30話 はぐれ者の二人
「……えっと……その、すみません。つい、こんなことするつもりはなくて……すぐ直します」
精霊に呼び掛けて地面の穴を直した後、そそくさとリュカの隣に戻った。それまでの間、二人とも一切口を開かなかったのがいたたまれない。
(……なんか、ものすごくムカッときて……調子が狂っちゃった)
竜として生まれてから、私はおそらく「怒り」と呼べるほどの強い感情を抱いたことはなかった。だからきっと自分はおおらかになったと思っていたのだけれど、なぜ今いきなり腹が立ったのか、自分でも訳が分からない。
「……そなたが噂のハーフエルフか。ふむ……なるほどな」
リュカと話していたエルフは、私と同じような白髪で、とても髪が長く三つ編みにした髪をマフラーのように首周りに巻くという不思議な髪型をしていた。おそらく長い髪を地面に引きずらないようにしているのだろう。
そんな彼はじっくりと私を見て、にこりと笑った。……リュカに対する態度と違いすぎて戸惑う。
「そこまで精霊に好かれている者はエルフでも見ない。混じり者とはいえ……たしかに実力はあるようだな」
しかし言葉の端々から何か、悪意なく見下すような意識を感じる。リュカが以前言っていたように、エルフの大多数にはハーフエルフを差別する意識があるということだろうか。
「私は集落の長をしている、シュノンという。そなたの名は?」
「私はスイラといいます」
「スイラか、オークの駆除をよろしく頼んだぞ。オーク共の巣の在処は突き止めたが、いかんせん数が多くて狩り切れん上に日に日に増えるのでな……これが巣の在処を示した地図だ」
彼がこの集落の長らしい。見た目は若い青年でもエルフなので見た目の年齢は参考にならない。彼もきっと長く生きているのだろう。
シュノンから渡された地図を受け取ったが、見ても分からないと思うのであとでリュカに確認してもらう必要がありそうだ。……リュカが、まだこの依頼を続ける気があるならば、だが。
「そなたならば集落内に部屋を用意してあるので、そこで休んで構わん」
「……いえ。私はリュカの仲間ですから、同じ扱いにしてください」
「そうか、では集落を囲う柵より内側には入るな。……そなたの身を思って忠告するが、竜の獲物と共に居るなど危険だぞ」
「……ご心配なく。行こう、リュカ」
この作り物の体でも、胃のあたり――体の中心部分がむかむかとして気持ちが悪かった。エルフの集落周辺にはオーク避けの香草が焚かれているので、私たちもあまりそこから離れずにキャンプ地を構える。
終始無言で作業して野営の準備を終え、草地に座り込むと深いため息が出た。
「……なんであんな言い方するかなぁ……リュカは助けに来たのに、酷いよ」
「……予想通りではあったんだがな」
「そうなの……? 無理して依頼受けなくてよかったんだよ?」
「いや……大丈夫だ。オークが増えると他の地域も被害を受ける可能性がある。どちらにせよ退治はしておきたい魔物だ」
エルフたちの反応は織り込み済みで、他の被害まで考えて彼はこの依頼を引き受けると決めたらしい。それなら報酬はなくていいから、エルフと関わらないようにオークを退治した方がよかったかもしれない。その方が私もリュカも精神衛生上の問題がなかった気がする。
「調査をしなくても巣の在処が分かったから、早く済むだろう。地図を見せてくれるか?」
「うん……リュカ、本当に大丈夫?」
先ほどもらった地図をリュカに手渡した。改めて表情を確認してみると彼は結構いつも通りの顔をしている。もちろん楽しそうではないのだけれど、悲しそうだったり辛そうだったりといった顔ではない。……シュノンと二人で話していた時は、居心地悪そうに見えたのに。
「ああ、君がいてくれるおかげか割と穏やかだ。……むしろ君の方が辛そうだな」
「なんか、見るのも聞くのもすごく嫌で……でもリュカが大丈夫なら、よかったよ」
本当に平気そうな様子を見ていたら私もだんだん落ち着いてきた。どうやら私はリュカが傷つくのが嫌で仕方がなかったらしい。
(……怒ったのもそのせいだね。……私、リュカのことよっぽど大事なんだなぁ……)
私が今まで怒りを覚えなかったのはきっと、大事なものがなかったからだ。竜として生まれ、同族を愛することができなくて、執着するほどの宝物を見つけたこともなかった。
ジジには親切にしてもらったが、彼の方からは距離を置かれていたと思う。恐れ多い、と言う感情を常に感じていた。ジジの存在は大きいけれど、本当の意味で親しい相手にはなれなかった。
リュカはヒトに交じって暮らすようになって、初めてできた仲間。対等な関係を築いてきた大事なヒトだ。そんな相手に対して酷い仕打ちをされれば怒りたくなるし、悲しくもなるだろう。
リュカが開いている地図を一緒に見てみるが、さっぱり分からない。使われている地図記号は私の知っている元の世界と別物だし、どれが何を指しているのやらちんぷんかんぷんである。
「私は確かに同族からは見捨てられているが……君という仲間がいてくれるんだと思ったら、左程気にならなくなった。君がいてくれるなら、それだけでもういいんだ」
地図から目を離すことなく呟かれた言葉が嬉しいと同時に、少し苦しい。リュカにはまだ言えていない秘密がある。それを知った時、彼は同じように思ってくれるだろうか。……この信頼を、裏切ることにはならないか。
「あのね、リュカ。私はリュカとずっと冒険者を続けたいよ。……でももし……リュカが私のことが嫌になって、パーティーを解消したくなったら言ってね」
言葉にしながら、それは彼と仲間になる時に言われたものとよく似た台詞であることに気づく。あの時のリュカは、追放者であることを隠していた。もしかすると今の私と似たような気持ちだったのかもしれない。
彼と共に、もっと冒険をしていたい。いや、別に冒険でなくてもいい。旅でもいいし、どこかに留まって休んでもいい。一緒に居るのが楽しいから、この時間が続いてほしい。けれどいつかは本当のことを話さなければならないし、話した時に嫌われてしまったらその時は仕方がないのだと、諦めるしかないと覚悟する。……今度は、私がその気持ちを抱えているという訳だ。
「……そんなことはあり得ないと思う。私は……何を聞いても、君を嫌いにならない自信がある」
リュカは私の心境を察しているのかもしれない。地図から顔を上げた彼と、近い距離で見つめ合う。……けれど言えない。彼の想定を、私の秘密は遥かに上回るはずだ。
「……気長に待つつもりだからそんな顔をしないでくれ。私たちは、生き急ぐ必要のないエルフだ」
「……うん」
焦ってはいけない。百年掛けたって私とリュカの時間は尽きないのだ。
待ってくれるというリュカに甘えさせてもらおう。彼がいつか、白竜は違うかもしれないと思ってくれる日がきたら伝える。それまで私は、先の災害時のようにヒトの味方であることを示し続けていこう。
しかしまずは、目の前の依頼から。エルフの縄張りでは落ち着けそうにない。二人でどのようにオークの駆除をするか話し合っている途中で、リュカがふと顔を上げた。
「誰か来る」
「オークかな?」
「いや、違うな。足音が軽い。しかも一人だ」
オークは数体の隊を作って行動するので、一人なら違うだろう。迷った冒険者でもいるのかと待っていたら、現れたのは見覚えのあるエルフの少年だった。彼は私を見つけると少し明るい表情になって、気軽に片手を挙げながら近づいてくる。
「ここにいたか。外じゃ火を使えないだろうからな、料理を持ってきてやった」
「……え?」
「成長期なんだから、お前は食べないといけない。では」
彼はそう言って土鍋のようなものを置いて去っていった。突風のようにやってきて去っていったので、何が何だか分からない。……エルフたちはリュカのことを嫌っていて、一緒に居る私にも近づきたくないはずだが。
「君は実感が薄いかもしれないが……エルフは同族の年少者には甘い」
「……そうなの?」
「ああ。将来有望であればなおさらな。……今の君なら、受け入れる集落もあるだろう」
「私はリュカのいない場所で暮らす気はないよ、一緒じゃないと意味がないからね」
少年が置いていった鍋の蓋を開けてみると、湯気の立つ煮物が入っていた。キノコと野鳥がふんだんに使われていて、美味しそうなにおいがする。
「美味しそうだよ! ……あれ、リュカ?」
「……いや、なんでもない。折角の善意だから、食べようか」
「うん!」
振り返るとリュカが片手で顔を覆っていた。しかし何でもなかったようで、テキパキと食事の支度を始めている。
とりあえず食事をしながら作戦の続きを話し合って、明日にはオーク退治の始まりだ。そのためにしっかり英気を養っておく。
なお煮物は美味しかったのだが、私はリュカの味が馴染んでいるので不思議な感覚だった。そしてそれを伝えるとリュカはまた顔を覆っていた。……最近よくこういう反応をする気がするな、何だろう。
一緒に暮らそうって聞こえるんですよね…。
次回はリュカの視点でいろいろ補足する予定です。