第9話「ボイスダイブ・スタジオ」
改札を抜けて階段を上がると、潮の匂いを含んだ風が正面から吹いてきた。海都駅の駅前広場の向こう、海沿いに伸びる遊歩道のずっと先に、さっき車窓から見えた塔が見える。ライトを抱えたクレーンみたいな、スタジオの象徴みたいな塔だ。昼の光の下では、まだ本気を出していない。
「着いたー!」
未夢が両手を伸ばして伸びをする。隣で百合香が、トートバッグを持ち直しながら、その先を見上げる。
「わ……すごい」
海風に髪が揺れて、ワンピースの裾が少し浮く。
「とりあえず、写真撮るか」
雄大がそう言って、スマホを取り出した。半ば自然に四人が並ぶ。駅前広場のタイル、遠くに塔、頭上は雲ひとつない空。
「はいチーズ——じゃ古いか。せーの、OSW!」
「センスが昭和寄りなんよ」
未夢が突っ込みを入れる。その笑い声も含めて、シャッターが切れた。
ゲートまでは、海沿いの緩い坂道を歩いていく。右手に小さな波の音、左手にはカフェやショップ。ゴールデンウィーク初日とあって、どこも混んでいるが、歩けないほどではない。
「ドラグーン・ファンタジア・ゾーンは、入口から見て右奥だな」
雄大がパンフレットを開きながら言う。
「午前中にそこ行って、昼はその近くで食べる。午後は絶叫系と、時間あったら占いエリアも寄る。ざっくりそんなイメージでどう?」
「異議なーし」
未夢が即答する。
「絶叫は午後から本気出す。午前中はファンタジーでウォーミングアップだね」
「いいね。ドラゴン楽しみ」
百合香の声に、ほんの少しだけ弾みが乗る。それを聞いただけで、来てよかったと安堵する自分がいる。
ゲート前の広場に着くと、巨大スクリーンが映画の予告と園内のCMを交互に流している。入場アーチの上には「OCEAN STUDIO WORLD」のロゴと、波とフィルムを組み合わせたマーク。
チケットのQRコードをかざし、ゲートを抜ける。足元のタイルが、スタジオのフロアみたいなつやのある黒に変わった。
午前中は、ほぼ百合香のための時間になった。
ドラグーン・ファンタジア・ゾーンは、山と城を模したエリアだ。石造りの城壁と、山肌から顔を出したドラゴンの頭。スモークの合間を、ちいさな炎の演出が走る。
「すご……」
百合香は、さっきよりもさらに目を輝かせていた。ファンタジー映画のセットさながらの路地を、ゆっくり歩きながら、あちこち指さす。
「あの鱗の重なり方、ちゃんと飛ぶの大変そうな感じで作ってある……」
「そこ褒める人、あんまりいないと思う」
未夢が笑う。
「でも、分かる気はする。なんか、現実の重さがあるっていうか」
城の内部を巡るライドに乗ると、頭上すれすれにドラゴンの影が横切っていく。炎の音と、低い咆哮の重低音。安全バーを握る手のひらに、ほんの少し汗がにじむ。
ライドが終わって外に出てくると、百合香が隣で小さく息を吐いた。
「やっぱり、いいなあ……」
「ドラゴン?」
「うん。こういう“飛べなさそうなものが飛ぼうとする感じ”が好き」
図書館で幻獣図鑑を見ていたときと、同じ種類の言葉だった。自分の中で、点と点がゆるやかに線で結ばれていく感覚がある。
「次、写真撮っとく?」
雄大が提案して、城の前で四人で写真を撮る。未夢はピース、百合香は少しだけ恥ずかしそうな笑顔。雄大はいつもの明るい表情で、斗真は、自身が考える内心より少し柔らかい顔をしていた。
昼は、ゾーンの外れにあるフードコートで簡単に済ませた。パスタとピザと、紙コップのドリンク。未夢が「絶叫の前に食べ過ぎるとアウトだからね」と真顔で言ったせいで、全員控えめな量になった。
「午後は、“ダイブ・オブ・ポセイドン”行くか」
トレイを片付けながら、雄大が言う。
「一番並ぶやつ、先に押さえといたほうがいいし」
「ポセイドン……」
未夢が目を輝かせる。
「名前からして落ちそうだよね」
「安心しろ。ちゃんと落ちる」
「安心できないんだけど」
結局、午後最初は絶叫系になった。
“ダイブ・オブ・ポセイドン”は、海底神殿を模した巨大な建物だった。内部でストーリー説明の映像を見てから、暗い通路を抜け、最後に一気に外の急斜面へ飛び出す。
落ちているあいだ、自分の声が喉の奥でちぎれた。風と水しぶきと一緒に、変な笑い声みたいなものが外に消えていく。隣では未夢が、ちゃんと最後まで悲鳴を上げていた。
終わってから写真を見ると、百合香はしっかりとバーを握りながらも笑っていて、雄大は余裕のピース、未夢は全力の叫び顔、斗真は顔のほとんどが水しぶきで隠れていた。
「これ、買っとこ」
未夢がそう言って、写真を一枚購入した。後でチャットに共有すると言う。
絶叫系で体力を削ったあと、少し落ち着いたエリアに移動した。
スタジオの街並みを模した一角に、占いと称した簡単な心理テストのブースが並んでいる。「あなたの今日の主人公度」「あなたのエンディングタイプ」などの派手な看板。
「こういうの、つい入りたくならない?」
未夢の一言で、気づけば四人分のチケットを買っていた。
ブースの中では、タブレットに簡単な質問が並んでいて、それに答えると最後に一枚のカードがプリントされる仕組みだった。
斗真のカードには、「サポート型主人公」と書かれていた。
『自分が前に出るよりも、誰かの背中を支えるときに一番輝くタイプです。物語では、最後の最後で重要な選択を任されることも——』
そういう説明文が、軽いフォントで印字されている。
「当たってる?」
外に出たところで、未夢が聞いてくる。
「まあ、ゼミの発表で進行役任されがちなのは事実だけど」
「私は“観客を巻き込むトリックスター”だって」
未夢のカードには、派手なピエロみたいなイラストが描かれていた。
「雄大は?」
「“最初から最後まで主役の自覚を持て”って書いてあった」
雄大が苦笑いする。
「そんなこと言われてもな」
「合ってるじゃん」
未夢があっさり言い切る。
「明智って、だいたいどこ行っても中心に立たされるタイプでしょ」
「そんなことないだろ」
「ある」
即答されて、雄大が肩をすくめる。百合香は、自分のカードを胸のあたりで両手に挟んでいた。
「白木さんは?」
「えっと……“歌で世界を揺らすメッセンジャー”だって。大げさ」
そう言って笑う。その笑顔の下に、ほんのわずかに複雑な影のようなものが見えた気がしたが、そこで深く追いかけるのは違うと直感する。
「まあ、今日は世界じゃなくて、せいぜい俺たちの耳くらい揺らしてくれればいいよ」
雄大が軽く言って、話題を流した。
気づけば、影が長くなっていた。パーク内のBGMも、昼の明るいものから、少しだけ低いリズムの曲に変わっている。空の色も真上の青から、傾いた日差しのオレンジが増えてきた。
「そろそろ、座って楽しめるやつ挟まない?」
未夢が足を軽く伸ばしながら言う。
「絶叫はもう一回くらい行けるけど、さすがにちょっと疲れてきた」
「だな。歩数計、えげつないことになってるし」
雄大がポケットからスマホを出して見せる。画面には「本日の歩数」がすでに一万を超えていた。
「じゃあ、次はスタジオシティのほう行こうか」
雄大はパンフレットを開き直し、指で地図をなぞる。
「この先のエリアに、“ボイスダイブ・スタジオ”ってのがある。VRのライブ体験系。座って観客にもなれるし、歌う側にもなれるやつ」
「歌う?」
百合香の声が、ほんの少しだけ硬くなる。未夢はすかさず反応する。
「カラオケ系?」
「まあ、簡単に言えばそうだな。ただのボックスじゃなくて、スタジオ型のバーチャルライブ。歌ってる人用のVRと、観客用のVRがあって、みんなで一本のステージ作る感じ」
「うわ、それ絶対楽しいやつじゃん」
未夢が身を乗り出す。
「座れるし、喉以外は休めるし」
「喉は酷使する前提なんだ……」
思わずツッコミを入れると、自分でも少し笑えた。
「斗真くんは、歌うの苦手?」
百合香がこちらを見る。視線が直撃すると、変な汗がにじむ。
「得意ではない、かな……ゼミの二次会とかで無難なやつ一曲だけ歌ってフェードアウトするタイプ」
「いるいる、そういうの」
未夢が笑う。
「でもさ、せっかく来たんだし、一回くらいやってみようよ。明智は?」
「もちろん。こういうのは、誰かが最初にやらないと始まらないからな」
雄大はあっさり頷いた。
「じゃ、決まり。次は“ボイスダイブ・スタジオ”ね」
パンフレットの地図の上で、四人の影が重なった。
スタジオシティエリアは、映画の街並みをそのまま切り取ってきたような造りだった。煉瓦造りのビルに、「RECORDING」「MIXING」「SOUND STAGE」といった看板。通りの奥に、ガラス張りのモダンなビルが立っている。その上部には巨大なLEDスクリーンがあり、「VOICE DIVE STUDIO – OCEAN STAGE LIVE」のロゴが流れていた。
外壁の一面には、今日の体験者たちのアバターライブのダイジェストがランダムに映し出されている。ロックバンド風、アイドル風、ファンタジー衣装のシンガー。どれも本物の歌手のMVみたいに見えるが、顔は微妙にゲームっぽいディフォルメだ。
「うわ、すご……」
未夢が素直な声を漏らす。
「これ、全部お客さん?」
「らしいな。さっきの説明だと」
雄大が頷く。
「グループごとに部屋があって、中で歌ったのが、外のモニターにもランダムで流れるらしい。もちろん、顔はアバターだけど」
「これ、変な歌い方したら、全世界に晒されるやつじゃん」
「せいぜいOSW内だよ」
列は建物の外にまで伸びていたが、案内板には「待ち時間約三十分」とある。絶叫系に比べれば、まだ短い。
並んでいるあいだも、スクリーンには次々とアバターのライブ映像が映る。海を背景にしたステージ、夜空に浮かぶ島のような会場、観客席に光る無数のサイリウム。音楽に合わせて、ステージから光の波が客席に流れていく。
「これ、歌ってなくても楽しいね」
百合香がスクリーンを見上げながら言う。
「見てるだけで、おなかいっぱいになりそう」
「歌ってから言いなさい」
未夢が笑う。
「斗真、何歌うか決めた?」
「プレッシャーに弱い人間に、その質問は酷だと思う」
「無難なバラードとか?」
「無難なバラードで、無難に外す未来しか見えない」
そんな会話をしていると、前のグループがビルの中に飲み込まれていった。列が少しずつ進む。足元の床が、いつの間にかスタジオのフロアっぽい艶のある黒に変わっている。
やがて、スタッフに案内されて、ガラス扉の中に入った。
前室は、白とグレーを基調にした明るい空間だった。壁には「STEP 1 FACE SCAN」「STEP 2 AVATAR STYLING」「STEP 3 LIVE STAGE」と書かれたパネルが貼ってある。
「まずはこちらでお顔のスキャンを行いまーす」
スタッフに促されて、一人ずつ小さなブースに入る。正面に丸いカメラと、笑顔マークのついたモニター。
「正面を見てくださーい。次、横向きお願いしまーす」
指示に従って首を動かすと、あっという間に終了した。
ブースを出ると、今度は大きな画面の前に四つのスタンドが並んでいる。そこに、さっき撮った顔を元にしたアバターが表示されていた。
「あ、似てる」
未夢が自分のアバターを見て笑う。短めの髪、きりっとした目元。普段より少しだけ目が大きく、輪郭が整っている。
「ここで衣装選べますのでー」
スタッフが説明する。画面の下には、スタイルのタグが並んでいた。「ROCK」「IDOL」「FANTASY」「STREET」「CLASSIC」など。
「せっかくだし、普段着ないやつにしようかな」
未夢は「IDOL」を選び、画面上で衣装を次々と切り替えて試していく。最終的に、ボーイッシュなステージ衣装——ショートパンツとジャケットの少年アイドル風の衣装で決定した。
「やっぱり男の子に間違われるやつじゃん」
「似合ってるからいいんじゃない?」
百合香が笑う。自分の画面では、「FANTASY」のタグの上でカーソルが止まっていた。
「白木さん、せっかくだしファンタジー行ってみなよ」
雄大が横から言う。
「ドラゴンゾーンであれだけ目輝かせてた人が、ここで日和ったらもったいないって」
「でも、ちょっと派手じゃないかな」
「アバターだし。現実じゃないから大丈夫」
未夢まで乗ってきて、結局、百合香は「FANTASY」の中から、白と薄い青を基調にしたドレスを選んだ。胸元に小さな宝石のモチーフ、頭には控えめな王冠風のアクセサリー。
「おお、姫感」
未夢が素直に感嘆する。
「OSWのプリンセス誕生だな」
雄大の言葉に、百合香は「やめてよ」と言いながら、少しだけ頬を赤くした。
斗真はと言えば、「ROCK」と「CLASSIC」の間で迷った末に、無難なジャケットスタイルを選んだ。黒いジャケットに白いシャツ、細いネクタイ。自分で見てみても、どこのスタジオミュージシャンだという見た目だ。
「斗真、それ地味じゃね?」
「地味でもいい。アバターまで主張強くなくていい」
「そういうところだぞ」
雄大に笑われる。画面の中のアバターは、少しだけ現実より姿勢が良かった。
アバター設定が終わると、スタッフに案内されて、奥の部屋に入った。
そこは、小さなライブハウスのような空間だった。前方に低いステージ、その中央に一本のマイクスタンド。後方には四つのシートが並んでいて、それぞれに簡易ヘッドセットと、棒状のコントローラーが置かれている。天井と壁には、黒いパネルが隙間なく張り巡らされていた。
「こちらの部屋は、お客様グループ専用となります」
スタッフが説明する。
「順番にお一人ずつセンターステージで歌っていただき、他の方には“観客席”から応援していただきます。歌声と応援の強さに合わせて、ステージの演出が変化していきますので、ぜひ皆さんで一つのライブを作り上げてくださいね」
ライトスティック型のコントローラーを手に取ると、持ち手に脈拍を拾うセンサーみたいなものが付いていた。
「これ、振ったりボタン押したりすると、応援ゲージが溜まって、演出が豪華になるらしい」
雄大が説明を補足する。
「歌うほうも緊張するけど、観客側もサボれないタイプね」
未夢が苦笑する。
「じゃ、座る場所は適当に……」
百合香と未夢が後ろのシートに座り、斗真と雄大がその前の席に座った。ステージとの距離は、手を伸ばせば届きそうなくらい近い。
目の前の大きな画面に、曲リストが表示される。最新のヒット曲、アニメ主題歌ふうの曲、ボカロっぽいタイトル、聞いたことのないオリジナル風の曲名まで、ずらりと並んでいる。
「どうする? 順番」
未夢がリモコンを手にしながら言う。
「トップバッターは大事よ。最初に空気作る役だからね」
「俺、行ってもいいけど」
雄大があっさり手を挙げる。
「どうせ誰かが最初にやらないと始まらないし」
「さすが主役カード男」
未夢がさっきの占い結果をひっぱり出してくる。
「じゃあ、二番手は?」
「私は三番か四番がいいなあ」
百合香が小さく言う。
「様子見たい」
「じゃ、僕は二番でいいよ」
自分で言ってから、若干の後悔が来た。が、もう遅い。
「了解。じゃあ、順番は雄大、斗真、未夢、百合香ってことで」
未夢が勝手に決める。誰も異議は唱えなかった。
「曲は、歌う直前に決めてもいいし、今選んどいてもいいし」
雄大が言う。
「俺は……これにしようかな」
画面の中から、一曲を選ぶ。タイトルだけで、だいたいどの曲か想像がつく。サッカー部時代、バスの中で何度も流れていたアップテンポのアンセム曲だ。
「雄大っぽい」
未夢が笑う。
「斗真は?」
「……このへん、かな」
キーがそこまで高くなくて、サビのメロディラインが単純な曲を選ぶ。タイトルは地味だが、歌っていて破綻しづらいタイプだ。
「私は絶対ノリのいいやつにする」
未夢は、すでにアップテンポの曲名にカーソルを合わせている。百合香の画面では、一瞬だけ、見覚えのあるようなタイトルの曲名の上でカーソルが止まった。
「あれ?」
と、思った瞬間には、彼女はすぐに別の曲名にカーソルを動かしていた。
「こっちにしようかな」
「どんな曲?」
「たぶん、バラード。映画の主題歌だったやつ」
それだけ言って、詳しくは語らない。その横顔には、少しだけ緊張の影が見えた。
「じゃ、準備はできたってことで——」
未夢がリモコンの決定ボタンを押した。
部屋の照明が一段階落ちる。足元のフロアに、淡い光が集まり始めた。ステージの縁が白く縁取られ、マイクスタンドの先に、小さな光の粒が灯る。
「一曲目、明智雄大さんのステージです」
無機質なアナウンスが流れる。
「よっしゃ、トップバッター頑張りますか」
雄大が立ち上がり、マイクスタンドの前に歩いていく。背筋は無駄なくまっすぐで、躊躇いがない。ライトスティックを握る手に、自然と力が入る。
天井のパネルが一斉に光り、海辺の夜景が立ち上がる。観客席のシルエットが無数に現れ、遠くで手が振られている。ヘッドセット越しに、かすかな歓声が重ねられた。
画面の端で、選んだ曲名のタイトルが表示される。イントロの一音目が鳴り出す、そのほんの手前で、隣り席の百合香から、小さな息を呑む音が聞こえた。




