5.5話 とんでもないものを貰ったエルフ
ゴーンが弓を作ってやると提案してきた時、リュカはすぐにそれがスイラの口添えのおかげだと気づいた。何故ならゴーンの好意の大半はスイラに向けられているものであり、リュカは彼女の仲間だからついでに歓迎されているに過ぎないからだ。
生きる伝説とされるS級冒険者のリュカは、ほとんどの場所で特別扱いをされる。誰もがリュカを知っていて、誰もがリュカに注目する。集中する視線を煩わしく思ったり、重圧のように感じたりすることもあった。だから今の”スイラの仲間のリュカ”という「おまけ」扱いがとても新鮮だ。彼女との旅はいつも新しい驚きに満ちている。
(それにしても……弓のことをずっと気にしていたんだな。スイラのせいではないのに)
長らく使っていた弓はスイラに出会う前、氷狼の群れに襲われた際に失った。別段こだわりがあったわけでもないし、彼女を脅威とみなした氷狼が逃げた先にリュカがいたのは偶然だ。しかし彼女の気持ちは嬉しく思う。……エルフにとって、弓は特別なものだから。
(口添えくらいなら……弓を贈ることにはならないだろうが、嬉しいものだな)
エルフは自分で集めた素材を使って作った弓を家族へと贈る。家族以外に贈るならそれは「あなたと家族になりたい」という意味にもなりかねない。……そこまでするエルフはほとんどいないが。
スイラはエルフではないし、そのような意味は全くないと分かっている。それでも心が騒ぐのはやはり恋をしているからだろう。この文化については説明しなければならないとは思っているが、今は彼女の厚意に水を差したくないししっかり喜びは伝えて、ドワーフの国を出たあたりの落ち着いた頃に教えようと考えていた。
素材を用意して弓を作った物を贈るのは家族だけだ、と。だから今後似たようなことがあっても材料を集めて弓を作るようなことはしなくていいと。
(……甘く見ていたな……本当にいつも驚かされる……)
ずっと一緒に旅をしていたのだ。弓の素材を集めているそぶりはなかったと知っているし、てっきりゴーンに口添えしてくれただけだと思っていたら、出てきたのはなんと「白竜の弓」である。
白く輝いて見えるほど、美しい弓だ。属性竜の素材で作られる道具は大抵が劣化した素材を使われているため、ここまではっきりと属性の色が出ることはない。新鮮そのものの素材で作られたとすぐに分かった。
(まさか自分を素材にしようとは…………いや、待ってくれ。つまり、これはスイラでできてるのか? ……スイラの弓を、私が使うのか?)
それはなんというか、どうなのだろう。というか、属性竜としてそれは愛情表現の範疇に入るのだろうか。この厚意は本当にただの厚意なのか。……いや、スイラのことだからただの厚意に違いない。しかし自分の身を多少削って素材にしてもいい、と思うくらいにはリュカも好かれているということか。それともこれくらい、人間に対して好意的で親切な彼女にとっては大したことではないのか。
(待ってくれ……落ち着く時間がほしい…………ゴーンの説明が頭に入ってこない……)
余程の自信作なのだろう、弓の性能について語るゴーンの弾むような声は耳に届いている。しかし彼の言葉は、そのまま通り抜けていく。弓の性能は使って知るしかない。だが、しかし。
(……好きな相手の体でできた弓だぞ。そんなもの……使っていいのか?)
倫理的、道徳的にどうなのか。背徳感がすさまじい。しかしだからと言ってその弓を誰かに渡すなんて考えたくもないし、使わなければスイラの厚意をむげにするのは間違いない。受け取った弓は驚く程軽いのに、何故かとても重く感じた。
そんなリュカをにやけて見ているゴーンは絶対に勘違いしている。彼はエルフが弓を贈る意味を知っているのだろう。
(……残念ながら私の片思いだ)
リュカとしてはかなり正直に、まっすぐ気持ちを伝えているつもりだがボタンを掛け違えたように伝わらないのがスイラなのだ。
正体を明かされ互いの言語を学ぶ時間を作るようになった成果もあって、最近はスイラの話し方も大分老人っぽさが抜けてきており、言葉の理解自体にずれはないはずなのに。
「勘違いされたままだと、好きなヒトができた時に困らない? 私は竜だから、ヒトとそういう関係になることはないと思うけど、リュカは違うでしょう?」
エルフの弓を贈る習慣について教えて、返ってきた言葉がこれである。彼女にとって竜と人が恋をすることはあり得ないのだろう。だからリュカの想いは伝わらないままなのだと理解した。
(……君が人でも竜でも、私の気持ちに変わりはないのにな。私は"スイラ"が好きなんだから)
もしかするとスイラには一生伝わらないのかもしれない。スイラから同じ感情を、同じ重さの愛情を返してほしいとまでは願わないが、伝わらないまま終わるのは切ないと思う。せめてリュカが本当に彼女を好いていることくらいは、伝わってほしい。
「私は、ずっと君と居たいと思っている。他の誰かと共に歩むことを考えたことはない。……私は君が好きだからな」
伝わらない可能性があったとしても、伝えることを諦める理由にはならない。リュカは伝え続けるだろう。これからもずっと、彼女がリュカを拒絶する日が来ない限り。
的になりそうな岩が点在する開けた場所を見つけたので足を止めた。何せ今から使うのは白竜の素材が使われた弓だ。そんな国宝級の代物で放つ矢の威力がすさまじいことは想像できる。
スイラの厚意は本当に嬉しい。リュカを喜ばせたくてこっそり用意した、という気持ちもいじらしくて愛おしく感じる。しかしそれでも、彼女は竜だ。人間とは何もかもスケールが違っている。……彼女が大したことはないと思っている行動が、人間の世では大きな事件につながりかねないのだ。
「スイラ、ありがとう。君が弓を贈ってくれたこと自体は本当に嬉しいと思っている。ただ……やっぱり何かする時は相談してくれ。君の望まない結果になってほしくない」
「……うん、分かった。もうリュカに隠し事はしないよ」
「ああ。……驚かせようとしなくても、君の気持ちだけで私は嬉しいからな」
彼女も分かってくれたようだから、もう同じようなことはしないだろう。安心して微笑み、いつものように弓を引いて、いつもの風魔法の詠唱をして、矢を放つ。
白竜の弓で放つ矢の威力がすさまじいことは想像できていた。……だが、その威力が想像以上だった。
(とんでもないものが出来上がっているんだが……?)
これなら岩竜であっても一撃で粉砕できるだろう。しかもリュカが使ったのはごく一般的な矢と、矢を加速させるだけの風魔法だ。
この弓自体に強力な増幅効果があり、この弓で放った矢は下位竜くらいなら一撃のもと簡単に屠れてしまう。……この力はむしろ、秘匿するべきではないだろうか。
(白竜が人間に友好的なことはこれからも広まっていく。……彼女に素材を要求する不届き者が現れないとも限らない)
そして誰にでも親切なスイラは「鱗くらいならいいよ」と許可してしまうかもしれない。人の世のバランスを崩しかねないのである。リュカがそばにいる限りそんなことはさせないけれど、知られない方がいい物ではあるだろう。
「調整は難しそうだが、慣れればいい弓であるのは……間違いない……と思う。普段は詠唱もいらないな」
弓の性能自体は本当に素晴らしい。しかしリュカは本当の能力を秘匿することに決めた。弓の能力を最大限に引き出すのではなく、最小限にとどめる扱いを覚えるために弓を引く。
「……扱い、難しくてごめんね」
その少し元気のないつぶやきが「弓の扱い」なのか「スイラの扱い」なのか判断しかねたリュカは、曖昧な返事しかできなかった。
白竜の弓で放つ矢は、少し射ち方に工夫をすれば拡散と集約のどちらも威力を出せるようで、岩を砕いてみたり、貫いてみたりとやっているうちにかなり楽しくなってしまった。
(……いけない。夢中になってしまったな……本当にいい弓だ)
岩場が更地になりかけていることに気づいてリュカは弓を降ろした。確かにこの弓の扱いは難しいのだが、上手く使えればリュカの望みになんでも応えてくれるような能力を持っている。スイラが常に力を貸してくれているという気がする部分も大きいだろう。……一生手放さず、大事にしようと思う。さすがにこの弓が壊れたら立ち直れないかもしれない。
「おおよそは掴めた。あとは実践で慣れていこうと思う」
「うん……」
まだ気にしているようで、元気のない返事をするスイラ。彼女は放った矢を回収してきてくれていたので、その手には試し射ちに使った矢がそっと乗せられていた。
人の道具を触るのを苦手とするのに拾ってきてくれるくらいには、彼女はリュカに迷惑をかけたと思っているのだろう。竜が人間の中で人間のようにふるまって生きるのは大変なことだと理解しているし、リュカはそんな彼女の生活を支えるつもりで傍にいるのだ。そんな顔は、しないでほしい。
「……君の気持ちもこの弓も本当に嬉しいし、大事にする。ありがとう、スイラ。……しかし君の弓に慣れたらもうほかの弓は使えそうにないな、その時は責任を取ってくれるか?」
半分は彼女を元気づけるための冗談で、半分は本音の混じった告白。弓を贈る意味については伝えたので、今回ばかりは彼女にも伝わるかもしれないと、そう思っていた。
「うん! その時は責任持ってずっとリュカに弓を贈るね……!」
そのセリフがどうしても結婚の約束にしか聞こえなくて、リュカは笑顔のまま表情が固まってしまった。
どうにか気分を落ち着けたい。その場から逃げ出すように歩きだせば、スイラも後からついてくる。
(そう……そうだ、まずはゴーンに口止めを…………本当に意味は分かっていないんだろうな、スイラのことだから……分かっていないんだよな?)
別の方向に思考を向けようにもすぐにスイラのことに戻ってきてしまう。ちらりと窺ってみると彼女はすっかり元気を取り戻したようで、愛らしい顔でにこにこと笑っていた。……彼女がこんな顔で笑えるならもうなんでもいい気がしてきた。
なんでもよくはないと思う、冷静になってほしい