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倒魔くんとナンパの人狼  作者: 首藤蓮


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第12話「ドラキュラ」

 海の音は、意外と単調じゃない。

 寄せては返す、なんて教科書みたいな表現で済ませられるほど単純じゃなくて、ちょっと大きい波が来て、続けざまに小さいのが三回くらい当たって、その合間に濡れた砂がじわじわ沈んでいく音がする。耳を澄ませると、砂粒同士がこすれる細かいざらつきまで混じっている。

 斗真は、その全部をただ聞いていた。

 さっきまで湯気が立っていたはずの肌は、海風であっという間に冷えていく。カプセルサウナからそう遠くない、防波堤と細い砂浜が細長く伸びた海岸。オーシャン・スタジオ・ワールドの観覧車が、遠くの闇にぼんやり光っていた。

 未夢からのメッセージ。百合香の容体。救急車の赤いランプ。カプセルのロッカー。雄大の顔。自分の声。

 全部が混ざって、頭の中で何度もぶつかり合っている。


 ——あんな言い方、なかったよな。


 雄大の、あの少し照れたような真剣な横顔を思い出す。百合香のこと。みんなのこと。自分がどれだけ過去を抱えていて、それでも一緒にいようとしてくれていたか。わかっていたのに、わかっていたくせに、最後の一押しだけ全部壊す方向に踏み込んでしまった。

 それでも、あの場で黙って頷けなかった自分も本物だった。

 どっちも自分で、どっちも間違えていて、どっちも正しい。そういうのが一番たちが悪い。

 足もとで、波が靴の先に少しだけ触って、冷たさがジーンズの裾に滲んでいく。空を見上げると、月が出ていた。

 ——でかいな、と斗真は思った。

 テレビの天気予報で見た、キャスターのテンション高めの声を思い出す。「来月のスーパームーン」だの、「特別な満月」だのと言っていたのは、いつの話だったか。

 それでも、これがそのスーパームーンだというのは一目見てはっきりとした。

 輪郭がくっきりしていて、色も、普通の満月よりも鮮やかな紅のグラデーション。血のブラッドムーン。

 世界が終わる前のシグナルみたいだ、と一瞬だけ、馬鹿げたことを考える。


「……いい夜だな」

 横から声がした。

 反射的に身構えて、そっちを向く。

 最初に見えたのは、光だった。街灯ともネオンとも違う、月の光に似た銀色の粒子が、防波堤の端に集まって、ひとつの影を形作っていく。輪郭は狼だ。ラブホテルのベッドの上で見た、あの姿よりも、さらに線が細く、毛並みは風に溶けかけているのに、それでも存在感は濃い。

「……遅い」

 口をついて出たのは、そんな言葉だった。

「いろいろあったんだ。こっちにもな」

 銀色の狼——ウォルフが、鼻先をわずかに上げて空を見た。ガラス玉じゃない、ちゃんとした瞳が月を映す。声は、相変わらず喉の奥に直接落ちてくる感じだ。

「怒っているか?」

「怒ってないって言ったら嘘になる」

 斗真は、正直に答えた。

「百合香が倒れて、未夢さんが救急車に乗って行って、雄大とも喧嘩みたいになって……その間、ずっといなかったくせに、よくもまあしれっと出てこられるよな」

「しれっと、は否定できん」

 ウォルフはあっさり認めた。

「ただ、何もしていなかったわけじゃない。王女の状態を確認し、向こうの気配を探り、あの月の機嫌をうかがっていた」

「あの月の……機嫌?」

「そうだ。あれが今日、どこまで近づくつもりか、な」

 ウォルフがもう一度、赤い月を見上げる。斗真もつられて視線を上げる。雲がひとつもない。月は海面に一本の道を引いていて、その中心に自分が立っているような気がする。

「おまえの世界では、あれを何と呼んでいたんだ?」

「特に名前はなかったな」

 ウォルフは首を振る。

「海に近い連中は“潮の灯台”と呼んでいたが、あれはもっと根本的なものだ。世界と世界の距離が、一瞬だけ縮む夜の灯りだ。こちらの世界の連中はスーパームーンとか何とか、ロマンチックな名をつけたがるが」

「世界と世界……」

 斗真は、あらためて月を見た。

 そのとき、ウォルフがふっと視線を戻した。

「おまえにはまだしていなかった話があるな」

 狼の瞳が、真正面からこちらを射抜く。

「百合香のことだ。向こうの世界での名は“エウレカ”。そしてもう一人——紅の魔術師のことだ」

 海風の音が、少しだけ遠のいた気がした。

「話してくれるのか」

「ここまで来たら、隠しておく意味もない」

 ウォルフは、防波堤から砂浜へひょい、と軽く飛び降りた。着地の音はしない。砂が押し戻される気配だけがある。


「まず、王女エウレカの国の話からだな。国の名前はオルゼリア。大陸の北の端、山脈と海に囲まれた、小さいが堅牢な立地の国だ」

 語り始めた声は、どこか懐かしさと、うっすらした苦味が混じっていた。

「オルゼリアは、竜を持っていた。数で言えば大陸一だ。火を吐く者、氷を纏う者、空に溶ける薄い鱗を持つ者。山の斜面には、連なる竜の影が日向ぼっこしていてな。よく、あそこで昼寝をした」

「……想像が追いつかない」

「追いつかなくていい。こっちと向こうの景色は、ぴったり重なる必要はない」

 ウォルフは続ける。


「その竜を駆って戦う連中がいた。オーダー・オブ・ザ・ドラゴン——竜の騎士団だ。王家に忠誠を誓い、外敵が来れば竜に乗って山を飛び越え、炎を落とす。その中でも特に名を馳せた男がいた。ドラクル公爵。竜の名を冠した男だ」

「ドラクル……」

「竜に選ばれた血筋、という意味だな」

 斗真は聞きながら、頭の中で、聞いたことのある伝説やゲームの名前と、いまの話を勝手に照合しようとしていた。

「で、そのドラクル公の息子が、紅の魔術師」

「そうだ。名をファウストという」

 ウォルフの声に、少しだけ硬さが混じる。

「ガキの頃から頭のネジが何本か飛んでいた。竜の血と王家の血を引きながら、“力を持つ者が王であるべきだ”と平然と口にするような奴だった。魔術も、剣も、戦略も、どれも一番。竜を“兵器”としか見ない連中の中で、あいつだけは竜を“方程式”として扱っていた」

「方程式?」

「“神の作った式に、人間が手を入れてもいいのか”って話だ」

 ウォルフは、海の先の闇を見ていた。

「オルゼリアにはな、神様のいたずらが一個だけある。王家に生まれた特異点——世界の縫い目に手を伸ばせる女だ。それが王女エウレカだった」

 百合香の顔が、自然に浮かぶ。

「エウレカは、神々の名を“詩”で呼べた。神が見る夢の断片を引き出して、言葉に織り直して歌にする。国が戦に巻き込まれれば、神殿の祭壇に巫女が何十人も並び、三日三晩、詩を歌い続ける。その真ん中に立って、神への力を通していたのが、エウレカだ」

「それは、もう……」

 斗真は言葉を探す。

「そうだ、国ひとつの行く末を、いや国どころではない、世界そのものの行く末を一人で左右しかねない力だ」

 ウォルフは、あっさりと言った。

「俺は、ストライダーだった。流れ者だ。どこの国にも属さず、戦場の匂いのするところで傭兵をして、安い酒場で賭け事をして、竜の骨の上で昼寝をしていた。そういうところから王女の護衛なんて仕事が舞い込むには、それなりに"数奇な巡り合わせ"があったが。それを語り尽くすには、一晩でも足りんな」

 短く冗談を挟んでから、ウォルフは言葉をつなぐ。

「とにかく、俺とエウレカは出会って、しばらくはそこそこうまくやっていた。あいつ——ファウストも、その輪の中にいた。最初は、だ」

 波が一段、大きく打ち寄せた。暗い水が足もとまで来て、砂をさらっていく。

「ファウストは、エウレカの神の力との繋がりを自分のものにしようとした。世界の“式”を書き換えようとした。特異点としてのエウレカの力を、自分の方程式の中に組み込めば、世界はもっと“ましな形”になると本気で信じていた」

「……それで、裏切った」

「ああ」

 その一言に、炎の匂いが含まれている気がした。

「竜の群れが王都に降りた。神殿が焼かれ、エウレカの歌が火と煙の中で途切れた。あいつは父親の名をもらい受けた。名は“ドラキュラ”。竜の息子、という意味だ。」

 斗真の喉が、無意識に音を立てた。

「それが——紅の魔術師、ファウスト」

 斗真は、頭の中でぐるぐる回っている映像をどうにか整理しようとした。

 その中で、ふと思い出す。

「でもさ。ウォルフ、お前、僕にこう言ったよな。“おまえは彼女の盾になる。奴が目覚める前に、力を蓄えろ。親密の共鳴を集めろ。悪魔と契約しろ”って」

「ああ。そう命じた」

「それってつまり、ドラキュラ——ファウストを倒すために、僕が女の子と関係を持って、悪魔と契約して、魔力を集めろって話だったろ」

「そうだ」

「まだ、何も——その、ろくに成果出せてないけど」

 ほのかの顔が、すぐに浮かぶ。笑顔と、尖った犬歯と、最後のあの目。

「それでも、僕がやらないと、百合香が危ないんじゃないのか?」

 そう言う自分の声が、少しだけ震えているのがわかった。

 ウォルフは、すこしだけ視線を落としてから、言った。


「その任務は、ここで終わりだ」


「……え?」

「おまえに“女を口説いて悪魔と契約しろ”と命じた任務は、ここで打ち切る。これ以上は求めない」

「ちょっと待て、それって——」

「ドラキュラ討伐は、俺がやる」


 ウォルフの声は、低いがはっきりしていた。

「おまえに頼らず、俺の力でやる。おまえには、もう十分以上背負わせた」

 胸のどこかが、急に軽くなって、そのすぐあとで逆に重くなった。

「……それ、本気で言ってるのか」

「本気だ」

 ウォルフは一拍置いてから、付け足す。

「正確に言うなら、“役目が変わる”だな。おまえには、もうひとつだけしてもらうことがある」

「……そう来ると思ったよ」

 斗真は、苦笑いにもならない息を吐いた。

「それで? 僕は今度は何をすればいい」

 ウォルフは、空を顎でしゃくるように示した。

「まず、あれを見ろ」

 さっきから見ている月を、あらためて見上げる。さっきよりも、ほんの少しだけ高く、ほんの少しだけ赤い気がした。海面の光の帯も、濃くなっている。

「ここ最近、俺の力が少しずつ戻ってきていたのは、あれのおかげだ」

「スーパームーンのおかげで、人狼の力を取り戻せたってこと?」

「だいたい合っている」

 ウォルフは、肩をすくめるような動きをした。

「あの月は、向こうとこちらの距離を、一時的に縮める。俺の本来の出力に近いものを、この世界でも引き出せる。今夜はそのピークだ。今日を逃せば、しばらくはこの規模の“窓”は開かない」

「だから、今日、なんだな」

「そうだ」

 波の音が、ふたたび耳に戻ってくる。

「ただし、問題がひとつある」

「問題?」

「俺には、こっちの世界でまともに動かせる“身体”がない」

 ウォルフは、自分の足もとを一瞥した。砂に影は落ちているが、踏みしめた跡はほとんど残っていない。

「ぬいぐるみから狼までは戻れたが、人の姿にも、人狼の姿にも届かない。制御も不安定だ。全開にすれば、おそらくこのエネルギー体のような状態でははもたない。必要なのは、器だ」

 その言葉が、ゆっくりと落ちてくる。

「戦うには、器がいる。向こうとこちらの中間に立てる、しなやかで、折れにくい身体だ。意識が壊れず、多少の衝撃では逃げ出さない芯を持った器」

 ウォルフの瞳が、まっすぐに斗真を見た。

「簡単に言えば——」

 少しだけ間を置いてから、告げる。


「斗真、おまえの身体をもらう」


 赤い月が、海の上に引いた光の道を、ひときわ強く照らした。波が寄せては返し、そのたびに足もとの砂が少しずつ削れていくのを、斗真は見下ろしていた。

 ——逃げろ、と頭のどこかが点滅していたのに、足は砂に縫いつけられたみたいに動かなかった。

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