12話 クラーケン猟
「海だー!」
聖竜教の騒ぎに介入した後、南下し海を目指していた私とリュカはとうとう港町へとたどり着いた。青く輝く海、暖かな空気、潮風の運ぶ磯の香。元の世界の海とそう変わらない。変わることといえば――。
「おい! 早く最後の脚を落とせ!」
「縄を引けーー!!」
せいぜいヒトよりはるかに大きな巨大イカを、船を足場にして退治しようとしている漁師がいるくらいだ。……いや変わりすぎか。元の世界では絶対に見られない光景だ。これこそファンタジーな異世界の光景である。
「リュカ、あれがクラーケン?」
「そうだ。もう漁も終わるところだな」
足を切断された巨大イカ、もといクラーケンはその巨体を覆える程の網を大勢のヒトの力によって、陸へと引っ張り上げられている。おそらくクラーケン漁はそう珍しい光景ではないのだろう。港の様子は手慣れたもので、今度は怪我人の手当てやイカの解体など忙しなく動き始めた。
「私、怪我人の治療をしてきてもいい?」
「そうだな。私も手伝えることがないか訊いてこよう」
「うん、じゃあまたあとで」
私は怪我人が集められている場所に向かった。まず一番の重傷者を探してみる。慣れた漁とはいえ、小さなヒトが巨大な魔物に立ち向かうのだ。運が悪ければ当然死者も出る。
最も重傷だが、治療をされていない男性を見つけた。助からないと判断されているのだろう。こういう時、非情に思われるかもしれないが助かる者を優先するのは当然だ。助からない者に治療の手を割いて、さらに助からない者を増やしてしまう訳にはいかないから。
私がその男性に近づくと「そいつはもう無理だ、やめときな」と他の者を治療している医者らしい女性に言われる。彼女は別の患者を診るのに必死で、死に体の男性には目もくれなかった。
「……お……ほ……とけ……」
私が死にかけているそのヒトの顔を覗き込むと彼は何かを言った。何を言おうとしたのか、ヒトの言葉を知っていてもよく分からない。片腕がなく、腹には穴が開いている。虫の息だが、それでもまだ生きているのだ。それなら私が助けられる。
『この人の傷を全部治してもらえますか?』
『いいよー』
光の精霊が私の言葉に力を貸してくれる。光属性の治癒魔法なら得意分野であり、本来精霊を頼る必要はないし、自分の感覚でやった方が治療の程度も分かるのだけれどヒトのフリをするなら呪文を唱えなければならない。
見る見るうちに目の前の男性の傷が塞がった。「傷を全部治して」と指定したせいかなくなっていた腕まで生えていたが、いや、まあ、たぶんこれくらいなら許容範囲だろう。
「……うそだろ……」
傷一つ残さず回復した男性は、起き上がって自分の体を確認して驚いていた。新しく生えた腕を触り、動かし、自由にできることを確認した彼は恐る恐る自分の頭に触れている。……なお、とても綺麗なつるつるの頭に手が触れた彼は何故かちょっぴり残念そうな顔をした。
「もう大丈夫だと思いますよ。……ところでさっき、何を言おうとしたんですか?」
「……俺はほっとけって、言ったんだよ。……でも……ありがとな」
「いえ。できることをしただけですから」
彼の元を離れ、今度は重傷と思われる順に怪我人へ治癒魔法をかけていく。腕まで生やしたのだからもう何を治したっておかしくはない。「全部治してください」で治癒魔法を使っていった。……ところどころで「腕が動くようになった」とか「関節が痛くない」とか慢性的な症例が治ったような声が聞こえてきたけれど、とにかくみんな喜んでいるようで何よりである。
「お嬢ちゃん。……ありがとう、うちの夫を助けてくれて」
全員に治癒魔法をかけ終わると、やることがなくなったというか仕事を奪われた形の女性の医者が声を掛けてきた。褐色の肌に日焼けして、背筋を伸ばし胸を張って堂々とした雰囲気の女性だ。そんな彼女は煙草をふかしながら、気だるげに感謝の言葉を吐き出す。立ち振る舞いからは感謝していると思えないのに、その声からは深く感謝されていると伝わってくるから、不思議だった。
「夫、ですか……?」
「ほら、あれだよ。元気になってすぐクラーケンの解体にいっちまった。あの元気なハゲ頭だよ、人一倍光ってやがる」
煙草を挟んだ指で示されたのは、クラーケンの解体現場でひときわ元気に仕事へと勤しむツルピカ頭。それは彼女が助からないと判断し「無理だ、やめときな」と言ったあの男性だった。私がいなければおそらく今頃死んでいたヒトである。……あれだけ冷静に切り捨てた相手が夫だとは思わなくて、少し驚いた。
「いの一番に飛び出して、いっつも怪我して。いつか死ぬって思ってたけど、まあ……今日じゃなかったんだね。嬢ちゃんのおかげでまたあたしが治してやれるよ」
その言葉や声に滲む愛情を感じ取り、彼女は医者として正しい行動をするために自分の感情を抑えることができるタイプの職人なのだと気づく。
私は自分の感情を抑えるのがあまり得意ではなく、大体感情の赴くままに行動してヒトのふりをしてみたり、リュカを振り回したりしているので内心尊敬した。彼女は根っからの医者、なのだろう。
「でも、悪いね。この港に莫大な寄付金なんて出せやしない。あんたは相当名のある光の魔法使いなんだろうけど……」
「ああ、大丈夫です。私は聖教会の者ではないので」
「……そうなのかい? ……あれ、あんたその耳はハーフエルフか」
髪の隙間からほんのり覗く尖った耳に気づいたらしい。笑って誤魔化しておく。実態は竜であっても、ヒトの世界での私は「ハーフエルフの冒険者スイラ」である。
彼女は私をしげしげと眺めたあと港の方を見て、クラーケンの解体を手伝っているリュカの存在に気づいたようだ。
「ああ! あんたたち、リュカとスイラか! エルフ二人組の冒険者が人助けの旅をしてるってのは聞いたことがあったけど……ほんとだったんだねぇ」
「そこまで大それた旅では……通りかかった場所でたまたま手を貸せることがあったら、手を出しているだけです」
「謙虚だねぇ。じゃあ、この港には何しに来たんだい? ここには海しかないよ。それとも、船で外国にでも行くのかい?」
考えたことがなかったけれど、海の向こうにも別の国があるらしい。そちらにも是非、いつかは訪れたいものだが、今回の目的はそれではない。
「クラーケンが目的です」
「……うん?」
「クラーケンを食べに来ました」
私はリュカに聞かされたイカ料理――いやクラーケン料理の数々のせいで、それらを食べるまで食欲が収まらないのである。お口がすっかりクラーケン一色、この欲求を納める方法は一つしかない。そう、クラーケンを食べることだ。あの巨大イカの切り身を売ってもらえないか、交渉する必要がある。
「ッははは!! そいつはいい! 治癒魔法の礼だ、満足するまで食べていきな!!」
「ありがとうございます! リュカも一緒でいいですか?」
「もちろんだよ。相棒なんだろう?」
どうやら私とリュカは無事にクラーケン料理にありつけそうであった。……決してそれ目的で手伝ったわけではないのだが、結果オーライだ。
そしてその夜、クラーケン漁の成功を祝う宴の最中、私たちは新しい出会いをすることになる。
やっと書き下ろしが終わったので久々の更新です。
第三者視点入れようかと思ったけど更新期間が空いちゃったので話を進めることにしました。
クラーケンの料理、美味しそうです。次回はまた、新しい種族に出会います。