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倒魔くんとナンパの人狼  作者: 首藤蓮


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3/15

第3話「作戦会議」

 夜のニュースは、見ていないのに耳だけさらっていく。

 天気予報のコーナーで、セミロングの茶髪を揺らした気象キャスター・長沢朋美28歳が、厚みのある唇でことばを一つずつ置いていく。

「来月は月が、いつもより少し地球に近づきます。いわゆるスーパームーンですね。見かけの大きさだけでなく、潮位も上がりやすくなります。沿岸部の皆さんはご注意ください」

 画面右下で、色の違う満月が三つ、くるくると回る。リモコンはノートPCの横。少しだけ頭を空回りさせたくて、斗真は親指で電源ボタンを押した。部屋の音がひとつ、減る。

 すぐに、別の振動が机の上で鳴った。

 スマホの画面に、「ご飯会」グループが作成されました(明智)と出る。

 言い出しっぺは安田だった。「合コンしようぜ」と言った張本人なのに、「日程決めるのマジめんどくせえ」とグループで愚痴った結果、「じゃあ俺が幹事やるよ」と雄大がさらっと引き取った——と、チャットのログが物語っている。メンバーは、雄大、安田、雨宮、僕。間を置かずに、「白木百合香が参加しました」の通知が出た。心臓が一段だけ、高く跳ねる。

 さらに一件。

 川瀬ほのかはスマホを持っていないので、金曜十九時に樫崎駅のバスロータリー、時計塔の下に来てもらい、そこで拾う——と雄大が補足していた。今どきそんな人、と思う前に、なぜか安堵が先にきた。どこかの層では、まだ電波の外で世界が動いているらしい。

 会場の候補が流れてくる。

 座敷メインで日本酒推しの海鮮居酒屋。もう一方は、木調のイタリアンバル。ピザとパスタが旨く、ワインも評判だが、酒に弱い人向けのカクテルも多い、と雄大が一言コメントを添え、店内写真が二枚、チャットに貼られる。投票スタンプは滑るように増え、四対一でイタリアンに決まった。

 海鮮の一票は、斗真だった。和食の座敷で、背もたれと畳に甘えながら、話す速度を落としたかった。でも、四人が選んだ方が正解なのだろう。そう思ってしまうあたりに、自分の性格の傾きが見える。

「判断が速い。いい手際だ」

 背中のほうから声が落ちてきて、椅子の背に肩がぶつかった。

「うわ、びっくりしたぁ」

 振り向くと、窓枠の上に狼のぬいぐるみが腰をかけていた。ガラス玉の目が外灯の光を拾う。頭についた小さな鈴は鳴らない。口は縫われたままなのに、声だけが喉の奥に落ちてくる。

「初回より驚くなよ。俺はおまえの鞄に入ってここまで来た。当分は、この家で世話になる」

「居座る気満々じゃないか」

「作戦会議を分散させるほど、俺は器用じゃない」

 ぬいぐるみ——ウォルフは、画面に並んだスタンプ列を覗き込むように首を傾げた。

「明智は、いい動きをした。選択肢を二つに絞り、利点を具体で添え、写真で“場のイメージ”を共有し、投票という形で合意を作った。行動科学では、こういうのを“選択肢の少数化による意思決定コストの低減”と言う。コミュニケーション研究では、“初期合意形成の儀礼”だ。最初に安心をひと口、だ」

「なんか、急にそれっぽい単語が増えたな」

「事実だからな。で、次はおまえの番だ」

「やっぱりそうなる?」

「そうだ。それで、その合コンとやらだが」

「ご飯会ね」

「物事を無闇にベールで隠したがるのは感心せんな。合コンと呼べ。その中でのお前の立ち回りのアドバイスをしておいてやる。必要なのは五つだけだ。全部やらなくていい。三つ出せれば上等だ」


 ウォルフは、窓枠からベッドの端へ、位置を置き換えるみたいに移動した。

「その一。空気は“読む”ものだと思われがちだが、実際には“座る前で半分決まる”。社会心理学では、隣に誰が座るかで発話の頻度が変わることを“社会的促進”の一部として説明する。よく喋るやつと、明智を隣同士に置け。君は、一番おとなしい子の正面だ。最初のひと言は『今日いちばん楽しみなの、何?』。これは“オープンクエスチョン”といって、答えの幅を狭めない質問だ。会話分析だと“アジャセンシーペア”の第一発話を広く投げることで、返答の自由度が保証される。俺はこれを、"正面の橋"と呼んでいる」

「橋ね……言えるかな」

「言う練習をしろ。その二。最初に誰を見るかで、その場にいる人間の『自分はここでどう扱われているか』という感覚が決まる。人は“スポットライト効果”といって、自分への注目を実際より大きく感じる癖がある。乾杯前のドリンクを聞くとき、一人の女の子に視線を置いて『何にする?』と始め、そこから他のメンバーに視線をゆっくり流せ。コミュニケーション適応理論では、視線の置き方と移動速度が“配慮”のシグナルになる。最初の焦点を、君が決めろ。」

「印象操作でしょそれ、あんまり好きじゃないんだけど」

「操作と言うから嫌なんだ。“順番視線”と覚えろ。その三。気配りは、見せすぎると打算に見え、消しすぎると存在しなかったことになる。ゴッフマンの"フェイスワーク理論"では、相手の“顔”、つまり自尊を保つために、人は小さな補助行動を交換し合う。メニューはまず全員に配って、自分のは端に置いておけ。オーダーを誰かに任せてもいいが、最初の『すみません』で店員を呼ぶ役は、お前がやるといい。その一回で、“この場の土台を支えている人”として認知される。こういう見えづらい所作を、俺は"影の手"と呼ぶ」

「でもさ、意識した瞬間に、全部わざとらしくなりそうなんだけど」

「それは呼吸の話だ。演説になったら失敗。呼吸みたいに小さく繰り返せ。第四。話題は散っても構わないが、着地をひとつだけ用意して、そこに戻せ。集団で話していると、“コモンナレッジ効果”といって、みんなが知っている情報ばかりがぐるぐる回りがちだ。だからこそ、個別の芽を拾って中央に戻す役が要る。さっき未夢が映画の話をしたなら、『未夢が言ってた映画、百合香はどう思う?』と名指しで矢印を作る。ターンテイキング、つまり“誰がいつ話すか”の順番を、君がそっと整えるわけだ。投げっぱなしをゼロにすれば、黙る人が出にくい。これは"矢印返し"だ」

「僕、話を取っちゃう癖があるんだよな……」

「取るな。渡して戻せ。その五。会計は、無風がいちばんいい。認知心理の研究だと、“ピーク・エンドの法則”で、体験の印象は“いちばん強い場面”と“最後の場面”で決まると言われている。会計でガタつけば、最後の数分が台無しになる。席でしばらせず、レジで静かに割り勘を済ませ、『まとめておいたから、これくらいで』とだけ言え。端数は飲み込め。財布の中身じゃなく、空気を揺らさない手つきのほうに、大人の印象は宿る。"無風会計"だ」

 正面の橋、順番視線、影の手、矢印返し、無風の会計。

 短い合言葉が、順番に骨の形を取る。どれも大げさではないのに、実際にやれば空気の手触りが変わりそうだ。

「それから禁じ手も言っておく。“ネグ”とか呼ばれている類の、相手の自尊を削るやり方は必要ない。比較で競わせるゲームも要らない。飲ませ勝負もだ。説得研究で言えば、そういうやり方は相手の中に“心理的リアクタンス”、反発心を立ち上げる。奪うほど、人は離れる。奪って立つんじゃない。渡して、場を立たせて、その中で君も立てばいい。君が橋をかけて、矢印を返して、影の手を置いて、最後に無風で締める。それで充分だ」

「……うん。でも、なんか、できる気がしない」

「最初から全部できる必要はない。ザイアンスの単純接触効果ってのがある。人は、何度も接するほど好意的になる。対象は他人だけじゃない。自分の所作にも起きる。三割できたら、その三割を繰り返せ。繰り返すほど、“自然に見える動き”に変わる」


 スマホがまた震えた。

 雨宮の「委細承知」。安田の「オッケー」。雄大の「予約入れる」。それから、百合香のスタンプ——小さなハートの乗ったピザ。僕は「ありがとう。助かる」とだけ打って、送信の丸に指を置いたまま一秒だけ迷い、押した。

「僕は、まだ決められないからな。おまえの言う“最短”とか、“悪魔との契約”とかさ」

「決めろとは言っていない。当面の目標は“ご飯会を成功させる”で充分だ。目の前をこなしてから、遠くを見ろ。

 合意がなければ、一切エネルギーは生まれない。互いに惹かれているほど深く燃える。君と結んだ相手には、こちらの理屈で言う守護が付く。それは向こう側との取引の見返りだ。だからこそ、こっち側の倫理は君が守れ。相手の“顔”を守ることが、関係の土台になる、という話だ。欲望より先に、尊重を置け」


 わかる、と言い切るには、胃のあたりがまだ固い。頭だけが先に理解しようとして、身体はその場に留まっている。

「……疲れた」

「当然だ。考えるのは疲れる」

「寝る」

「待て、斗真。俺の寝床が要る」

「は?」

「本棚も嫌だぞ。落ちてしまう。そこのクローゼットに寝床を作るぞ。棚を片付けて、小さいタオルを敷け」

「要求が具体的だよ」

「段取りだ」

 ウォルフは窓枠からひらりと——飛ぶとも滑るとも違う動きで——クローゼットをコンコンと叩いた。

「それから、寝るときは明かりをすべて落とせ。寝不足は健康を害す」

「親みたいなこと言うなよ」

「親より古いよ」

 照明を落とすと、布団の色だけが残る程度の暗さになる。

 外を走る車のエンジン音が、睡眠を妨げるように二度、三度、室内に鳴り響いた。

 さっきまで画面に出ていたスーパームーンが、斗真の頭の奥で回っていた。

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