った。

星が地面に降りたみたいだと思った。父と母が怪しんでいることも、約束したことも、まだ胸の中に残っていた。けれど、子どもの心は、怖さよりも好奇心に引かれやすい。

知らないもの。新しいもの。きれいなもの。それは、どうしても目を奪う。

「白い人たち……」

シャメメは小さく呟いた。明日になったら、もっとよく見えるかもしれない。明日になったら、父と母も安心するかもしれない。明日になったら、村はもっと楽しくなるかもしれない。そう思いながら、瞼が少しずつ重くなっていく。

台所の方では、父と母がまだ小さな声で話していた。

「……やはり、気になるな」

「ええ。あの子には近づかせない方がいい」

「村長が聞く耳を持てばいいが」

「明日、私も話すわ」

「頼む」

シャメメには、そのすべては聞こえなかった。ただ、父と母の声がそこにあることだけで安心した。そしてサメのぬいぐるみを抱きながら眠った。


『 白鮫の名探偵 』エピソード0 プロローグ第1話「ペルぺ」をご覧頂き誠にありがとうございます、、!

応援して頂けると幸いです、!

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