9話 いままでどおり
(でも……リュカが私を見る目は、ずっと前から変わらない)
彼の眼差しが宝物でも見るようだと感じることは以前からあった。それはきっと、彼が私を得難い大事な仲間として見ているからだと思っていたし、そのような目で見られるようになったのは最近の話でもない。
私が竜であることを打ち明ける以前と以降で、多少の関係の変化はあった。しかしそれは秘密を取り払ったことで自然と近づいた距離でしかなく、彼の気持ちが変化したようには感じなかった。
(伴侶に、って考えるくらいだから軽い気持ちじゃないんだろうし……)
合同パーティーを組んだ時のカルロのように、恋愛を楽しみたいというような軽い気持ちでないのはたしかだ。リュカは静かに微笑みながら私の反応を窺っていて、何も言わない。その表情も雰囲気も、いつもどおりのリュカだと感じる。
いつから私に恋心を抱いていたのだろう。彼が嫌う種族である私を、彼が好きになることがあるなんて思いもしなかったので本当に気付かなかった。彼の感情が変化したのがいつなのかさっぱり分からない。
「……えっと……いつから?」
「自覚したのは……二人で氷雪竜の吐息を見上げた夜だな。だから、それ以前から君のことが好きだったんだろう」
氷雪竜の討伐は結構前のことだったのでなおさら驚く。たしかにあの頃からリュカがよく照れるような仕草を見せるようになった気はするけれど、変化と言えばそれくらいだろう。……エルフは分かりにくすぎる。
「……でもそれって……私をハーフエルフだと思ってた時のこと、だよね。私はリュカが嫌いな種族だよ。それでも気持ちは変わらなかったの……?」
リュカが惚れた「スイラ」はハーフエルフの冒険者だ。光の属性竜、白竜の「クスィラスィラ」ではない。正体を知ったその日に幻想が砕かれて、恋心が消えてもおかしくない。だからきっと正体を知った以降で気持ちに変化があったのだと推測していたのに外れてしまった。
私が一番不思議に思っているのはそこなのだ。今までも私に結婚を申し込んできたヒトは何人かいたけれど、彼らは私が竜だと知れば手のひらを返したはずである。何故リュカは変わらなかったのか、不思議でならない。
「私が好きなのは君の種族じゃない。……君を好きになった。だから、君の本当の種族が竜だったくらいでは変わりようがない」
リュカにとって私がハーフエルフか属性竜かは大した問題ではなかったらしい。それくらいで変わらない、と言うくらい私の種族は彼の気持ちに関係がないようだ。
(……あ。どうしよう……嬉しい……)
私にとって生まれついたこの種族は大きな問題だ。属性竜としてははみ出し者の私は、同族とはうまく生きられないからヒトの世界にやってきた。けれどヒトではない私は、本当の意味でヒトとして生きることなどできない。
体は間違いなく竜だが、心は竜とは言えない。しかしヒトかと問われれば、おそらくそれも違う。ヒトに近しいものではあるだろうけれど、私には竜や魔物に怯える必要もないから、想像はできてもその気持ちを知っているとは言えない。異世界人の記憶を持っていてもこの体に生まれて竜として三百年過ごしたので、人間の感覚は忘れてしまっている。……今の私は、どっちつかずの半端者なのである。
(でもリュカにとって私は……ハーフエルフの冒険者でも、光の属性竜、白竜でもなくて……スイラ、なんだね)
これはリュカが、私の心を、魂を見ていてくれたという証だ。種族も立場も関係なく、私の性格や思考や価値観を見て、好意を持ってくれた。
ヒトのふりをした竜である上に異世界人の記憶すら持った私は、実に自分の存在の定義があいまいである。竜だから好きだとか、ヒトだから好きだとか、そういう好意であれば私は拒絶しただろう。……けれどリュカの好意を否定したり、拒絶したりする必要はないようだ。
しかし同じ気持ちを求められると困ってしまう。ヒトと恋愛するなんて考えたこともなかったし、ありえないとも思っていたから。
「スイラ。……私はただ、君に気持ちを知ってほしかっただけで、これ以上何かを求めているわけじゃない」
「うん……?」
「たしかに伴侶となるなら君がいい。他の誰かなんて考えられない。……でも君に同じ好意を求めたりしない。そうなってくれたら嬉しくはあるんだが……前にも言ったとおり、エルフの恋愛観というのは他種族と違っているからな」
リュカは改めてエルフの恋愛について教えてくれた。彼らは肉体的な欲求を覚えることが少ない。相手に求めるのは「最も多くの時間を共有すること」「一日の最初と最後に見る相手であること」「見つめ合って静かに言葉を交わすこと」といった、大変穏やかな時間の過ごし方であるという。それさえできれば最大の幸福なのだと。
そして私は、自分とリュカの普段の生活を振り返った。……全部あてはまるような。
「……私たちの日常だね……?」
「実はそうなんだ。……だから、この気持ちを隠したまま私だけが満たされているという状況が……どうも不誠実な気がしてな。君に好意を伝えたかった理由はそれだ」
なるほど、本当に誠実な彼らしい。エルフ的な感覚では下心を持ったままで好きな相手と過ごすようなもので、その状況に罪悪感を覚えていたのだろう。……いや、これくらいで下心なんて思わないけれど。
「私の気持ちはずっと変わらない。君が不快に思うなら、いつでもパーティーを解散してくれていい。新しい仲間を入れるのも、良いと思う。君の望みに沿いたい」
「私の望み……」
この状況を不快に思う者もいるだろう。自分が好意を持たない相手から好かれることに、不快感や拒絶感を持つことがある、というのは身をもって知っている。実際、私は黒竜に思いを寄せられることが嫌で仕方がないし逃げていた。
(……でもリュカのことは嫌じゃない、よね……?)
それどころか、リュカが私の中身を好きになってくれたことを喜んでしまった。ただ、私が彼に持っている好意は恋ではない。……だって考えたこともなかったから。純粋に、ヒトとして仲間として好きなだけだ。彼はそれで本当にいいのだろうか。好きな相手には、同じ気持ちを返してほしいものではないのか。
「リュカは……私が仲間としてしか見てなくても、いいの? 辛くはない?」
「まさか。……言っただろう、君のことは仲間としても大事に思っていると。君に求めるものがあるとすれば私に対する好意ではなく……君の幸福だな。それを傍で見ていられるなら、これ以上はない」
それが彼の本音であることが伝わってくる、優しくも熱のこもった声。耳から感情を流し込まれたみたいで、なんだか少し恥ずかしくなった。
エルフの恋は穏やかだと言う。でもこれは、相手に求める欲求が強くないだけで、随分と――。
「……愛、重くない?」
「重いと思う。……すまない、私も君に恋をするまで知らなかった。エルフの恋は表面上穏やかなんだが、愛情は重くて深いと思う」
恥ずかしくなって冗談を言ったつもりだったのに、真顔で真剣な答えが返ってきた。魔力でおおわれて風すら感じないはずの肌がくすぐったい気がして、軽く指先をこすり合わせる。このむずむずとした空気は一体なんだろう。
「……パーティーは解散しなくていいのか?」
「うん。……リュカが辛くないなら」
「辛そうに見えるか?」
「……見えないね」
その時の彼はとても穏やかで満ち足りた微笑みを浮かべていて、とても辛そうには見えなかった。本当に、彼はただ誠実に自分の感情を伝えたかっただけで、私に愛を求めてはいないのだろう。卵を要求してくるどこかの誰かとは大違いである。
「君は、何も変わらなくていい。私もいままでどおりだ。だから……これからもよろしくたのむ」
「うん。……よろしくね」
いままでどおり。リュカの気持ちはずっとあった訳だし、本当に彼はいままでと全く変わらないのだろう。ただ、私が彼の恋心を知っただけ。それだけのこと。
(そうだよね、何も変わらないよね)
鬼人の宴に二人で戻る。歩きながら見上げたリュカの横顔は、いつもより少しだけ綺麗に見えた。
ほんとうに何も変わらないと思うのか。