第1話 化け物
そこまで、厄介な案件ではなかったはずだ。
「ついてないね、ほんっとに」
目の前にたたずむ化け物を見つめ、思わず私はぼやく。こんなのが出てくるのは想定外にもほどがある。
あたりには、先ほどまで私が争っていた妖の亡骸が転がっている。私が死闘を繰り広げていた相手だ。そして、それは今目の前にいる化け物によって一瞬にして殺された。
要するに、私よりも圧倒的に強い化け物が新たに表れたというわけだ。
「……とはいえ、見逃すわけにはいかないの」
さて、生きて帰れるだろうか。命が残ったら奇跡だろうけど。
ため息でもついてしまいたい気持ちを飲み込み私は札を構える。そいつの動きを見逃さぬよう集中する。
「……は?」
そいつは一瞬で踵を返し、私に背を向ける。
「逃がすか!」
私は構えた札をそいつに向かって投げつける。それらは炎をまといその化け物へと飛来し命中するが、一切その化け物にはダメージがない。
せめて、軽いやけどくらいは負ってほしかったなぁ。
「……逃げた、ね」
殺されなかったことを喜ぶべきか、あの化け物を野放しにしたことを悔いるべきか。
「はぁ……」
そうして、先ほどこらえたため息を吐き出すのだった。
俺という人間はヒーローにあこがれていた。多分、5、6歳の頃にそう言った正義のヒーローにあこがれる人は多いだろう。そして、俺はその期間が長かった。ただそれだけの差だったのだろう。
まあ、そんな自分語りはどうでもいい。
「で、どうしてこんな姿になったんだ?」
ある夜目覚めると、俺の体は化け物になっていた。まさに、あこがれていたヒーローとは真逆の存在と言えるだろう。
鋭くとがった爪と牙、月明かりに反射する鮮やかな毛並み、鋭くにらみつける緋色の瞳、何人もの人を食い殺してきたかのような凶悪な表情。
見た目としてはオオカミを巨大化させ、さらに凶悪にしたような姿だ。
あの夜から俺は毎夜、こんな姿に変身するようになってしまったのだ。
「にしても、あの化け物と少女は何だったんだ?」
変身できるようになってからというもの、この体の人間を超えた圧倒的な身体能力を生かして、街の中を駆け回るようになった。
誰かに見つかったらどうするんだと思うかもしれないが、同じ目にあってから言ってほしい。毎夜この姿になり、眠れなくなったとなれば、一晩中部屋で起きているのは苦痛だ。眠れないと言っても、日中の活動には影響がないことは不思議である。
「と、もう夜が明けそうだな」
この姿に変身するのは夜間だけだ。夜が明ければ、また人間の姿に戻る。
そんなわけで、俺は自室へと駆け抜けるのだった。
「えー、今日は転校生がいます」
翌日、いや、日が昇り始めていたわけだから翌日というわけではないのだが、ともかく、俺はいつもどおり高校に行ったわけだが。
「「おー!」」
教師のその一言で生徒たちはいっせいに盛り上がる。高校生という生き物は転校生という言葉にとてつもなく興味を惹かれてしまうものなのだ。美女だろうか、イケメンだろうか。物語の中では定番の流れに期待してしまうわけだ。
まあ、俺としてはどうでもいいわけだが。……そもそも、夜になると獣(物理的に)なってしまう俺が、女性と付き合うとかそんなことできるはずがないのだが。
「お前らにとってはそうかもしれないがなぁ、俺は突然今日転校してくるって言われ、早朝から準備に大忙しだったんだからな?いきなり転校が決まるって、手続きどうなってなんだ」
教師側としては、転校生は突然のことだったらしく、愚痴をつぶやいている。確かに、転校の手続きが、朝だけで終わるはずもない。前もって決まっていたとしても、担任に伝わらないことはほとんどないと言ってもいいだろう。
まあ、担任の教師がほかの教師に相当に嫌われていて、わざと伝えられなかった可能性もあるわけだが、いやないか。
「まあ、とんでもない美少女だ。覚悟しとけ」
教師はそんな一言をなぜだか残して、教室から去っていく。転校生を呼びに行ったのだろう。
「美少女ってよ!俺、狙っちゃおうかな?」
「本気を出す時が来た」
「あの先生の美的センスだろ?とんでもないのが来るかもしれないぞ」
教師の姿が教室からいなくなるや否や、そんな言葉が教室内で交わされる。
いや、最後の奴、意味によってはとんでもなく失礼だぞ?
そうして、数分経った後に教師が戻ってくる。
「じゃあ、入ってきてくれ」
教師がそう言って、ガラガラと扉が開く。
そこから出てきたのは、長い黒髪をたなびかせ、きりっとしたまなざしを携えた少女だった。かわいい系というより、かっこいい系の少女だ。
誰がどう見ても、美少女だというだろう。それくらいには整った容姿の少女だった。
「すご……」
誰かが思わず、そんな声を漏らすほどの美少女なわけだが。
俺はそれどころではなかった。あの少女に、見覚えがあった。
昨日、化け物に襲われていて、俺に攻撃を繰り出してきた少女だ。今の姿とあの獣の姿は全くつながりが見えないから、流石にばれるようなことにはならないと思うが……。
「じゃあ、自己紹介から頼む」
そう言われて、その少女は自己紹介を始める。
「骸祈だよ!よろしく!」
黒板に名前を書いたのち、くるりと振り返りその一言を告げる。
「陰陽師です!なんかあったら言ってね!」
その言葉にざわついていた教室は静まり返る。
そして、彼女は関わってはいけない存在としての認識が広がっていくのだった。