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東雲明の徒然なるままに書くエッセイ〜良かれと思ってしたアドバイスが、必ずしもその人に当てはまるとは限らない〜

作者: 東雲 明

 私は、毎日のようにいかがやサイ(仮)さんの読書実況配信を観ている。


アマチュア作家として、まだ自分のスタイルも定まらず、ただひたすらに言葉を紡いでいるだけの私にとって、彼の配信は一種の灯台のような存在だった。


 面白い作品には素直に「面白い」と言い、面白くない作品には遠慮なく「面白くない」と切り捨てる。その率直さが、どこか清々しくて、つい画面の前に座り込んでしまう。


 辛口と言われようと、彼の言葉には確かな説得力がある。少なくとも、私はそう信じていた。


 ある夜も、いつものように配信を観ていた。取り上げられていたのは、私が密かに尊敬し、憧れを抱いていた作家の新作だった。その作家の文章は、私にとって理想の形に近いものだった。静かで、繊細で、それでいて芯が通っている。いつか自分もあんな風に書けたら、と何度も思ったことがある。


 いかがやサイさんは、最初はいつものように好意的に語り始めた。冒頭の描写を褒め、キャラクターの造形に触れ、全体の雰囲気を評価する。私も画面の向こうで頷きながら、嬉しくなっていた。同じ感覚を共有できる人がいる、それだけで少し自信が湧いてくる。


 ところが、配信が進むにつれて、風向きが変わっていった。彼の声は徐々に厳しさを帯び、指摘が次々と重ねられていく。「このシーンは冗長すぎる」「ここでもっと緊張感を持たせるべきだった」「この展開は読者を置き去りにしている」「キャラクターの行動に一貫性がない」。一つ一つは、確かに的を射ているのかもしれない。でも、私の胸の奥で、何かがざわついていた。


 そして、配信の終盤で、彼はぽつりとこう言った。


「そんなに創作を見てぶれるんなら、一切創作から離れたら?」


 それは、明らかにその作家に向けられたアドバイスだった。良かれと思っての言葉だろう。


 他人の影響を受けすぎて、自分の軸を見失っている作家は少なくない。そういう人には、距離を置くことが一番の薬になるのかもしれない。


 いかがやサイさんの口調は、いつものように上からで、相手の気持ちなど考慮していないようだった。でも、それが彼のスタイルだ。私もそれを受け入れてきた。


 なのに、その一言が、私の心に深く突き刺さった。なぜなら、私自身がまさにその「ぶれる」タイプの作家だったからだ。


 私は、他人の作品に極端に影響されやすい。誰かの表現を目にするたび、自分の書き方が間違っていたような気がして、すぐに模倣しようとする。文体が変わり、語彙が変わり、構成の考え方まで変わる。いかがやサイさんの配信を観た翌日など、特にひどい。画面で指摘された箇所を真に受けて、自分の原稿を大幅に書き換えたりする。ある時は、簡潔さを求められて言葉を削り、次の時は情感を込めすぎだと叱られて言葉を増やす。そんな繰り返しの中で、自分が何をしたいのか、わからなくなっていた。


 だから、あの言葉は私に直接向けられたように聞こえた。試しに、と思って、そのアドバイスに従ってみることにした。翌日から、一切創作に関わるものを遠ざける。好きな漫画、推しの配信、YouTubeのショート動画、小説を読むのも、SNSで他人の感想を見るのも、すべてやめた。職場も、手芸品を作る仕事がメインだったが、それすらも辞め、ひたすらexcelに無機質な数字を打ち込む仕事に没頭した。頭の中に浮かぶ物語の断片すら、意識的に押し殺すようにした。


 最初は、少し楽だった。これまで、常に誰かの評価を気にして、頭の片隅で消耗していた。それがなくなった分、心に余裕が生まれた気がした。


 朝起きて、コーヒーを淹れて、窓の外を眺める。普段なら、その合間にプロットのアイデアが浮かんでくるのに、今は何も来ない。ただ静かで、穏やかで、心地よい空白が広がっている。


 午後になって、散歩に出かけた。街並みを歩きながら、ふと、空を見上げた。雲の形がゆっくりと変わっていく。それを眺めているうちに、昔のように物語を紡ぎたくなるのではないかと思った。でも、何も浮かばない。登場人物の顔も、会話の断片も、情景の色も、すべてが遠い。まるで、頭の中のスイッチが切られたみたいだった。


 夕方、家に戻ってからも、同じだった。夕食を作りながら、いつもならラジオ代わりに配信を流すのに、それも我慢した。


 テレビをつけず、音楽もかけず、ただ黙々と食べる。食事が終わると、ソファに座ってぼんやりと天井を見つめた。これまでは、こんな時間にこそ、創作意欲が湧いてくるはずだった。夜の静けさが、言葉を呼び起こすきっかけになる。でも、今は違う。ただの空白。音のない部屋。


 夜が更けても、眠気が来ない。ベッドに横になりながら、考えてみた。これでいいのだろうか。他人の影響から離れて、自分の声だけを聞けるようになる。それが本来の目的だったはずだ。でも、実際にやってみて気づいたのは、自分の声と呼べるものが、どこにもないということだった。


 これまで、私は他人の作品や評価を鏡として、自分を映していた。いかがやサイさんの辛口コメントも、他の作家の美しい文章も、すべてが私の創作の糧だった。それらを失った今、鏡がなくなった部屋にいるような感覚。自分の姿が見えない。どこに立っているのかさえ、わからない。


 一日が過ぎようとしていた。二十四時間、創作から完全に離れてみた結果、私は愕然とした。脳内での妄想が、ぴたりと止まっている。いつもなら、寝る前にもさまざまなシーンが頭を駆け巡るのに、今は何もない。登場人物が動かない。物語が進まない。書きたいという衝動すら、どこにも感じられない。


ただの虚無が、私を包んでいる。


 これまで、どれだけ他人の言葉に振り回されていたとしても、それでも「書きたい」という気持ちだけは消えなかった。ぶれながらでも、迷いながらでも、言葉を綴る喜びがあった。それが、今は本当に何もない。自分が、静かに消去されていくような感覚に襲われた。


 朝が来て、二日目を迎えても、状況は変わらなかった。起床して、顔を洗い、朝食を摂る。いつもなら、トーストをかじりながらノートにメモを取るのに、手が動かない。パソコンを開いても、画面を見つめるだけ。キーボードに触れる気すら起きない。


 私は、創作を辞めたわけではない。ただ、一時的に距離を置いただけだ。それなのに、なぜこんなに空っぽなのか。


 いかがやサイさんのアドバイスは、きっと誰かにとっては正しかったのだろう。影響を受けすぎる人を救うための、的確な一言だったのかもしれない。でも、私にとっては、ただの毒だった。


 良かれと思ってされたアドバイスが、必ずしもその人に100%当てはまるとは限らない。


 私は、他人の作品にぶれやすい。それが私の弱さであり、同時に、私の書き方の源泉でもあったのかもしれない。


 誰かの表現に触れて、心を揺さぶられ、それを自分の言葉に変換する。その過程で、確かに軸は揺らぐ。でも、そこにしか生まれないものもある。ぶれたからこそ、見える景色がある。


 今、すべてを遠ざけてみて、初めてそれに気づいた。空白の部屋で、自分の姿が見えないことに耐えられなくなった。鏡がなければ、自分がどこにいるのかわからない。創作において、他人の影響は、私にとっての鏡だった。それを失くしたら、私はただの影になる。


 私は、またぶれながら書くしかないのだろう。いかがやサイさんの配信を観て、影響されて、翌日には文体が変わってしまうかもしれない。それでもいい。自分の軸が定まらないまま、言葉を探し続ける。それでいいのだと、今は思う。


 空白の恐怖を味わったからこそ、わかる。他人の声に耳を傾けながら、自分の声を重ねていく。それが、私の書き方なのだと。


再びノートを開く。パソコンを起動する。画面に、いつものように言葉を打ち始める。きっとまた、誰かの影響を受けるだろう。でも、それで私は生きていける。消去されることなく、ここにいられる。


 良かれと思ってのアドバイスが、すべての人に効くわけではない。誰かにとっての薬が、別の人にとっては毒になる。それを知った今、私は自分の道を、ぶれながらも進むしかない。


という訳で、次は法廷で会いましょう。

いかがやサイ(仮)さんは、普通の作家さんに対してはそんなに酷くないが、初作で嫌悪感を感じた人には基本上からであり、その作家のペンを折ろうと躍起である。なお、「この作品は僕には合わないので辞退します」と断るスキルは皆無である。

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