15話 同族を愛する水の竜
『あら、やっぱり。貴女だったのね』
水竜が私を見下ろしながら親し気に話しかけてきた。どうやらヒトの形に圧縮されていても、同族には私が白竜であることが分かるらしい。
この場にはリュカだけではなく、拙いながら精霊語を話せる人魚族がいる。ネイティブな発音の精霊語をどこまで理解できるかは分からないが、あまり会話を聞かせたくない。
「リュカ、ちょっと行ってくるね。戦う必要はないから」
「……分かった、待っている。……だから必ず戻ってきてくれ」
「うん」
振り返ったリュカの表情は硬く、白い弓を強く握りしめていた。……私を好きだと言ってくれたけど、竜全体への恨みが消えた訳ではないだろう。
目の前にいるのが張本竜の黒竜じゃないからまだ冷静でいられるだけかもしれない。それでもいつまでも傍に居たいものではないはずだ。
『水上を歩きたいので、私が歩く場所に足場をお願いできますか?』
『いいよ』
精霊たちがわらわらと集まって魔法を使ってくれている。どうせ自分の魔力で足場は作るのだけれど、これは人魚に聞かせるためのものだ。自力で魔法を使うとヒトとしてかなり異質になってしまうから。
そうして水上へと踏み出した私は、水竜を見上げて声を張り上げた。
『話があるなら場所を移しましょう!』
『ええ、いいわよ。……不便ねぇ、その体』
水面を軽く跳ねるように駆けて港を離れる。水竜はそんな私の後をゆったりと泳いでついてきた。やがて岸が見えなくなり、決して誰にも会話を聞かれることはないと判断できるところで歩みを止める。
『久しぶりですね、水竜。……私に何か用でしたか?』
『そうね、どうしているかと心配していたから。本当にヒトの形になって、ヒトと暮らしているのね。……でも元気そうで安心したわ』
流れる水音のように心地よい声で水竜は笑い、その鼻先を近づけてきた。そんな彼女の鼻にやさしく触れて挨拶を交わす。圧縮された分力に差が出るとはいえ、竜同士ならヒト相手ほど気を遣う必要もない。
(水竜は……属性竜の中では一番穏やかだし、私もそれなりに会話できる相手ではあったんだよね)
黒竜から逃げ回りながら彼女のところに避難することもあったので、属性竜の中では一番関係が深いと言える。……とはいえ、それでも彼女は竜なのだ。竜の中では穏やかというだけで、決してヒトを顧みてはくれない。
『ヒトと生きることを決めた貴女にも、ちゃんと教えてあげなくてはと思って』
『……ええと、何を……?』
『卵の産み方よ。まだ知らないわよね』
卵の産み方。あまりにも唐突な話題に私は固まった。なにせ、私には卵を産む予定などない。竜とは価値観が合わないし、同族が増える訳でもない。属性竜の子は、番のどちらか、あるいは混合の属性を持って生まれる能力の劣化した竜が生まれるだけなのだ。
『その予定はないです』
『そんなことを言って……さっき一緒にいたヒトとの卵を産むのでしょう? だって貴女、ヒトナー……』
『ヒトナーじゃないですから……!』
まさか水竜まで「ヒトナー」などと言い出すとは思わなかった。というか、彼女は私がリュカとの卵を産もうとしていると思っていたようだが、そもそもヒトと竜で卵なんてできるのだろうか。
『そう。貴女にはまだ恋が分からないのね』
『いや、そういうことではなく……』
竜の恋というものがいまいち分からない。おそらくヒトのそれとは違うだろう。何せ水竜はよくパートナーを変えるし、様々な竜の卵を産んでいる。それが恋だというのなら、彼女は恋多き雌竜なのだ。……そのおかげでこの世界には様々な種類の竜が生まれる訳だが。
『そうねぇ、まだ経験がないなら……もし相手が美味しそうに見えるようになっても食べちゃだめよ』
『……はい?』
『食べるのは魔力だけにしておくのよ。丸のみにしても卵ができるとは限らないんだから』
その口ぶりはまるで一度、好きな相手でも食べたように聞こえて、とても気のせいだと思いたかった。
(竜の恋愛感情って食欲に変換されるの……?)
しかもどうやら相手の魔力を食べる、つまり体内に取り込むことで卵を作るようだった。私の知っている動物たちの生殖行動と違いすぎてかなり予想外である。それでは同族が生まれないのも必然と思えた。
『ああそれと、黒竜の様子が変だったのよね。……何かあった?』
『……まあ、色々と』
『そう。長い竜生だもの、喧嘩することもあるわ。けれど私たちは七体しかいない同族だもの。いつかは理解できるはずよ』
まるでわからずやの子供に言い聞かせる母親のような声で彼女はそう言った。同族だから分かり合える、なんてことはきっとない。
『ところで、水竜はここで何を?』
『水中に美しい街があったから、巣に飾ったところなの。よかったら見に来る?』
それはきっと人魚族の住んでいた街であり、彼女たちが作った建造物やオブジェが気に入った水竜はそれを持ち帰ったらしい。
元世界の人間が家にミニチュアのハウスを用意して、飾り立てるようなものだ。彼女には悪気はなく、悪意もなく、そしてそこに住むヒトなど見えてもいない。
『いえ、私は……ヒトを困らせたり、傷つけたり、そういうことは理解できないので』
『あら……そんな悲しそうな声を出して。分かったわ、もうやめておきましょう。貴女を悲しませたくはないもの』
彼女はとても同族への愛情が深い。だから私が悲しむならとりあえずやめようとは思ってくれる。ただ、私の目がないところでは同じようなことをしたり、この街でなければいいというような解釈をしたりしているはずだ。
それでも水竜は、ヒトを傷つける行為に私が悲しむからやめようと考えてくれるだけ優しい方である。……彼女とだって理解し合えないのだから、私が同族に馴染めるはずはない。それを再確認させられた。
『……じゃあ、私はそろそろ戻ります』
『ええ、ではまたね。私は土竜に会いに行こうかしら』
次は土竜の卵を産む気なのかと思ってなんとも微妙な気持ちになった。その竜がもし、ヒトに害をなすようになったら、私はそれを討伐する側へと回るだろう。……属性竜が己の子供に無頓着だとしても、いい気持ちになるものではない。
水竜は水面に大きな波を立てながら空へと上がっていく。しかしそのまま去るのではなく、彼女はこちらを振り向いた。
『黒竜もヒトの世界に行きたいようだったわよ。どこかで会うかもしれないわね』
「え」
とんでもない爆弾を落として彼女は夜空の彼方へと消えていった。……聞き間違いであってほしい。
属性竜は相手の魔力を蓄えることで卵を産みます。動物の生殖とはまただいぶ違いますね。
花粉症にやられており作業の進捗が何もかも遅くて申し訳ない。花粉め。