偶然か必然か運命か
陵との会話は、いつも通勤路に限られていた。
最初は、正直に言えば、
ナンパだと思っていたし、軽い遊び人だとも思っていた。
けれど、日を重ねるごとに、その印象は静かに崩れていった。
通勤路できよかを見つけると挨拶は欠かさない。
仕事の邪魔になるような距離の詰め方はしない。
きよかが嫌がるラインに達すると、必ず一歩引く。
ひたむきで、不器用で、
どこか一生懸命すぎる。
——遊びじゃないのかもしれない。
そう思い始めた頃だった。
夜勤明けの朝方だった、きよかは自宅の近くで陵と出会った。
「……え?」
思わず足を止める。
「おはようございます、きよかさん」
いつもの笑顔。
けれど、ここは通勤路ではない。
(……まさか)
胸の奥で、警戒が弾ける。
「どうして、ここに?」
きよかの声が、わずかに硬くなる。
陵は、その変化にすぐ気づいたようだった。
「あ、違います!
ストーカーじゃないですから!」
慌てて手を振る。
「僕、この近くのマンションに住んでるんです。
ほら、あの角曲がったところ」
指差す先は、確かに住宅が並ぶ通りだった。
「……本当に?」
「本当です。
疑われるのも、無理ないですよね」
苦笑しながら、陵は続ける。
「もし不安なら、家まで案内できますよ。
部屋までは無理ですけど、建物くらいなら」
その言い方が、妙に誠実で、
きよかは言葉を失った。
(……信じてもいいのかも。)
きよかを怖がらせまいと必死になる陵の姿を目にしてそう思えた。
「でも……」
迷うきよかに、陵はぱっと表情を明るくした。
「それに、きよかさんに会えるなんて。
やっぱり、運命だと思いません?」
その言葉は軽く聞こえるのに、
目は真剣だった。
「今度、デートしませんか?」
きよかは、首を横に振る。
「休みの日は、実家に帰るから」
即答だった。
陵は、分かりやすく肩を落とす。
「そっか……残念」
けれど、すぐに顔を上げる。
「でも、諦めませんから」
きよかは、思わず彼を見る。
「きよかさんのこと、
一番理解して、一番愛してるのは、
僕だって自信があります」
言い切る声に、迷いはなかった。
それは、宣言だった。
別れ際、陵はいつも通り、
少し離れた位置から手を振った。
「気をつけて帰ってくださいね」
自宅の前に着く。
きよかは、いつもの癖で、
スマホに手を伸ばしかけ——止めた。
今日は、カメラを起動しなかった。
代わりに、
さっきの陵の言葉が、頭の中で繰り返されていた。
——一番、理解して、愛している。
玄関の鍵を開けながら、
きよかはその意味を、まだ考えないことにした。




