9.5話 鬼人の女傑
カガリは鬼人の村で最も力の強い若人だ。年長者からは希望を託され、年少者からは目標にされる。男女ともに憧れを抱く、そんな英雄だった。
しかし森林竜の前では、どれだけ実力の飛び出た鬼人だとしても一人でできることに限界がある。ともに戦っていた弟が大きな顎に上半身を食われて骨を砕かれる姿を目にした時、カガリは二体の森林竜を相手取るのに精いっぱいで、彼の元に駆け付けることができなかった。
(おのれ、おのれ……! 絶対に許さない……!)
はじめのうちは集落のすべての戦力で抵抗できていたのだ。しかし時が経つと共に一人、二人と負傷者が増え、半年が経つ頃には弟を始まりとしてだんだんと死者が出るようになり、一年もすると均衡は崩れて状況が不利になった。森林竜の群れも減らしてはいるが明らかに鬼人の戦士の方が減るのが早く、このままでは全滅は必至である。
どうせ死ぬなら賭けに出る。竜も寝静まる夜中に巣を襲い、やつらを始末する。しかし人間にとっても夜の暗闇は危険だ。カガリは引き留めようとする者たちを説得して、一人で戦いに赴いた。
二体は眠っている隙をついて駆除できた。しかし二体目が断末魔の叫びをあげたために、他の竜を起こしてしまった。
それでもカガリは戦った。まだ幼い子供たちを守るため、残された家族を守るため。太刀を折られてもあきらめなかった。
だが、何かに躓いて転び、巨大な頭と鋭い牙が眼前に迫った瞬間にはさすがに死を覚悟せざるを得ない。一瞬で今までの記憶が、走馬灯が駆け巡り、恐怖に身がすくんだその瞬間、なぜか竜が消えた。
(な、なんだ……? 一体、どこへ……)
探してみると傍に血だまりと、森林竜らしき鱗などの破片が散らばっていた。月明りを反射する一本の矢がその場に落ちていることから考えると、その一矢が森林竜を砕いたのだろうが、そんなことがあり得るのか。
やがて二人組が姿を現した。片方は輝くような弓を携えたエルフの青年で、もう片方は儚げな少女。
(……彼が私を助けて、くれたのか……?)
無言で矢を拾うエルフの青年の横顔を見つめる。線が細く、鬼人であれば軟弱とされる体つきだ。しかしその細い体にどれだけの力を秘めているのだろう。一矢で下位竜を打ち砕く弓の腕前に感服するしかない。そんなことができる者は、鬼人にだっていないのだから。
「大丈夫ですか?」
まるで風鈴の音でも聞いているかのような、愛らしく耳に心地よい声で少女が話しかけてきた。なんとか返事はしたものの、視線はエルフの青年から離せないでいる。自分はどうしてしまったのだろう。
そんな中突然、月明りをさえぎる影がかかりそちらに目を向けた。愛らしい少女が、あの時の弟のように森林竜の顎に飲み込まれる姿に悲鳴をあげ――おそらく精神的な刺激が強すぎたのだろう。頭を殴られたような衝撃を受けて気を失ってしまった。
火のはじける音で目を覚まし、がばりと身を起こす。慌てて周囲を見渡すも森林竜の姿はなく、そこにあったのは焚火とこちらを少し驚いたように見つめるエルフの青年の姿だった。
「わ、私は一体……」
「森林竜はすべて駆除しました。……白湯でもよければ、どうぞ。落ち着かれてください」
「……ありがとう……」
自分を救ってくれたエルフの青年が差し出す器を受け取った。湯気の立つあたたかな湯をちびりちびりと口にしているうちに冷静さが戻ってくる。
だから気づいてしまった。自分の目の前で森林竜に飲まれた少女の姿がないことに。
(彼は大事な仲間を失ってしまった……その直後に、こんなに親切にしてくれるとは……)
火を見つめる青年の横顔を窺う。揺らめく明かりに照らされるのはエルフらしい端正な顔立ち。高慢な種族とされるエルフだが、彼は自分よりも体の大きなカガリを安全な場所まで運んで、毛布に寝かせてくれていた。命も救ってもらったし、仲間を失ったばかりだろうに何も言わず親切にしてくれる。
(なんと……心の優しい御人だろう……森林竜はまだ何体も残っていた。あれを一人で倒すほどの腕前もありながら、驕りがないのか)
そんな青年の横顔を見つめながら胸を高鳴らせ始めていたカガリは、近づいてくる足音に気づかなかった。
「目が覚めたんですね」
「!? 化けてでたのか!?」
「化け……いえ、生きていますよ……?」
死んだと思った少女が生きていた。全く足音がしなかったので、一瞬霊魂か何かがさまよって出てきたのかと思ってしまった。小さくひ弱そうな外見の彼女が生き残っているとは驚きである。
(あの状況から救い出したのか……素晴らしい実力だな)
エルフの青年はリュカ、少女はスイラというらしい。恩に報いたいのも本心だがリュカともっと話したいという気持ちから、二人を引き留めて鬼人の集落へと案内した。
「とても静かですね」
「普段はもっと賑やかなんだ。……ただ、森林竜の災いで怪我人も多く、みな気持ちが沈んでしまっている。しかしすべて討伐されたと知れば、きっと元気が戻るはずだ」
今も苦しむ同胞は多くいる。もしかすると、もう持たないかもしれない重傷者だって少なくない。それでもまだ立ち直れるはずだと、災いが去ったことを知れば希望を持てるはずなのだと、カガリはこぶしを握った。
そんなカガリを見つめていたスイラは、あたりをキョロキョロを見渡し始める。
「何を探しているんだ?」
「怪我人はどちらに?」
「ああ、それは……族長の家に。数が多くて、最も大きな家に集めて治療をしているんだ」
「ああ、あちらの家ですね。分かりました」
すたすたと足音もなく族長の家に向かって歩き始めた小さな背中に「待ってくれ」と手を伸ばす。あんなか弱げな少女が見たらあまりの悲惨さに卒倒してしまいそうな光景が広がっているのだ。とめなければならない。伸ばしたカガリの腕を、横から出てきた手がそっと押さえた。
「大丈夫です。……スイラは治癒魔法が使えますから」
「治癒魔法を……?」
鬼人は魔法を使えない人種だ。魔力の巡りが内にこもり肉体が強くなる代わりに、外に放出できず精霊に魔力を渡すことができないからである。
鬼人と違ってエルフは魔法を得意とする種族ではあるが、それでも光属性の魔法を使えるものは少ないはずだ。それに光属性の魔法使いは教会に所属して、教会の指示通りに治療をすることがほとんどで、こんなところでそれ以外の貴重な使い手に出会えるとは思わなかった。
(こんな偶然が……奇跡があっていいのか)
スイラが迷いなく入っていった治療所に慌ててついていく。突然現れた見知らぬ人間に驚く同胞をなだめ、恩人たちだと説明している間に、重傷者の傍らに膝をついたスイラから淡い光が放たれた。
みるみるうちに傷が治り、意識が回復した一人が慌てて身を起こす。何が起きたか分からない様子の彼は傍で微笑む少女に気づき、その顔に見入っていた。
「もう大丈夫ですよ。痛いところはありませんか?」
「あ、ああ……」
「それならよかった。では……他の方も治してまいります。他の方も皆、必ず助けますから安心してください」
その宣言通り、彼女は次々に怪我人を治していった。手足を失った者もいたのにそれすら再生させ、二十人以上の治療を終えても穏やかに微笑んでいた。かなりの魔力を消費していそうなのに、疲れた顔一つみせていない。
武力ではない強さ。心のやさしさ、懐の広さ。それもまた精神的な力であり、賞賛に値するものだ。
「聖女だ……」
「ああ、聖女だな……」
治療を受けた男共がスイラに見惚れている姿にあきれたため息をつきそうになったが、自分も人のことは言えないと気づいた。
命の恩人であるリュカに深い恩義と共に、淡い恋心を持ち始めている自覚がある。
(この二人は……恋人ではない、と思う)
女の勘というべきだろうか。二人は確かに厚い信頼に結ばれた、仲間同士ではあるのだろう。しかし二人の間にあるものは男女の情でない気がするのだ。同じ女だからこそ、スイラがリュカに対して向ける目が恋ではないと分かるのである。
(ならば……私にも機会はあるかもしれない)
二人の救世主への感謝と、森林竜という災いが去った祝いの宴の最中、隙を見てカガリはリュカを呼び出した。
まだ出会ったばかりで人種も違うのだからリュカにその気は全くないだろうが、自分を意識してほしかった。人種が違えど自分は想い始めているので、考えてみてもらえないかと尋ねたかった。
だが、リュカには心に決めた相手がいるという。それが誰なのか分からないほど愚鈍でもない。
(……ああ、そうだな。……貴殿が彼女を見る目は……とても……)
スイラがリュカを見つめる時、そこに恋愛感情がないのは知っている。だがリュカがスイラを見つめる時、何か熱のようなものがこもっているのは感じ取れた。それを気のせいだと思いたかったけれど、はっきりと言われてしまえば気づかない訳にもいかない。
淡い恋心は実ることなく、胸にはちくりと刺すような痛みがある。しかし悲しみが深くなる前に、地面が揺れたために驚いていろいろ吹っ飛んだ。
(……なるほど、ただの少女ではないか)
カガリの告白を聞いていたらしいスイラは、恥ずかしそうに顔を押さえてしゃがみこんでいる。地面には彼女の足跡がくっきりと残されており、地を揺らすほど強く踏み抜いたのだということが一目でわかった。
リュカが彼女を想っているのは間違いない。けれど、彼の立ち位置はスイラを危険から守る意識のないものだ。それは彼女が、守る必要もないくらい強いからなのだろう。……森林竜に飲まれても無傷で助かるくらいには。
「今の、何の音だ!?」
「軽い地揺れが起こったみたいだ。特に問題はない。さあ、宴に戻ろう」
「んん……? そんな音だったかな……まあカガリがそういうならそうか」
驚いてやってきた同胞たちを誤魔化しながら宴に戻らせる。振り返ると、こちらを見ているスイラと目があった。彼女はいままできっと、リュカの気持ちを知らなかったし、だからこそ意識もしたことがなかったのだろう。しかしこれからは違う。
(……リュカはとてもいい御人だ。好かれているなんて羨ましい。だから……きっと、幸せになれるだろう)
二人でゆっくりと話し合ってから戻ればいいと目で合図して、カガリも再び宴に参加した。軽い失恋の痛みを忘れるように酒を飲んでいると、リュカとスイラも戻ってくる。
二人の様子は少し変わっていた。リュカは相変わらずなので、変わったのはスイラの方だ。ちらりと彼に視線を送って、目が合うと慌ててそらす。
(……初々しいなぁ……)
好意が伝わって、意識をするようになれば何かしらの変化は訪れる。スイラの反応を見るに悪い結果ではなさそうだ。
カガリは酒樽を持ち上げてぐびりと酒をあおった。喉を通り過ぎる強い酒が、胸を焼くようだった。
初々しいねぇ……
仕事がたまっていますので、しばらく更新をお休みしますね。
片付きましたらまた更新再開します。