13話 狩猟の宴
クラーケン猟が成功すると、港では必ず宴を開くらしい。成功の祝いであり、怪我人の回復を祈るためでもあり、亡くなった者がいればそのヒトの鎮魂のためでもあるという。
しかし今回は死者なし、怪我人もすべて回復済みという状況で、ただひたすらにお祝いの宴だ。私とリュカはその宴に是非参加してほしいと願われたため、振る舞われるイカ――いや、クラーケン料理を楽しむことにした。
「客人たちはこっちの席に座りな。中心に連れて行きたいところだが、二人で冒険するのに慣れてるならこんな騒がしさは落ち着かないだろう? 街の奴らにもそっとしておくように釘さしておいたよ」
医者の女性、エーレに案内されて私たちは海に近い端の席へと座った。ここ以外にもあちらこちらにテーブルと椅子が用意されており、浜辺の方では火を焚いて料理が行われている。煮たり、焼いたり、揚げたりと様々な調理方法で捌かれたクラーケンが次々に料理されており、出来上がった傍から好きなように取って食べていいようだ。
料理をしているのは主に猟師の妻で、夫が危険を冒して仕留めたクラーケンを腕によりを掛けて料理する、というのが誇りであるという。
医者であるエーレは料理ではなく怪我人の治療が仕事なので、普段はなかなか宴には参加できないのだそうだ。今回はせっかくだから楽しむようにと皆に送り出されたらしいのだが、既に持っているジョッキの酒は三割程度しか残っていない。料理より先に酒を飲むのは、ヒトの体には負担ではないのだろうか。
「さあ、好きなだけ食べてくれ! 命の恩人殿!」
「ありがとうございます!」
沈んでいく夕日に照らされたツルツルの頭と笑顔が眩しい男性、ゴラムが大皿に料理を持って運んできてくれた。それ以降も色々なヒトが料理を運んできてくれたので、私たちは席を立つ必要がなさそうだ。まるで主賓扱いである。
「美味しそうだね、リュカ!」
「そうだな。普段は食べられない料理だから、しっかり味わわせてもらおう」
「うん。でもこんなにおもてなししてもらっていいのかなぁ……」
「当然だろう。君たちが来てくれなければこの光景はなかった。……医者が暇で酒を飲めることほど、幸福なことはないさ」
エーレはそう言ってジョッキを傾けて空にすると、おかわりを求めて席を立った。その目が少しうるんで見えたのは、煌々と輝く宴の炎の揺らめきのせいだろうか。さすがにそれに言及するほど無粋でもないので気づかぬふりをして彼女を見送った。
残された私とリュカはテーブルに並べられた料理を改めて確認する。クラーケンを主にした様々な海鮮料理が並んでいて、本当に美味しそうだ。
「スイラ、せっかくの厚意なのだから好きなだけ食べるといい。……さすが港、刺身まであるな」
「刺身!」
さすがに醤油までは存在しないもののこの世界にも刺身の食文化があり、塩やレモンのような果実の液を掛けてたべるらしい。リュカの話では港でしか食べられないもののようだ。
他にもテーブルの上にはスープ、唐揚げ、焼き物、煮物、飯物など様々なイカならぬクラーケン料理が並んでいて、漂う香りも立ち上る湯気も食欲をそそる。しかしやはり、最初に食べるなら刺身だろうと、添えられた楊枝をつまんだ。……そして楊枝でイカを突き刺そうとして、そのまま木製の楊枝がばきりと折れた。
(力の加減が……難しい……)
私がヒトの道具を使う時、自分が触れる部分は魔力で保護して潰さないようにしている。楊枝も摘んでいる部分は魔力で保護をして潰さなかったが、刺身に触れる先端までは保護していなかった。
スプーンやフォークの扱いはマスターした私でも、楊枝ほど細い道具はまだ扱いきれていない。というか、ヒトの姿になってから初めて使うのでまだ力加減が分からないのだ。……何本か駄目にしながら練習すれば扱えるようになるだろうが、街の備品を壊すのは悪いし、エーレが戻ってきた時に机の上で壊れた楊枝が散乱しているのも怪しいだろう。
(刺身は諦めようかな……指で摘むのはヒトとしてお行儀が悪そうだし……)
少ししょんぼりした気持ちでつやつやとした白い切り身を見つめていると、リュカが椅子を近づけて隣へと並べた。どうしたのかと思っていると、彼は刺身の皿と楊枝を持ちあげてこちらを向く。
「楊枝を扱うのは難しそうだな。よければ私が食べさせよう」
「え、いいの?」
「ああ。……ほら、口を開けるといい」
楊枝に刺したクラーケンの刺身を差し出すリュカが輝いて見えた。その光景に何故だか空腹感も刺激されて、とても美味しそうに見える。
リュカが自分から提案したということは、ヒトとしてもエルフとしても、食べさせてもらうのはおかしな行動ではないはずだ。彼の言葉に甘えることにして口を開けて待ち、刺身を食べさせてもらった。
つるりとした舌ざわり、弾力のある身の歯ごたえ、ほんのりと甘い食材の味を塩が引き立てている。クラーケンの刺身、とても美味しい。
「おいしい……!」
「……よかった。まだ食べるだろう?」
「うん!」
まるで親鳥から餌をもらう雛鳥のように刺身を食べさせてもらっていると、そこにジョッキを傾けながらエーレが戻ってきた。その角度から察するに、おかわりをしてきたはずの酒はここに戻ってくるまでに半分くらい減っているのではないだろうか。……さらにおかわりのおかわりと思われる四つのジョッキを、背後に控える夫のゴラムが運んできているけれど。
「おや、仲がいいね。……もしかして戻ってこない方がよかったかい?」
「いえ、そんなことはないですよ」
「……スイラはこういうものに慣れていないので、食べにくいようでしたから」
「ああ、なるほど。つるつる逃げちまうからね、クラーケン刺しは」
リュカの説明で納得したように頷いたエーレは空になったジョッキをテーブルに置きながら、ゴラムから新しいジョッキを受け取って席に着いた。ゴラムの方も彼女の隣に座り、ジョッキのうちの一つをちびちびと飲み始める。
「本当にありがとな。……こいつに宴で酒を飲ませてやれるなんて、もう何年振りか分からねぇ。今日は本当にいい日だ」
「あんたも死なずに済んだしね」
「おうとも。これからもお前の世話になるぜ」
「怪我をしないように努力するとでも言いなよ、まったく」
死にかけていたとは思えないほど明るく、白い歯を見せながら笑うゴラム。そんな彼にため息を吐きながらも優しいまなざしを送るエーレ。どちらもお互いを思いやる、とても良い夫婦に見えた。
恋人らしく甘えているとか、いちゃついているとか、そういうことはないのだけど、隣に並ぶのがとてもしっくりきて、仲の良さが伝わってくる。
二人と雑談を交わしながら料理に舌鼓を打った。クラーケンは巨大なため、私の知っているイカ料理と似ているようで違う。
赤子の顔ほどの大きさがある吸盤だけを焼いた吸盤焼きとか、大きな触手を輪切りにしたクラーケン焼きとか、細かくブロック状に切ってつくる煮物や、適当な大きさに切った後中身をくりぬいて具材を詰めた蒸し物、くりぬいた身で作るクラーケン団子など本当にさまざまな料理が出てくる。そのどれも美味しかったので私はとても満足で、気が付いたらエーレが飲みすぎて潰れていた。
「あの、エーレさんは大丈夫ですか……?」
「ああ、大丈夫だ。でも珍しいな。……よっぽど気が抜けたんだろうな。ちょっと家まで連れて帰って寝かせてくるぜ」
「はい、わかりました」
ゴラムは軽々とエーレを抱きかかえて街の方へと向かっていった。宴の光を反射する頭を見送っていると、背後で妙な水音がして振り返る。
「どうした?」
「……波以外の音がした気がする」
私たちの席は宴の端、桟橋のすぐ傍に用意されていた。皆が押しかけてこないよう、客人である私たちを驚かせないようにと配慮してくれた結果らしい。実際、料理を持ってきてくれた人たちが皆、それぞれ礼の一言をかけて去っていくだけで囲まれることはなく、私もリュカもその配慮をありがたく思っていたのだ。
宴の中心から遠く、騒ぐ声も少し離れているので聞こえたのだろう。気になったので、桟橋の方へと目を向けた。
すると暗い海の中から、ヒトの頭が飛び出てこちらを覗いている。その水色の目としっかり目が合った。
「リュカ、誰かいるよ」
「……この暗さで見えるのか。君は本当に目がいいな。水の中にいるなら……おそらく人魚族だ」
人魚族。たしか、それは精霊は見えなくてもその声を聞くことができる種族だ。相変わらず私の周りには精霊が集まっており、楽しそうな囁き声は聞こえてくる。あたりの水の精霊が集まってきているので、それが人魚族にも聞こえてしまったのかもしれない。
とりあえず手を振ってみると、相手は水の中でびくりと震えて水中へと潜っていってしまった。
「あ……驚かせちゃったかな」
「気になって様子を見ていた、ということはまだ近くにいるかもしれないが……」
一応確認してみようと、海にせり出した桟橋の方へと歩いていく。暗い海を覗き込んでみたが、真っ暗で何も見えなかった。
もういなくなってしまったようだ。リュカにそう言おうと振り返ったら、何かに手首をがしりと掴まれる。
「え?」
「っ……え? なんで?」
改めて海を見ると、水の中からヒトが両手を伸ばして私の手を掴んでいた。どうやら水の中に引きずり込もうとしているようだが、私はヒトの形に圧縮された竜である。桟橋の上に体重を掛けようものなら橋が崩落するので、自分の魔力の上に乗っているくらいなのだ。ヒトが引っ張ったくらいで重心が動くはずもない。
「こんばんは。どうしたんですか?」
「どうって……いや、少しは動揺してよ……」
暗い海の色に似た紺色の髪の女性は、水色の瞳で不満げに私を見つめてそう呟いた。
ようやく少し時間がとれたので久々の更新です。
食べさせてあげるのは……たぶん、よっぽど仲が良くないとやらないんじゃないかな……。
次回から人魚族のおはなしの予定。