2人だけの秘密
きよかはゆっくりと背を向けた。
「ついてきて」
短い言葉。
陵は一瞬だけ息を止め、それから静かに頷いた。
屋敷の奥へ進む。
長い廊下は静まり返り、二人の足音だけがやけに響く。
きよかは壁の一角で立ち止まった。
装飾の一部にしか見えないその場所へ、迷いなく指をかける。
小さな音。
壁がわずかに動き、暗い階段が現れる。
ひやりとした空気が上へと流れ出す。
「ここから先は」
振り返らずに告げる。
「後悔しても、戻れないわ」
陵は迷わなかった。
「戻りません」
きよかはわずかに息を吐く。
「後悔しないでね」
「きよかさんといられるなら、後悔なんてしません」
二人は階段を下りていく。
足元は冷たい。
下へ進むほど、地上の音は消えていく。
やがて、低く一定の機械音が耳に届いた。
地下の空間は広い。
白い壁。
整然と並ぶ棚。
清潔で、冷えた空気。
けれど、その整いすぎた空間は、どこか緊張を孕んでいる。
きよかは中央で立ち止まった。
「ここに入ったのは、あなたが初めてよ」
振り返る。
その瞳は揺れていない。
「あなたが知りたいって言った、“私の全て”」
陵は周囲を見渡す。
息が浅くなる。
だが、目は逸らさない。
「きよかさんが手にかけたのは」
ゆっくりと言葉を選ぶ。
「……あいつだけじゃなかったんですね」
責める声ではない。
怯えもない。
理解しようとする声音。
きよかの指先が、わずかに震えた。
「私ね」
静かに口を開く。
「ずっと“綺麗なまま”でいたかったの」
陵は黙って聞く。
「変わらないものが、欲しかった」
声に、ほんの少しだけ脆さが混じる。
「離れていくのが、怖かったの」
地下は静まり返る。
機械音だけが、規則正しく響く。
陵は一歩近づく。
「俺は離れません」
即答だった。
「あなたが何を抱えてても」
きよかは目を細める。
「……簡単に言うのね」
「簡単じゃないです」
陵の声は低い。
「でも、あの夜から決めてました。あなたの味方になるって」
二人の距離が、ゆっくりと縮まる。
共犯なのか。
救済なのか。
まだ、どちらとも決まらない。
きよかは微かに笑った。
「……本当に、運命だと思ってるの?」
「思ってます」
迷いのない答え。
その真っ直ぐさが、きよかの胸を揺らす。
地下は、二人だけの秘密になった。
冷たい空気の中。
きよかは、ふと陵の胸元へ近づく。
確かめるように。
そして――
唇が触れた。
一瞬。
短いが、確かな熱。
陵の思考が止まる。
きよか自身も、はっと目を見開いた。
すぐに距離を取る。
「……ごめんなさい」
声がわずかに揺れている。
「考えたいの」
視線を逸らす。
「今日は帰って」
陵は、驚きと歓喜を抱えたまま、ゆっくり頷いた。
「わかりました」
それでも、帰る前に一歩近づく。
きよかの顎にそっと触れ、今度は陵からキスをする。
先ほどよりも長く、静かに。
「俺は」
額を合わせる。
「あなたしか愛せません」
迷いのない言葉。
きよかの頬が赤く染まる。
それを隠すように背を向ける。
「……帰りなさい」
早足で地下を出る。
陵を玄関まで送り、扉を閉めた。
外の空気が、急に冷たく感じられた。
扉の向こう側と、こちら側。
その境界が、今までよりもずっと曖昧になっていた。




